私的CD評
オリジナル楽器によるルネサンス、バロックから古典派、ロマン派の作品のCDを紹介。国内外、新旧を問わず、独自の判断による。
 




Bach as Teacher: Keyboard Works from the Cöthen Period
Hänssler Edition Bachakademie CD 92.107
演奏:Robert Hill (Lute-Harpsichord, Clavichord)

バッハは、1703年にアルンシュタットの新教会のオルガニストに任命された頃には、すでにオルガンの名手として高い評価を受けており、その名声は年々高まっていった。それに伴い、多くの音楽家や音楽家を目指す若者がバッハの教えを受けるために集まってきた。バッハの生涯にわたる弟子の数は60人とも80人とも言われている。その中で、ケーテン時代までの弟子達の内名前の分かっている主な人物を挙げると、最も早い弟子の一人がヨハン・カスパー・フォーグラー(Johann Kaspar Vogler, 1696 - 1763)で、1706年にアルンシュタットで教えを受け、後に1710年から1715年までヴァイマールで再び教えを受けることとなった。フォーグラーはその後1721年にヴァイマールの宮廷オルガニストに任命され、生涯ヴァイマールで過ごすことになる。ヨハン・マルティン・シューバルト(Johann Martin Schubart, 1690 - 1721)は、ミュールハウゼンでバッハの弟子となり、1708年にヴァイーマルへ同行し、1717年にバッハの後任として宮廷オルガニストに任命された。シューバルトは、2006年に公になったヴァイーマル宮廷の「アマリア公妃文庫」で発見されたいわゆる”Weimarer Orgeltabulatur”の作製に関与していた。ヨハン・トービアス・クレープス(Johann Tobias Krebs, 1690 - 1762)は、1710年にヴァイマール近郊、ブッテルシュテットのオルガニストに就任し、その頃よりヴァイマールの聖ペーター・ウント・パウル教会のオルガニストであったヨハン・ゴットフリート・ヴァルターの教えを受けるようになり、1714年頃から1717年まではバッハの教えも受けた。また、1713年生まれの息子のヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(Johann Ludwig Krebs, 1713 - 1780)も、1726年にライプツィヒのトーマス学校に入学してから、1737年にライプツィヒ大学を修了し、ツヴィカウのマリア教会のオルガニストに就任するまで、バッハの弟子として多くの写譜に従事した。また、この親子によって作製された2つの手稿は、バッハの鍵盤楽器のための作品を今日に伝えている重要な原典となっている。他にもヨハン・ゴットフリート・ツィーグラー(Johann Gottfried Ziegler)など、詳細の分からない弟子達もいる。
 バッハは、アンハルト=ケーテン候の宮廷楽長であった1717年から1723年にかけては、教会における奏楽やカンタータ演奏の義務が無く、自由な時間が多くあったと思われ、弟子達や1710年生まれのヴィルヘルム・フリーデマンの教育に熱心に取り組んだ。
1720年1月22日の日付で始められた「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳」を始め、2声のインヴェンションと3声のシンフォーニア(BWV 772 - 801)、「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第1巻(BWV 846 - 869)、それに「イギリス組曲」(BWV 806 - 811)や「フランス組曲」(BWV 812 - 817)もこの様な努力の成果であった。しかし、この様な目的で作曲された作品は他にも多数あったと思われ、それらは弟子達の写譜等によって今日まで伝えられている。
 今回紹介するCDは、この様なケーテン時代のバッハによる教育目的で作曲された様々な曲を紹介する、ヘンスラー社が2000年のバッハの死後250年の年に刊行したバッハ作品全集「エディション・バッハアカデミー」のひとつ、「教師としてのバッハ」(CD 92.107)である。このCDで演奏しているロバート・ヒルは、1953年生まれのアメリカの鍵盤楽器奏者、音楽学者で、アムステルダムのスウェーリンク音楽院で、グスタフ・レオンハルトにチェンバロ演奏の教えを受け、1974年にソロイストの学位を受けている。1987年には、ハーヴァード大学から「メラー手稿」と「アンドレアス・バッハ本」に関する研究論文*で学位を受けた。1980年代にムジカ・アンティクヴァ・ケルンと共演するなど演奏家として活動する一方で、現在フライブルクの国立音楽専門学校の教授でもある。ヘンスラーの「エディション・バッハアカデミー」に於いては、主として初期の鍵盤楽器作品の演奏を担当してる。その際それらの解説書もヒルが書いている。このCDでも、ヒルが解説を書いており、おそらく選曲もヒル自身が関与しているものと思われる。
