私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Beethoven: Les Sonates pour le Pianoforte sur instruments d’époque 7
Astrée E 8697
演奏:Paul Badura-Skoda (Pianoforte John Broadwood, Londres ca. 1815)

ベートーフェンのピアノソナタハ長調「ヴァルトシュタイン」(作品53)とヘ短調「アパッショナータ(熱情)」(作品57)は、ちょうど交響曲の第5番と第6番「田園」のように、ほぼ同時期に構想されたいわば兄弟作品である。そして2曲の交響曲と同様、この2曲のピアノ・ソナタは対照的な作品となっている。開放的で雄大な「ヴァルトシュタイン」、緊張した劇的な「アパッショナータ」という対比は、凝縮された、劇的な交響曲第5番と、明るく穏やかな第6番との対比と共通する。この2曲のピアノソナタに取りかかった1804年頃は、ベートーフェンが交響曲第3番「エロイカ」を完成し、歌劇「フィデリオ」の第1稿に取りかかった時期であった。「ヴァルトシュタイン」はその年の内に完成したが、「アパッショナータ」は1806年になって初めて完成した。「ヴァルトシュタイン」は、ベートーフェンのピアノソナタの中で唯一、特定の人物に献呈された作品である。フェルディナント・エルンスト・フォン・ヴァルトシュタイン伯爵(Graf Ferdinand Ernst von Waldstein)はボヘミアの貴族の出身で、1788年から1792年までボンで枢密顧問官の地位にあった。ヴァルトシュタイン伯爵はピアノを弾き、作曲もした音楽愛好家で、ベートーフェンの後援者のひとりであった。
 この2曲のピアノ・ソナタで共通しているのは、第2楽章から第3楽章に切れ目無く移行していることで、その点でも交響曲の第5番、第6番と共通している。「ヴァルトシュタイン」と「アパッショナータ」は、ベートーフェンのピアノ・ソナタの中でも、内容的にも充実した、傑作と言うことが出来る。
 ベートーフェンが活動していた時期は、ピアノの発展期でもあった。ハンマーが弦を叩く機構は、チェンバロやクラヴィコードの機構から出発して、弦を叩くと同時に離れる必要のあるピアノのハンマーをどのように動かすか、鍵を叩く強さをどのようにハンマーが弦を打つ強さに反映させるかと言った課題を解決する機構が様々考案された。そのうち主なものは、梃子の原理でハンマーを動かす「ドイツ式」あるいは「ヴィーン式」と、鍵の動きによってハンマーを突き上げる「イギリス式」である。今日のピアノは後者の「イギリス式」の機構を採用している。ベートーフェンが最初に所有していたピアノは、ヴァルトシュタイン伯爵から贈られたシュタイン製の楽器であった。その後ヴィーンに移ってから使用していた楽器は、ヴァルター製のピアノで、何れも「ヴィーン式」機構のものであった。このシュタイン製のピアノは、FF - f’”の61鍵であった。ベートーフェンは1803年にフランスのエラールからピアノを贈られた。この楽器は「イギリス式」の打弦機構を持ち、FF - c””の68鍵であった。その後ヴィーンのシュトライヒャー製のピアノを使用していたようで、この楽器はFF - f””の73鍵で、1809年に作曲されたピアノ協奏曲第5番変ホ長調「皇帝」やピアノ・ソナタ変ホ長調「告別」(作品81a)では、この全音域を使用している。さらに1818年にはイギリスのブロードウッド製のピアノを入手したが、この楽器はさらに下に4度広がったCC - c””の73鍵であった。ベートーフェンのピアノ・ソナタは、彼が作曲当時に使用していたピアノの音域を反映している。「ヴァルトシュタイン」や「アパッショナータ」は、入手して間もないエラール製のピアノの能力を最大限に生かす作品であった。音域は「ヴァルトシュタイン」はFFからa’”だが「アパッショナータ」はFFからc””と全音域を用いている。しかしその音域だけでなく、例えば、「ヴァルトシュタイン」の第1楽章の主題や、「アパッショナータ」の第1楽章に頻繁に出てくる同一音を連打する箇所や、「アパッショナータ」の強烈なフォルティッシモの連続などが、打弦機構や全体的な構造を反映しているように思える*。
 ここで紹介するCDは、パウル・バドゥラ=スコダ(Paul Badura-Skoda)が自ら所有する1815年、ロンドンのジョン・ブロードウッド製のピアノフォルテで演奏したものである。パウル・バドゥラ=スコダは1927年ヴィーン生まれのピアニストで、今年81歳になる。22歳の1949年から、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーやヘルベルト・フォン・カラヤンを始め多くの指揮者と共演をしてきた。そのレパートリーは、主にモーツァルト、ベートーフェン、シューベルトの作品で、かなり早い時期からピアノフォルテによってこれらの作曲家の作品を演奏して生きた。このCDは、アストレー・レーベルによるベートーフェンのピアノ・ソナタ全曲録音の1枚である。筆者はこの第7巻しか持っていないが、このほかに同じアストレー・レーベルで、モーツァルトやシューベルトのピアノ・ソナタも録音していたようである。このCDには、上述の2曲の他に、作品49の1と2の何れもト長調のソナタと作品54のホ長調のソナタが収録されている。作品49の2曲は1796年頃、作品54は「ヴァルトシュタイン」と同じく1804年の作である。
 録音は、かなり近接したマイクで行われているが、170年以上昔の楽器でありながら、極めて良く整備されていて、機械的な雑音はほとんど聞かれない。
 アストレー・レーベルは、ウェブサイトもなく、その実態のよく分からないレーベルであったが、最近ナイーヴというレーベルに買収されたようである。ナイーヴにはウェブサイトがあるが、ほとんどがフランス語で、しかも非常に操作が難しいサイトである為、アストレーのレパートリーがどのようになっているか、なかなか分からない。しかし、アストレー・レーベルには多くの優れた録音があり、それらが廃盤になって入手できなくなることは、非常に残念なことである。このパウル・バドゥラ=スコダの演奏によるCDも、現在廃盤になっていて、入手は不可能なようである。

発売元: Astrée

* ベートーフェンとピアノに関しては、ベートーヴェン頃のピアノ」「ピアノの音域の話 - ベートーベンの場合」などを参考にした。

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