OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

いや、ほんと、維持管理って大変なんだから・・・

2024-07-28 08:56:51 | Weblog
今年も、やってしまった・・・瞼、パンパンに腫らしてしまった・・・(涙)。

つくづく、庭仕事には向いていないと自覚している。ましてや、お百姓仕事なんてとんでもない。だから、父や母が守ってきた田畑は、すべて何かしらに転用した。それでも、自宅周りの母の家庭菜園的な畑は、何ともしがたく・・・何度も言っているように、イングリッシュガーデンに仕立てたいと考えたのだ・・・けど・・・ああ~、気をつけて防護して作業したつもりで、やっぱりこのザマなのだ・・・・・

それにしても、父も母も、こんなに大変なことを、当たり前のように、ずっとずっと続けていたのだなと思う。生まれてこの方、彼らのことはずっと見てきた、すぐそばですべてを見てきた・・・なのに、何も分かっていなかったのだなと思う・・・

先日、友人たちと桂離宮に行ってきたのだが・・・まず思ったのが"維持管理がどれほど大変だろうか"ということだ。どれほどの人手、どれほどの労力、どれほどの時間、どれほどの費用・・・しかも、人手は誰でも集められればいいというものではない、専門的な知識と技術をもったひとでなくてはいけない・・・その人たちが、人知れず、手入れし続けなければ、この庭園は維持できないはずなのだ・・・

けれど、我々は誰も、その人たちのことを知らない、気にもしない・・・

どんな天才が作庭した、どんなセンス溢れる貴人が造らせた・・・それは語り継がれ、称賛を受け続けるだろうけど・・・それを維持管理するために、生涯を費やしたかもしれない人たちのことには、だれも興味をもたない。

きっと、かれらはそれでいいのだと思う。注目などいらない、称賛などいらない・・・無知な連中からみれば、毎日毎日、代り映えのしない地味な作業を、ただただ繰り返すだけの人生のように見えたとしても、そんなことは少しも気しない。それに、きっと彼らは、自分たちの仕事に喜びと誇りをもっていたにちがいないと思う、誰に分かってもらえなかったとしても。

こういうことは、言われるまでもなく十分に理解していたつもりだった。あらためて、そういうことを語る人がいたら、「はいはい、当たり前のことを、偉そうに聞かせてくださってどうも」なんて、少々小ばかにして聞いていた気がする。

けど・・・いや・・・そうなんだけど・・・

世界は一握りの天才が動かしているのじゃないと・・・いやもう、ほんとに、わたしのこのパンパンに腫れた瞼が言ってます。自分の周りの、あたりまえ・・・ほんと、ほとんどのことが、マジで当たり前じゃないから・・・自分が出来ることって、あまりにもちょっとだけだから・・・

「そりゃあそうでしょ・・・そんなの、あらためていうこと?」って思ったでしょ。でも、違うんだって、その理解、ぜんぜんダメなんだって。いや・・・わたしだけなのかもしれない・・・ほんと、頭でっかちで傲慢だからね・・・そんなことも、ちゃんと芯で理解してなかったのは自分のせいだから、他の人を一緒に考えちゃ失礼か・・・・ふうむ・・・・・・

これからの読書について・・・

2024-07-17 10:18:21 | Weblog
二カ月ほど前に、『"高橋たか子"さんを読み返すのが恐ろしく思われるのは何故・・・』という日記をUPしました。で、そのまま忘れてました(^^;。

それが・・・Audible で、とってもライトなアンソロジーを聞いて・・・ライトなのは嫌いじゃないけど、これはちょっと違うかなぁ~なんて思ったとき、また、高橋たか子さんのことを思い出しました。で、KindleじゃなくてAudibleなら、再読も可能なんじゃないかと思いたち、Audible版が出ているかどうか検索したんです。と、二冊ほど、ありました。『怒りの子』と『誘惑者』。ついでに、高橋克己さんの『黄昏の橋』も合わせて、ダウンロードしました(^^)。まだ、聞いてはいませんが(^^;。

とね・・・音声化はされてないけど電子化はされていたり、単行本しかない作品も、一応、検索結果として、上がってくるじゃないですか。その中に、わたしが高橋たか子さんを読まなくなって以降の作品も、何作かあったんです。エッセイとか日記とか、晩年、超晩年の言葉を集めたもの・・・興味を引かれました。わたしも年を取りました。そんな今の私として、高橋さんが年齢を重ねられてからの作品、読んでみたいなって思いました。

