思えば・・・

2005-11-30 11:05:54 | 家族
高校を卒業してから仙台の短大に行き、それから親元を離れている訳で母の更年期というものを、目の当たりにしていない。
専業主婦の母は、そのほとんどを手のかかる父と私達子供の為に生きたと思う。
それなりに、いろいろあったのかも知れない。でも、根っからの楽天家で朗らかだったのでマイナス要素が記憶がない。

今の時代と違うとはいえ古くて新しい女の生き方。
責任のある立場になってとんでもなく忙しくなりのん気に家でご飯を食べる事もままならなくなった父と、自宅を出て独立したり大学生だったりして子供もいない。
「今日も元気で留守がいい」というの通り越して一人でご飯を食べてもおいしくない・・と言っていたのを思い出した。

その時の私と言えば、二人の幼児をかかえて、てんてこ舞いの時だった。
それからしばらくして、母の体調がおかしくなって病院へ。
近所の内科医が「引越しでお疲れなんでしょう」と胃薬をくれたらしい。

しかし、一向に回復せず母は自分で総合病院へと行く事になった。
丁度父が転勤になり、生まれた場所から一度として出た事がない母が「引越し」というものをしていた。


52歳3ヶ月

2005-11-29 11:35:35 | 始まり・・・
52歳と3ヶ月。
私も来年その時を迎える。多分・・・。母が癌で死んだ歳である。
今、その時の母の年代になりやはり私と同じように漠然とした体と精神の「あせり」とかを感じていたのかなぁなんて考える。

母の歳を越す事が私の当面の「目標」人が聞いたら馬鹿げていると思うかも知れない。
しかし、祖母はもっと早く38歳で亡くなっている。
短命の家系?かもしれない。
主人の為にも主人より長く生きなくてはいけないと思っている。
父があまりにも寂しくて・・・
義妹に「私ももうすぐ52になるけどそこまでには生きないとね」って真顔で言ったら「あら、お義姉さんもそんな事言って。○郎さんもそんな事言ってますよ。俺は52まで生きるかどうかって」困った姉弟だ。

それだけ、悲しかった。