殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

ニュータイプ

2019年02月26日 20時40分23秒 | みりこんぐらし
よその地方ではすでにポピュラーなのかもしれないが

つい先日、新種の詐欺もどきと触れ合ったので

したためておこうと思う。


夜7時、電話が鳴った。

いつものように我が家の電話番、義母ヨシコが出る。

しばらく話していたが、その電話を私の所へ持って来た。

「ちょっと話してみて。

うちにあるマッサージチェアを引き取ってくれると言うのよ」

「誰が?」

「産業廃棄物の業者。

マッサージチェアを引き取ってくれるんだって。

無料って言うから、お願いしますって言っちゃった」

うちには確かに壊れたマッサージチェアがある。

捨てるには大きくて面倒くさく、さりとて修理をして使う気にもならず

無用の長物として放置しているのだ。


すでに頼んだのなら電話を切ればいいものを

相手が何者であろうと、嬉々として話に乗ってしまい

個人情報をさんざんしゃべくりまわしておきながら

最終判断はいつもこっちに振る。

何か不都合が起きた場合、嫁という他人に罪をなすりつけられるからだ。


「初めまして。

わたくし、渡嘉敷(とかしき)といいます。

明日、そちらのご近所を回らせていただく予定なんですが

先ほどお母様とお話ししましたところ

壊れたマッサージチェアがあるとうかがいましたので

引き取らせていただくことになりました」

明るい声で立て板に水のごとくしゃべる相手は、30代半ばらしき男だった。


「本当に無料なんですか?」

「はい、引き取りに費用は一切かかりません」

「引き取りにお金はかからないけど、他にはかかるわけですか?」

「いえ、そのようなことはありません。

奥様、よろしければそのマッサージチェアを見させていただいてですね

査定をさせていただきたいんです。

現物を見なければ、はっきりしたご返事はできませんが

品物によってはお値段がつきます」

「動かないのに?」

「壊れていても、部品を取ったり金属を再利用したりと

使い道があるんです。

その場合は買取りということで、現金をお支払いさせていただきます」

「使い道が無い場合は?」

「引取りということで、無料で引き取らせていただきます」

「なぜ?なぜ不用品を引き取る上に、お金までくださるの?」

「はい、ご質問ありがとうございます。

先ほどお母様にもご説明させていただきましたが

わたくしどもは産業廃棄物の仕事をしておりまして

その関係で、ご家庭の不用品を集めております」

「なるほど‥」


私に産廃業者を名乗ったからには、ちょいと突っ込ませてもらおうやないかい。

なぜなら私にとって産廃は、未知の分野ではないからだ。


我々一家が生息するのは、建設業界。

その建設業界の中で、うちの業種は建設資材の卸業と運搬である。

一見、産廃とは無関係に思えるが、30年ほど前に条例が変わり

資材運搬の際に発生する粉塵(ふんじん)‥

つまりチリホコリの類いに注意を払うという見地から

産業廃棄物の取扱い免許が必要になった。

機会があったら、町を走る大小のダンプの横っつらを見ていただきたい。

産業廃棄物取扱いの認可番号が、小さく書いてあるのを発見できるはずだ。


産廃には少しばかり詳しいもんで、こっちは強気。

「本社、どこ?」

私は横柄に問うた。

「大阪の〇〇商会といいます」

「認可番号、教えて」

「え‥それは今、ちょっと‥わたくしには‥」

「ふ〜ん、まあいいわ。

沖縄出身であろう渡嘉敷さんが電話をかけて

大阪からわざわざ人が来て、一軒ずつ回るわけね」

「はい、そうです」

「 遠くから来て、そんなもん引き取って

状態によってはお金まで払って

交通費やら人件費やら宿泊費やらの経費はどこから出るの?