で、どの作品にするかなと、いつもはあまり読まないレビューを、何気に見ちゃったんですよね。するとね・・・いくつもあるレビューの中で『これがあの「高橋たか子」なのか……』というタイトルが目に留まりました。で、思わず読んじゃったんです・・・んん~・・・

わたしはまだ、そのレビューの書き手の方にそう言わしめた作品を読んでいません。だから、その感想が的を得ているとも、頓珍漢だともいえる立場にはありません。けど・・・なんというか・・・二カ月前に、わたしが漠然と感じた"嫌な感じ"が、そのまんま言語化されているような気分がしました・・・高橋さんには申し訳ないけど「ありえることだ」とものすごく強く思ってしまいました。そう思わせるものが、大大大好きだった当時の高橋たか子作品の中に、すでに見え隠れしていたんだと思います。

で、じゃあ、わたしはどうするかです・・・とりあえず、晩年のエッセイや日記は、しばらく読まないようにしようと思います。私が夢中で読んでいた頃の作品のAudible版、つまり、今回ダウンロードした『怒りの子』と『誘惑者』は、聞いてみようと思います。で、聞き終わったときに、その後作品とどう向き合うか、あるいは向き合わないかを決めたいと思います。

余談になりますが・・・高校生の頃、大ファンだった役者さんがいます。地方の小さな劇団の役者さんですが、わたしは世界で一番"ウマい役者"さんだと信じて疑いませんでした(^^)。その方は、一生を共にしたい大切な女性に出会って、役者を辞められたんですが、還暦も近くなって(正確な時期は覚えていません、あくまでもわたしのイメージでこの頃じゃないかと思っています)、またお芝居を始められました。わたしの親友が、そのことを知らせてくれたんですが、その時、彼女は「今はまだ、見ない方がいいかも」って言ったんですね。長くお芝居からはなれていらしたから、勘を取り戻すのにしばらく時間が必要だと思う、と。だから、わたしは、彼女のOKが出るのを待って、復帰されたその役者さんのお芝居を拝見しました。なんていうか・・・当然、若かったころの彼とは違っていました。今も、世界で一番"ウマい役者"さんかと問われれば、はいとは言いづらいかな(爆)。でも、やっぱり好きですよ、はい。ちゃんとファンです。大ファンです。

何が言いたいかというと・・・作家さんであろうと、ミュージシャンさんであろうと、役者さんであろうと、いえどんな職業の人だって、人は必ず変化していきます。その人の周りの人間、その人から影響をうけていた人間たちも変化します。だから、過去の関係のままではいられない・・・けど、変わらないものもある・・・うん、変わらないものもある。そして、何よりも確かなのは、今がどうであれ、過去のその時にもらったもの、得たものは、決して嘘じゃないし、消えないし、色あせない・・・うん、けっして色あせはしないですよね、うん。



なんだか、今日の私は、深刻なブラックです・・・

2024-07-15 08:41:46 | Weblog
ときどき顔を出す、短めの呟き集です(^^;。

〇代り映えしないのは、テメーの感覚だろう!
 毎日、ぼんやり庭を眺めていて気付く・・・
 気づていてなかったことに気付く・・・
 花は、ある日突然咲くわけじゃない・・・
 日々に変化し、その過程の一つとして花が咲いている
 花にしか気づけない奴の感性なんて・・・感性とは呼べない
 代り映えのない己の日常も同じ
 代り映えがしないと思っているテメーの感覚が終わってんだよ
 
〇無の境地ってなに・・・
 眠っていないときに、何も考えないでいる時間、ある?
 わたしはない・・・
 たいしたことを考えているわけじゃない
 断片的というか・・・スライドショー的な思考なので
 そこから何か有益なものが生み出されることはないんだけど
 とりあえずは、何かを考えてる、いや、思い浮かている、いや、よく分からんけど・・・
 なので
 がんばって、何も考えない努力をしてみる・・・と
 せいぜいが、言葉ではなく映像になるくらいかな・・・
 頭を空っぽにしようと頑張っていると
 妙に、鳥の囀りなんかが聞こえてきて・・・
 姿が見えない鳥が、空を舞っている様子などが思い浮かぶ・・・
 言語化されてはいないけど、これだって"考えている"ってことだよね
 少なくても、無の境地ではないもんなぁ~・・・