 「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第1巻の11の前奏曲が、「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳」に記入されていることから、この作品がもともと息子や弟子達のために作曲した曲をもとに構成されたことが明らかとなる。その際これらと同種の曲が、他にも多く存在していたことが、自筆譜は存在しないが、多くの写譜によって分かっている。それらの中には、後に「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第2巻(BWV 870 - 893)に多くは修正や移調をして組み込まれたことが、その古い形の異稿が写譜で残っていることから分かる。前奏曲とフーガハ長調(BWV 870)の異稿(BWV 870a)は、ヨハン・カスパー・フォーグラーの手稿で残っており、その用紙から、1729年にフォーグラーがライプツィヒの聖ニコライ教会のオルガニストに応募した際にバッハを訪れ、その作品を筆写した中に含まれているものと思われる。 巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第2巻では、前奏曲は17小節から34小節に、フーガは34小節から83小節にそれぞれ拡大されている。前奏曲とフーガ嬰ハ長調(BWV 872)の前奏曲の異稿(BWV 872a)は、ハ長調で、アンナ・マグダレーナ・バッハの手稿で残っているが、この手稿が作製されたのは、1739年から1740年にかけてと思われ、「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第2巻の完成の直前と思われる。前奏曲とフーガニ短調(BWV 875)の前奏曲の異稿(BWV 875a)は、上記のハ長調の異稿(BWV 870a)と同様フォーグラーの手稿で残っているので、1729年以前に作曲されたものであることが分かる。この前奏曲は43小節から61小節に拡大されている。前奏曲とフーガト長調(BWV 884)のフーガの異稿であるフゲッタ(BWV 902/2)は、ヨハン・ペーター・ケルナー(Johann Peter Kellner, 1705 - 1772)の写譜で残っているが、ケルナーがバッハの弟子であったという記録はなく、バッハとの関係には不明なところが多いが、特にバッハの多くの鍵盤楽器のための作品の写譜があり、バッハのこれらの作品の重要な原典となっている。これらの筆者譜は、1727年頃に作製されたと考えられており、この異稿もそれ以前に作曲されていたことが分かる。このフゲッタは60小節で、 巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第2巻のフーガは72小節になっている。前奏曲とフーガ変イ長調(BWV 886)のフーガの異稿ヘ長調(BWV 901/2)は、上述のフォーグラーの写譜で残っており、大幅に手を加えられ、移調されて「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第2巻に組み入れられた。この異稿も、1729年以前に作曲されていたことが分かる。このフーガは24小節から50小節に拡大されている。この様に「巧みに調律された鍵盤楽器のための前奏曲とフーガ」第2巻には、幾つもの曲が以前に作曲されていた前奏曲とフーガ、あるいはその個々の楽章が組み入れられたが、それら以外にも同様な形式の曲が、同じ目的で作曲されていた。これらの内、前奏曲とフーガニ短調(BWV 899)、前奏曲とフーガハ短調(BWV 900)、前奏曲とフーガヘ長調(BWV 901)、前奏曲とフーガト長調(BWV 902a)は、このCDに収録されている。
 教育目的で作曲された作品には、この他に舞曲を主体とした組曲がある。「イギリス組曲」(BWV 806 - 811)はすでにヴァイマールで作曲し始められた可能性があるが、「フランス組曲」(BWV 812 - 817)は、1722年に作製された「アンナ・マグダレーナ・バッハのための鍵盤楽器曲集」に、第1番から第5番までの古い形が記入されており、一部の楽章は、巻末近くに記入されている。さらに、ケーテン時代のバッハの弟子であったベルンハルト・クリスティアン・カイザー(Bernhard Christian Kayser, 1705 - 1758)のよる写譜があり、これも1720年から1725年にかけて作製されている。ただ、この手稿には第5番と第6番が欠けている。他にも多くの写譜が存在するが、最も新しい姿を伝えているのは、ヨハン・クリストフ・アルトニコル(Johann Christoph Altnickol, 1719 - 1759)による1750年代の写譜である。したがって、バッハはケーテン時代にこの作品を作曲し、その後何度か手を加えていたことが分かる。また上記のカイザーによる写本には、同じ構想による2曲の組曲が記入されており、「フランス組曲」はその成立段階では、現在知られている6曲の構成では無かったことがうかがわれる。今回紹介するCDには、この2曲の組曲、イ短調(BWV 818)と変ホ長調(BWV 819)も収録されている。変ホ長調の組曲には、異なったアルマンドを有する異稿があり、ここではその両方が演奏されている。また、フランス組曲第4番の初期の異稿には、短い前奏曲(BWV 815a)を含むものがあり、同じくこの第4番の「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」の稿等初期のには含まれないメヌエットが、後に加えられた。同じように、初期の稿には含まれない第3番(BWV 814)のメヌエットIIも、このCDに収められているが、これらはすでに1724年か1725年には組み込まれていたと思われる。
 このCDには、さらにケルナーの手稿に含まれる4曲の短い前奏曲(BWV 939 - 942)、「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳」に含まれている「アプリカチオ(Applicatio, BWV 994)」や8曲の前奏曲(BWV 924 - 931)も収録されている。これらの曲は、「2声のインヴェンションと3声のシンフォーニア(BWV 772 - 801)」と同じ目的によって作曲されたもので、「アプリカチオ」と「前奏曲ト短調」(BWV 930)には、全曲に渉って詳細な指使いがバッハによって記入されており、当時の鍵盤楽器奏法を知る重要な手掛かりとなっている。ケルナーの手稿に含まれている4曲の前奏曲は、「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳」に含まれる「前奏曲ヘ長調」(BWV 927)とともに記入されており、これらも同じ目的で作曲された曲であることが分かる。
