2011年2月27日 伝道礼拝(使徒の働き20:24)岡田邦夫
「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」使徒の働き20:24
◇より大切なもの
今の時代、私たちのまわりは物と情報などがあふれています。そうすると何が大切で、何が大切でないか、分からなくなってきます。人は何よりも健康が第一だ、そのためには何でもする、健康のためなら死んでも良いと皮肉の言葉さえでてきます。「やましたひでこ」という人が“断捨離”(だんしゃり)というライフスタイルを提案をしてます。断捨離(だんしやり)というのは、物理的、精神的な意味で、自分にとって不要なものを切り捨てて身軽になって、シンプル・ライフを目指すことです。もともとはヨガの断行(だんぎよう)、捨行(しやぎよう)、離行(りぎよう)からきていますが、本格的に「行(ぎよう)」をするわけではありません。世捨て人のように暮らすというわけではなありません。
これがはやるのは、現代人の生活において、物や情報などがたいへん過剰で、便利ではあるものの、人間の中身がむしろ貧弱になっているように感じられるからでしょう。これはあくまで、不要なモノだけを捨てて、自分にとって重要なモノはむしろ大切にしようということが断捨離だそうです。「百万人の福音」の3月号に宮川真琴さんがこれを紹介し、イエスがマルタに言われた「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ福音書10:42)を取りあげ、クリスチャンとしての生き方を述べています。私たちも時々立ち止まって、整理する時間をとって、物や情報を断捨離をするのもよいかも知れません。さらに、心の中にあるものをノートに書き出し、整理して、断捨離をしてみるのも良いでしょう。どうしても必要なことが何なのか、抽出できるでしょう。
◇いちばん大切な命
また、何が大切なことかを痛切に感じる時があります。人生に思わぬことがやってきた時です。身近な人を亡くすとか、重い病や大変な事故で、健康が損なわれるとか、何かのきっかけで人間関係が破綻してしまうとか、そうした、喪失(そうしつ)経験をした時に、何が大切なことがわからなくなります。しかし、そこで「命」がいちばん大切なものだ、「生きる」ということ事態が最も重要なことだと気付かされることもあるでしょう。そして、一日一日を大事に生きていこうという心境になります。そういう人の話を聞きます。そのことは聖書ではっきりと教えています。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ福音書16:26新改訳)。この命というのは「まことのいのち」です。まことの生き方、真実な生き方、神と共に永遠に生きる生き方です。
星野富弘さんは1970年、中学校の先生をしていて、クラブ活動の指導中に鉄棒から落ちて、頸椎(けいつい)を損傷し、死の危険にさらされましたが、命は助かりました。しかし、手足の自由をまったく失ってしまいました。そのような喪失経験の中でもだえ苦しんでいる時に聖書に出会い、キリストに出会い、1974年、病室で洗礼を受けました。首から下がまったく動きませんが、口にくわえた筆で詩画を描くようになり、それが多くの人の慰め、励ましになっています。「命より大切なもの」という作品はその代表的なものです。
「いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが 辛かった いのちより大切なものが あると知った日 生きているのが 嬉しかった」
星野さん、本人に「命より大切なものは何ですか」聞くと、こう答えられるそうです。「さあ、何でしょう。聖書を読んで探してみてください。本気で探してください。そうすれば見つかりますよ。私も見つかりましたから」。
◇命より大切なもの
私は若い時に、クリスチャンが殉教していくその最後が穏やかだったり、輝いたりしている姿に、心が引かれていました。人生の途中で、命が奪われようとしているのに、彼らはそれを越えた何か崇高なもの、何をされても、奪われないものを持っていたからに違いないとあこがれさえもっていました。20歳の時にその仲間に加えられる機会が与えられ、受洗しました。
