ある人がノーベル賞候補になった。
ノーベル賞委員会から日本にアンケートが来た。
あの人にノーベル賞をやると、ノーベル賞の価値が下がるから止めなさい。
彼は日本では学者と認められていない。
彼は三流の人だ…。
*。
松本清張の話題だ。
無学の人が一流の成果を上げると、
日本の学会はことごとく無視する、
あるいは誹謗罵倒する。
一字でも引用すれば、袋叩きにされる。
だからそうする人もいない。
*。
これをどう考えたらいいのだろう。
一人称衝動では、
優しさと残酷が一体であり、
それが優しく揺れるか、残酷に揺れるかは、
人情世間体で決まる。
*。
小学生の間でも、
人も気持ちを優しく揺れることを学ばされる。
嫌がることをやると、いじめ殺されることもある。
これが大勢につくとか、空気を読むとか言うことだろう。
*。
西欧には真理探究の精神があり、大体ここに収束する。
日本では大家の気持ちで決まる。
日本には学問の精神はない。
ここに心のない永遠平和がある。
格闘させて、そこでいいものや勝ったものをとることがない。
*。
大きな心という、心のない世界が日本を取り仕切る。
ここに客観的普遍妥当性はない。
西欧はこのルールでやって、大いなる成果が上がった。
日本の大家の心である。
それは心のない心である。
即ち、仏教の悟りは現実にはない。
即ち、妄想だ。
*。
悟りは、妄想の世界にあって、現実にはない。
現実はいい加減で、俺だけは絶対だ。
このパラドックスで、上位を取る権力者だ。
ここでは現実を揺らし、
それを呑み込むい穴=井戸が、世間の基準となる。
*。
ここのは大いなる安らぎがあり、
しかしそこには心はない。
悟りとは、心を抜いて出来る、平安かもしれない。
だがそれは死の世界だ。
だがそこで活動できる人でもある。
それが無常観や無能感かも知れない。
*。
そこに出来る空や無や仏性、
これは全体なき部分ではないか。
言葉であって、現実にない。
これが言霊かも知れない。
*。
言葉と現実から言霊を作った。
これは悪用すれば悪いことだが、
本来で用いればいろいろのことが出来る。
使い分けが難しい。
*。
ここから日本忍者が出てくる。
日本は現実未生の世界を、現実で使う。
下手すれば妄想であるが、うまく使うと超現実となる。
ある意味でアナムネーシスを現実で使っているのだ。
*。
だがここに極悪世界が、公正と誠実を持って現れる。
そこいら辺の整理が出来ていない。
*。
村上春樹を、あざとい傲慢と見るものもいるし、
人生の師と仰ぐ人もいれば、
得体の知れない人と見るものもいる。
皆同じじゃ困る訳だ。
*。
これらの総和はどうなるか。
そこのお上支配が成立する。
これは困ったことだ。
世界を「和」でやっては困るのだ。
いろいろあっていいいのだ。
*。
「和」でやると、心が抜ける。
和でなく、心でやることだ。
それをさせないお上支配だ。
*。
それは何が作ったか。
無や空や仏性が作った。
これは妄想だ。
心が始めにないといけない。
*。
ここに生の文明が成立する。
無や空は、死の文明だ。
*。
では生とは何か。
正帰還をゼロ・セットして、そこから始まる負帰還だ。
これが負のエントロピーを食べることだ。
*。
やっと生きることの定義が出来た。
ノーベル賞委員会から日本にアンケートが来た。
あの人にノーベル賞をやると、ノーベル賞の価値が下がるから止めなさい。
彼は日本では学者と認められていない。
彼は三流の人だ…。
*。
松本清張の話題だ。
無学の人が一流の成果を上げると、
日本の学会はことごとく無視する、
あるいは誹謗罵倒する。
一字でも引用すれば、袋叩きにされる。
だからそうする人もいない。
*。
これをどう考えたらいいのだろう。
一人称衝動では、
優しさと残酷が一体であり、
それが優しく揺れるか、残酷に揺れるかは、
人情世間体で決まる。
*。
小学生の間でも、
人も気持ちを優しく揺れることを学ばされる。
嫌がることをやると、いじめ殺されることもある。
これが大勢につくとか、空気を読むとか言うことだろう。
*。
西欧には真理探究の精神があり、大体ここに収束する。
日本では大家の気持ちで決まる。
日本には学問の精神はない。
ここに心のない永遠平和がある。
格闘させて、そこでいいものや勝ったものをとることがない。
*。
大きな心という、心のない世界が日本を取り仕切る。
ここに客観的普遍妥当性はない。
西欧はこのルールでやって、大いなる成果が上がった。
日本の大家の心である。
それは心のない心である。
即ち、仏教の悟りは現実にはない。
即ち、妄想だ。
*。
悟りは、妄想の世界にあって、現実にはない。
現実はいい加減で、俺だけは絶対だ。
このパラドックスで、上位を取る権力者だ。
ここでは現実を揺らし、
それを呑み込むい穴=井戸が、世間の基準となる。
*。
ここのは大いなる安らぎがあり、
しかしそこには心はない。
悟りとは、心を抜いて出来る、平安かもしれない。
だがそれは死の世界だ。
だがそこで活動できる人でもある。
それが無常観や無能感かも知れない。
*。
そこに出来る空や無や仏性、
これは全体なき部分ではないか。
言葉であって、現実にない。
これが言霊かも知れない。
*。
言葉と現実から言霊を作った。
これは悪用すれば悪いことだが、
本来で用いればいろいろのことが出来る。
使い分けが難しい。
*。
ここから日本忍者が出てくる。
日本は現実未生の世界を、現実で使う。
下手すれば妄想であるが、うまく使うと超現実となる。
ある意味でアナムネーシスを現実で使っているのだ。
*。
だがここに極悪世界が、公正と誠実を持って現れる。
そこいら辺の整理が出来ていない。
*。
村上春樹を、あざとい傲慢と見るものもいるし、
人生の師と仰ぐ人もいれば、
得体の知れない人と見るものもいる。
皆同じじゃ困る訳だ。
*。
これらの総和はどうなるか。
そこのお上支配が成立する。
これは困ったことだ。
世界を「和」でやっては困るのだ。
いろいろあっていいいのだ。
*。
「和」でやると、心が抜ける。
和でなく、心でやることだ。
それをさせないお上支配だ。
*。
それは何が作ったか。
無や空や仏性が作った。
これは妄想だ。
心が始めにないといけない。
*。
ここに生の文明が成立する。
無や空は、死の文明だ。
*。
では生とは何か。
正帰還をゼロ・セットして、そこから始まる負帰還だ。
これが負のエントロピーを食べることだ。
*。
やっと生きることの定義が出来た。