あざみの気まぐれ日記

備忘録のつもりで書いています。

今年も後、半日

2018年12月31日 | 日記

2018年も残すところ後、半日になった。

今年の前半は我が家が今年で丁度、築90年になる事と

私の趣味の写真や切り絵がある程度たまったことなど考え

人生初の「個展(自宅展)」を目指して取り組んだ。

 

 

5月12日13日に行った自宅展には私が予想していた以上に多くの

方々がお出で下さり、人々の温情に感激したり

成就感も味わうことができた。

この自宅展が今年の私の一番の思い出かもしれない。

 

 

夏場は初めてペーパークラフトのバッグ作りにチャレンジしたりも

してみた。

不器用な私でもなんとか作り上げることができて、これも

達成感を味わうことができた。

夏から秋にかけては若干退屈していたが、

娘の「何か文章を書けばよいのに。世の中、しっかりした人が書いた本は

多いけど、お母さんのようにドジな人が書いた本は少ないよ」

という一言に奮起して、ボケ防止にもなるかと思い

気が向いた日に文章を書いたりした。

それを本にしようと思い娘に見せたら、内容のあまりのひどさ

(ドジ、失敗の多さ)に「これを本にして配るのは

お母さんの葬式の時ならよいよ」と言われ、撃沈。

本にするのをしばらく諦めていた。

しかし、その後、夫に見せたら

「やりたいことは思い残すことなくなんでもやればいい」

と言ってくれ、

娘も「せっかく書いたのだから・・・」と同意してくれた。

これは来年3月には出版できる予定になっている。

しかし、その後、目標を失い、以前から熱中していたパソコンゲーム

「フラッシュ花札」に明け暮れ、1日5時間以上していたら

ついに右手が腱鞘炎になってしまった。

これは予想以上に痛くて右手を使うのが恐く

かばって使えなくなるほどだった。

一生の病かもしれないと一時は覚悟していた。

しかし最近、だいぶ痛まなくなってきた。

夏場、フクが皮膚病にかかり病院通いという事もあったが

これも良くなったのでありがたい。

よく考えてみると、あんなこともあった、こんなこともあったと

あまり良くなかったことも頭に浮かんできたりするが

目出度し目出度しの1年だったということにしておこう。

ここでハッと思いついた

今年別府で古希同級会があったのだ!

あれも大事な楽しい思い出!

 

書いたり書かなかったりの本当に気まぐれなこのブログに

愛想を尽かさず、お付き合いして下さった方々に

心から感謝申し上げます。

来年もどうぞよろしくお願いします。

良いお年をお迎えください。

 


餅つき

2018年12月28日 | 日記

我が家流餅の作り方をここに書いておく。

年に一度しか作らないので翌年は段取りをすっかり忘れてしまっている。

ここに書いておくと参考になる。

①前日、昼頃、もち米4升洗い、水に浸けておく。

②蒸す30分くらい前にもち米を笊にあげる。

③餅つき機に水650ml入れもち米2升を入れて蒸す。

 約45分でブザーが鳴って知らせてくれる。

④蒸している間に餡子を丸めたり、搗きあがった餅の入れ物、置き場など

 準備しておく。

 餡子は一袋。餅とりこ(片栗粉でもよい)も一袋あれば良い。

⑤蓋をとって搗くボタンを押す。

 約15分で搗きあがる。これはブザーが鳴らないので

 時計を見ておく必要あり。

⑥鏡餅、大1(床の間用)、小2(仏壇用)作った。

⑦餅を入れる容器が足りないので、いつも座敷の机の上に

 ビニール風呂敷・新聞・キッチンペーパーを敷いて

 その上に餅を置くようにしている。

⑧例年、その日のうちにキッチンジッパーに入れて冷凍保存するのだが

 今年はまだそこまでしていない。

 

 今年は試しにいちごを餡に入れていちご大福風の餅を4個作ってみたが

 今後も作ってみたいとは思わなかった。

 それよりヨモギ餅を作ってみたいと思った。

 

曲りなりにも、なんとか餅つき完了。

 

今後の参考までに・・・過去の餅つきも

ここに載せておく。

 