〇頼る頼られるのこと・・・
 当たり前みたいに人に頼る人がいる。
 頼って拒否されたら、それを恨みに思うようなタイプの人たち。
 助けてって言ったのに助けてくれなかった・・・
 なんで、それで人を恨めるの?
 あんたは、その人のこと、助けたことあるの?
 少しでも、その人のこと思って何かしたことあるの?
 絶対にないよね。
 でも、いくら困っても人に頼ろうとしない人がいる。
 頼らないことで、もっとひどい状況になるから
 自分の為だけじゃなく、他の人のためにも頼ろうよって言いたくなるような人がいる。
 で、結局、人は人に頼った方がいいの、頼らない方がいいの?
 頼っても批判され、頼らなくても批判され、どうしろっていうんだって思うよね・・・そうだよね。
 結局、わたしは、人が苦手なんだ・・・

〇人間は醜い
 人という生き物は、ほんとうに醜い
 なのに、厭いきれないのは・・・
 自分が、その人の一人だからか
 人には、厭うべきところ以外に、愛おしむべきところが多々あるからか
 いや~・・・いやいやいや~・・・やっぱり、人間という生き物は、醜すぎる・・・

なんだか、今日の私は、深刻なブラックです・・・

彼の名を・・・

2024-07-07 14:49:11 | Weblog
CSで放送していた、中国ドラマ『開端』を撮りだめして、最終回を迎えたのを待って一気見している。すると・・・彼の名が出てきた・・・主要登場人物の父親の台詞の中に「母さんは、レスリー・チャンと三毛が好きだった」って・・・

ただそれだけなんだけど・・・心臓をつかまれたみたいに、きゅ~っとなった・・・

これは、2022年のドラマだけど、業界で彼を忘れないでいてくれる人が、いまでも沢山いてくれるということだと思う・・・ありがたい・・・うれしい・・・

こういうことが、今でも、時々ある・・・ほんとうに、彼は愛されていたんだと思う・・・だから、中国ドラマを見るのをやめられない。

正直、まったく好みじゃないタイプのドラマもたくさんある。彼と共演した俳優さんたちは、今やベテランで、ドラマにはめったにでない・・・あるいは、日本で放送されるドラマには出ていない・・・けど、それでも、彼の仲間や後輩たちが作っているんだと思ったら、見続けなきゃと思ってしまう・・・私一人が見て、業界に何の貢献もないけど・・・彼が生きた世界を守りたいと・・・微力すぎるんだけど、せめてと、出来るだけ中国のドラマや映画はみようと頑張っている・・・

科学は発見で、発明じゃない?

2024-07-06 13:16:53 | Weblog
『巷の名言集』の方にUPしようかと思ったの、どうも腑に落ちなくて、こっちでブツブツ言ってみようかと・・・(^^;。

「科学は発見」なんて、どこかの有名人が言ったセリフとして、その界隈の人には常識になっていそうな言葉ですが・・・わたしが遭遇したのは、ごく最近のことで、しかもドラマのなかの台詞です。今、CSで土日に集中的に再放送している『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』っていうドラマです。

実は、ずっと前に一度、少しだけ見かけて止めたドラマなんです。かなり好きな設定だったので楽しみに見たのですが、いささか強引というか・・・ドラマへの数学の組み込み方というのかな、一番の肝の部分にハマれなくて見るのを断念したのですが・・・なんだか、心境の変化でしょうか、一度しっかり最初から見てみようと、チャレンジしている途中なんです(^^;。

で、上記の台詞ですが・・・主人公の天才数学者が、その知識を駆使して、犯人逮捕に大いに貢献するんですが、その犯人というのが、捜査の過程で出会った、彼が応援したいと思う若き研究者なんですね。この犯人は、自分の恩師であり上司が、地域ごとの評価を算出して、どこに手厚く支援すべきか、逆に言えば、どこの地域は見捨てるべきかを判断するソフトを開発しているのを知って、それが政府の手にわたって使用されるのを防ぐために恩師を殺し、プログラムを消去したんです。彼を非難する主人公に、彼は「自分の仕事は、すべて正義のためだと?僕の生き方を批判したけど、自分のことを鏡で見たら?」っていうんです。それで、主人公が悩みこんじゃって、信頼する同僚に「ずっと信じてきたんだ。数学ツールをん開発し、賢く使ってもらうことが僕の役目だと。間違っている?」と聞くんですね。そしたら同僚が「人類が素粒子を発見した結果は?恐ろしい爆弾がうまれ、世界は一変した。だが、エネルギー源や命を救う技術ももたらした。貴重な科学ツールだ。だがこれは(殺された学者が作ろうとしていたプログラム)は科学じゃない。真の科学は発見だ、発明じゃない。真実はすでにある、発見できなくてもね。」っていうんです。(セリフはすべて、テレビ番組の翻訳通り、のはず(^^;。)