 これに加え、バッハの死後作製された手稿にある「初心者のための6曲の短いクラフィーア前奏曲(Sechs kleine Praeludien für Anfänger auf dem Clavier)」(BWV 933 - 938)が収録されているが、この作品は、バッハの死後の手稿ではあるが、多数存在し、そのいくつかは、カール・フィリップ・エマーヌエル・バッハの周辺で作製されたもので、ハンス・ヨアヒム・シュルツェは、「ヨハン・クリスティアン・バッハのための音楽帳」がもとになっているのではないかという推定を行っているが、これには何らの資料の裏付けもなく、異論もある。
 この他、フーガホ短調(BWV 956)、サラバンドト短調(BWV 839)とクーラントト長調(BWV 840)も収録されているが、これらはバッハの作品かどうか疑わしく、クーラントト長調は。テレマンの作品(TWV 32:13)であることが分かっている。フーガイ短調(BWV 947)については、かつて存在していた原典2点がいずれも紛失しており、今日の水準で評価することが出来ないが、真作かどうかの疑いが存在する。真作であるとするとヴァイマール時代の手鍵盤のみのオルガンのための作品とも考えられる。このCDでフーガト長調として収録されている作品は、後に「ノイマイスター手稿」に「神よ、あなたの慈しみによって私とともに(Machs mit mir, Gott, nach deiner Güt)」(BWV 695)として掲載されているコラールの25小節までと同じであることが分かった。この後に4声の単純なコラールがくる。これによってこの曲は、ごく初期、おそらくアルンシュタット時代まで遡る事が出来る。
 この様にこのCDには多くの作品が収録されているが、その殆どは息子や弟子達の教育を目的として作曲された作品であると言う点で共通している。「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための音楽帳」や「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」と関連している曲や、ケーテン時代の作製がある程度はっきりしている手稿が存在する作品を別にすれば、その作曲時期を確定することは難しい。しかしながら、ヴァイマール時代からライプツィヒ時代の初めにかけての時期に拡げて考えれば、バッハが後進の教育に力を割いていたことを、これらの作品は示していると言うことが出来るだろう。まとまった作品の形態を成していない、個々に写譜によって伝えられているこれらの曲は、なかなか演奏される機会も少なく、この様な形でまとめてCD化されることの意義は非常に大きい。
 このCDでヒルが演奏している楽器は、CD 1では、リュート・チェンバロ(ラウテン・クラフィーア)、CD 2ではクラヴィコードである。リュート・チェンバロという楽器は、チェンバロの金属弦に代わって羊腸弦を張ったもので、17世紀から18世紀前半にかけて存在したが、当時の楽器そのものは残っていない。同時代の記述によると、通常は2対の8フィート弦を有しており、時にはさらに4フィートの金属弦を備えているものもあったようだ。音はリュートやテオルボによく似ており、家庭内での使用に適していた。バッハの死後の遺産目録には2台の「ラウテン・ヴェルク(Lauten Werck)」が挙げられている**。このCDに収録されている曲が、練習曲の性格を有しているので、普通の家庭で演奏する事を想定して、あえてチェンバロではなく、リュート・チェンバロを採用したのであろう。ここで使用されているリュート・チェンバロは、アメリカのキース・ヒルが1995年に、バッハ周辺の人物による記述をもとに製作したとのことである。おそらくは、バッハの弟子であったヨハン・フリートリヒ・アグリコーラ(Johann Friedrich Agricola, 1720 - 1774)による記述などによるのだろう。クラヴィコードは、これもキース・ヒルが1997年に製作した、フリデリチの5オクターヴの独立弦を有する楽器の複製である。
 録音は、1999年6月にバーデン・ヴュルテンベルク州のブライスガウにあるカトリックのオーバーリード教区教会に於いて行われた。演奏のピッチや音律については何も記されていない。リュート・チェンバロは良いとして、クラヴィコードの録音レベルは非常に高く、この楽器の録音としては、かなり問題がある。かなり音量を絞って聞く必要がある。

発売元:Hänssler-Verlag

* Robert Hill, “The Möller Manuscript and the Andreas Bach Book: Two Keyboard Manuscripts from the Circle of the Young Johann Sebastian Bach”, Ph. D. dissertation, Harvard University, 1987

** Bach-Dokumente Band II 627, Spefikation der Hinterlassenschaft Johann Sebastian Bachs, Leipzig, Herbst 1750

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