ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

その後    帰国・・・5

2019-05-15 | その後・帰国

 缶ビールを飲んでうつらうつらしていると食事だと声を掛けられた。クロワッサンとバターそれにジュースという軽食が準備したテーブルに置かれた。何故?こんなタイミングで軽食のサービスがあるのか分からない。空腹感はないが無料で出される食べ物は腹に入れてしまうという習性は長い旅や刑務所生活から生じたものだろう。
 トランジットの上海を離陸して関西空港に着くまでの間に帰国後のことを考えよう。迷惑をかけた姉やその家族、九州の実家の母や兄弟に何と言えば良いのか、言葉がない。5年間の旅の間に離婚をした。ヘロイン所持でデリー警察に現行犯逮捕され中央刑務所に収監された。収監中も保釈中も薬物に溺れ今度は大使館の厳しい追及を受けデリー精神病院 へ入院させられた。入院という隔離によって厳しい禁断に苦しみながらもやっと薬物を断つことができた。しかしデリーはドラッグの坩堝だ。退院して薬物の誘惑を我慢できたのはたったの3日間だけだった。
 又うとうとしていた。薄目を開け窓を見ると明るくなっている。小さな置き時計はバッグの中にあり時間が分からない。それにフライト中であれば正確な時間というものはない。日本に着いたとき3時間だけ短針を早回しすればそれが日本の時間になる。それにしてもそろそろ上海に着いても良い頃なのだが皆は眠っているのか静かで機内を歩く人もいない。用を足しトイレから出ると奥の方でガチャガチャと食器らしい物音がする。覗いてみると女性乗務員と目が合った。聞くと朝食の用意をしていると言う。座席に戻って何をするでもなく睡眠不足でぼんやりした意識で空を見ていると後ろからワゴンを押してくる音がした。
「何?」「食事?」
振り向いて気づいた日本人の話し声が聞え、同時に人の動きが広がっていく。朝食は夜に出た軽食と殆ど同じメニューでそれにティーとフルーツがプレートに追加されていた。可笑しな朝食の出し方だ。本来なら上海を離陸してから出すべきものではないだろうか、そう思いながら食事を終らせた。
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