引き取った物をいったん置く、広い場所も必要よね。

赤字じゃない」

「ご質問、ありがとうございます‥」

「今のは質問じゃないよ、断定」

「は‥はは‥」

小さく笑ってごまかす渡嘉敷。


そして渡嘉敷は、次の手段に出た。

「あ、奥様、うちはマッサージチェアだけでなく

古いエレクトーンやケース入りのお人形なども

引き取らせていただいて、大変喜ばれております」

行き詰まると話題を変え、次のステージに進むのが

この男の手口らしい。


「エレクトーンと人形?」

壊れたマッサージチェアを始め、古いエレクトーン、ケース入りの人形‥

我が家のスペースを陣取る三大悪の名を聞き、私の心は揺れる。


「エレクトーンのほうも査定させていただきますよ。

値段が付かなければ、そのまま置いて帰らせていただくこともございますが」

「最初は引き取るって言ったじゃん」

「それは‥いずれにしても現物を見させていただいてからですね

お返事させていただくということで‥

あ、奥様、マッサージチェアは倉庫かどこかに置いてあるんでしょうか?」

また話題を変える渡嘉敷。


「家の中よ」

「では明日、お家の中で査定させていただくということで

お時間のほうは、午後1時くらいでいかがでしょうか?」

こうしてうっかりイエスと言わせるのが、こやつの戦法らしい。

人のいい老人なら、ひとたまりもないだろう。


「じゃ、1時に門の外の車寄せに置いとくから持って帰って」

そう言ったら渡嘉敷、慌てる。

「奥様、それはちょっと困るんです‥」

「何で?」

「あの、直接お目にかかってお話をさせていただきたいと‥」

「不用品を回収するだけでしょ?何の話があるのよ」

「査定が‥」

「査定はけっこうよ」

「いえ、あの、お値段がつかなかった場合

置いて帰らせていただくことになりますし‥」

「エレクトーンや人形は出しません。

マッサージチェアだけにしとくわ。

あんた、引き取るって言ったんだから」

「そういうわけには‥」

「何よ、はっきり言いなさいよ」

「ご覧いただきたいものがありましてですね‥」

「何?」

「新しいマッサージチェアを見ていただければと‥」

「産廃業者じゃなくて、本当はマッサージチェアを売る人?」

「いえ、あくまでご参考までにですね‥」

「いりません」

私は電話を切った。


家に上がり込むために産廃業者のふりをして、マッサージチェアを査定。

適当な値段をつけ、それを内金ということにして買わせる手口だと思う。

トカシキでなくインチキだった。
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城崎旅情・4

2019年02月18日 08時35分59秒 | みりこんぐらし
『土産の蟹』


宴会が始まった。

ホテル支配人の形式的な挨拶が終わると

我々と同年代の女性添乗員が、連絡ミスを皆に謝罪。

一同はこの時点で、夕食に蟹が出ないことを知った。

しかし、さすがは我が同級生。

その件について何か言う者は、誰一人いなかった。

旅行のために、モトジメがどんなに心を砕いてきたかを知っているのだ。


「文句が出たら私に任せて」

モトジメにはそう言ったが、対応策に自信があったわけではない。

「今日は2月9日、ニクの日です。

だから肉を食べるのよっ」

私が思いつくといったら、それくらいのもんさ。

バカなことを言わずに済んで、ホッとした。


モトジメは宴会に、コンパニオンを3人呼んでいた。

お酌をしてもらうためというより、蟹の世話をしてもらうためだ。

事前の打ち合わせでコンパニオン招致の意向を聞いた時

真面目組の女子は難色を示したが

蟹の静寂を恐れるモトジメの真意を聞いてシブシブ認めたのだった。


30代半ばから40代だろうか。

トルコブルーに梅、ラクダ色に牡丹、黒地に薔薇‥

当夜のコンパニオンは

旅芝居級のド派手な着物を着込んだ3人のお姉ちゃんたち。

着物のそら明るい色彩が、蟹を失った今は虚しい。


お姉ちゃんたちに払うギャラは、一人につき2時間で1万5千円。

ああ、惜しや。

この子たちにむしらせる蟹が無いとなると、なおさら惜しや。

が、しなびた我々女子に彼女らの代わりが務まるはずもなく

また、する気も無く、少なくとも私は

おっさん気分で楽しませてもらった。


宴会はモトジメが望んだ通り、盛会のうちにお開きとなった。

この後はモトジメの部屋に集まって飲む手はずになっていたが

私は部屋飲みが苦手。

ホテルのバーならともかく、持ち込みの酒を部屋で延々と飲むなんて

さもしくて嫌いだもんね。

私を除いた全員が部屋飲みに集まったが

蟹なし事件でくたびれたのもあり、一人で部屋に残る。


静寂に包まれた空間で手足を伸ばし、大の字になるこの気分!