なんだか、納得しながらも、なにかが腑に落ちない。何が腑に落ちないのか・・・自分でも、よく分からないんです・・・ん~

科学の定義なんて、わたしには荷が重すぎるから、その部分に異論があるわけじゃないと思うんですよ。少なくても、基礎科学に関しては、素人ながら"科学は発見"というのに、なんの異論もないですし・・・応用科学に関しては・・・ん~・・・よく分からないですが、その道の専門家の人たちが"応用科学も当然ながら立派な真の科学"だと思われるならそうだろうし、"科学とは違うけどね"と思っておられるなら、それはそれでそうなんだなぁ~って思うだけで、どうこう口を挟む知恵も知識も資格もないと思ってますよ。そもそも、科学なら偉くて、科学じゃなかったら価値が下がるなんてこともあり得ませんしね。

じぁあ、何に引っ掛かるのか・・・

科学的発見が、善にも悪にもなる、使い方次第、というのは以前から言われていることで、もう一般常識の域に達していると思うんですが・・・だから、そこにも、何も引っ掛かることなんてないんですよ・・・

じゃあ、どこに引っ掛かるんだ・・・引っ掛かるところなんて、どこにも残ってないじゃないか・・・・なのに、ひどく納得しながら、何か引っかかる・・・その正体を知りたいのに・・・と、喉にひっかかった小骨のように、チクチクと甚振られて、ちょっと辛いのであります(^^;。

最後の男・・・なんてね(^^;

2024-07-02 09:38:44 | Weblog
MINI君が入院しました。わたしが覚えている限りでは、故障による入院は初めてじゃないかなぁ~。だもんで、いろいろと車について、考え込んでしまったのです・・・

我が家には、三台の車があります。どれも、私のために買ったものではありません (とはいえ、わたしの趣味と意向は、大いに反映されていますが)。一番後に我が家にやってきたのは、コムス君です。運転が怪しくなっは母のために買った一人乗りの小さな電気自動車。その次は、レンジ君。裕太が免許を取得したのをきっかけに、中古の角々したデザインのものを購入しました。新車を買う財力がないのはもちろんですが、古いレンジローバーのあの容に惚れ込んで、裕太の意向なんて考慮せず親の趣味で決めました(爆)。だからか、裕太は「若輩が自分の車だというには荷が重い。家車という位置づけでお願いします(笑)」って言い続けてましたっけ(^^;。で、一番の古参が、今、入院中のMINI君です。

MINI君は、藍那が免許を取った時、大学に通うために車が必要だと言われて買ったものです。なにせ田舎ですし・・・わたしも、大学時代は、学校の近くに月極駐車場を借りて、車で通学していましたから、ダメとはいえません(^^;。でも、まっ、そのすぐ後に、彼女は実家を出て一人暮らしを始めたんですけどね(^^;。

MINIを選んだのは、そもそもは私の勧めです。古いミニクーパーが好きだったので、それを薦めたのですが、「途中で止まるとか、ありえないんだけど」と言われました(涙)。でもね、フルモデルチェンジっていうんですか、デザインが大幅に変わったBMWのMINIは、大いに気に入ったみたいで、「これにする」「色はペッパーホワイト!」と、どんどん自分で積極的に決めて、我が家に迎え入れたのでありました。

なので、コムス君は別にして、レンジ君もMINI君も、20年戦士の我が家の愛車なんですよね・・・

だもので、車検費用は、みんなさん、驚かれると思いますよ。どちらの車も、一回の車検代で中古の軽自動車なら軽く買えちゃいます。税金も高いです。レンジ君は、保険で車両保険がつけられません。プラス、随時、故障して、修理費がかかってくるわけです。故障するたびに思います・・・もう手放した方がいいんじゃないか・・・我が家の経済状態から考えて、この二台を維持していくのは、身の程を越えているんじゃないか・・・

けど・・・けど・・・けど・・・別れるなんて出来るわけがない・・・

わたしの年齢から考えて・・・運転できるのは、あと10年くらいかなと思っています。なら・・・、この子たちと一緒に、運転人生を終えたい・・・もし、この子たちが先に動かなくなったら(我が家が賄える金額を越えた修理費がかかるようになるという意味)、その時は、わたしも免許を返納しよう・・・そして、この子たちは、車検を通さないで(公道は走れない)家に置いておこう・・・

