こんにちは。園長の田中啓昭です。
一杯の水
今、飲みたいですか?
おそらく、ほとんどの方が「別に…」という答えだと思います。
今朝、出勤前にジョギングをしながら、そんなことを考えました。
かく言う私自身、普段は水のことなど全く気にもとめないのですが、ジョギングをしているとどうしても水が欲しく、また必要になってきます。
もちろん、欲求とは別に生理的にも運動をして水分を補給しないと脱水症状を起こしたり、夏場だと熱射病になってしまいますよね。
水自体を普段は気にも留めず特に必要性を感じないのですが、そういった状況になるとその存在が浮き彫りになってきます。
夫婦関係で考えてみると、良い意味で配偶者のことを「空気のような存在の人」などと言ったりしますが、これも同じようなことではないのでしょうか。
普段はそれがあることが当たり前のように思っていて、全く気にも留めていないのですが、ある時に夫・妻はなくてはならないものとして浮き彫りにされてくる。つまり、必要に迫られた時に、その存在の大きさを改めて知ることもあるのだと思うのです。
そう思うと、自分一人でできているかに思うことがあっても、よくよく考えてみるとそうじゃないことがほとんどのように思います。
また、そこまでは思っていなくても「してもらって当たり前」のように思っていることも多分にあるのではないかと思うのです。
家族なんだから…、従業員なんだから…、親なんだから…etc.
今朝、何気ないジョギングから、改めて当たり前と思っていることをもう一度見つめ直し、すべてのことに「感謝する」ことの大切さをまじまじと感じたのです。
ジョギングから帰ってくると、妻が朝食を用意してくれていて、お風呂も沸かしてくれている。その上、子どもたちの弁当の用意もしてくれていたり、洗濯もしていてくれたり…
ホントありがたく思うのです。
そんなこと今までは気にも留めていなく当たり前のように思っていましたが、そう考えると自然と「ありがとう」という言葉が素直に出てくるのです。そして「ありがとう」の言葉を口にすることで、自分自身の気持ちが前向きになるだけでなく、周りも笑顔になってくるように感じるのです。
先日読んだ本にこんな一節がありました。
「ありがとう」という言葉は人から親切にしてもらわなければ言う機会がありませんよ。私の周りには、そんなにいい人ばかりではありません、と思う人もいるかもしれません。しかし、そういう人は「ありがとう」というのは、人から何かをしてもらった時に言う言葉という思い込みがあるのでしょう。しかし、実際には「ありがとう」を使う場面はほかにもたくさんあるのです。探してみれば、感謝できる対象は私たちの身の周りに溢れています。「雨が降ったおかげで、町の空気がきれいになった。雨さん、ありがとう」「バスが時間通りに来てくれた。運転手さん、ありがとう」など、ちょっと意識を変えてみれば「ありがとう」を言うチャンスは意外と多くあるものです。
※「折れない心をつくるたった1つの習慣」 植西 聰 著 青春出版社より引用
「折れない心」をつくるたった1つの習慣 (プレイブックス) | |
植西 聰 | |
青春出版社 |
そうなんですよね。
少し見方を変えてみれば、感謝することって毎日の生活中にあふれているものなんですよね。
「当たり前だと思っていることをもう一度見つめ直してみること。」
そうすることで、きっと毎日の生活に潤いがもたらされてくるのだと思います。
我が子にも「生まれてきてくれてありがとう」「笑ってくれてありがとう」「泣いてくれてありがとう」と子どもがする行為すべてに感謝をしてみること。
いままで、わずらわしいとかイライラしていたことも、感謝の気持ちを持つことで自然とゆとりが生まれてくるのではないのでしょうか。
そしてそのゆとりが、気づきになり、きっと親子や家族だけでなく人との関わりに絆を育んでくれるものだと思います。
「ありがとう」と心から感謝する気持ち。子どもたちに伝えていきたいですね。