ああ、こんな時は画家だか作家だかになりてえわ〜。

次回作の構想を練りますの‥な〜んて言って、素敵な宿に長逗留するのよん。

ホ〜ッホッホ‥などと思っていたら、眠ってしまった。


翌朝、城崎七湯と呼ばれる、名物の外湯に行くのを忘れていたことに気づくが

それどころではねえぞ。

朝風呂を楽しんだら、8時半の出発までに朝ごはんを食べなければ。


朝食はバイキング。

旅慣れない私が言うのもナンだけど、バイキングの列に並ぶ際

デブの後ろとおじんの前はできるだけ避ける。


男女に関わらず、デブは食べ物の前に立つたびに

いちいちゆっくり見回して迷ったあげく、皿に山ほどよそう。

後ろの者は、デブの気が済むまで気長に待つ運命となるが

出発までにあまり時間が無い時はストレスになる。


すでに旅慣れてきた老人と違って、おじんは

日頃トレーを持ってウロウロすることがないため

人とぶつかる危険性が高い。

学校給食のなごりなのか、無意識に列の間隔を詰めたがり

トレーを人の背後にピッタリ付けるので

必然的に前の人の動きを制限して危ないのだ。


さらに旅慣れない私が言うのもナンだけど

朝食の牛乳がおいしい宿は、多分いい宿だと思う。

この宿の牛乳は、おいしかった。


蟹が出ないアクシデントはあったものの、上品で素敵な宿だった。

去年、この宿に決まった時、年末に亡くなった同級生のみーちゃんが

いつもの優しい口調で私に言った。

「いい所よ‥」

彼女はここを訪れたことがあったのだ。

一緒に泊まろうねと約束し合った、 あの日が懐かしい。


大勢のスタッフに見送られて宿を出ると

バスは城崎温泉駅の近くにある蟹の直売所へ向かった。

ここでお土産を買うのだ。


バスが店を去る時、添乗員が驚いて言った。

「今まで何十回もここに来てますけど

店の人が全員、見送りに出たのは今回が初めてです。

皆さん、蟹をよっぽどたくさんお買い上げになったんですね!」

当たり前じゃ‥みんな本当は、蟹が食べたかったんじゃ‥。


その後、出石の散策をして、昼食に出石名物の皿そばと但馬牛を食し

帰途につく。

蟹のお詫びに、旅行社の社長のオゴリでビンゴゲームが行われ

当たった者は土産物のお菓子がもらえることになった。

私は温泉たまご饅頭というのをもらった。

無事に帰り着き、バスを降りる時は一人一人にソバの土産物が配られる。

社長、伝言ゲームで失敗したばっかりに大出費だ。


旅行が終わると、今度は町はずれのホテルで

“入り船”と呼ばれるシメの宴会。

ここで初めて蟹の足が一本、天ぷらになっていて

一同は大いに感激するのだった。


宴もたけなわとなった頃、けいちゃんの携帯に

お父さんが危篤という知らせが。

93才の長寿だが、骨折で入院中だった。

彼女は慌てて病院へ向かい、宴会もお開きとなる。


最後は危篤で締めくくられた、これが我々の旅であった。

今のところ、けいちゃんのお父さん死亡の知らせは

まだ入ってない。

《完》
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城崎旅情・3

2019年02月16日 09時25分38秒 | みりこんぐらし
蟹が最盛期の城崎へ行きながら

蟹の足1本、食べることができない。

モトジメと旅行社のやり取りが続く中で

次第に真相が明らかとなっていったが

この信じられない状況は、連絡の行き違いに端を発したようだ。


旅行先が城崎温泉と決まった昨年の春以来

モトジメは何度も主張していた。

「蟹ばっかりじゃあ、蟹をほじくるのに一生懸命になって

皆が静かになってしまうけん

他の料理も入れてもらうように頼むつもり」

幹事であれば、誰しも宴会を盛り上げたい。

一同はこの気持ちを汲み、モトジメの意見に賛成した。


行き先が決まると、今度は旅行社を決める。

モトジメの考えは、こうだ。

「同窓会のメンバーや配偶者には、旅行に関わる仕事をする者もいる。

その人に頼むと安いだろうし、幹事の自分は気楽だと思う。

しかし旅行関係者が複数いるため、誰か一人を選ぶと角が立つし

依頼された者は仕事の延長になって、心から楽しめない。

だから、全然関係ない所へ頼むつもり」


そこでモトジメが白羽の矢を立てたのは、隣の市にあるド田舎の小さな旅行社。

経営者が、モトジメの友人だったのが抜擢の理由である。

私はこの会社の名前を聞いた時、かすかな不安がよぎった。

以前、義父の会社に勤めていた人が、ここで観光バスの運転手になったので

多少の内情を知っているからだ。


そこは正確に言えば、純然たる旅行会社ではない。

駐車場を経営していた田舎の土地持ちが、観光バスの駐車を受け入れるうち

観光バスそのものや運転手、ガイドの手配をするようになり

その流れで数年前に観光部門を作った変わり種。

