OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

心の動き・・・すごく興味あるけど

2008-04-30 22:37:35 | Weblog
今日は、二週間ぶりの休み・・・って言っても、朝から原稿上げて、午後から電話取材して、けっこう仕事はしてたんですけど、一日中、自宅にいるっていうのが二週間ぶりで・・・なんか、嬉しいっていうか、ホッとするなぁ(^^)。

けど、どうして我が家に居るとホッとするんでしょうね。そんなの当たり前じゃんっ!!って言われそうですけど・・・でも、何故って問うと、答えが言語化されないなぁ・・・すごく当然な気はするけど、本気で答えを求めれば、自分の中に曖昧な認識しかないのが分かります。

だからね・・・人の心の動きとか、その仕組みとか、面白いなぁ、知りたいなぁとは思うんですけど・・・それを、他人から教えられたいとは思わないんですよね。知る必要のない程度の疑問だし、というのもあるんですが、それよりも、考えてるのが楽しいと思うんですよ。ゲームやパズルみたいなものなのかな。ほら、他人が解いて全部の答えが書き込まれたクロスワードパズルを見ても楽しくないでしょ。そんな感じだと思います。

けど、テレビ番組なんかでも、雑誌なんかでも、ウェブ情報みたいなものも、プチ心理学解説みたいなのが多いですよね。ちゃんと心理学しているっていうか、心理遊びみたいなものばかりだけど、まさか誰も、そんなので分かった気になったりはしないですよね。一番怖いのは、分かった気になること、人の心を簡単に類型化することですものね。

占だって、血液型分析だって、心理遊びだって、ネタ程度にして楽しむなら好いと思うんですよ。けど、決して本気に受け取っちゃだめですよね・・・と、わたしは思いますけどね(^^;。何に関しても、簡単に答えを教えてもらっちゃツマラナイですよね。ああかなぁ~、こうかなぁ~、どうなんだろうなぁ~って考えるのがいいんですよね(^^)。

バイトに何を求める?

2008-04-29 23:36:43 | Weblog
いつも「仕事ってなんだ」とウダウダ言っていますが、今日は「バイトってなんだ」とウダウダ言わせてもらおうかと・・・

実は、わたしにはバイト体験がありません。決して、深窓の令嬢さんじゃないんですが、親が学生である一人娘を働かせるなんてとんでもないと考え、その一人娘も自分が働くなんて考えもせず・・・おかげて、こんなとんでもない人間が仕上がってしまったわけです。

なので、同じ失敗はしないぞと考え、我が家では子どもたちのバイトを奨励しています。っていうか、もっと現実的な理由からも「一人暮らしするなら、生活費くらいは自分で稼げ」と言っております(^^;。

で、藍那は昔から働くことが好きみたいで・・・部活とかには興味を示さなかったけど、バイトは熱心にする子でした。それも、工夫したり努力したり、積極的に頑張る子でした。

それに対して、高校卒業するまで、部活やらバンドやら釣りやら、学校を中心にした学生生活を満喫していた裕太は、大学に入ってから始めたバイトがなかなか続かず、困ったことだなぁ~と思っていました。

居酒屋さんでのバイトは、大声で「いらっしゃいませっ!!」「ありがとうございますっ!!」と叫ぶ接客が納得できないと、せっかく可愛がってもらっていたのに辞めてしまい、次に務めたパチンコ屋さんも色々受け入れ難いことがあったようで続かず・・・その後、拾ってもらった鳶の仕事は、ずいぶん気に入っていたのですが、春休みとか夏休みといった長期休暇のときじゃなきゃ、日曜だけの勤務では迷惑になるということで、学期が始まったところで泣く泣く辞めることになりました。で、その次が、今のコンビニの深夜勤務で・・・これは、そこそこ続いているのですが・・・となると、今度は、わたしの方が「どうなんだろう」と思い始めて(^^;。

