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井伏鱒二 晩年の手紙見つかる 原発告発 掲載へ尽力

2011年06月01日 14時55分57秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2011年6月1日 13時55分東京新聞

井伏鱒二が戦友だった元新聞記者に宛てた手紙とはがき

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 広島原爆の悲劇を描いた小説「黒い雨」で知られる作家井伏鱒二(1898~1993年)が、戦友の元新聞記者に宛てた晩年の書簡50通が、金沢市 内の元記者の遺族方で見つかった。元記者は原発に勤務した長男を舌がんで失い、原発の危険性を告発する手記を書いて井伏に託したが、その雑誌掲載に尽力し た経緯が含まれている。原発に懐疑の目を向けていた井伏を知る資料になりそうだ。 (松岡等)

 一九七七(昭和五十二)年八月~八八年十二 月の手紙十八通とはがき三十二通。元記者は国民新聞(東京新聞の前身)から、後に北日本新聞(富山市)の編集局長などを務めた松本直治さん(一九九五年、 八十三歳で死去)。井伏は松本さんや作家海音寺潮五郎らとともに陸軍徴用の報道班員としてマレー半島に派遣され、戦後も交流が続いた。

 手 紙のやりとりは、松本さんの長男が舌がんで死亡したのがきっかけ。長男は北陸電力の社員で、出向先の東海、敦賀両原発で安全管理業務についていた。被ばく が原因ではないかとして、原発の危険性を告発する手記を書いた松本さんが、発表できないか井伏に相談、原稿を託した。

 手記は七八年十一月発行の総合誌「潮」に、作家の野間宏責任編集の企画「原子力発電の死角」の一編として掲載された。井伏は手記に序文「無常の風」を寄せ、「原子力開発は両刃(もろは)の剣」「放射能と書いて『無常の風』とルビを振りたい」と記した。

  手紙やはがきには、預かった原稿を雑誌編集者に取り次ぎ、掲載されるまでの経過や、松本さんの求めに応じて序文を書くまでのやりとりが記され、掲載に当 たっては「反響が行き渡ればよいのですが。改めて御子息の冥福を祈ります」(七八年十月五日付)と率直な思いを伝えている。

 松本さんの文章を数多く引用した随筆「原発事故のこと」を、自選集に収録する了解を求めるくだりもあり、井伏の原発への思い入れをうかがわせる。

  また当時、徴用中の回想を執筆中だった井伏は手紙で、資料を送ってもらうよう松本さんに依頼。そのやりとりの中で、戦時中に皇居への敬礼を軍が強要した 「東方遥拝(ようはい)」を悲哀を込めて小説「遥拝隊長」に描いた井伏が、モデルの上官について触れ「生涯忘れられないでせう」と記した。

 島根大の学会誌「島大国文」に手紙を公表した国学院大の上田正行教授は「手記掲載に協力したのは、作家としての責任感と戦友への友情からだったことがうかがえる。徴用中の上官についての記述を含め、井伏文学を読む上で重要な資料」と話している。

(東京新聞)



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