羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

信じ始めるととことん信じ、疑い始めるときりなく疑う自分に出会った日

2017年03月15日 04時39分19秒 | Weblog
 昨日のこと。
 昼時、外出の支度が少しはやく終わって、出がけにiPadを開いた。
 するとFBのメッセンジャーに「今、ひま?」とかなりぶっきらぼうのメールがはいってきた。
「何かあって、急いでいるに違い」
「出かけるところ」
 打ち返したら
「私のLINEが凍結されているから、そちらの携帯で検証コードメッセージを受けとってくれる?」

 この段階で気がつくべきだった。
「検証コードって?」
「電話番号をおしえてくれる?」
 おかしいと思いはじめているのに、”困っているんだなぁ”と、疑問を打ち消しはじめていた。
 そして電話番号を教えてしまった。
 すると携帯に4桁のコードが送られて来た。
 それをメッセンジャーで打ち返した。
「LINEのIDを教えてください!」
「LINEはやっていません」
 これが前半のやり取りは終了。

 所用を終えて、帰宅したのが3時過ぎ。
 まず外出から帰ると、母をトイレに誘導するのが、慣例となっている。
 それから着替えをして、ひとしきり片付けや母にお茶を入れたりしてからパソコンメールを開いた。
 ある女性から
「今、忙しい?というメールをお出しになりました。こんなぞんざいな物言いをなさる方ではないので確かめですが、LINEはやってらっしゃらなかったですよね」
 問い合わせのメールが入っていた。
 さらにつぎのメールでは
「コンビニでBit Cashを買って欲しい」とあるという。
 彼女はそこでおかしいと気がついた、という。

 しばらくして、彼女から電話がかかって来た。
 お連れ合いの方が、地元の警察に連絡をしたという。
 SNSと携帯を使った新手の詐欺だということがわかった。
 私が大変ことになっているといけない、ということで、こちらの警察に連絡をするようにと教えられた。

 地元警察の生活安全課に繋がって、話をする。
 名前と年齢を聞かれた。
 次いで、職業を聞かれた。
 さらに事情を聞かれ、住所、電話番号を伝えた。
 やり取りの詳しい内容は、ここには書かずにおきたい。
 ただ、携帯のショートメールに電話番号があったけれどこちらから電話していないことを伝えた。
 すると警察からその番号に電話を入れるという。
 結果は折り返し教えてくれた。
「電話は固定も携帯のきられてしまいました。つまり、警察の電話の頭番号を知っているんです。奴らは……」
 加えて、私がかければ通じるはずだとおっしゃる。

 その後、事細かに注意事項を教えられ、脅迫めいた電話やメールがきても動揺しないように、とのこと。
 ひとりで抱え込まないで、周りの人にどんどん相談をするように。
「この生活安全課に連絡をしてください」
 そこで電話を切った。

 夜になって、LINEを使っていることを知っている友人に電話を入れた。
 案の定、私のFBの顔写真がついたメールが彼女にも送られていた。
「言葉遣いが乱暴だったから、おかしいとおもったのに、やりとりをしてしまったの。途中で長い文章がすぐさま入ってきたから、これは確実におかしいと気づいたの。あんなに短い時間であの長文が打てるわけがないもの……」
 彼女も私に電話をしようと思っていたという。

 もしかすると他にもLINEを使っている方に、私からのとんでもないメールがいっている可能性は大きい。
 もし、受け取った方がいらしたら、申しわけありません。
 
 さて、日頃の私の言葉遣いを知っている方が、おかしいと思ってくださったことが見抜く決めてだなんて、微妙!
 その後、最初にメッセンジャーに入って来た友人とメールでのやり取りができた。
 その友人もさらに先のお知り合いから、乗っ取られていることを伝えられていた。
 すぐさま凍結したそうだ。

 今朝、はやく目が覚めて恐る恐るメール・ショートメール・FBのメッセンジャーをチェックした。
 これといって何事もなかった。
「禍い(災害)は忘れたころにやって来る!」
 何度も何度も唱えていた。

 さて、警察とのやり取りの途中で思わず口走ってしまったことがある。
「私ー、警察の方とはなしているんですよね」
「あなたにそんなことは言われたくありませんね」
 電話の向こうで、笑っている。
「そうそう、104番で番号を調べて私からかけたことを忘れていました」
 私の個人情報をねほりはほり聞いたのは、本人確認をしながら話の信憑性を確かめていたのだ。
 それから今後起こるかも知れない事例を話、その対処法を事細かに教えてくれた。

 信し始めるととことん信じ、疑い始めると切りなく疑ってしまう自分に出会った日。
 “まさか、私が……”という気持ちは、消え失せた日でもあった。
 タダで便利ほど恐いものはない。
 肝に銘じた日。
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