羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

今週の私

2016年06月11日 07時04分17秒 | Weblog
 第29回東京国際ミネラルフェア:
 第一回から通っているこのフェアは来年で30回になる、と思うと野口先生につれられて楽しんだ過去が読みがえってくる。
 特別展は「鉱物と美術・工芸、そしてテクノロジー」であった。
 美術作品として美しかったが、当初から続いていた男臭ささが失われて、興味は半減している自分を感じた。
 ゴツゴツした石の世界、決してキラキラばかりではない原石の面白さ。
 本来の自然の威力や本来の自然の美しさや、そして本来の見かけだけでない輝きを、このフェアには求める自分に変化していたことを、つくづく実感させられた。
 石の世界に目が開かれる前と今では、時間感覚も、美しさの基準も変わっている。
 変えてくれたのがこのフェアで出会う石たちだったことを、これほどおもわざるをえない年は、かつてなかったかも知れない。
 ちょっと残念感がのどにつかえている。
 
 読書1:
 遅々として進めない『日本国憲法成立史』佐藤達夫著 有斐閣 だが、第一巻から丁寧に読みはじめて、第一章 第一節と第二節までを読み終えた。
 ポツダム宣言に関する連合国側の事情と、日本の国体維持の意思を中心に書かれた文章を追いながら、その複雑な絡みを日本国憲法の第一章に照らしている。
 敗戦の二年半前には、アメリカを中心に連合国側では日本の敗戦処理ついて、すでに議論が始まっていたことを読むと、昭和18年から増えはじめ、19年、20年に戦没者の数が膨大にふくれあがっていくことに、何とも言えない口惜しさ、いらだち、虚しさ、言語に尽くせぬもどかしさをを感じた。
 戦場に散った命は何だったのか。銃後で散った命はなんだったのか。
 大量に亡くなった無辜の市民の死は何だったのか。

 読書2:
 ずっと気にかかっていた本が手に入った。
『学校における 舞踊』江口隆哉著 明星社版昭和二十二年十二月三〇日発行
 この出版社は、東京神田鎌倉町十三番地 であった。鎌倉町、十三番地、という響きに特別な匂いを感じるのは穿ち過ぎだろうか。
「鎌倉町という地名があったのだ」という驚き。
「神田のどの辺りだろうか」
 さっそく『東京35區區分地圖帳』で調べてみると、神田區のはずれ大手町との境にその地名はあった。神田駅と東京駅の真ん中当りに位置し、東京大空襲の消失地域でもある。
 
 本を開くと、著者「はしがき」の最後にこのような一行をみつけた。
《この本を出すに當って、種々御教示戴いた東京體育專門學校の先生方に深く感謝する次第である。》
 先生方の一人は野口先生として、他にも関わった方がおられたのだろうか?
 今となっては調べようがないだろうか。
 本文内容については、ここでは興味深いものがあった、とだけ書いておきたい。

 見学:
 半蔵門下車2分、英国大使館裏手に「日本カメラ博物館」がある。
 そこで6月26日まで開催している『赤羽末吉 スケッチ写真 モンゴル・1943年』を見た。
 すべてモノクロ写真だが、47年に長春で留用となって潘陽収容所を経て日本へ引き上げてくる際に、隠し持ち帰った写真とネガの写真展である。
 当時のモンゴルの人々の暮らしが、丁寧に記録されている。
 この写真家は『スーホの白い馬』の画家でもある。童話の絵は、内モンゴルで見た、あるいは撮影したことがそのまま下敷きになっていることが一目瞭然にわかる。
 が、むしろ写真の方に私は惹かれる。馬頭琴由来の話だが、写真からは悪い王様がいる国には、決して見えてこない。
 今でも変わらない風景がモンゴルにはあるのだろうか。

 ついでに「カメラ博物館」も見学した。メカはよくわからないが、明治・大正期のカメラは親しみが持てたし、スパイがつかう隠しカメラは、ドキドキ感があって面白かった。私が生まれた昭和24年のカメラはシンプルでとても美しかったことが印象に残っている。

 そうそう、「赤羽末吉展」をやっている JCII PHOTO SALON で、『「日本工房」が見た日本ー1930年代ー』も手に入った。
 冊子の表紙は「働く女性〈紡績工場〉1937年頃」とあってまずこの写真に気づいておもわず手にとった。
 一頁ずつ開いていくとしっかり時代がみえる。
 1938年頃 [標準髪型]」は、とと姉ちゃんの髪型として参考にしていると気づく。
 戦時中のさまざまな記録写真だが、かなり意識して撮影されているし、写される方もかなし意識している写真もなかにはある。どのページからも“写真における正史”といった雰囲気が伝わってくる。
 裏表紙には[原節子]1936年頃 撮影:名取洋之助 が載っていて、可愛らしく清純で美しいかつての銀幕スターは、別格の存在だったことがわかる。
 
 今週も野口先生が生きた時代の資料が、また増えてきた。
 ということで、あとは粛々とやるべきことをこなして、という一週間だった。
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