ちなみに、タイトルを"男"としたのは、藍那がMINI君のことを"坊や(男の子)"だと言っていたからです(^^)。レンジ君は青年かな。まっ、これだけの年月を過ごせば、どっちも今は、立派な男性になっているはずですが、我々にとっては、今も、かわいい男の子たちなんです(^^)。

母からのメッセージ

2024-06-18 15:50:27 | Weblog
ここのところ、週に一度、自宅で療養している義妹を訪問している。お八つやテイクアウトのジャンクフードなどを一緒に食べながらおしゃべりしたり、ジェンガやオセロなどをしたりして、小一時間を過ごす。でも、私のような訪問者がいない時間は、暇を持て余したりしてやしないかなと思い、何か一人で楽しめるものはないかなと考えたのだけど・・・「そうだ、母のために何冊か買った"大人のための塗り絵"が、ほとんど手つかずのまま残っているじゃないか」と思い出した。

たしか、まだ認知症がそんなに進行していない頃・・・家に誰も訪ねてこなくて寂しいというので、お試しのデイサービスに行かせてもらったのだけど、たった一回行っただけで「嫌だ、二度と行かない」と言って、自宅に籠ってしまった。それで、なんとか気がまぎれるようにと、いろいろと策を練った中の一つが、"大人のための塗り絵"だったのだけど・・・それにも、ほとんど興味を示さなかったので、何冊も真っ新な状態で残っているはずだと探し出した・・・

と・・・中に一冊、少しだけ塗りかけているものがあり・・・その塗り絵本の表紙の裏の白いところに、『うれしい ありがとう』という文字があった・・・

元気なころの母の字ではなくなっているが・・・たしかに母の字だ・・・

何がうれしかったのか・・・塗り絵を用意したことか、その他のことか・・・なにがありがとうなのか・・・きっと、本人にも、よくわかっていなかったかもしれない・・・いや、ふっと我に返る瞬間があり、どうしても書き残しておこうと、強い意志をもって書いたのかもしれない・・・今となっては、何も分かりはしないのだけど・・・

認知症を発症してからの数年は、母にとってとても辛い日々だったはず・・・でも、それでも、"うれしい"と思う瞬間があったのだと・・・なんだか・・・ね・・・ね・・・

スタンプは、すごいコミュニケーションツールかも・・・

2024-06-10 09:13:06 | Weblog
正直に言うと、わたしは、Lineなど、短いメッセージをやり取りするものを好みません。簡潔に最小限の言葉でやり取りをする、時にはスタンプだけでやり取りするというのが、すごく苦手だからです。とにかく、だらだらと長文で語りたがる癖があるもので(^^;。

長文で語りたがるのには、一応の理由があります。一つは、単純に言葉や文章での表現が好きだから。もう一つは、誤解が怖いから。だから、ついつい言葉を尽くしてしまう・・・

けど・・・最近思うんです・・・友人知人たちからのスタンプを見ながら、"これ、どういう意味なんだろう"と考えている自分が、すごく頑張ってるなって(^^;。文章の読解力なら、多少の覚えがあるのですが、スタンプの読解力、あまりにもなさすぎなんですよね。だから、ほんと、返ってきたスタンプの意味が、よく理解できなくて・・・一生懸命考える。これまでの会話をスクロールして確認したりして、真意を理解しようと必死になってる。

ああ~、この年になって、学んでるなぁ~って・・・ちょっと驚きながらも、楽しんでいたりもします。

誤解が怖いから言葉を尽くす・・・それも誠意だと思うんですよ・・・でも、誤解を恐れないスタンプは、相手を信じているってことだと思うし・・・何より、受け取った側の想像力や理解力を刺激するんですよね。それから、時に、意外な個性も垣間見られたりしますね。あの人が、このスタンプを選ぶんだぁ~って(^^)。

というわけで、これからも、わたし自身は、簡潔な発信・返信は上手くできないとは思いますが、受け取ったスタンプには、真摯に向き合っていこうと思っているのであります・・・大げさか(^^;。

ただ"ある"だけで満足できない生き物

2024-06-03 08:00:30 | Weblog
私塾経営時代のスタッフに、「頑張りすぎて疲れ果てました。ずっとアウトプットばかりしてきたので、ちょっとインプットに専念させてください」と休職を申しでられたことがありました。彼女は理科の担当で、毎回、子どもたちと一緒に、いろんな面白い実験をしてくれていたので、実際的な部分はもちろん、精神的な部分でも納得できました。

