OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

自分を大切にしたいんだけど・・・・

2007-08-31 21:54:33 | Weblog
自分を大切にしたいって、最近、すごく強く思うんだけど・・・どうすれば、自分を大切に出来るか、それに悩むんだよなぁ(^^;。

もともと、利己主義者でナルシストだから、自分を大事に思わない時は、一度もなかったと思うんだけど(爆)、じゃぁ、ずっと自分を大事に出来ていたかといったら・・・そうでもなかった気はするね。

他人を大事にする方が、基本的には迷いがないよね。だって、自分以外の人には、どんなに望んでも、その人の一時&一部にしか関われないから、自分なりの精一杯でもって、その人を大切にするしかないって、ある種の割り切りがなきゃ、やってられないでしょ。だから、その分、迷いも少ない。

けど、自分に関しては・・・何をしていても、まったく確信がないね。今は甘やかした方がいいのか厳しくした方がいいのか、進めばいいのか休めばいいのか逃げ出すべきなのか、そういうことの選択に確信が持てた例がないったらありゃしない。

唯一、最低限の「すべきこと」からは逃げださせないというのが、わたしが間違い無さそうだと思う「自分を大切にするルール」かな。最低限の「すべきこと」は、さすが最低限だけあって、そう多くはないんだけど・・・それすら荷が重い時もあるねぇ~。ほんと、基礎体力ないからさ(^^;。

自分で言うのも何だけど、けっこう面白い素材なんだよね、アタシ(笑)。だからさ、ほんとに、ちゃんと大切にしてあげて、ずっと一緒に楽しみたいと思うんだけどねぇ~・・・今この時、わたしは、ちゃんと、わたしを愛しているのかなあ。

スッピン宣言(^^;

2007-08-30 23:15:59 | Weblog
裕太が熱を出して実家で寝込むという、わたしのとっての夢のごとき二日間が過ぎ(鬼)・・・今は、余生的脱力した時間を過ごしております(馬鹿)。

ところで・・・最近、わたし、時々、スッピンで外を出歩いています。もちろん、以前から、家の近くはスッピンでウロツいてましたが、以前なら化粧をしなきゃ出歩かなかったようなところも、スッピンで行くようにし始めています。で、出来れば、もっとスッピンで出かける範囲を広げて行きたいと考えています。

若い頃からアブラとり紙要らずの筋金入りの乾燥肌で、ファンテーションを塗ると、どうしても粉を吹いたようになりがちだったのですが、年をとると粉とシワがコラボレイトしちゃって、よけいに醜いような気がするからです。プラス、ずぼら者ってのも大きいですが(^^;。

けどね・・・自分がサービスを受ける側の時には、わたしの決心次第でスッピンでもいいんですが・・・わたしがサービスを提供する側の時、つまり山猫軒で接客する時や、取材などの時などは・・・やっぱり、スッピンじゃあ、失礼にあたる気がするんですよね。

あっ、それと、お洋服や靴などを買いにいく時もかな・・・。とはいっても、わたし、もう何年もお洋服も靴も買ってませんけど。でもって、新しいお洋服が必要になっても、自分では買いに行かないに違いないですけど。実は、今、見るに見かねたダンナが、「ほれっ!そんな格好をしてないで、これを着なさい!!」と買って帰ってきてくれるのを待っている最中です(爆)。それほど、お買い物、苦手ですから(^^;。

そうそう、映画『プラダを着た悪魔』を見た感想・・・お洋服大好き、お買い物大好きなダンナと藍那は、ラストが納得出来なかったようです。彼らは「あんな彼氏はキッパリ捨てて、ファッション出版界で伸し上がらんかいっ!!」との意見。けど、わたしは「主人公は、以前のようにファッションなんかと馬鹿にする気持ちはなくなって、それはそれでチャンと認められるようになったんだし、後はもともと自分が志している道に進むのでいいんじゃないの」と思ったです。面白いもんですなぁ~、趣味嗜好によって、映画に望むものも変わってくるわけですなぁ~。