深夜勤務なので時給はいいし、直営店で従業員数も多く仕事は楽らしいので、学生が生活費を稼ぐバイトとしては理想的だと思うのですが・・・どうも、彼の様子を見ていると・・・お金以上のものを得ていないように見えるんですよね。

もちろん、コンビニのバイトをしていても、いろんなことをドンドン得ている人は、たくさんおられる思うんですが、彼の場合は、どうもね(^^;。本人が、それを一番感じているようでもあるし・・・なにげに「職人とか技術職がいいなぁ~」などと言ったりもしており・・・どうするのかなぁと思って見ています。

で・・・バイトって何なんだろうなと・・・そこに、何を求めればいいのかなと・・・あるいは、求めてはいけないのかなと・・・他人事ながら、考えてしまったわけです。

バイトだって、お金を頂戴して働く仕事には違いないわけで・・・報酬以上のものを得られる相性みたいにものを重視して探すのは欲張り過ぎなんでしょうか。でも、学生のバイトだからこそ、報酬以外のものに重きを置いて欲しい気がするんですよね。感受性が豊かな時期だからというのもあるし、社会人の責任を猶予されていることに甘えて、とことん自分自身に拘ってもいいんじゃないかなとかね・・・ん~、どうなんでしょうね。

写真は、折れた桜の枝です。なんで折れたのか・・・なんか、とっても無残な気がして悲しいです・・・。

賢いって、どういうことだろう・・・

2008-04-27 16:57:17 | Weblog
よく、子ども達が「○さんは賢い」とか「偉い」と表現すると、「それは勉強が出来るという意味?」「それは社会的地位が高いという意味?」と聞き返して、ウザがられているという話はしたと思います。

一般的に、「東京大学に入学できた人」や「クイズ番組で高得点をあげる人」のことを、人は「賢い」と表現しますよね。つまり、勉強が出来るとか、知識が豊富な人のことを、われわれは「賢い人」だと思っているわけですね。

また、「政治家」とか「大手企業の社長」のことを、人は「偉い」といいますから、地位や名誉やお金を手にしている人のことを、われわれは「偉い人」だと思っているわけですよね。

でも、賢いや偉いは、それだけじゃない。たとえば、子どもが友だちに思いやりのある態度を示したりしたら「偉いね」「賢いね」って褒めるわけで・・・気配りや優しさをもった人のことも、「偉い」し「賢い」と思っているわけですよね。

つまり、「偉い」とか「賢い」っていうのは、非常に幅のある褒め言葉で・・・どんな使い方も出来るわけですけど・・・でも、やっぱり、一番の主流は「社会的地位が高い」とか「勉強が出来る」ってことなんでしょうね。そして、そのことにイラッとする、わたしのような捻くれ者がいるわけです(爆)。

だって・・・いくら勉強がよく出来ても、ほんとに馬鹿だなって思う人、いるしぃ~、絶対に偉いなんて形容詞を使いたくない社会的地位の高い人もいっぱいいるしぃ~・・・・

と、ここまでは、かなりいつも言っていることで・・・きっと、共感してくださる方も多いんじゃないかと思うんですが・・・今日は、もう少し暴走したいと思います。

わたしの周りには、勉強が出来て学歴も立派。でもそれだけじゃなく、さらに探究心があり、今に満足せず勉学に熱心だという、どう考えても「賢い」という形容詞が相応しかろうという人が何人もいます。でも・・・でも、なんですよ・・・その人たちと話していて、なにか物足りないって思うことがあるんですよね・・・なにかが足りないって。わたしなんかが知らないことをいっぱい知っていて、それを教えてくださるし・・・一つ一つの事柄に対しても、一生懸命考えてらして、とても適わないなぁと思うことばかりなんだけど・・・なんていうんだろう・・・でも、何か足りない。あえていうなら、知りすぎて考えすぎて、考え落ちしているって感じかなぁ。もっと単純に感じれば分かるようなことが分かってらっしゃらないように思うことがあるってことかなぁ。じゃあ、そんなこというお前は、どれほどのもんじゃいって話になりますけど、それは置いておいて・・・(爆)。

