羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

巡礼……八月十五日を前に−2−

2016年08月03日 11時46分30秒 | Weblog
 先の大戦に因む今週の一冊は『プロパガンダ・ポスターにみる日本の戦争』田島奈都子著 勉誠出版 である。
 軍や政府、公的機関が兵士や物資調達を目的として制作した戦中日本のポスターについての研究である。

 長野県阿智村村長だった家に代々保管されていた135枚のポスターである。
 本来は敗戦と同時に、GHQの目に触れさせないために”焼却せよ”という命令が出されたものを、当時の村長さんが自宅の蔵の梁の裏側に隠したものだった。
 135枚、すべての保存状態はよく、当時の日本を知る貴重な手がかりとなる作品群である。

 描かれている内容のなかでも、枚数が多いのは、戦費調達のための戦時債券募集と貯蓄奨励のものらしい。
 そういえば父方の実家の隣が郵便局で、そこの局長さんに次々と国債を買わされ、敗戦と同時に紙屑になってしまった、と亡くなった父から話を聞いていた。
 
 本に掲載されている図柄を一枚ずつ見ていくと、いかに国民を洗脳して、扇動して、負け戦を続けさせるために工夫されたものであるかが分ってくる。
 いずれの絵も戦況が悪化し、追い込まれていくにも関わらず、ものすごく強いタッチで「神風、日本が、負けるはずがない!」というイメージ戦略で描かれている。
 テレビのない時代に、多色刷り明るい図案を通して国民が見ていた戦争は、いまとなってはあまりにも嘘にまみれていたことが伝わってくる。ただただ、信じ込まされていたことに怖れを感じる。
『135枚の証言』2012年10月 放送 30分弱のドキュメンタリーをご覧ください。

 図柄は国旗、富士山、日本地図、鳥居、桜、皇居、などがバックに配置されている。
 殊に桜は潔い死の象徴である。
《 沸き立つ感謝 燃え立つ援護 ー 君のため 何かをしまん若櫻 散つてかひある 命なりせば ー 》
 ポスターの中央には、1941(昭和16)年12月8日真珠湾攻撃に際して、特別攻撃隊として戦死した古野繁実少佐の辞世の歌が黒字で書かれている。文字にかかるように右手斜め上には櫻の一枝が添えられている。
 満開の後、一斉に散る櫻は、名誉の戦死を象徴し、弔いの供花であろう。
 『戦線文庫』の復刻版、『135枚のポスター』、それらの裏側に潜む一人一人の死と、生活の困窮、崩れていく国家の断末魔の叫びが聞こえてくるようだ。

 そして最後の9章「ポスターの末路」は、意味深い。
 参考図版1、 昭和二十年『庶務関係書類綴』2、『大東亜戦争関係ポスター類消却ノ件』が掲載されている。
 全国に発せられたにもかかわらず、現時点では今井村役場で受領した一冊しか確認できない。
 そう述べて、著者は書く。
《終戦直後の混乱に乗じて、旧為政者が自らの保身を目的として発したことが明らかなだけに、現存するプロパガンダ・ポスター以上に厄介な存在かもしれない》
 厄介なものほど、「廃棄命令」によって消却の運命に晒される。
 しかし、厄介なものほど、それを命懸けで守る人がいる。
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