ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

マラリア・・・2

2022-10-18 | 心の旅・追想
聖地ベナレス、ガンジス河に近い馴染み宿は3軒とも満室で断られた。どこでも良いから早くベッドで横になりたいとW君、そこへ客引きが来た。ガンジス河沿いに2ヵ所ある死体焼き場の下流側の近くの宿だった。風向きによっては死体を焼く独特の臭いが部屋に入ってくる。
夕食に出掛ける前、W君に体温を計らせた。38度、抗生物質を使うには迷う体温である、もう一晩様子をみますと言う彼にぼくも同意した。夕食後ガンジス河畔を散歩し宿へ戻ったぼくは顔を真っ赤にした異様なW君を見た。体温を再度計らせると40度を超えている。ぼくは大声でマネージャーを呼んだ。緊迫した状況を理解した彼は息子をドクターの所へ走らせた。 
 ドクターはすぐに来てくれ、その診断は5分を必要としなかった、マラリア。W君の発症の兆しは思えば3日前にあった。危険な症状に陥っているのだろう、至急この薬を買って来なさい。ドクターはぼくにメモ紙を渡した。すでに夜、ベナレスの裏路地は恐怖の迷路だ。
「ぼくが案内する」と マネージャーの息子。
ホテルを出ると彼は急いだ。薬屋が閉まる時間を知っているのだろうか1軒、2軒、3軒だが薬はなかった。州境を越えてここはウッタル・プラディシュ州、マラリアの危険度が低いのかその薬を薬屋は常備していなかった。店仕舞いをしていた4軒、5軒目も「ない」もしあるとしたら大学の医局だろうと教えてくれた。
広いキャンパスの中をオート力車で尋ねながら走る。ある建物の前に力車を停めると、彼は玄関ロビーから奥への廊下を急ぎ足で進んだ。数分後、彼は白い紙包みを手にし部屋の中から出てくる「戻ろう」と言った。
1時間半は経っている、ぼくらは黙ってオート力車に乗った。

朝、W君の高熱は37,5度まで下がっていた。もう心配することはない、峠を越えた。昨夜の記憶はおぼろにあるのだろうか、彼の表情はちょっと空気が抜けた風船みたいだ。ぼくはガンガ河畔を散歩しながらチャイ屋へ朝食に行く。死体焼き場には火がちょろ々と燃え煙が辺りに漂う、その横をすり抜ける。
通りには沐浴に向かう多くの巡礼者とガンガの聖水を持ち帰るインド人の流れがある。死は日常生活と平行しその空気は淀み重い。ぼくがベナレスを好きになれないのはそのせいかもしれない。
しかし今回はベナレスの神々に感謝する。一人の日本人の命を救ってくれた。オーナー、息子、ドクターそれと大学病院の医局、すべて幸運に恵まれた。
元気になったW君と別れる。ぼくは2週間のトランジット・ビザしか持っていない、2週間以内に第3国へ出国しなければならない。朝、8時ベナレス発のバスに乗ればゴラクプールには昼頃に着く、バスを乗り換え約1時間で印・ネ国境の町スノウリだ。ボーダーで1ヶ月のビザを収得しポカラへ行くことにした。 


レークサイド、小さな村にぽつんと1軒の宿があった。赤土の土間に6台のベッドがあるだけ
宿泊客はぼくとカナダ人のボブ 朝起きるとモーニン にっこり微笑んでチャイはいかが
滞在中、少女笑顔で1日が始まり日課となった。
コメント
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