よく、情報過多なネット時代の我々の状況を情報メタボなんて言いますが・・・それと良く似た、知性メタボって感じかもしれません。知性ってやつも、情報や欲望と一緒で、役に立ってくれていると思っていたら、気づかぬうちに怪物になっていて、宿主である我々を内側から食い尽くして支配するものなのかもしれません・・・と、そんなことを考えたのでした。

だから・・・賢いって、何かを知っているとか、出来るとか、持っているってことじゃなく・・・按配を心得ているみたいなことなんじゃないかと・・・そんな風に思うのでありました。

今日のレコード・・・『ザ・ビートルズ・オン・バロック』
 東京ゾリステンが、ヴィヴァルディやバッハの手法でビートルズのヒット曲を演奏しているレコードです。 はぁ~、なるほどねって感じです(^^;。綺麗な音ではあります(^^)。

今日のお茶・・・ペットボトルのお茶、三本飲みました(爆)。詳しくはHPの『巷のお茶コレクション』をご覧下さい(^^)。

自分の日常と離れたところの出来事と、どう接すればいいか・・・

2008-04-26 18:28:00 | Weblog
「本日で福知山線事故、3年を迎えます。お亡くなりになられた方の冥福と、けがをされた方の1日も早い回復を心からお祈りします。私たちはこの事故を忘れることなく、深い安心と信頼をいただけるよう、全力で取り組んでまいります」

昨日の朝、電車に乗っていたら流れたアナウンス。帰りの電車でも、同様のアナウンスが流れた。駅には、記帳台が用意されていた。

そうだった・・・もう、三年だ・・・。思い出すと、次々と色んな事が蘇ってきて、ぐっと込み上げてくるものもあるが・・・それでも、アナウンスを聞くまでは、すっかり忘れていたわけだから、所詮、わたしにとっては他人事でしかないんだな・・・。

それでも、福知山線の事故や、震災のことは、テレビや新聞で見聞きするだけのニュースとは違って、些細ながら自分自身の体験として記憶していることも沢山あるし・・・他人事の中でも、まだリアルに心動かされるものがある出来事だと思う。

でも、これが、たとえば地下鉄サリン事件のこととなると、関東で起こったことだけに、他人事度がグンと増す。まだ、地下鉄サリン事件は衝撃的だったから、こうして思い出すことも出来るけど、当時は大騒ぎしたのに、今ではずっかり忘れてしまった事故や事件、災害などは、数え切れないほどあるはずだ。

自分の身近で起こったことに対しても、遠くで起こったことに対しても、ずっと前の事に対しても、最近の出来事に対しても、同じように向かい合うなんて無理なことだし、そこまでする必要もないことだと思うけど・・・なんていうかなぁ・・・どういえばいいんだろう・・・いつも、心の隅で、いまこの瞬間にも苦しみの中にいる人がいるんだって思うっていうか・・・いや、そんな立派なことじゃなくって・・・ん・・・うまく言えないんだけど・・・なんか、心に留めておくべきことがあるようなっていうか・・・ああ~、この表現も、なんだか偉そうだな・・・いやいや、そんな大層なことじゃなくて・・・ぜんぜん、うまく言えないんですけど、なんか伝わってくれるといいな・・・こんなんじや、伝わりようがないですかね・・・そうですよね(^^;。

チベットのことにしてもそうなんですが・・・自分と距離のある出来事に関わるのって、難しいと思うんですよね。一時的に関心をもつことは出来ても、実際にどう関わればいいのか、その判断も方法も選択が難しいですよね。そういうことも含めて、自分の日常と離れたところの出来事や、自分がまったく知らないところで起こっているかもしれない未知の出来事に、どう対応していけばいいのかなと・・・行動ということで考えれば何も出来ない、あるいは何もしない方がいい場合もあると思うけど、心の部分で何をすればいいかなと・・・そんなことを考えて、いつも通り、何も答えが出ないという状態なわけです、はい。

