オアシスインサンダ

~毎週の礼拝説教要約~

助け主・真理の御霊

2014-11-09 00:00:00 | 礼拝説教
2014年11月9日 主日礼拝(ヨハネ福音書16:5-15)岡田邦夫


 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」ヨハネ福音書16:13

 子ども向けの伝記には必ず出てくるヘレン・ケラー。1歳9ヵ月、原因不明の高熱におそわれ重体となり、そのため、耳と目をおかされて、光と音の世界から完全に遮断されてしまいました。ヘレンが7歳の時、両親がアンニー・サリヴァンを家庭教師に迎えると、彼女はしつけと指文字を教えます。しかし、ものには名前があること、言葉があるということがわかりません。家の中がぎくしゃくしていたある日のこと、ヘレンが冷たい井戸水にふてれた時、これがwaterという名前であることに気づいたのです。それから、言葉をどんどん覚えていき、やがて、大学まで行き、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くしたのです。言葉の世界が開けた奇跡の時のことをヘレンはこう言っています。「言葉の存在を最初に悟った日の夜。私は嬉しくて嬉しくて、ベッドの中で、この時初めて“早く明日になればいい”と思いました」(ヘレン)。

◇知らせたい…調べで
 ヨハネという人はイエス・キリストに出会い、新しい言葉の世界が開かれた、その感動を、音楽を奏でるように福音書を書き記したのです。ヨハネ福音曲とでも言いましょうか。手紙の方にはその目的が最初に記されています。私たちに現された永遠の命のことばを伝えたのは父、御子との交わりを持ち、その喜びが満ちあふれるためだと(1ヨハネ1:1-4要約)。
 ヨハネ福音書には「知る」とい言葉が重要なのでしょう。くり返しくり返し出て来ます。二つのギリシャ語でオイーダが85回、ギノスコーが56回、計141回、両語同じような意味で使われ、わかる、悟る、認めるとも訳されています。…イエス・キリストは御子として、父(なる神)を知っている。そして、父から聞いたことを証ししている。その最も知らせたいのが御子の犠牲である。それが世にはわからない。しかし、あなたがた(弟子)はわかるようになっていった…。そのような調べをくり返し響かせながら、よみがえりのクライマックスまで進んでいきます。

◇知らせたい…大声で
 御子の中では魂が躍動しておられ、大声をあげておられます。祭りの大いなる日にだれでも渇いているなら、私のもとに来て飲みなさい、生ける水があふれますと大声で言われました。その水とは聖霊のことです(7:37-39)。墓に葬られた死者に大声で叫ばれました。「ラザロよ。出て来なさい」。かれは生き返りました(11:43)。復活のいのちへの招きのメッセージです(11:25)。エルサレム入城後に、大声で「わたしを信じる者は、わたしではなく、わたしを遣わした方を信じるのです」と言い始め、最後にこう言います。「わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています(オイーダ)。それゆえ、わたしが話していることは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです」(12:50)。大声で言われたのです。聖霊のこと、復活のこと、永遠の命のこと、どれも自然にはわからないことです。イエス・キリストによって、信仰によってわかることです。
 このあとすぐに最後の晩餐に移ります。「さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された」(13:1)。この知るは時を知ることです。イエスは低い奴隷の仕事である足を洗うということを弟子に致しますが、ペテロは何のことか解らない。イエスはこう言います。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります」。御子が父のみこころに従って十字架上で犠牲になって、さらに聖霊が臨んだ時にわかるというのでしょう。このしもべの姿が模範なのです。

◇知らせたい…聖霊で
 そして、父のもとに行くことを告げ、聖霊の授与の約束をされます。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです」(14:16-17)。14:25-26にも、15:26にもくり返し聖霊の約束を述べます。
 そして、今日の聖書箇所、16:5-15に詳しく述べられます。聖霊は罪につき、さばきにつき、認めさせます。それは真理の御霊だからです。しかし、御子が罪をきよめ、信じる者を裁かれないようにしてくださるのだと聖霊が弁護し、助けてくださるというのです(助け主=弁護士)。「その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです」(16:13ー15)。

◇知らせたい…犠牲で
 真理とは神を知ることです。神を知らしめるために御子イエス・キリストが犠牲の業、仕える業をなさいました。それを信じさせ、私たちに完全に届けてくださるのが聖霊です。その最後の晩餐で言われたイエス・キリストの素晴らしい響き渡るお言葉があります。「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです」(17:3)。この知るというのは、知識として知ってなるほどと思ったり、生活や人生の知恵として知って役に立つというもの以上のことです。日本語で表現するなら「知り合い」になるということです。唯一のまことの神であるお方と知り合いになった、遣わされたイエス・キリストと知り合いになったのだと聖霊様が弁護してくれるのです。遠い知り合いではなく、ごく近い、家族以上に近い、しかも、永遠の知り合いになったのです。もし、私があと一週間しか命はないと医師に宣告されたとしたら、私はこう思うでしょう。ここにおられる皆さんと知り合えたことに無情の感謝があふれてくるだろうなあと想像するのです。
 「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます」。このような人格的な真理に聖霊が導かれるのです。大丈夫、あなたは父、子、聖霊の神と永遠の命の知り合いなのですよ。愛をあますところなく示されたイエス・キリスト、すなわち、御子の犠牲の血によるつながりですよ。しもべイエスの生き方を模範とする仕え合い、愛し合う家族なのですよ。この生きた真理が自由を得させるのですよ。復活されたキリストが言われたお声を今、聞きましょう。「聖霊を受けなさい」(20:22)。