おっと、横道にそれた・・・で、なんだっけ・・・そうそう、わたしのスッピン宣言(^^;。

つまり、わたし自身が、他の人にどう思われるかだけが問題な場合は、わたしは平気でスッピンでいられるんだけど、相手の人を楽しませたり満足させたり、最低限不快にさせちゃいけない立場にある場合は、さすがにスッピンはマズイかなと・・・。

そして、その対応策としては・・・愛想かなと(爆)。化粧以上に似合わないけどね・・・愛想(大爆)。けど、化粧した無愛想よりは、化粧してない笑顔の方が絶対にいいでしょ。だから、山猫軒でも、笑顔を心がけるなら、スッピンでも許されるかなと。

でも、やっぱり、取材の時とかは、スッピンは無理だなぁ・・・う~ん、それは無理だな、やっぱり(^^;。

何か変・・・その先にあったものは(爆)

2007-08-28 21:10:53 | Weblog
居間の机の上に、ラップトップ型のパソコンを置き、ポチポチと仕事をしている時・・・なんとも言えない居心地の悪さを感じました。なんだょお~・・・と、周りをユックリと見渡したら・・・あっ、これだ!!という、違和感の素なる物体を発見しました。それは鏡・・・凸型なのかなぁ~、とにかく若干実際の大きさより大きく映すタイプの鏡でした。

わたしは、もともと鏡全般が苦手で・・・普通の鏡でも、視界の中にあると、あまり落ち着けません。それが、巨大化して映る鏡となると、船酔いにも似た気持ち悪さを感じてしまうのです。でも、それって、どうしてなのかなあ・・・。

自分の目でみているのと同じ風景が、一部切り取られ、少しだけ太って、もとの風景の中に映りこんだように存在する状況を、わたしの鈍なオツムが理解できず、混乱するからかなぁ~。

とにかく、たったそれだけのことで、軽く吐き気を覚えた、なんともおバカな、わたくしなのでありました。

赤ちゃん、死ぬな・・・

2007-08-27 22:16:04 | Weblog
今日も、不穏当なタイトルから始まって、まことに申し訳ない。が、これは、昨日、熱に苦しみながら裕太が漏らした一言です。

昨日の昼頃、裕太から電話があり「むっちゃ、しんどい・・・迎えに来て」とのこと。慌てて車で迎えに行き、彼をピックアップして、自宅へ連れ帰る途中に、水分補給用のスポーツドリンクや、喉を通りやすいゼリーやプリンやヨーグルトを仕入れようとコンビニに寄ったのだけど、裕太が、ぐったりとシートで寝ていたので、車のエンジンを止め、窓を全開にして、裕太を残し、そっと買い物にいった。で、急いで買い物をすませて車に戻ると、裕太がグタッとしたまま、ぼそっと一言「赤ちゃん、死ぬな・・・」と言ったのであります。

窓を開け放った車に5分足らず・・・それでも、そんな気分になるのだもの、炎天下の露天の駐車場に置かれた締め切った車の中に幼い子どもを放置していたら、そりやぁ、最悪の事態を引き起こすに違いない。

そんな会話をした翌日の今日、屋根の無い駐車場に3時間ほど放置していた車に乗り込んだら、シートに座っただけで、お尻が目玉焼きになりそうだった。車載温度計を見たら47度・・・絶対に、そんなもんじゃない!! 体感温度は100度、血が沸騰しそうだった。

それで、先日、幼稚園バスの中に放置されて亡くなったお子さんのことを思い出した。どれほど苦しかったろう・・・。

裕太なら、いくら熱をだしてグッタリしている状態だろうと、あんまり苦しくなれば、自分で車外に這い出すだろう。大人なら、それが出来る。でも、幼い子どもには、それが出来ない。だからこそ、大人は子どもを守らなきゃいけないんだ。それが、義務なんだ。責任なんだ。頼むから、もう、車の中に子どもを放置して死なせるなんてこと、誰もしないでくれよぉ~っ!!