今日のレコード・・・『ラフマリノフピアノ協奏曲第二番ハ短調 作品18、パガニーニの主題による協詩曲 作品43』 
ピアノ*ウラディーミル・アシュケナーシ
指揮 *アンドレ・コルヴィン
ロンドン交響楽団

フードライターに必要なのは強靭な胃袋でした(涙)

2008-04-24 23:51:42 | Weblog
食べすぎで吐く・・・っていうのを、初めて体験しました(爆)。

体調を崩して吐いたとか、お酒を飲みすぎて吐いたことはありますよ。それから、もちろん、食べ過ぎて気分が悪くなることもありましたよ。でも、純粋に、食べ過ぎて吐いたってのは始めてです。

全部は説明できませんが、とある老舗の料亭・・・そこの取材を始める時点で、わたしの胃袋は、すでに満タン状態だったのです。でも、そんなこととは関係なく、取材は開始されます。

けっして取材先を差別するわけではないのですが、格式の高いお店というのは、取材する側からすると、やはり気を使う部分が多いものです。でも、この時の老舗さんは、こちらにそんな気を使わせない、とても気配りのある対応をしてくださるお店で・・・「さすが本物の一流処は決して偉ぶったりしないものなんだなぁ~」と感心していました。

そして、写真撮影が終わったら・・・「撮影に使っていただいたもので申し訳ないですが、よかったら召し上がっていってください」と、カメラマンさんと二人分、お料理を用意して下さいました。

もちろん、胃袋は「無理ですぅぅ~」と、わたしに訴えかけています。でも、取材の者にまで、お客様に対すると同様のもてなしをしてくださったお店の方々の気持ちに感動していたので、残してなるものかと、こちらも心を込めて完食いたしました(^^)。

で、その後は他の飲食関係ではない取材をして、また今日の〆に食事を供するお店の取材に行きました。と、そこでも取材に使ったボリュームたっぷりのコース料理をデーザート付きで勧めてくださって・・・これを食べなきゃ、わたしは女じゃないと・・・しかも、味は掛け値なしに美味しいわけで・・・もう、意地っていうか、根性っていうか、とにかく必死で食べ続けたのですよ。

でも、さすがに、しばらくすると感触で分かるわけです・・・これは絶対に無理だって。よく、大食い系の番組で、タレントさんが「(食べ物が)入っていかない」って言っていますが、ほんとに入っていかないのです。それでも、無理やり詰め込もうとすると、リリースの気配が(爆)。けど、ここで吐くわけにはいかないし・・・とにかく、なんとか一度は胃袋に治めて、店を出たら、公衆トイレなり駅のトイレで、失礼ながら吐かせてもらおうと決心したのですが・・・けっきょく、お店のトイレをお借りすることになってしまいました。もちろん、お店の方には、本来のトイレの用途にのっとったものと解してしただけるような態度をとりましたけどね。

で、最後には、おみやげまで頂戴しちゃって・・・ほんと、申し訳なくてならなかったです。味は最高なんですよ、ほんとに。なのに、ほんとにほんとに失礼なことしちゃいました。

フード系ライターの人たちって、これを毎日してるのかなぁと思うと、驚異っていうか、尊敬っていうか・・・きっと、胃袋が鍛錬されているんですね。それに、きっと失礼にならないように、出して頂いた料理を、うまく残す技もあるんでしょうね。けど、わたしには、それが出来ないんだナァ。まだまだ、修行がたりません、はい(^^;。

今日の出来事(^^)

2008-04-23 22:02:54 | Weblog
では、今日も、京都までの電車での風景から(^^;。今日はねぇ~・・・すごく眠い人が多かったです。多いってのは言い過ぎだな、二人だけだったから。でも、なかなかインパクトのあるお二人で・・・数人分のインパクトがありました(^^)。