仕事は地域の老人会や部活の遠征など

比較的のどかな仕事が主流であることなどを聞いていた。


旅行を任せる側にとって、旅専門の会社でないことは不安材料である。

畑違いの新参者なので、業界で顔がきかないのは一目瞭然。

新しい会社であるからには、経験の浅い転職者で構成されているのも明白。

よって、一生に一度の還暦旅行を任せるのは

荷が重いのではないか‥私はそう思った。

しかし、すでにモトジメが決めたことなのでそのまま従った。


本格的にプランを立て始めた昨年7月、西日本豪雨が起きる。

豪雨以降、建築業を営むモトジメは多忙を極めた。

そのためモトジメの家に旅行のパンフレットを届けたり

電話や口頭で要望を聞いたりの庶連絡は

彼の友人である社長が引き受け

モトジメと話した社長が、観光部門に伝えるという体制が取られた。

モトジメは寝る暇も無いほど忙しかったので

心安い相手の方が気楽だろうからという社長の配慮である。


「蟹だけじゃなく、別の料理も入れて欲しい」

モトジメは、この要望も社長に電話で伝えた。

しかし社長の本業は駐車場経営なので、旅の方はシロウト。

この伝言はまず、駐車場部門の社員に口頭で伝えられ

その社員が観光部門に伝え、電話を受けた観光部門の事務員が旅行担当者に伝えた。

そして伝言は、どこかで変わった。

「蟹じゃなく、別の料理にして欲しい」


担当者はさすがにおかしいと思い、駐車場部門の社員を通じて社長に確認した。

「本当に『蟹づくし御膳』でなくて、いいんですか?」

『蟹づくし御膳』というのは、我々が泊まるホテルの名物料理だった。


この質問は社長からモトジメに伝えられ、モトジメは答えた。

「蟹づくしは困る。

蟹じゃない料理“も”お願いします」


伝言は再度、社員数名を経て担当者に伝えられた。

「蟹づくしは困る。

蟹じゃない料理“を”お願いします」

やはり伝言は、どこかで変わった。

こうして蟹の出ない料理という要望が、ホテル側に伝えられた。


蟹アレルギーの集団じゃあるまいし

冬場にこれ以外の物を食べたがる客などいない。

名物の『蟹づくし御膳』が嫌となれば、何か別の物を用意しなければ‥

ホテルは親切にも、そう考えた。

かくして蟹のシーズンに蟹の本場で

蟹を食べたくないというバチ当たりどものために

『蟹なし御膳』が特別に用意されたのであった。


午後6時半、一行は続々と宴会場に集まった。

まだ何も知らないみんな‥憐れだ。

一人一人の膳に置かれたお献立表をそっと見た。

はっきり『特別会席・蟹なし御膳』と書いてある。

頭がクラクラした。


蟹はそこら辺に山ほど売ってるんだから、買いに走って乗っけりゃいいじゃん‥

客の方は簡単にそう思うが、ホテルはそうはいかない。

格の高い所なら、なおさらだ。

料亭勤めの経験がある私は、どこの馬、いや、蟹の骨だかわからないものを

厨房に入れるわけにいかないのを知っている。

なまじ、ここに蟹を加えたら、お献立表からして作り直さなければならない。

蟹嫌いの集団のために作られた『蟹なし御膳』を食す以外

我々に道は無かった。


「ねえ、席順は決まってないの?」

仲良しの4人組を一緒の部屋にしてくれなければ参加しないと主張した

通称4人部屋のボス、ヨウコが私のところへ問いに来た。

彼女は高校まで同級生女子のリーダー格だったので

こういうことが気になるタイプ。

今にして思えば、彼女のそれはリーダーシップではなく

ワガママを通すための強気に過ぎなかったことがわかる。


「決めてないんよ、好きな所へどうぞ」

そう答えたら、ヨウコはさも名案のように言う。

「クジ引きにすりゃよかったのに」

バカタレが‥

てめえらが4人部屋だのと勝手なこと言うから

宴会も4人がかたまって座りたいだろうと思って

クジ引きはあえて避けてやったんじゃ‥

と言いたいが、楽しい席で言うわけにいかないので

「そうね」とだけ答えた。


勝手なヤツは生涯、勝手を通せばいい。

彼女たちと、もう二度と会うことはないのだ。

《続く》
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城崎旅情・2

2019年02月14日 09時45分22秒 | みりこんぐらし
「晩メシに蟹が出ん‥」

ため息混じりに言ったモトジメは、手にした紙を私に見せる。

宿から幹事に手渡される、予定確認表だ。


『お夕食のお献立』と書かれた欄には

お造り、海老と帆立の小鍋、但馬牛ミニステーキ、鰤大根‥

ズラズラと料理の名前が並んでいる。

が、目を皿のようにして何回見返しても『蟹』の文字は見当たらない‥

と思ったら、一つだけ発見。

蟹の字があったのは、料理のタイトルのところである。

『特別会席・蟹なし御膳』

チャラリ〜!


