OBERON 日記

1999年1月25日。パソコン通信から始まった公開日記。
できれば、死ぬまで続けたい・・・(爆)。

人間の創った美しいもの・・・は、どうも後ろめたい

2016-12-23 13:43:23 | Weblog
もうすぐクリスマスですね・・・
クリスマス・・・今やもう、ハッピーホリデイの要素が主で
キリスト教の大切なお祝いの日という色合いはほとんど感じられませんが
そこはまあ、キリスト教徒の方たちも、そうじゃないハッピーホリデイな人たちも
お互い別物と割り切って、自分の大切にするものを大切にし
同様に、他の人たちが大切にしているものも尊重していけばいいのじゃないかと思います。

で、わたし個人はといえば
クリスチャンではないけれど、KCで過ごした10年、特に中学高校の6年間の影響は強く
クリスマスをハッピーホリデイとは思えないですね。
信仰をもった人たちにとっては、とても重要で厳粛な夜だとしか思えないですね・・・はい。

それにしても・・・
日本のお寺にしても、ヨーロッパの教会にしても
信仰と権力が結びついて生み出された数々の美しい造形物・・・悔しいけれど心打たれます。

それらを見る度に
これを作るには富の偏りが不可欠で
沢山の貧しい人たちの上に作り上げられるものなんだ・・・と思うのですが
それでもやっぱり、美しいものは美しいのですよね・・・

信仰に関わる建築物や装飾物、絵画や音楽などだけでなく
美と言うものに強い拘りを抱いて美術品を作らせたり収集する人たちに対しても
素直に肯定できないものを感じはするのですが・・・
それでも、彼らの残してきたものの持つ魅力は、どうしても否定できないんですよね。

どうしたものでしょう・・・ほんとうに。

無駄の美しさというのがありますよね。
効率だとか機能性、経済性だけではない
絶対に必要かと言えば、なくても何の支障もないものなんだけど
その無駄の部分に美しさがあったりする・・・
それは物質の分野に限らず、精神的な部分でも・・・
そういうのは、比較的受け入れやすいんですよね。

それが、贅沢の美となると・・・
金を惜しまず贅を凝らしたことによって生み出される美となると・・・
確かに美しい、確かに美しいけれど、なんとも後ろめたい・・・後ろめたい美なんですよね・・・。

それに比べて
人間ではないものたちが作り出す、いわゆる自然の造形の美しさには
後ろめたさと言うものがなくて安心できます。
畏怖の念のようなものは、より大きくなりますが
うしろめたさを感じることなく、安心して心から美しいと思えます。

人間の創りだす美しいも・・・それらにどう接していくか
ほんとうに悩ましいです・・・困ったものです(^^;。