サウロという青年がいました。彼は律法(聖書)を学び、落ち度無くそれユダヤ教的にを守っていた人でしたから、キリスト教は大変な間違いだ、この異端は撲滅しなけばならないと思っていました。ある日、ステパノというキリスト教徒の証しがユダヤ教徒の逆鱗(げきりん)に触れ、寄ってたかって石を投げつけられ、死んでいきました。サウロは石を投げる人たちの着物の番をして、その殉教の光景を目にしていました。そんな状況で、赦しを祈り、天が見えると言い、輝いて死んでいったその姿に、うそではない、何かを越えた崇高なものを感じたに違いありません。それでも、キリスト教が異端だという考えはぬぐえず、熱心にその撲滅活動に走りました。
ところが、ダマスコの途上で、復活されたキリストが彼に現れ、アナニヤという人に導かれ、キリストの福音を信じ、受洗します。迫害者であったサウロは一転して、キリスト教徒の仲間になり、その急先鋒(きゆうせんぽう)になっていきます。命が奪われようとしても、それを越えた何か崇高なもの、何をされても、奪われないもの、イエス・キリストの福音を信じ、永遠の命という、命よりも大切なものを得たからです。彼はこれを得た嬉しさを届けに、世界を飛び回り、三回にわたって、伝道旅行をしました。サウロ、後にパウロと呼ばれますが、かつての勝手な大望(たいもう)を捨て、復活の主によって、純粋できよめられた大望が与えられました。世界の中心、ローマに福音を伝えに行くことです。囚人となるという方法でローマまで行き、そこで証しを続けました。そして、ローマで殉教したと伝えられています。
それをもう少し詳しく見てみましょう。パウロが第三次伝道旅行でアジア(現在のトルコ)での伝道の成果も上がり、一段落した時に、それで満足しませんでした。神の「御霊の示しにより」、これからエーゲ海を渡り、マケドニアとアカヤ(今のギリシャ)を通り、その後にエルサレムに行くことにしたのです。彼はさらにこう言いました。「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」(19:21)。パウロはわがままを捨てて、神の思(おぼしめ)し召しのままに生きたのです。勝手な自分の声に従ったのではなく、良心の声に従い、その良心に働く「御霊の声」に従ったのです。マケドニア、アカヤに渡って巡回し、Uターンして、再びアジアに渡りました。トロアスという所で、こんなエピソードがありました。翌日出発するので、夜中まで人々と命より大切なものを実に楽しく語り合っていました。ところが、パウロの話が長いものですから、窓に腰掛けて聞いていたユテコという青年が、眠りこけてしまい、3階から落ちて、死んでしまったのです。パウロが彼の上に身をかがめ、抱きかかえて、声をかけると、生き返ったのです。人は死んで終わりではなく、主にあって復活するのだということのしるしの奇跡でした。それで、なお嬉しくなって明け方まで語り合い、青年のことでは大いに慰められたのでした(20:12)。
そして、ミレトの港に着いた時に、エペソ教会の長老と再会し、これから「心を縛られて、エルサレムに上る」ので、命より大切なものを委ねていきますという決別説教をします(20:18ー35)。それは珠玉の説教ともいえる愛にあふれたものです。その中の一節が「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」です(使徒20:24)。それから、エルサレムに向かって船出するのですが、寄港したところで、キリスト教徒から、迫害の危険がまっているから、エルサレムに行かないように、止めるのですが、パウロはこの言葉のように、聖霊に導かれて、エルサレムに行きました。案の定、アジアからきたユダヤ人がパウロは律法違反者だと、群衆をあおり立て、大騒ぎとなり、彼を殺そうとします。それをローマ軍の千人隊長が止めます。いろいろ経過はあるのですが、彼がローマの市民権を持つ市民なので、ローマで裁判することとなり、囚人船でローマに行くことになるのです。誰もこんな筋書きは書いてはいないのですから、神の導きとしか言いようがありません。こうして、現実にパウロは神の恵みの福音を証しする任務を果たし終えることができたのです。
神は勝手に生きようとする罪深い私たちであっても、私たちを愛し、滅んでしまうことを惜しんでおられるのです(ヨナ書4:11)。その私たちを愛し、罪人を救うために、身代わりとして、十字架においてご自分の御子を惜しまず死に渡され、私たちの罪の贖いをなしとげられたのです(ローマ8:32)。この惜しみない神の愛、私たちの救いのために御子を惜しまず死に渡された神の愛こそ、命より大切なもの、これに与った者は「主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」という生き方をするのです(使徒20:24)。