「ワシ、これ見てタマゲてのぅ。

旅行社に連絡して、追加料金を払うけん

何とかひとかけらでも蟹を付けてくれ‥いうて、宿に頼んでもろうたんよ。

じゃが連休じゃし満室じゃし、今からじゃ無理だとよ。

さっき支配人にも直接頼んだけど、やっぱりどうにもならんのじゃ」

「‥‥」


我々は確か、本場の蟹を食べるために6時間もバスに揺られ

はるばる城崎くんだりまでやって来たはずだった。

蟹どころへ行きながら、蟹が無い。

これは一種の悲劇と言えよう。


モトジメは、泣きそうな顔をしていた。

この日のため、一生懸命準備をしてきたというのに

一番大切な宴会の一番楽しみな食事でコケたのだ。

そりゃ泣きそうにもなろう。


「ハハハ!」

私は笑い、そして言った。

「良かった!私、蟹はさほど好きじゃないんよ」

「ホンマか?」

「ホンマ」

モトジメはホッとした表情になった。


私は好き嫌いがあまり無いので、もちろん蟹もおいしい。

けれども蟹に関しては、良い思い出が無い。

味覚的には好きだけど、精神的には好きでない相手‥

それが蟹。

私の言った“さほど好きじゃない”は、そんな複雑な思いを含んでいた。


というのも、夫の両親は無類の蟹好きで

元気な頃は冬になると

北海道や山陰へしょっちゅう蟹を食べに出かけていた。

彼らが蟹を食べに行くと、必ず電話をかけてくる。

我々がちゃんと家にいるかを確認するためだ。


ある冬、鬼の居ぬ間に‥とばかりに

家族で友達の家へ遊びに行ったことがある。

「昨晩、電話をかけたが留守だった」

翌朝、再びの電話で怒鳴られたのなんの。

帰ってからも「恥をかかされた」と言って、しばらくネチネチと怒られた。

どうしてこんなことになるかというと

彼らの蟹ツアーが、いつも親しい友人夫婦三組で行われるためだ。

嫁がかしづく様子を友人に披露したいのである。


「あ〜もしもし、変わったことは無いかね?」

「ちゃっと留守番せえよ!落ち度があったらこらえんど!」

ギャラリーの前で夫婦が代わる代わるかける電話は

普段にも増して横柄な口調。

それが何度かけても留守だったので

両親は友人の前で恥をかいたことになり、怒り心頭というわけだ。


以後、両親が蟹ツアーに行った時は外出を控えた。

彼らは相変わらず横柄な電話をかけてきたし

義父が私にきついことを言うと、周囲の友人がドッと笑うのも聞いてきた。


年配者の面倒くさい心理が、若かった私に理解できるはずもなく

「蟹を食べに行くと、うるさい」

いつもそう思い、人心を狂わせる蟹という生き物を憎んだ。

年を取ってみると、何のことはない‥

蟹が人心を狂わせたのではなく、両親が狂っていただけだ。

ちなみに、蟹の土産が戻ったことは一度も無い。


義父が病床にあった時も蟹を欲しがったので、しょっちゅう買っていた。

義父も蟹ツアーのメンバーも亡くなったが

今は義母のために蟹を買っている。

私の住む田舎町は魚屋さんの活動が盛んなので

ズワイ蟹やワタリ蟹が入手しやすい。

週に2回家に来るため、頼めば手配してくれる。

家族全員が好物というわけではないので、金額的にたいしたことはない。


高度成長期からバブル期にかけて、我が世の春を堪能した年寄りは

この辺の言葉で言うと“口がおごっている”。

年金暮らしになっても、おごり高ぶった口はどうしようもない。

薬物が切れた中毒患者に、再び薬物を与えて黙らせるように

家庭平和の必須アイテムとして蟹を活用している。


だから私にとって蟹は見飽きた生き物であり

あまり喜ばしい食品とは言えない。

ましてや留守をしてこっぴどく怒られたのは

両親が城崎温泉に泊まった時であった。

私は知らなかったのだが、今回の旅行にあたり

義母が城崎の思い出をつらつらと話して判明した。

当時、罪の無い蟹を恨んだ私は、その城崎に来ている。

ここで蟹無しの憂き目に会うとは、想像もつかないことであった。


話は戻って、私は小学校と高校で遭遇した

呪われし旅の歴史をモトジメに聞かせた。

これは今回の旅行に集まった総勢38人のうち、32人が体験している。

しかしモトジメは小学校の修学旅行をほとんど覚えておらず

高校は別の所へ行った。

だから参加者の大半が「今度もまた何かあるかも‥」と密かに恐れつつ

また一方で「何か無ければうちらの旅行じゃない」という

あきらめに似た心情でいることを知らない。


何かあるというより、蟹が無かった‥

それは不幸中の幸いであり、良い厄落としになったのではないか。

「多分、文句は出ないと思うし、出た場合は私に任せて」

そう言ったら、モトジメはいちだんと安らかな表情になった。


後でモトジメから詳しい話を聞いた。

簡潔に言えば、旅行社の連絡ミス。

それは、いくつかの偶然が重なって起きたものであった。

《続く》
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城崎旅情

2019年02月12日 13時05分03秒 | みりこんぐらし
2月9日、兵庫県は城崎温泉へ

同窓会の還暦旅行に出かけた。

真冬の城崎といえば蟹。

一泊して蟹を食すツアーである。


同窓会のメンバーはこの旅行のために

一昨年より準備を進めてきた。

私たちの生まれた町で、還暦旅行は特別な意味を持つ。

八幡神社の氏子として還暦の神事に関わり

そのフィナーレを飾るのが旅行だからである。


旅行直前の5日にも、町の厄年代表が参加して神事が行われた。

今年40才、60才、77才になる人たちが数人ずつ

あとは総代と世話人だ。

会長や副会長と共に、私も還暦代表として参加した。

この時はそれぞれの年代が、熨斗に奉献と書いた清酒を供え

10万円の寄付をする。

旅行もそうだけど、このように所々で現金が必要になるため

町で活動する各同窓会は、早くから年会費を集めて積み立てるのだ。



さて、指折り数えていた当日がやってきた。

男子19名、女子19名、総勢38名が

午前9時、八幡神社に集合してお祓いを受ける。


お祓いのドレスコードが結婚式ランクの正装ということなので

着物か洋服か、前日まで友人と話し合い、迷っていた。

しかし朝起きたら雨が降っていたので、あきらめがついて洋服にした。

写真は、その時のスーツ。

ゴテゴテしているので、なかなか着るチャンスが無かったが

この際と思って登板させた。


お祓いでは、女子の代表として玉串奉奠の栄誉を賜る。

お祓いが終わると、神主さんと一緒に集合写真を撮影。

この写真は何十年も神社の本殿に飾られて、町の人々に眺められるのだ。

その日、私たちも歴代の写真をしげしげと見て

何やかんや言ったが、来年からは言われる番だ。


撮影が終わるとひとまず解散し、旅行着に着替えてバスに乗り込む。

マミちゃんが自身の経営する店を解放してくれたので

多くの女子はそこで着替え、観光バスの待つ駅へ向かった。


いよいよ楽しい旅の始まりだ。

ヒャッホー!

が、油断は禁物。

我々同級生一同には、一つの呪縛が存在するからである。


小学校の修学旅行では、先生が日にちを間違えていて

待てど暮らせど迎えのバスが来ず、四国への修学旅行は翌日になった。

高校の修学旅行では箱根のヘアピンカーブで

レッカー車が突っ込んできて交通事故。

我々、旅とは相性が悪いのだ。

アクシデントが起きないよう、一同は祈るばかりだった。


10時半に出発し、途中の姫路駅で

関東方面からの参加者をピックアップ。

約6時間後、バスは薄暮の城崎温泉へ到着した。


通りに小学校があるからかもしれないが

細い川を挟んでぎっしりと立ち並ぶ宿や店は、色彩を抑えた地味な印象。

その控えめなたたずまいが、しっとりと上品な雰囲気をかもし出している。

石造りの小橋や灯篭も歴史を感じさせ、古き良き名湯への期待が高まる。


城崎の天気は地元と同じく、あいにくの雨。

けれども宿の傘をさし、そぞろ歩きを楽しむ人々の姿は

なかなか風情がある。

旅慣れない私が言うのはおこがましいが

雨の似合う温泉は多分、良い温泉だと思う。


我々の宿は、そこそこ格が高いと言われる大きなホテルだ。

その格というやつは、居並ぶ女性スタッフの美貌や身なり

立ち居振る舞いに現れている。


今回の旅行の出欠を取った時

仲良しだけで一つの部屋に泊まりたいと希望した4人組がいた。

通称モトジメと呼ばれる会長は、激怒したものだ。

「そんな勝手は許さん!全員くじ引きにしちゃる!」


しかし、4人部屋の件を聞いた他の女子が言い出した。

「私も誰それちゃんと二人一緒の部屋がいいな〜」

それを聞いた、また別の仲良しさんたちが言い出す。

「せっかくだから私たちも」

同室希望は感染していき、収拾がつかなくなった。

「もう、好きにせえ!」

モトジメはあきらめ、それぞれの希望を通してやることに決めた。

何も望まなかった者だけがくじ引きをして、5人ずつに分けられる。

私を含む望まなかった者は、誰とでも楽しく過ごせる者ばかりなので

何ら問題は無かった。


案内された部屋は和風で、5人には広すぎるほどだった。

だだっ広いだけではなく、控えの間や化粧部屋など三室に分かれており

それぞれ工夫を凝らした細やかなしつらえ。

大きな窓の前には、山木立が広がる。

目の前に木しか無いのは、開放感があって落ち着く。

良い部屋だ。


さて、宴会までに風呂、風呂!