一人は、若いOLさんです。真っ黒なスーツに、真っ黒な靴、真っ黒な鞄をもって、わたしの前の座席に座ってらしたんですけど、船の漕ぎ方が尋常じゃなうんですよ。膝の上に載せた厚みのない鞄に、オデコをぶつけそうになりながらの舟漕ぎなんです。体の堅いワタシには、いくら眠くても出来ない技です(^^;。で、時々、目を醒ましては、必ず身だしなみを直されるんです。髪を整えなおしたり、携帯ミラーで化粧をチェックしたり・・・でも、また、そのあとスグに寝ちゃうんですけどね。徹夜だったのかなぁ~と思いながら、そして、見ちゃ失礼だと思いながら、ついついチラチラみちゃいました。

で、もう一人は、轟音の鼾をかいている人です。満員電車なので、鼾の主の姿は見えないのですが、とにかく静かな車両に、大きな鼾が響き渡り続けていました。「もし、キレイなお姉さんの鼾だったら、ちょっとショックかも」なんて思っていたのですけど、電車を降りるときに確認したら、若い男性でした。のけぞって寝てらしたから、それでかな(^^;。

それにしても・・・これからお仕事だというのに、眠い人は多いのですよね。みんな、疲れているんだなぁ~、大変なんだなぁ~と、妙に感心しつつ、電車に乗っていたのでありました。

で・・・京都について、一つ取材して・・・次の取材まで、三時間の空き時間が出来てしまったので、カメラマンさんとは一旦解散して、一人、先斗町へ。昨日に、いい公園を見つけていたので、そこで暫く時間を潰そうと考えたのです。

鴨川沿いにある、先斗町の中の、ものすごく普通の住宅街の中にあるような公園。そこのベンチに座って、鳩とか雀と共存していました。鳩なら分かるんですが、雀も、まったく人を怖がらず、わたしの足元近くまできて、チュンチュンしてました。でも、写真を撮ろうかなと動いたら、嫌がって離れていってしまいました(^^;。

樹の枝の間から漏れる太陽の光も心地良く、それ以上に、吹き抜ける風が、とっても爽やかで清々しく・・・気がついたら、わたし寝てました(爆)。先斗町の公園で一時間も昼寝した奴って、いったい何者でしょう(^^;。

目がさめたら、横のベンチで、ちょっと年輩の女性が、煙草を吸ってらっしゃいました。その方が、煙草を吸い終わって去っていかれると、また別の方がいらして煙草を・・・ん~、ここは、先斗町の方たちの喫煙スポットなのか(^^;。

でもね・・・これだけ広い場所で、しかも気持ちよく風が吹き抜けていく場所でなら、煙草の煙なんて、まったく気にならないですよね。うん・・・そういうことだよなあ。

あとは・・・お腹がすいたので、ちょっと贅沢に、一人フレンチしました(^^)。で、英気を養って、午後の取材へ。今日は、明るいうちに京都を出ることが出来ました。帰りの電車から見た、いちめんの蓮華畑、きれいだったなぁ(^^)。

写真は、公園のではないのですが、鴨川沿いの桜にカラスが留まっている図、です。

老化は足から(爆)

2008-04-22 23:06:19 | Weblog
あきまへんわぁ~・・・足が、言うこと、きかしません(涙)。

怒涛の京都取材、まだ二日目だというの、もう足が最悪状態です。一日に複数件の取材をこなすっていのには慣れているんですけど、一日中歩いてるっていうこの状況が、ものすごくキツイ・・・いかに、日頃、歩いていないかを思い知らされています。今日は、これからお風呂に入って、じっくりマッサージして、湿布でもして寝ることにします。みなさん、日頃から、歩くって大切ですよ・・・って、みなさんは、わたしみたいに怠け者じゃないですよね(^^;。失礼しました。