そう・・・インプットなしでアウトプットばかり、できませんよね・・・

ところで、このインプット・・・つまりは、外部の刺激を自分の中に取り込んでいくわけですが・・・外部の刺激・・・う~ん・・・

毎日、変化にとんだ生活をする、大勢の人と逢う・・・それはもちろん、刺激のある生活だけど、だからといって、そこから何かを取り入れられるかどうかは、その時々の自分にかかっていますよね・・・いや、おっと、今日は、その自分サイドの感受性の話をしたいのではなかった・・・おっとっと、ついつい(^^;。

ほんとうに刺激の乏しい毎日を過ごし・・・夫以外の人間で接するのは、主に宅配業者さんという現状の中で・・・もっぱら眺めているのは、草木と猫と鳥・・・とね、なんだかね、人間という生き物が、とても醜く感じられてきちゃったりすることがあったりするのですよ・・・

でね・・・進化とかって、結局、"我"という欲を肥大させていくだけのことじゃないのかしらん・・・とかね、思っちゃったりするんですよね・・・

物欲とか色欲とか名誉欲、権力欲、支配欲なんというのは、発展への推進力としては大いに認められているけど、基本的にはあまり好ましくないとも思われていますよね。けど、好奇心や知識欲、自己表現だったり自己実現だったり、自分を精神的に成長させるものは、とても好ましいものと思われている・・・けど、これも、やっぱり"我"というものに執着した"欲"以外の何物でもないですよね。

そして、それこそが、人間という生き物を、生き物の頂点に押し上げた? けど、その醜さも、他の生き物の、はるか上をいってますよね。

"我"という意識が、我々を特別な存在にした・・・そして、我々を世界で最も醜いものにした・・・もちろん、とても美しいものももってはいるんですけどね(^^;・・・

ただ"ある"だけで満足できない生き物・・・

けど、そもそも"ある"ってなんなんだ・・・なぜ、"ある"んだ・・・"ある"必要が、まったく分からない・・・

けど、まあ、"あるからには"・・・なんだけど・・・そこで"我"が発動し始めた・・・おお!おおお!!!

傍にいてくれるだけでいい・・・♪♪

2024-05-30 07:43:54 | Weblog
我が家のニャンコ四兄妹(まろはるは母娘だけどね)、みんな性格が全く違う。だから、甘え方も、まったく違う。で・・・末っ子のはる坊の甘え方が、面白いなぁ~と思うのであります。

はるちゃんは、超甘えたなんだけど、触られるのは好きじゃない。おしっぽの付け根あたりをナデナデしてもらうのは嫌いじゃないけど、基本的にはスキンシップを嫌う。長時間の抱っこなんてとんでもない。

けど・・・自分からなら、けっこうサラッと触れてくる。立っていたら、定番の足元スリスリ。座っていたら、お膝に足をかけアチコチくんくん。寝転がっていたら、お腹をふみふみしたり、背中にのってきてマッタリ。けど、だからといって、こちらが手を伸ばすとイヤイヤってなる(^^;。ちなみに、上向きに寝転がっているとなかなか乗ってこない。胸の上だと、わたしが抱きしめようとすると思うみたい。

抱っこしても、すぐに肩まで登って抱きしめられないようにするし、時には背中に回ってそこでゆっくりしようとする。肩や背中だと、わたしの手が届かないから、自分の好きなかたちで甘えられるってことみたい。わたしは、姿勢が苦しくて、辛いんだけどね(^^;。

ニャンコの、気持ちよさそうな"ごろごろ"声。ふつうはナデナデしてあげているときに発するものだと思うんだけど・・・はるちゃんは、数センチだけ離れて、触れるか触れないかくらいの距離で傍にいてあげると、ほんとうに安心したように"ごろごろごろごろ"って言ってる。撫でなくてもいい、触らなくてもいい、傍にいて一緒にまったりしてくれるのが一番嬉しい・・・って言ってるみたい。

愛情表現、甘え方・・・ほんとうに人それぞれ、猫それぞれ。

こちらの好みももちろんあるけど・・・大好きだから、相手が嬉しいと思ってくれる接し方を、選択したいと思います。

でも、はるちゃん、時々は、ぎゅっ~とさせてね・・・時々でいいからね(^^)。