葬る文化への共感と違和感

2007-08-26 19:37:07 | Weblog
玄関脇に、小さなネズミの屍骸を見つけた・・・。昨日に引き続き、屍骸の話から始まって、申し訳ない(^^;。とにかく、二十日鼠の子どもなのか、こういう小さなタイプの鼠なのか分からないが、とても小さな鼠の屍骸を見つけた。その屍骸は、すでにかなり形が変わってしまっていた。浸食?浸食は水による変化か。風化?風化も何か違うか。どう表現すればいいか分からないのだけれど、腐敗のような有機性の強い変形ではなく、もっと淡々とした変形が鼠の屍骸に起こっていた。

そんな鼠の屍骸を発見して・・・わたしは、無惨ということを考えた。そして、葬るということを考えた。

詳しくは知らないが、仲間を葬る習慣を持つ生き物は、そう多くないと思う。わたしが知る限りは、人間だけかな。そんな人間たちは、葬られていない遺骸を見ると、それを「むごたらしい」という風に感じるわけだけど・・・それは、どうしてなのかな。儀礼を施されていないから、無慈悲な仕打ちを受けているようで哀れを感じるのかな。

人間たちの葬り方にも、いろんな種類があって、自分が慣れ親しんだ葬り方ではない方法だと、どんなに心を尽くしたものであろうと、残酷に見えたりする。日本人には馴染みの無い鳥葬や風葬はもちろんだけど、同じ日本の習慣の範囲内でも、土葬に慣れた人は火葬を残酷と感じ、火葬に慣れた人は土葬を野蛮と感じる。ふむ・・・。

ちなみに、わたしの子どもの頃は土葬が一般的だった。だから、実際に目の前で、祖母や叔父の遺体が収められた棺を土に埋めるのを、この目で見た。最近では、火葬するのが一般的なようで、義祖母や叔父を火葬場で見送った経験もある。そのどちらも、わたしは自然に受け入れていた。ふむ・・・。

社会的な視点から見ると、衛生面な見地から考えても、遺体というのは、然る可き処理を施されるべきだと思う。そのために儀礼的なものが行われるのは良いことだと思う。また、残された人の気持ちの区切りをつけるためにも、葬る儀式というのは、あった方がいいように思う。だから、われわれ人間の作り上げてきた「死者を葬る文化」に異議を唱えるつもりはない。

ただ・・・鼠の屍骸を見た時、ふと・・・これが一番自然なことなのかも、と思った。そういう意味では、風葬みたいな形が、わたしの心には、一番添う葬りの方法なのかなと思った次第です。湿度の高い日本では、あまり相応しくないとは思うけれど。

なんだか、変な話題で申し訳ない・・・でもね、こういうことも、たまには考えても、悪くない気はします、はい(^^;。

オママゴトの波乱に生きた人生

2007-08-25 16:35:03 | Weblog
藍那が、また、新しくお店をオープンするという所で、働くという。どうも、彼女は「立ち上げ」好きだ・・・誰に似たんだろう(爆)。けど、本人曰く「お母さんとは違う」そうだ。なぜなら、立ち上げに参加するのは大好きだけど、「自分で組織を立ち上げたい」とは思わないからだそうだ。

いや~、藍那ちゃん、それは誤解だ(^^;。母さんだって、別に自分で組織を立ち上げたいと思ってやっているわけじゃないんだよ。ただ、今まで、だれも「手伝ってくれ(=雇う)」と言ってくれなかったから、仕方なく、流されながら「組織立ち上げ」をやってきただけなんだよ、ほんとに(涙)。

けど、どっちにしろ、組織を立ち上げるときの嵐のような時間って、楽しいよね。期待と不安って奴を胸に抱えつつ、寝る時間も惜しんで奔走する充実感・・・いやぁ~、あれはもう恍惚感だもんなぁ。

けど、そんな君を見ていると、母さんは、少し不安を感じるんだよね。何故って・・・その恍惚感には麻薬のような作用があるからさ。頭では、持続や継続ってことの大切さを知っていても、心が激動波乱の中に身を置きたがってしまう・・・そんな癖が付いちゃうからさ。これはね・・・正直、幸せになり難い悪癖なんだよ。