我々は浴衣と丹前に着替え、廊下へ出た。

「お風呂から上がったら、蟹よ!」

「楽しみ〜!」

「いっぱい食べた〜い!」

「おやつも我慢して、お腹減らしたもんね!」

「蟹、蟹〜!」

そう言いながらエレベーターの前まで来た。


と、そこにモトジメが、一人たたずんでいる。

顔色が良くない‥というか、悪い。


「モトジメ〜!お風呂行かないの〜?」

「う‥ん」

何だか言いにくいことがあるみたい。

この男とは幼稚園からの付き合いで、ヤマハ音楽教室も一緒だった。

中学では、ブラスバンドの部長と副部長をしたツーカーの仲。

その彼が何か言いたげなのを察した私は

他の4人を先に浴場へ行かせて人払いをし、その場に残った。


誰もいなくなったところで、モトジメは切り出した。

「あのなぁ‥晩メシに蟹が出んのじゃ‥」

「‥‥」

《続く》
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観察オバン・3

2019年02月08日 22時08分17秒 | みりこんぐらし
シオッペの告白を聞いた数日後、A生命の東京本社から

調査チームの人がうちへ来るという連絡があった。

訪問の目的は、聴き取り調査。

加えて加入した二つの保険証書の確認。

そして最も重要なのは、うちで保管している“秘書”の名刺を

証拠品として入手することらしい。

他の加入者は皆、その名刺をもらってないか

あるいは捨ててしまって残ってないそうだ。


11月の終わり、調査チームの来る日がやってきた。

長男が会う予定だったが、急な仕事ができてしまい

私が応対することになった。

緊張の二文字とは縁遠い私も、この日は少々緊張気味。

だって、はるばる東京は千代田区から知らない人が来るのよ。

かた苦しい中高年男性じゃないの〜?