↓2013年の餅つき

https://blog.goo.ne.jp/nonoazami/e/6b7cc57384dffbed0034e5c596e9d931

 

↓2014年の餅つき

https://blog.goo.ne.jp/nonoazami/e/da76d3b88d1fe84b0e5c0350e84a9376

 

 


ふいの電話に泣けて泣けて

2018年12月27日 | 日記

大恩ある方から、今夜、電話がかかって来た。

最後にお会いしてもう15年。

80代半ばの私の恩師。

「〇〇です」とそのお名前とお声をお聞きしたとたん

私は泣くのを制御できなくなった。

最初から最後まで子どものように泣きじゃくりながら

先生と電話でお話した。

先生はあまりの私の泣きように驚かれたのではないかと思う。

私ももう70歳。傍から見ればオバアサン。

そんな私のどこにこんな高ぶる感情と涙があったのだろうと

自分でも驚くほど、私は泣いた。

先生の優しさ、ありがたさが、ずっとずっと私の心の底に

眠っていて、その蓋をふいに開けられたかのような

そういう状態に陥ったのではないかと思う。

先生と今は亡き先生のご主人様に心より感謝。


異常に眠る

2018年12月27日 | 日記

 

師走というのに、朝ごはんを食べると眠り、昼ご飯を食べると眠り、

テレビを観ながらまた眠り、夕飯食べて眠り・・・

最近、異常なほど眠る。

大丈夫か?と思うほど。

昨夜は月に一度の写真教室の日だったが、それがあったことに

今朝目覚めて気が付いた。

本当に大丈夫か???

 

眠ってばかりでパソコンもあまりしないのでお陰で

腱鞘炎の方はもう8割がた良くなった気がする。

一時はこれはもしかして死ぬまで治らないのでは?

と思うほどだったのだが・・・

 

今朝、いちごをたくさん頂いた。

友達に分けてあげたら今度はみかんをたくさんくれた。

わらしべ長者みたい。

 

昨夜、テレビでオードリーヘップバーン主演の「戦争と平和」の

前編を観た。

若かった頃、トルストイのこの原作を読んだことがあるが

読んだという記憶だけがあって

ストーリーなど全く覚えていない。

今夜後編を観るのが楽しみだ。


後藤博之先生のご逝去を悼んで

2018年12月25日 | 日記

(↑後藤博之先生の実家)

 

同級生から10時ごろ(?)電話があった。

「今日の新聞、もう読んだ?」

「まだ見ていない」というと

「どうも後藤博之先生が亡くなられたみたい。

新聞の訃報欄に名前が出ている」という。

葬儀の場所や日時が記載されていないので、

家族葬を希望しているのでは

なかろうかと推察。

ご遺族が家族葬を希望しているのなら、お家に伺ったりするのも

ご迷惑になるかもしれない。

在りし日の先生を偲んで

心の中でご冥福をお祈りしようと二人で話した。

中学時代、私は後藤先生のクラスになったことは無いが、

先生に社会科を教わった。

とても楽しく分かりやすい授業をする先生で、時間が経つのが早かった。

これほど授業が上手い先生は滅多にいないだろうと思うほどだった。

いつか同級生の〇江ちゃんと後藤先生の授業の話をしたことがあるが

〇江ちゃんは「後藤先生は板書の仕方もすごく上手だった」と言っていた。

 

2015年7月26日。友達と一緒に初めて後藤先生のお家に伺った。

あの時、先生はお体は少し不自由な感じだったが

目立たぬ私の事まで覚えていらっしゃるようで、

その記憶力の良さに驚いた。

 

今日、洗濯物をたたみながら、いつしか後藤博之先生のことを

思っていた。

ふと気が付けば

 「白い野ばらをささげる僕に

 君の瞳が明るく笑う・・・

 (中略)美しい十代 ああ~ 十代~」

当時流行った『三田 明』さんの『美しい十代』という歌を

無意識のうちに歌っていた。

気持ちがあの頃に戻っていっていたのかもしれない。

後藤博之先生の御冥福をお祈りいたします。

 

↓このアドレスは2015年の7月、先生のお宅に行った日の日記

https://blog.goo.ne.jp/nonoazami/e/7a7d41ca81f980e303f634cc14967fd2