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森羅万象 ~ 歩く印象派

雪崩のとき

2005年10月21日 18時04分09秒 | 館林ロストと愉快な仲間たち
雪崩のとき (石垣りん)

人は
その時が来たのだ、という

雪崩のおこるのは
雪崩の季節がきたため、と。

武装を捨てた頃の
あの永世の誓いや心の平静
世界の国々の権力や争いをそとにした
つつましい民族の冬ごもりは
色々な不自由があっても
またよいものであった。

平和
永遠の平和
平和一色の銀世界
そうだ、平和という言葉が
この狭くなった日本の国土に
粉雪のように舞い
どっさり降り積もっていた。

私は破れた靴下を繕い
編み物などしながら時々手を休め
外を眺めたものだ
そして ほっ、とする
ここにはもう爆弾の炸裂も火の色もない
世界に覇を競う国に住むより
この方が私の生き方に合っている
と考えたりした。

それも過ぎてみれば束の間で
まだととのえた焚木もきれぬまに
人はざわめき出し
その時が来た、という
季節にはさからえないのだ、と。

雪はとうに降りやんでしまった。

降り積もった雪の下には
もうちいさく 野心や、いつわりや
欲望の芽がかくされていて
”すべてがそうなってきたのだから
仕方がない”というひとつの言葉が
遠い嶺のあたりでころげ出すと
もう他の雪をさそって
しかたがない、しかたがない
しかたがない
と、落ちてくる。

嗚呼、あの雪崩、
あの言葉の
だんだん勢いづき
次第に拡がってくるのが
それが近づいてくるのが

私にはきこえる
私にはきこえる。


 天国にいる石垣りんさんが今の事態(5度目の首相靖国参拝や改憲の動き)を見たらどう思うであろうか?

今年1月末に行われたあかんべ山で詩人石垣りんさんを追悼するコーナーが設けられ、S田さん、SEさん二人の女性による石垣さんの詩の朗読が行われた。実はひょんなことからコンサートの一週間前に行われた打合せ兼朗読のリハーサルみたいなところに顔を出した覚えがある。
 公民館の一室にあかんべ山担当者とお二人だけというあっさりとした集まりだったが、本番さながらに読まれる詩も丁寧に選択されていて読む順番もきちんと決められていた。お二人の意気込みが伝わってきた。傍らで謹聴させていただくことにした。。

 実感したのは、詩というものは目で(文字を)読むものではないということ、音になってしばし空間を漂い、それから耳に入ってじわりじわりと心にしみいっていくものなんだなということ。読み手が詩を解する人たちだとこうも違うものかとも思った。声に出して、噛みしめるようにじっくりと味わうのだ。

 北風の吹く寒い夜だったが、暖房の効いた室内はホットな雰囲気に包まれていた。あかんべ山スタッフよりケーキとコーヒーの差し入れなどもあった。S田さんは予定外の私にも持参のポットからそっとコーヒーを紙コップに分けてくれた。 また、あのお二人とあかんべ山2006でお会いできたらいいなあ。


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