というわけで、やっぱり、今月中は、ろくなことが書けなさそうですが・・・とりあえず、ちょっと思ったことを、箇条書き程度のボリュームで(^^;。

まずは、せっかく京都に毎日通っているわけですから、それ絡みのネタを。今日、阪急の十三から京都行き特急に乗ったら、年輩の女性グループがいらっしゃいました。言葉から、関西の方なのは確定。どうやら、みなさんで京都観光にいかれるみたいです。現地待ち合わせのお友だちの話や、これからいく先のことなどを話しておられます。と、途中から、赤ちゃんを背負ったお母さんが、電車に乗り込んでこられました。小柄な若いお母さんだけど、背中に赤ちゃん、肩には大きな鞄をかけ、ベビーカーをもって立っている姿は、なんとも逞しく・・・でも、大変だろうなと、見るともなしに、その親子を見ていました。赤ちゃんは、パッチリ目を醒ましているけど、グズルこともなく、あちこちを見回しています。決して美人さんでも、イケメンくんでもないけど、「ちょぉ~可愛いなぁ~」と見ていると、おばさまたちも、赤ちゃんに気づいたらしく、静かな大騒ぎが始まりました。車内の、他の乗客の皆さんは、まったく興味をしめしていなくて・・・わたしの目には、赤ちゃんと、おばあちゃんたちだけに、スポットが当たっているみたいなイメージが出来上がって・・・なんとも微笑ましく楽しかったです。

次は、超小ネタで、しかもナンノコッチャな話ですが・・・たとえば「モディリアーニ」という文字をみたら「モジリアーニ」と読みたくなりませんか。より日本語として違和感のない音にしたい欲求を感じるんですけど・・・それって、わたしだけですかね(^^;。

ん~・・・もう数個、小ネタを並べたかったのですが、なんだか、ネタが飛んじゃいました(爆)。そろそろ、終わることにします。

写真は、鴨川の風景です。今日は、床の準備工事をしているところが多かったです。そんな季節になってきたんですねぇ(^^)。

電球と石鹸、さらに曖昧と共に生きる勇気の話

2008-04-20 23:48:02 | Weblog
まず電球の話・・・これは、時々あることなので、時々は話題にしているかもしれませんが・・・電球が切れたと思ったら、実は緩んでいただけということが、国道沿いの店である山猫軒などでは、しばしば起こるのです。これは、意外に象徴的なこと、あるいは普遍的な現象だと思うのですよ。案外、気づかされる、あるいは思い出させられることが多いなぁと、いつも思うのです。そして今日、またそう思いました(^^;。

次は石鹸のこと。けっこう多くのお宅でしておられることではないかと思うのですが、我が家では、小さくなった石鹸は、下ろしたての新しい石鹸にくっ付けて使います。最初は、なかなか馴染が悪くて、すぐに剥れたり崩れたりするものですが、そのうち巧くくっ付いて、最初から一つであったかのように一体化します。
実は、前回石鹸と今回石鹸には色に違いがあって、一体化した今でも「二つがくっ付いたんだぞ」という主張をしています。でも、色の違いがそれを主張すればするほど「くっついて一つになったのだ」ということが際立ちます。このことも、案外、気づかされる、あるいは思い出させられることが多い事柄だなと、思ったのでありました(^^;。

それから、これは、最近、頻繁に言っていることですが・・・やっぱり、わたしの目指すところは「曖昧に耐える強さを身につけよう」ということだったりするなと、再確認いたしました。

知り合いに薦められて、母校で教鞭をとっておられる方のブログ記事を読んだのです。わたしが卒業してから母校にこられた方のようで、わたしは全く存じ上げなかったのですが、なかなか有名な方だそうです。特に、ブログが有名で、多くの著書がブログ記事を基にしたもので、しかも良く売れているのだそうです。

たしかに、なかなか面白い記事を書かれる方だなと思いました・・・ただ、なんていうか・・・ふむ(^^;。

それで思い出したのです。わたしも、二十代までは、こういうシャープで難しっぽい文章を書いていたなぁと。もちろん、内容の質は雲泥の差ですよ。言うまでも無く、先生様が雲で、わたしが泥(^^;。ただ、なんていうか「わたしは偉い感」が、なんともはや似ている気がしてしまったのですよ(爆)。