何人もゾロゾロ来たら、どうしよう‥

話題が楽しいものじゃないだけに

この時ばかりはコイズミ君を軽く恨んだ。


はたして約束の午後2時、チャイムは鳴った。

「こんにちは〜」

意外にも、明るい女性の声。

玄関に出てみると、そこには浅野ゆう子が‥

いや、浅野ゆう子みたいな女の人が微笑んでいる。

女性、それも一人なのでホッとした。


40才過ぎだろうか、背がスラリと高く、頭が小さく

顔の部品も肌も、全てが美しい。

ほんのかすかなコロンの香りにも、うっとり。


特に素晴らしいのは、そのファッション。

仕立ての良い濃紺のスーツで、膝丈のスカートからは

巻いたカレンダーぐらいの細く長い足がのぞく。

ストッキングはもちろん、ナチュラルカラー。


ロングヘアを後ろで一つに結び、露出した耳には

直径1センチ余りのアクアマリンらしきピアスがユラユラ

胸元にも同じ石がユラユラしている。

アクアマリンは、どちらかといえば夏向けの石だけど

ここではスーツのインナーの色合わせとして使われているようだ。

そのインナーはシルクの光沢が優雅な、シンプルで柔らかいもの。

ピアスと同じ、淡い水色だ。


靴は、大判のビジネスバッグと同じく深い茶色。

長身者にのみ許された、カカトの高いハイヒールだが

女っぽいデザインではない。

履き込みが深く、ヒールが少し太めのビジネスライクなもの。

メーカーは確認できなかったが、靴が「上質です!」と言っている。

こういう靴は、足を入れたらシュパッと音がするはずだ。


両手の爪は、ネイルサロン製。

長過ぎず、さりとて短くもなく

ピンクとベージュの中間色で、上品な仕上がりである。


アクセサリーやインナー、靴やバッグといった小物で

堅いスーツに女らしさを加味したコーディネートは

見事としか言いようがない。

これが本当の、仕事ができる女性のファッションよ。

わかったか!秘書もどき。


名刺を出して挨拶を済ませると、その東京美人は言った。

「この度は弊社のコイズミがご迷惑をおかけ致しまして

誠に申し訳ございません」

「いえいえ、迷惑なんて思っていませんよ。

こういうことでも起きなければ

東京からこんなに綺麗な方が来てくださるなんてこと

ありませんもの!」

彼女の全てが目の保養であり

それが田舎のオバンにとってどんなに嬉しいかを

私は力説するのだった。

「年齢が高まると、褒められることが無くなりましたので

とても嬉しいです」

東京美人は恥ずかしそうに笑った。


その東京美人が言うには

「弊社では、社員が秘書を持つことを認めていません。

保険業に携わる者として一番いけないことは

身分を偽ることなんです」

だそう。

だから身分を偽った上、二社抱き合わせで販売し

顧客をあざむいたコイズミ君たちの行いを

許すわけにはいかないのだそうだ。


夫と長男の契約書、それに秘書の名刺を手渡したら

東京美人は高級ビジネスバッグから分厚いファイルを取り出し

そこへ大事そうに入れた。

ファイルには、調べ上げたことがズラズラと書いてあるようだった。


東京美人は昨日、コイズミ君たちとも面談したそうだ。

その内容は話さないが、彼女はかなり怒っている様子。

大物政治家然としたコイズミ君のことだから

多分悪びれもせず、ふてぶてしかったのだろう。


東京美人はこの後、彼が秘書を連れて勧誘した家を

あと二軒回って今日中に東京へ帰るそう。

コイズミ君の措置や訴訟の有無など

今後のことは東京に帰ってから検討すると言って

粗品の高級ボールペンをくれ、運転手付きの車で去って行った。


12月に入り、東京美人に渡した契約書が返還され

彼女の短い手紙が添えられていた。

それからしばらくして、A生命から葉書が届く。

「弊社の社員コイズミは、12月10日をもちまして退職致しました。

今後のことは支社の誰それが担当致します‥」

みたいな文面。

解雇か自主退職かは不明。

長男の同級生シオッペの話では、顧客の取り合いで秘書もどきと揉め

コイズミ君と彼女は別れたという。


そして今年の1月、コイズミ君から葉書が届く。

お詫びの言葉でも印刷してあるのかと思ったら、違っていた。

「このたび、総合保険会社◯◯を設立致しました。

お客様のお役に立てますよう社員一同、頑張る所存でございます。

何卒よろしくお願い申し上げます」

目まいがしそうだった。

《完》
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観察オバン・2

2019年02月07日 08時48分38秒 | みりこんぐらし
その後、コイズミ君と秘書は保険に加入した夫と長男の用事で

日を置かずに2〜3度来た。

その都度、応接間で親しく話し込んだが、私への勧誘は無かった。

最初に来た時は熱心に勧めておきながら

今度は全く触れないとなると、何やら不思議な気がしたが

諦めの早い子だと思い、こちらからは何も言わなかった。


そうしている間、コイズミ君は周りの同級生に声をかけて親睦会を開いた。

発案から開催まで2日という電光石火に、長男は驚きながらも喜んで出かけた。

町内の居酒屋には20人ほどが集まり、楽しい時間を過ごしたという。

「さすがはコイズミ」

長男は、コイズミ君の行動力に感心しきりであった。


数日後、夫と長男あてに保険の契約書が届いた。

この時、初めて知ったのだが

ドル保険の方は外資系のA生命、掛け捨て保険の方は国産のB生命。

それぞれ違う生保会社の保険だった。


私は昔、損害保険の事務をしていたので

同じ人間が別々の会社の保険を勧めることが

職業倫理に反する行為なのは何となくわかる。

一方、加入者の方は、感じが悪いという感情の問題だけで

実質的な被害は見当たらない。

それが、この行為の特徴だった。


長男はコイズミ君を信じきっていたし、夫は老眼だ。

コイズミ君たちは、社名をうまく隠してサインさせたのだろう。

夫と長男の契約書が届くまでが勝負なので

私にはピタリと勧誘しなくなったと思われた。


「同級生じゃ思うて入ったのに、バカにされとったんじゃ‥」

長男は言った。

息子の同級生だと思って入った夫は、もっとバカにされていたと言えよう。


長男の話によると、コイズミ君の呼びかけで親睦会に集まった同級生も

大半が近日中に彼の保険に入ったそうだ。

あれが親睦会ではなく、コイズミ君の集客手段と知った長男は

腹を立てたり、がっかりしたり、忙しそうだった。

解約すると言い出したが、保険自体は長男に必要と思われたので

我慢して様子を見るように勧めた。



そのまま、1年余りが経過した。

コイズミ君はあれ以来、一度も来ない。

「入ったら知らん顔‥やっぱりコイズミはそういうヤツじゃった」

長男は時折、思い出したようにブツクサ言った。


そして秋も深まった頃、夫と長男にそれぞれ封書が届いた。

ドル保険のA生命からだ。

「弊社の営業の仕事内容について、お客様にアンケートを実施するから

電話があったら答えてね」

そんな趣旨の短い文面。

「たまにアンケートを取る習慣の会社かもね」

我々はそう話し合ったが、その封書があまりにも簡素でそっけないため

大規模なイベントでないことは察知した。


ゴタゴタは、翌日から始まる。

長男がぷりぷり怒って帰宅した。

「コイズミのヤツ、怪しい!」

「何が」

「ずっと音沙汰なしじゃったのに、急に電話してきて

“アンケートの電話が来たら、全部いいえと答えて”