「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」使徒の働き20:24
◇より大切なもの
今の時代、私たちのまわりは物と情報などがあふれています。そうすると何が大切で、何が大切でないか、分からなくなってきます。人は何よりも健康が第一だ、そのためには何でもする、健康のためなら死んでも良いと皮肉の言葉さえでてきます。「やましたひでこ」という人が“断捨離”(だんしゃり)というライフスタイルを提案をしてます。断捨離(だんしやり)というのは、物理的、精神的な意味で、自分にとって不要なものを切り捨てて身軽になって、シンプル・ライフを目指すことです。もともとはヨガの断行(だんぎよう)、捨行(しやぎよう)、離行(りぎよう)からきていますが、本格的に「行(ぎよう)」をするわけではありません。世捨て人のように暮らすというわけではなありません。
これがはやるのは、現代人の生活において、物や情報などがたいへん過剰で、便利ではあるものの、人間の中身がむしろ貧弱になっているように感じられるからでしょう。これはあくまで、不要なモノだけを捨てて、自分にとって重要なモノはむしろ大切にしようということが断捨離だそうです。「百万人の福音」の3月号に宮川真琴さんがこれを紹介し、イエスがマルタに言われた「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ福音書10:42)を取りあげ、クリスチャンとしての生き方を述べています。私たちも時々立ち止まって、整理する時間をとって、物や情報を断捨離をするのもよいかも知れません。さらに、心の中にあるものをノートに書き出し、整理して、断捨離をしてみるのも良いでしょう。どうしても必要なことが何なのか、抽出できるでしょう。
◇いちばん大切な命
また、何が大切なことかを痛切に感じる時があります。人生に思わぬことがやってきた時です。身近な人を亡くすとか、重い病や大変な事故で、健康が損なわれるとか、何かのきっかけで人間関係が破綻してしまうとか、そうした、喪失(そうしつ)経験をした時に、何が大切なことがわからなくなります。しかし、そこで「命」がいちばん大切なものだ、「生きる」ということ事態が最も重要なことだと気付かされることもあるでしょう。そして、一日一日を大事に生きていこうという心境になります。そういう人の話を聞きます。そのことは聖書ではっきりと教えています。「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」(マタイ福音書16:26新改訳)。この命というのは「まことのいのち」です。まことの生き方、真実な生き方、神と共に永遠に生きる生き方です。
星野富弘さんは1970年、中学校の先生をしていて、クラブ活動の指導中に鉄棒から落ちて、頸椎(けいつい)を損傷し、死の危険にさらされましたが、命は助かりました。しかし、手足の自由をまったく失ってしまいました。そのような喪失経験の中でもだえ苦しんでいる時に聖書に出会い、キリストに出会い、1974年、病室で洗礼を受けました。首から下がまったく動きませんが、口にくわえた筆で詩画を描くようになり、それが多くの人の慰め、励ましになっています。「命より大切なもの」という作品はその代表的なものです。
「いのちが 一番大切だと 思っていたころ 生きるのが 辛かった いのちより大切なものが あると知った日 生きているのが 嬉しかった」
星野さん、本人に「命より大切なものは何ですか」聞くと、こう答えられるそうです。「さあ、何でしょう。聖書を読んで探してみてください。本気で探してください。そうすれば見つかりますよ。私も見つかりましたから」。
◇命より大切なもの
私は若い時に、クリスチャンが殉教していくその最後が穏やかだったり、輝いたりしている姿に、心が引かれていました。人生の途中で、命が奪われようとしているのに、彼らはそれを越えた何か崇高なもの、何をされても、奪われないものを持っていたからに違いないとあこがれさえもっていました。20歳の時にその仲間に加えられる機会が与えられ、受洗しました。