当時、わたしの文章には迷いが無く・・・したがって、見事なまでの断定系でした。もちろん、実際に、今より確信していたことが多かったのは事実だけど、それプラス、たとえ迷っていても、自分から外に出すときには、それを人に見せるべきではないと思っていましたから、必然的にそんな書き方になったわけです。

でも・・・今は、それを意識してやめています。というより、できるだけ迷いを表に出すように務めています。だって、迷うことこそが何よりも大切なことだと、今は感じているから。

迷う・・・つまり曖昧を受け入れるというのは、決して逃げではないのです。なぜなら、だからといって決断を避けるものではないからです。確信がないのに、都度都度に決心していく不安を引き受けることが、少しずつでも、ものごとの核心に近づく方法だと思うからです。そして、それが、人を成長させる道だとも思うからです。

安定は、人を心地よくします。反対に、不安定で曖昧なのは、人を不安にします。けれども、だからといってぐらぐらの土台の上に頑丈な城を築いて、土台の脆さを忘れたふりをするのは危険でしょう。

時には、嘘をついてでも安心させてあげないといけない人や場合がありますが・・・基本姿勢としては、曖昧を引き受ける勇気を引き受けなきゃなりません・・・と、今のわたしは思っています。

ちなみに、写真は木瓜の花です。すごく鋭い棘があります。薔薇の棘に勝るとも劣らない鋭さです(^^;。

向いているって・・・

2008-04-19 21:47:49 | Weblog
ふと思ったんですが・・・「向いている」っていう場合、それは「得意」「上手に出来る」ってことなんでしょうか。それとも、「下手の横好き」でもいいんでしょうか。もしかしたら、どっちの条件も満たしていないとダメなのかも・・・。

概ね、人は得意なことは好きですよね。出来ることって、していて楽しいし・・・周りも褒めてくれたりするし・・・得意なことをしていると、基本的に良い気分になれますからね。

でも、それをずっと続けていたら、得意だけど、そんなに好きでもないかもってことに気づいちゃうこともあるでしょ。となると、それはやっぱり「向いていない」ってことになりますよね。

思うんですけど・・・仕事ってやつは、ある程度、得意なことをした方が、自分の為にも、周りの人の為にも好ましいように見えますよね。好き嫌いをどうこうする余地無く、人生の多くの時間を費やさなきゃいけない仕事ってものが、不得意なものでは、自分も大変だし、回りにも面倒をかけるし。だから、仕事の向き不向きって、やっぱり得意か不得意かの要素を重要視した方がいいような気がしますよね。

けれど、たぶん『この仕事に向いてない』って転職する人の心の中を覗いてみたら、得意不得意より、好き嫌いの部分が問題視されているのかなと思います・・・ね。

で? で、なんだろう・・・(^^;。

よく分からないけど・・・結局、得意でも不得意でも、好きでも嫌いでも、何に対しても誰に対しても、どういうスタンスで付き合うのかっていうのが、一番肝心かなと思うんですよ。これに関しては、付いていく形の付き合い方にしようとか、距離をおいていこうとか・・・日和見主義的にいこうとか、波風立てても本気でぶつかろうとか・・・不得意なら不得意なりに、好きになれないなら好きになれないなりに、得意なら得意なりに、大好きなら大好きなりに、それらを組み合わせつつ、付き合い方の覚悟を決めていけば、「向いてない」って思うことが、ずいぶん減るような気がするんですよね・・・甘いですかね(^^;。

・・・ん~、最近、まったく考えが纏まらないままの発言をしていますね(^^;。でも、まっ、それもそれで、何かになるんじゃないかとは思うんですけどね(^^;。

そうそう・・・今月は、日記をお休みする日や、こんな感じでダラける日が多いと思います。山猫軒も、平日は全く店番に行けそうにありません。また、ゴールデンウイークが終わって落ち着いたら、建て直しを測りますので、しばらく、目をつぶって見守ってやってください、よろしくです。