29 日米関係 -145-
ⅹ 大東亜(太平洋)戦争 1941-1945 -53-
⑸国内の状況 ②朝鮮・台湾(国内における「外地」)
※終戦時の「外地からの引き揚げ、および、朝鮮への帰還」については既述 → <182・183・184・185・186・187・188・189・190>
■まとめと考察 2/n ~「徴兵」「徴用」~
4 「徴兵」の描き方
※「志願制度」は1937年(頃)から実施されて、かなりの応募者がいたようだ。また、「(強制的な)徴兵制度」は1945年1月から実施され、訓練だけで終わっているようだが、同時期の「徴用」と同じく、強制なので、育鵬社のような「苦しみをしいることに…」という表現は妥当と思われる。
ただし、学び舎の、志願・徴兵の計で、「…軍人20万人以上、軍属約15万人…」という数字の根拠は不明。
<参考 ウィキペディア:「朝鮮人日本兵」より>
「軍人軍属の内訳 日本の厚生労働省(1990年、1993年返還名簿・当時厚生省)の統計によれば、朝鮮人の軍人軍属は24万2,341人であり、そのうち2万2,182人が第二次世界大戦で死亡または不明となり帰国していない。
各地域別人員と死者等 |
|||||
地域 |
分類 |
動員 |
復員 |
不明又は |
不明又は |
朝鮮 |
全体 |
242,341人 |
240,159人 |
22,182人 |
9.2% |
軍人 |
116,294人 |
110,116人 |
6,178人 |
5.3% |
|
軍属 |
126,047人 |
110,043人 |
16,004人 |
12.7% |
|
台湾 |
全体 |
207,183人 |
176,879人 |
30,304人 |
14.6% |
軍人 |
80,433人 |
78,287人 |
2,146人 |
2.7% |
|
軍属 |
126,750人 |
98,590人 |
28,160人 |
22.2% |
|
日本本土 |
全体 |
7,814,000人 |
5,514,000人 |
2,300,000人 |
29.4% |
~以上引用~
5 「徴用」の描き方
※これについては、問題が複雑で、かつ、日韓間や、根拠とすべき《学者間の主張》などに大きな差異や対立がある。したがって、まずは、この場で、多量の引用をして、「認識」「知識」の状況を把握したい。
<ウィキペディア:「日本統治時代の朝鮮人徴用」より>
・「日本統治時代の朝鮮人徴用は、第二次世界大戦中に日本(大日本帝国)が日本統治時代の朝鮮において朝鮮人労務者を1944年9月から労務動員したこと。日本国籍を持っていた朝鮮系日本人だった当時に、戦時中の朝鮮人に対する動員(労務動員)や徴用を「強制連行」と表現することには議論がある。戦中の労務動員について朝鮮人労働者移入ともいわれる。
戦後、戦時の朝鮮人徴用は歴史認識問題・歴史教科書問題、戦後補償問題として取り上げられてきた。」
・「概念・定義 日本が動員・徴用、または斡旋した際に、集め方が強制的であったとして「強制連行」と呼ばれ始めたとされている。しかし、この「強制連行」という言葉には疑義が出されており、在日朝鮮人運動史研究家の金英達は、「定義が確立しておらず、ひとによってまちまちな受け止め方がなされている」「もともと、強制連行とは、『強制的に連行された』という記述的な用語である。そして、強制や連行は、実質概念であり、程度概念である。その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある」と指摘している。」
・「戦時動員・労務動員との関連 金英達は、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の大日本帝国政府が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉となっていると指摘している。金は、戦時中の朝鮮人の強制動員については「戦時動員」を使い、そのなかの具体的な暴力的なケースを「強制連行」とすることを提案している。
また、鄭大均も朝鮮人の労務動員を「強制連行」と呼ぶのは、「日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎている」として、当時の朝鮮人は大日本帝国の国民であり、日本人男性が戦場に送られていたのを代替するものとして朝鮮人の労務動員があったとしている。
これらのほか、山田昭次立教大学名誉教授は1980年代には「朝鮮人強制連行」と論文で記していたが、2005年の共著『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店)で「朝鮮人戦時労働動員」と呼ぶこととした。ただし、これは「強制連行」という言葉が攻撃されたからではなく、強制連行というと強制労働、民族差別の問題に目を向けなくなる恐れがあるためと述べている。山田は「戦時動員」には労働動員と軍事動員の二つがあり、同書ではこのうち軍事動員を除外した労働動員、それも日本内地に限定しこれを「朝鮮人戦時労働動員」と呼び、「強制連行・強制労働・民族差別」の三つの問題点を含めるとした。
従軍慰安婦問題を含む一連の“強制連行”という言葉が広く紹介されるようになったのは朴慶植の著作である『朝鮮人強制連行の記録』(未来社1965)によってである。
的場光昭は自著『反日石碑テロとの闘い』(展転社)で、朴の著書において南方へ強制連行されたという人物について、北海道新聞が記事で紹介した総督府に残る資料と照合した結果、当該人物は干ばつによる飢饉を逃れて妻子とともにパラオに移住したことが判明したとして、実態は朴の著書にあるような昼夜分かたず官憲が男たちを狩り集めて連れ去ったという内容とは異なると述べている。」
~つづく~
~次回、まとめと考察3/n~
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《著者:松永正紀 教育評論家 /h22年度 唐津市・玄海町:小中学校校長会長》
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