農業じゆう人

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失われた昭和の絆

2017年09月14日 13時08分10秒 | 話題
   やっと秋らしい天気になってきたかな?と思っていたらそうはならないようです。
   現在、先島諸島付近を発達しながらゆっくり北上している台風18号。
   今後は向きを東に向けて今後日本列島を縦断するコースを進むという予報が出ている。
   この台風以外でも、当地などでは今夜もにわか雨が降るとか?の予報
   そうなると、また菜園の土作りが遅れてしまうので、その前に済ませてしまおうと・・
   ウォーキング後、急遽肥料を入れての2回目の耕しとイチゴ苗の植え替え作業を実施
       
       2回目の耕し後            イチゴ苗の植え替え

   くたびれた~と足を投げ出してボケ~っとしていると、いろんなニュースが耳に入る
   只今、いろいろと議論されているのを見聞きすると、平成の世もゴールが近い・・?
   バブルで明け、ネットの波に洗われ、人口減への不安のうちにたそがれを迎える
   はや時代の回顧も始まりつつあるようです。

   そんななか、先般、さらに遠方へと焦点を合わせ、「昭和」に営まれていた庶民の
    生活を詳細に振り返るという一冊を見つけた。 
   平成になって何が失われたのか?を、何気なく教えてくれるものです。
    それは“小泉和子さん”の「くらしの昭和史」です
   長年住んだ東京都内の一戸建てを博物館として運営もしているそうだ。

   本は「病気」「食べる」など、過去の館の展示をもとにまとめたものだという。
    まず「病気」。 昭和の「30年代あたりまでは、史上、家庭看護が最も充実し
     レベルが高かった時代である」と、小泉さんはそう解説している。
    吸入器や氷嚢(ひょうのう)などが常備され、不治の病とされていた結核や伝染病に、
     家族一丸となり、人の力で立ち向かった・・! とあった。
    入院費が髙く、健康保険などの制度が未整備といった事情もあったろう・・
     だが、手厚さとそれを支えた思いやりには深い郷愁さえ覚える。

    ついで「食べる」。 小泉さんは、箱膳とちゃぶ台の交代が昭和初めころ??
     ちゃぶ台とテーブルは昭和60年ごろだという。
    めいめい膳ともいう箱膳は家庭内の地位により形状が違い、食事どきの席順も
     決まったいた。 イエの秩序を示し、しつけの場だった! と説く。
    ちゃぶ台は、戦後の民主主義とあいまって、家庭に一家団欒をもたらした・・?
    明るくのびやかな暮らしを演出したものであるようです。

   そして現代、食事は「個」ものに変質した。 時間も食べ物もバラバラだったりする。
   生活の利便性が飛躍的に向上した現代から見ると、本に書かれていることなどは
    手間のかかる家事や作業が満載です。
   だが、それを克服した同志的連帯とでもいえる人のまとまりは、失われて久しい
   読後、そのことに気づき、どこか、もの悲しくなったものでした。
    なぜなら私自身が子どものころ、こういった環境のなかで育ってきたからです
    でも振り返れば、現代こそこういった現実があってもいいような気がします・・。

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