昨日から始まったNHK朝ドラ「わろてんか」の祭礼の場面で、芝居小屋が出て来る。
二日目も芝居小屋が映し出され、主人公が笑いの殿堂を作るきっかけになる旅芸人との出会いのシーンが間近いことを暗示して終わった。
実は、九月に創刊した「野口体操の会」会報『早蕨 SAWARABI』vol.01『私家版 野口三千三伝−1「三千三名前の由来』に「小屋掛け」と呼ばれる芝居小屋の骨組図を載せた。
モノクロ線書きの「骨組図」は、野口が生まれた村の郷土史『吉岡村誌』から転載させてもらった。
私はテレビ画面に映し出された肉付けがされた芝居小屋に、イラストの骨組みを重ねていた。
「これだったのだ! 名付け親の祖父が、地芝居を演じた舞台は……」
初回には、ヒロインの“藤岡てん”が、落語が上演されている舞台上で、ドタバタ劇を演じるシーンがあった。
何故かわからないが胸が躍った。それどころか、懐かしさすら覚えるのだ。
朝のドラマは明治期から始まった。
三千三の祖父が、村芝居の役者として活躍した時代とまったく重なっている。
そんなこともあって、私のなかのイメージがものスゴイ勢いで動きだしてくる。
京都と群馬という地域の差はあっても、旅芸人の一座が芝居を打つその “場” の雰囲気が伝わってくるからだ。
創刊号をお持ちの方は、ぜひ小屋の骨組図を見直していただきたい。
これまでも江戸期のドラマ等で、こうした芝居小屋を目にしていた。
にもかかわらず、今回の見え方は全く違うのである。
今年の夏、二年越しで集めた地芝居の資料を読み、写真集を見たりしながら、「野口三千三伝」を書くにあたって、地芝居のイメージを立体化し生きたものにするための作業を繰り返していた。
見え方の違いは、それだ!
朝から、膝を打っている私がいた。
さて、始まったばかりの朝ドラだが、明日以降、祭礼にかけられる芝居のシーンが見られるだろう。
じっと目を凝らして、ドラマの背景を隅々まで、みることになりそうだ。
二日目も芝居小屋が映し出され、主人公が笑いの殿堂を作るきっかけになる旅芸人との出会いのシーンが間近いことを暗示して終わった。
実は、九月に創刊した「野口体操の会」会報『早蕨 SAWARABI』vol.01『私家版 野口三千三伝−1「三千三名前の由来』に「小屋掛け」と呼ばれる芝居小屋の骨組図を載せた。
モノクロ線書きの「骨組図」は、野口が生まれた村の郷土史『吉岡村誌』から転載させてもらった。
私はテレビ画面に映し出された肉付けがされた芝居小屋に、イラストの骨組みを重ねていた。
「これだったのだ! 名付け親の祖父が、地芝居を演じた舞台は……」
初回には、ヒロインの“藤岡てん”が、落語が上演されている舞台上で、ドタバタ劇を演じるシーンがあった。
何故かわからないが胸が躍った。それどころか、懐かしさすら覚えるのだ。
朝のドラマは明治期から始まった。
三千三の祖父が、村芝居の役者として活躍した時代とまったく重なっている。
そんなこともあって、私のなかのイメージがものスゴイ勢いで動きだしてくる。
京都と群馬という地域の差はあっても、旅芸人の一座が芝居を打つその “場” の雰囲気が伝わってくるからだ。
創刊号をお持ちの方は、ぜひ小屋の骨組図を見直していただきたい。
これまでも江戸期のドラマ等で、こうした芝居小屋を目にしていた。
にもかかわらず、今回の見え方は全く違うのである。
今年の夏、二年越しで集めた地芝居の資料を読み、写真集を見たりしながら、「野口三千三伝」を書くにあたって、地芝居のイメージを立体化し生きたものにするための作業を繰り返していた。
見え方の違いは、それだ!
朝から、膝を打っている私がいた。
さて、始まったばかりの朝ドラだが、明日以降、祭礼にかけられる芝居のシーンが見られるだろう。
じっと目を凝らして、ドラマの背景を隅々まで、みることになりそうだ。
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