ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

その後    帰国・・・7

2019-07-13 | その後・帰国


 もし、ぼくがスタッフのパケを持っていないのであれば、ここが関空であろうと日本の何処の空港であろうと構わない。もし、ぼくがスタッフの中毒者でないのであればパケの中の粉を床の絨毯にばら撒いて立ち去れば誰にも分からないだろう。小パケの粉の量は病院で処方される粉薬と同じくらいだ。だがその粉を処分することは出来ない。そうすれば東京へ向かう新幹線の中で禁断に苦しむ。財布の中に隠したパケを持って空港内の麻薬犬の嗅覚をかわし外へ出られる確かな保証はない。ジェット機はエンジンを逆噴射しスピードを落としながら滑走路からゆっくりと駐機場へ向かった。その時、関西国際空港という文字をはっきりと見た。間違いなくここは日本の関西国際空港だ。思いもよらない帰国となってしまった。
 逃亡を生き抜きほっと気が抜けていたのだろうか、ちょっとでも状況を考える余裕があったなら分かりそうなものを。RA401はカトマンズ空港を夜中00・05分定刻に離陸し関空に翌朝10時着で飛行していた。トランジットに2時間が必要であり、時差の3時間をマイナスすれば飛行時間は5時間だ。仮に上海を中間点だとするなら飛行2・5時間に時差の1・5時間をプラスすれば上海着はまだ暗い早朝4時頃になっていた筈だ。そこを6時に離陸し2・5時間の飛行に時差1・5時間をプラスすれば関空10時着で計算が合う。夜中に食べた軽食は上海を離陸した後に出そうと用意されていたものに違いない。
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