とはいっても・・・所詮、母さんが体験してきた波乱なんてのは、オママゴトなんだけどね。本当の波乱は、決して体験したいようなものではないのだよ・・・と、思うよ。自分で欲して飛び込む波乱、自分が望んで起こす波乱は、自分が逃げ出したいと思えば逃げ出せるし、自分が止めたいと思えばゲームオーバーに出来るわけだからね。気に入らなければリセットして、また始められるゲームと同じなんだよ。

ん・・・逆に言うなら、だからいつも、母さんは100%の満足を得られなかったんだと思う。いつも、自分でシナリオを描いて、ちゃんと逃げ道も用意して、自作自演のバーチャルゲームをやってきたから、クリアしたとしても100%の満足は無いんだと思う。

けどね・・・それで良いんだよ。うんうん、それでいい。いや、それで満足しなきゃイカンのだよ。だからこそ、母さんは、それなりに今も幸せでいられるんだと思うよ。

「だからぁ~、わたしはお母さんとは違うから大丈夫だって」って苦笑する君の姿が見えるよ(^^;。うんうん、そうだよね。たしかに、君の方が、わたしなんかよりハルカに頭がいいものな(^^;。バカな無茶はしない・・・そう信じてるよ(^^)。

キャピキャピしたミーハーな感覚を取り戻せ!!

2007-08-24 20:37:59 | Weblog
暑さは、ずっと続いているけど、夏の終わりが近づいているのだろうか。蝉の屍骸が、あちこちにゴロゴロと転がっている。もう二三度、うっかり踏み潰してしまいそうになった。いくら屍骸でも、命在ったものを踏みつけるのは、気分の好いものじゃない。気をつけなくちゃ。

ところで・・・最近、若干、わたしの受信機がパワーを回復してきている気がする。ここ数年、ものすごく感じる力が弱ってしまっていて、どんな小説を読んでも「こんなものか・・・」としか思えなかったり、テレビドラマを見ても軒並み「それで?」って感じで全く面白いと思えなかったり、感動するってことが極端に無くなっていたのだけど、ここのところ・・・それこそ、八月に入ってからかなぁ~、小説を読み始めたら止まらなくなったり、映画を見ながら胸がキュンとしたり、キャピキャピしたミーハーな感覚が回復してきた気がする。

ん?キャピキャピしたミーハーな感覚なんて、ぜんぜん良くないじゃん!と思う方もいらっしゃるかもしれないけど、それは違うと、わたしは思う。少なくても、わたしにとっては違う。

いい年をして、それなりの責任を果たさなければいけない場面で、キャピキャピしたミーハーな感覚ってのは、それは確かにイタダケナイことだけど、それ以外の時は、いくつになってもキャピキャピしたミーハーな感覚でいたいと、わたしは思っているのですよ。だから、そうできないでいた時期は、とても苦しかったのですよ。

ただね・・・そうなると、とたんに仕事が捗らない(爆)。だって、正味、時間を奪われるからね、趣味事には。キャピキャピしたミーハーな感覚が力を発揮し始めると、確実に仕事の時間が削られていくのさぁ~・・・困ったぞと思っております(^^;。

畏敬を感じるものは・・・

2007-08-22 23:33:26 | Weblog
すっげぇ~・・・ひっきりなしに、空が光ってる。稲妻が走るというより、空全体が明るくなってる。綺麗だなぁ・・・個人的には、花火より、美しいと感じてしまう。

もちろん、花火には花火の美しさがあるけど・・・稲光の持つ迫力とか、一種の威厳みたいなものはないからなぁ・・・

やっぱり、畏敬の念のような感情が湧く対象物って、自然のものだよね。すんげえデカイビルとか、巨大なテーマパークやアトラクションにも、気圧されたり、感動したりもするけど、畏敬にまでは至らないもの。

ただ、人の作ったものでも、長い年月を経ていると、畏敬に近い感情が湧いてくる場合があるね。それは、人の強い思いが重なっているからかな。時間が人工物を自然に近づけるからかなぁ~。