サウロという青年がいました。彼は律法(聖書)を学び、落ち度無くそれユダヤ教的にを守っていた人でしたから、キリスト教は大変な間違いだ、この異端は撲滅しなけばならないと思っていました。ある日、ステパノというキリスト教徒の証しがユダヤ教徒の逆鱗(げきりん)に触れ、寄ってたかって石を投げつけられ、死んでいきました。サウロは石を投げる人たちの着物の番をして、その殉教の光景を目にしていました。そんな状況で、赦しを祈り、天が見えると言い、輝いて死んでいったその姿に、うそではない、何かを越えた崇高なものを感じたに違いありません。それでも、キリスト教が異端だという考えはぬぐえず、熱心にその撲滅活動に走りました。
ところが、ダマスコの途上で、復活されたキリストが彼に現れ、アナニヤという人に導かれ、キリストの福音を信じ、受洗します。迫害者であったサウロは一転して、キリスト教徒の仲間になり、その急先鋒(きゆうせんぽう)になっていきます。命が奪われようとしても、それを越えた何か崇高なもの、何をされても、奪われないもの、イエス・キリストの福音を信じ、永遠の命という、命よりも大切なものを得たからです。彼はこれを得た嬉しさを届けに、世界を飛び回り、三回にわたって、伝道旅行をしました。サウロ、後にパウロと呼ばれますが、かつての勝手な大望(たいもう)を捨て、復活の主によって、純粋できよめられた大望が与えられました。世界の中心、ローマに福音を伝えに行くことです。囚人となるという方法でローマまで行き、そこで証しを続けました。そして、ローマで殉教したと伝えられています。
それをもう少し詳しく見てみましょう。パウロが第三次伝道旅行でアジア(現在のトルコ)での伝道の成果も上がり、一段落した時に、それで満足しませんでした。神の「御霊の示しにより」、これからエーゲ海を渡り、マケドニアとアカヤ(今のギリシャ)を通り、その後にエルサレムに行くことにしたのです。彼はさらにこう言いました。「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない」(19:21)。パウロはわがままを捨てて、神の思(おぼしめ)し召しのままに生きたのです。勝手な自分の声に従ったのではなく、良心の声に従い、その良心に働く「御霊の声」に従ったのです。マケドニア、アカヤに渡って巡回し、Uターンして、再びアジアに渡りました。トロアスという所で、こんなエピソードがありました。翌日出発するので、夜中まで人々と命より大切なものを実に楽しく語り合っていました。ところが、パウロの話が長いものですから、窓に腰掛けて聞いていたユテコという青年が、眠りこけてしまい、3階から落ちて、死んでしまったのです。パウロが彼の上に身をかがめ、抱きかかえて、声をかけると、生き返ったのです。人は死んで終わりではなく、主にあって復活するのだということのしるしの奇跡でした。それで、なお嬉しくなって明け方まで語り合い、青年のことでは大いに慰められたのでした(20:12)。
そして、ミレトの港に着いた時に、エペソ教会の長老と再会し、これから「心を縛られて、エルサレムに上る」ので、命より大切なものを委ねていきますという決別説教をします(20:18ー35)。それは珠玉の説教ともいえる愛にあふれたものです。その中の一節が「私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」です(使徒20:24)。それから、エルサレムに向かって船出するのですが、寄港したところで、キリスト教徒から、迫害の危険がまっているから、エルサレムに行かないように、止めるのですが、パウロはこの言葉のように、聖霊に導かれて、エルサレムに行きました。案の定、アジアからきたユダヤ人がパウロは律法違反者だと、群衆をあおり立て、大騒ぎとなり、彼を殺そうとします。それをローマ軍の千人隊長が止めます。いろいろ経過はあるのですが、彼がローマの市民権を持つ市民なので、ローマで裁判することとなり、囚人船でローマに行くことになるのです。誰もこんな筋書きは書いてはいないのですから、神の導きとしか言いようがありません。こうして、現実にパウロは神の恵みの福音を証しする任務を果たし終えることができたのです。
神は勝手に生きようとする罪深い私たちであっても、私たちを愛し、滅んでしまうことを惜しんでおられるのです(ヨナ書4:11)。その私たちを愛し、罪人を救うために、身代わりとして、十字架においてご自分の御子を惜しまず死に渡され、私たちの罪の贖いをなしとげられたのです(ローマ8:32)。この惜しみない神の愛、私たちの救いのために御子を惜しまず死に渡された神の愛こそ、命より大切なもの、これに与った者は「主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません」という生き方をするのです(使徒20:24)。