言うたか思うたら、すぐブチッと切りやがった!」


さらにその翌日、長男の携帯にA生命から電話があった。

「質問は、いいえで答えられるような内容じゃなかった。

アンケートじゃなくて、コイズミについての調査じゃった」

A生命はコイズミ君の行った二社抱き合わせ商法を問題視していて

内部調査の専任チームが動いているそうだ。

長男は、ありのままを答えたという。


こうなると、コイズミ君の保険に加入した同級生たちも騒ぎ始めた。

彼らの所にも、封書や連絡が届いたからだ。

その中の一人に、シオッぺと呼ばれる男の子がいる。

コイズミ君とは大人になってからも交流していたため

この件に関して情報通だった。


シオッペの話によると、コイズミ君は大学院卒業後、税理士になった。

東京の大きな事務所で働いていたが、そこで何か悪いことをして退職し

その時に離婚したという。

数年前にこちらへ戻り、掛け捨て保険の方のB生命に

営業として再就職したそうだ。


B社で出会ったのが、例の秘書もどき。

彼女も同じく営業職だ。

この女の子には家庭があるため、不倫ということになる。

社内不倫が知られるところとなると、コイズミ君はB社を辞め

ドル保険の方のA社へと転職した。


A社に移ったコイズミ君と、B社に勤続中の彼女は

組んで活動するようになった。

互いの顧客を紹介し合ううちに、A社の貯蓄型ドル保険と

B社の掛け捨て入院保険の抱き合わせ販売を思いついて

彼女に秘書を装わせ、やってみたらうまくいった‥というのが真相らしい。


だからコイズミ君は、ドル保険のみを望んだ私に難色を示したのだ。

片割れだけが顧客を得るのは、彼らペアのルールに反するのだろう。

でっぷりと肥えて大物政治家のようなコイズミ君だが

邪恋にふける男は、えてして青いものだ。

青い男ならうちにも一人いるので、よくわかる。

大切にすべき対象や、スジを通すべきポイントが

一般とはズレているのだ。


シオッペとコイズミ君は、確かに友達だった。

けれども親睦会があってから間もなく

コイズミ君と秘書はシオッペの勤務先の社長に保険の勧誘を行った。

シオッペはそのことを全く知らず、後で社長から聞かされた。

社長の話ではシオッペの紹介ということになっていたため

彼は怒っていた。

そして今回、コイズミ君の内部調査が始まったので

全てを長男に暴露したのだった。


シオッペが言うには、福岡在住の同級生ポンちゃんは

すでに早い時期からコイズミ君の手先として

取り込まれているそうだ。

10年ぶりにうちへ来て、コイズミ君がいかに素晴らしいかを宣伝したのは

前座としての仕事であった。


これらの話を長男から聞かされた私は、はは‥と笑うしかなかった。

無邪気で可愛かったあの子たちも、今や40前の中年男。

悪さを考えついてもおかしくない。

頭のいい子であれば、なおさらだ。

変に頭がいいと、人がバカに見える。

バカには何をしてもいいと思えてくるものだ。

「せっかくいい頭があるのに、こういうことに使っちゃもったいない」

いい頭を持っていない長男と私は、そう話し合うのだった。

《続く》
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観察オバン

2019年02月05日 16時19分46秒 | みりこんぐらし
商工会が、毎月発行している会報がある。

地元の衰退を表しているかのごとく、年々薄くなっているが

見知った顔や名前が登場するので、いつも丹念に見る。

その新規会員のコーナーで、長男の同級生

コイズミ君の写真を発見したのは一昨年のこと。

丸い顔とがっしりした体つきは、子供の頃とちっとも変わらない。

とても懐かしかった。


記載された自己紹介によると

彼は広島市内にある外資系生保会社で働いているそうだ。

自営業者だけでなく、雇用されている営業マンが

顧客拡大のために商工会へ入会するのは、今どき珍しいことではない。

コイズミ君もその一人のようだ。


が、彼は教師の子供で頭脳明晰。

国立大を経て、国立大学院へ進んだと聞いていた。

幼児の頃から落ち着き払ったおじさんみたいな子だったので

将来は何かの先生か、政治家になると思っていたため

生保の勧誘という職種は意外に思えた。



次に彼の噂を聞いたのは、同じく一昨年のお盆。

やはり長男の同級生、ポンちゃんからだ。

彼は近所の子で、長男と仲が良かった。

長いこと、博多でフリーターをしている。


そのポンちゃんが10年ぶりに帰省し、うちへ来て言った。

「コイズミは、保険の勧誘で大成功しとるんよ。

ポルシェにクルーザーに、秘書まで持っとるんじゃけん!」

ポンちゃんは、コイズミ君がいかに仕事ができるか

彼の販売する保険がいかに素晴らしいかを力説し、帰って行った。


コイズミ君本人がうちへやって来たのは、それから数日後。

ポンちゃんから長男の携帯番号を聞いて、連絡を取ったらしい。


コイズミ君は一緒に来た綺麗な女性を

「秘書です」と紹介した。

「これが噂の秘書か‥」

私は感無量であった。

小さい頃から知っている子が、秘書を連れ歩く身分に出世したのだ。

嬉しいではないか。

30才前後の女性は「秘書です」と名乗り

肩書きの所に“秘書”と二文字だけ印刷された名刺を差し出した。


長男はコイズミ君の保険に入ることを決めていたらしく

その場で契約した。

一つは貯蓄型のドル保険、もう一つは安い掛け捨ての入院保険。

コイズミ君イチオシの商品だそうで、ポンちゃんが加入したのと同じやつだ。


60才でも入れると言われ、ちょうどうちにいた夫も

長男と同じ二つの保険に加入。

美人秘書にポ〜ッとなったのかもしれない。

年齢的にもう増やせないと思っていたので、幸運を感じた。


私も勧められたが、その日は入らなかった。

掛け捨てはけっこう、ドル保険だけなら考えてもいいと言ったら

コイズミ君の表情に、かすかな困惑の色が見えたからだ。

彼らにとっては、二種類セットの方が好都合らしい。

そうはいくか。


それに私は、秘書に不自然を感じていた。

礼儀正しくて話しやすく、感じのいい女の子だけど

オバはんの目は誤魔化せまへんで。

所属する会社名を表記しない秘書の名刺なんて、見たことあらへんで。


それに彼らが玄関へ入る時、私はコイズミ君の手がほんの一瞬

秘書の背中に添えられたのを目撃していた。

上司と部下ではなく、男女の関係を感じていたのだ。

コイズミ君は自分のことをバツイチだと言ったが

独り身かつ裕福らしき男性が、こんな美人と一日中一緒にいて

何も無いわけがない。

カノジョを秘書にしたのか、秘書がカノジョになったのかは不明。


自分に甘く人に厳しいオバンの観察は、その時から始まった。

黒地に細いピンストライプのパンツスーツは

彼女の細い身体によく似合っていたが、堅すぎる。

仮にも秘書と名乗る女性であれば

ボスが黒っぽいスーツと決まっているのだから

スカートにするなり、どこかで柔らかさを出すなりの配慮が必要だ。

化粧がケバいのも手伝って、ヤンママの参観日という印象は否めない。


自分はイモなのに人の格好にうるさいオバンの

ファッションチェックはなおも続く。

靴は黒のハイヒール。

服が黒だから靴も黒とは、やはり堅い。

若いから、他の色や素材は思いつくまい。

卑弥呼の新しいものなので、及第点。


が、スリッパに履き替える時に見えた足先は、黒の網タイツだった。

パンツスタイルなのでほとんど見えないとはいえ、秘書に網タイツはあり得ない。

若い女性秘書に望まれる、清楚とは遠のくからだ。

網タイツはストッキングと違って丈夫なため、節約になる。

ひょっとして家庭があるのか?と思っていたら

後で、小学生の男の子が一人いると話した。


この秘書とやらは、本当にいい子なんだけど

それで疑惑が解消されるわけではなかった。

全体的に見て、仕事のできる女性を装ってみたという印象がぬぐえない。

もしも私の持った印象が正しければ

我々は息子の同級生とその秘書に保険を勧められている客じゃない。

仕事とデートを同時に行う、欲張り二人組のカモである。

そんなに急いで、小僧どもの思惑通りになってやることはないわい‥。


けれども残念ながら、疑惑は早々に深みを増した。

彼らが帰る時、門まで見送りに出た時のことである。

コイズミ君が当然のように運転席に座り

秘書もまた、当然のように助手席へと乗り込んだ。

無言で車の左右へパッと分かれる体制は、夫婦そのもの。


車は走り出した。

すっかり仲良くなった秘書と私は、笑顔で手を振り合う。

「このババアもじきに落ちる」

向こうがそう思ったかどうかは知らない。

オバンはこう思いながら手を振った。

「私だったら、運転しない秘書なんかいらんわ」

《続く》
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