とにかく・・・綺麗だぁ~。ほんと、君は、綺麗だよ、稲妻くん。

自分で出来ることは・・・

2007-08-21 22:49:46 | Weblog
先日、所有している不動産の一つのローンが、やっと終了した。すると、今日、銀行の担当さんから電話があり「抵当権の抹消手続きをするので・・・」と言われた。「懇意にされている司法書士さんはいらっしゃいますか」と聞かれたので、「いえ、特には・・・」と答えると、「では、こちらで頼みましょうか」と聞き返された。なので「はい、お願いします」と答えて電話を切った。

が、すぐに「ん?」と思った。抵当権の抹消手続きって、司法書士さんにしか出来ないんだろうか。本人では、ダメなんだろうか。さっそく、ネットで調べた。どうやら、出来るみたいだった。すぐに銀行に電話して「さっきのお話ですが、自分でしようと思いますので、司法書士さんには依頼しないで下さい」と頼んだ。担当さんは、ちょっと迷惑そうな口調で「ちょっと待ってください。折り返し電話します」と言って電話を切った。しばらくして電話があり「では、抹消手続きはご自分でなさるということで、こちらは書類を用意します」とのことだった。今度は、機嫌は悪くなかった。きっと、さっきは「何を言い出すねん、このオバはん!!」と思ったのだろう。でも、確認したら、それもありだと分かって「なら、勝手にしておくれ」と思ったのだろう。

でも、もし本当に、銀行の担当さんが、そう思ったとしても、無理はないと思う。わたしも、自分たちでNPO法人を立ち上げるまで、そういうことは素人が出来るものではないと思っていたもの。

でも実際は、なんでもしようと思えば自分で出来るんだよね。お金があって、時間がないと言う人は、プロに頼んでしてもらえばいいと思うけど、資金がない者(組織)は、自分の時間と労力を使ってすればいいんだと分かった。高いもん、司法書士さんに支払う料金って。

一度、それで、司法書士の資格をとっちまおうかと思って、どれくらい勉強しないといけないのか調べたら、むちゃくちゃ覚える事があって、一気に熱が醒めてスッカリ諦めたんだけど・・・あれを覚えて試験に合格して資格を得た人たちなのだから、その見返りとして、少々お高めの報酬をとっても文句を言っちゃ悪いかなとは思ったけど・・・やっぱり、仕事内容に比べて報酬は高すぎると言うのが、わたしの偽わらざる気持ちであります。

だからね・・・ほんとに、これからは、出来ることはなるべく、自分でしていこうと思ってます。司法書士さんに頼むようなことだけじゃなく、何でもね。お金をだして人に頼めば楽だけど、自分ですれば、お金だけじゃなく色んな無駄が回避できるし、色んな新しいことが見えるもの。ただ、いくらお金が節約できても、新しい事に出会えても、嫌いなことなら、やっぱり頑張りたくないけどね(爆)。

嫌な気持ちを伝える大切さもあるかも・・・

2007-08-20 21:10:45 | Weblog
WOWOWで以前に放送していたドラマ『祖国』を録画していたのを、ふと思い出して見ていたら、父が部屋に入ってきた。我が家で、クーラーを効かせているのは、わたしの居る部屋だけなので、風呂上りに涼みにきたのだ。そして、ウトウト・・・というのが、最近の父の日課なのだが、今日は目をパッチリとあけて、じっとワタシが見ていたドラマに見入っている。ふむ・・・

父は、大正15年生まれの男子。ということは、終戦の時は二十歳。戦争に駆り出されていないわけはない。ずっと以前、わたしがまだ子どもの頃、一度だけ、父に戦争のことを尋ねた事があった。その時の父は、特に話すのを嫌がる風でもなかったと思うが、それでも簡単に「歩兵やったから、終戦の時は九州を歩いてた」とだけ言ったと記憶している。なぜか、その時のワタシは、父にそれ以上のことを尋ねなかった。子どもだったから、単純に興味を失っただけなのか・・・子どもなりに何かしらの気を使ったのか、今となっては、まったく思い出せない。

