あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

過去の日記より

2019年07月08日 | 介護

今日はダラダラ過ごして書くことがないので過去の日記をもう一つ・・・

 

2003年9月6日(土曜日)の日記より

入院中の母から朝、電話があった。

入院費の支払いをしなければならないのだが、

銀行に行くのに家族が来なければ外出許可が出ないので

来て欲しいとの事だった。

銀行は病院から歩いて数分のところにあるのだが・・・

変な決まりだなあ、家族が近くにいない場合困るだろうなと思った。

支度して出かけた。母は元気そうだった。

銀行に行った後近くのレストランで一緒に昼食。

その後、里に行って仏壇にお参りして母を病院へ送った。

家に帰って少し休んで今度はデイサービスに行っている義母を迎えに行った。

家に連れて帰ったのだが、どうしても家に上がろうとしない。

自分の家とは違うと言う。玄関に座って動かない。

仕方がないのでしばらく気の済むようにさせて、廊下など掃除をした。

雑巾を洗ったりしてふと見ると義母は私の車に乗り込んで助手席に座っていた。

車に乗って自分の家に帰ろうと思っている様子だった。

自分の家まで送ってくれるのを待っているようだった。

「ここがばあちゃんの家よ」と何度も言って聞かせた。

新聞配達の人も一緒になって「ここがばあちゃんの家よ」と言ってくれた。

一時間くらいかかってやっと家に上げることができた。

どちらの母もすっかり老いてしまった。

犬のファニーまで老いてオムツをしている状態だ。

元気でこうやってお世話しているうちが花かもしれない。


古い日記

2019年07月06日 | 介護

私にも仕事や介護を頑張っていた日々がある。

雨が続く日々の中、それらを振り返ってみたりした。

 

(これは2004年2月15日の日記) 

昨日(土)は、いつものように四時に義母をデイサービスに迎えに行った。 

帰ってから家にあがらせるのが大変だった。 

玄関に座ったまま動こうとせず説得するのに一時間以上かかってしまった。 

夫が九時ごろ帰って来たので寝かせることを頼んでみた。 

夫は優しく寝るように迫ったが、義母は「なんで寝らんといけんのな」と言って 

全くいう事を訊かない。夫、義母に歯が立たずギブアップ。 

次、息子にバトンタッチ。息子は速攻で抱きかかえて立たせようとするが 

「どうしてそんなことをするんな」と言って叱られ、これもお手上げ。

次、私、何とかしなければ・・・。

「ばあちゃん、もう九時よ。もうみんな寝るからばあちゃんも寝ようね」と

飛び切り優しい声をかける。そして、そっと体を支えて立たせようとする。

すると義母の気持ちが変わった。「そうな。もう寝る時間な」と言って時計を見る。

立ち上がらせることに成功。夫と息子が唖然とする。

しかし、トイレに行かせようとすると「行かなくても良い」と言って廊下の壁を

両手で突っ張って抵抗する。トイレに座らせてズボンを下ろそうとすると

抵抗し怒る。寝かせるのも一苦労だ。

 今朝(日)、八時ごろ里の母から電話があった。声が冴えない。

「熱が昨日からあって体がきつい」と言う。38.5度熱があり食欲も無いという。

十八日に心臓の検査の為に入院予定の病院に今日は休日なのでダメだろうなと

思いながら電話してみた。幸いなことに「連れて来て下さい」との返事だった。

母を連れて病院へ九時半ごろ到着。病院の救急外来にはインフルエンザで

かなり具合の悪そうな人たちがたくさんいた。

マスクを持って行って良かったなと思った。母はぐったりと長椅子に横になり

毛布を着て順番を待った。インフルエンザの検査はマイナスの反応が出たが

インフルエンザの疑いはまだ残っているようだった。

医師にお願いして入院させていただくことにした。

家に帰り着いたのは二時半ごろだった。

お昼ご飯を食べようとしたら義母がそれを欲しがる。

「ばあちゃんは、もう食べたでしょ」と言うと

「いいえ、食べちょらん」と言って恨めしそうに見る。

みかんをあげてごまかしながら、なんだか悲しい気分になってしまった。

介護について書いているのを抜き出してみたら400字詰めで

約400枚になった。記録に残っている時期よりもそれ以前の方が

大変だったのだがその時は書く余裕も無かった気がする。