無邪気な子どもの頃に聞けなかったこと・・・今になって聞けるか・・・ふうむ、ちょっと無理(^^;。ただ「彼は彼なりに、何かを感じているのだろうか・・・」と思いつつ、一緒に『祖国』を見ているしかなかった。ちょっと変な気分だった(^^;。

ドラマとしては・・・南田洋子さんが登場した瞬間に、涙ボロボロだったわ(^^;。わたしの中では、南田さんは日活一の美人女優さん!! 好みでいうと、石原裕次郎さんの奥様の北原三枝さんが大好きなのだけど、キレイという基準でいうなら、なんといって南田さんがピカイチだった!!世の中的には、南田さんより少し若手だった吉永小百合さんがダントツに評価されているように思えるけど、ほんとうに南田さんの若い頃ってキレイなんだからっ!! ・・・って、わたしも流石にリアルタイムで知ってるわけじゃないけどね(^^;。

って、何の話だっけ・・・まっ、いっか・・・ドラマの話は、単なる枕話のつもりだったの(爆)。なら、本題は何だってか?なんだっけ・・・そうそう(^^;。

先日、定期健診に行ったら、ドクターが眉をしかめて「やっぱり、膠原病の数値が・・・」と仰る。といわれても、それは何年も前からズ~ッと続いていることでぇ~、だからこうして定期健診も受けているわけだしぃ~・・・というのが、わたしの心の中の声。でも、ドクターが「浮腫みとか、関節の痛みとか・・・ないんですよね」と残念そうに仰るので、あまりにも期待を裏切っては悪いかなと思い、軽く気になる症状を見繕って、一つ二つ話したら、それには、いちいち「それは気にしすぎですよ」とか「気のせいですよ」と仰る。だからぁ~、数字が悪いのに症状が出ないことに、ドクターが煮詰まってらっしゃる様子だから、それなら何か言わなきゃというリップサービスをしたつもりなのに何よ!!と、わたしは若干ムカッとしたわけです(笑)。

ドクターは、基本、とっても良い人です。真面目だし、親切だし、前のドクターが定年退職された時に、こんな変な患者を引き取ってくださって以来、気長に付き合ってくださっていると感謝はしているんですけど・・・時々、こういうカチンとくる言葉もあるわけです(^^;。

ただねぇ~、こういう患者の気持ち、きっとドクターたちは分かってらっしゃらないと思うんですよね。「気にしすぎ」とか「気のせい」って言葉が、患者にすれば、ドクターから聞きたくない言葉の一つなんだってこと、意外に知ってくださってないと思うんですよね。これを言われちゃうと、なんていうか・・・その後、何も言えなくなっちゃうタイプのことばなんだよなぁ~。ドクターたちは、それが分かってないんだろうなぁ~。

数年前から、ドクハラなんてことがクローズあっぷされはじめて、医師や看護師の心無い言葉に、患者がどれほど傷つけられているかが問題視されたりしていますが・・・そういう時に紹介されるトンデモナイ言動って、医師だとか看護師だとかって問題じゃなく、人としてどうなのっ!!ってくらい酷い言葉でしょ。

でも、わたしが日々に感じる、ちょいとカチンとくる言葉って、そんな大きい事じゃないのです。むしろ、ちょっとした立場の違いで気付けないだけの言葉だと思うのです。だから、告発するとか責める意味じゃなく、「えっ?そんなことに傷ついちゃってるんですか。知らなかった」と気付いてもらう為に、『患者が医療機関のプロたちから聞きたくない言葉集』みたいなものを作って、プロの皆さんに読んでもらったら、お互いの誤解とか、行き違いが解けるんじゃないかなと思ったりしたわけです。

これって、当然、医療現場だけじゃなく、どんなところでもお互いさまにあることなんだと思います。だから、お互いに「これは、けっこうヨク言われるんだけど、意外に不愉快なんだよねぇ~」ってことを、相手に穏やかに伝えられる手段があるといいなと、そんなことを考えたのでありました、はい(^^;。