MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本・映画、および自分のキャリアについて。

遠い空から

2008-12-23 | 雑記
栄太です。
このブログは更新できていませんが、どうやら無事過ごしています。
全く更新していないのに毎日何十人かの方が見てくださるということは、「交渉術」をググる人が日本に一日百人位いるということでしょうか…

現在、修行のため英国にいます。
新しい企画を練るために、時間をとろうと引っ越してきました。
充電期間に入ったため、中途半端に想うことはあれこれたくさんあるのですが、まとまったテーマが見つからず。
何か書こうと思いつつ、書く題材が明らかに交渉術では無さそうなので、何となく伸ばし伸ばししているうちに数か月。
やはり近日新しいブログをもう一つ立ち上げて、交渉術以外はそちらで何か書こうかなと考えてます。

考えてみたら2008年もあと残すところ1週間ちょっとということで、ブログのことも思い出した次第。
退職もあり、これまで以上にあっという間の1年で、かつこれまでとはだいぶ異質な1年になりました。

とりあえず、元気に生きてます。
皆様にも、良いお年を。
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崖の上のポニョ

2008-08-25 | 雑記
掲題の映画を見ました。
説明するまでもありませんが、宮崎駿監督の最新作。

面白かった部分とそれほどでもない部分が交じり合った、微妙な映画でしたが「見てよかった」感はあります。
一言で言うと「楽しいウォーターアトラクション」のような映画。

最も印象的だったのは水の描写。

海辺の町で展開する物語なので海がずっと出てくるのですが、その表情が面白い。
冒頭では静かな海が、波が魔物のようにうごめいたり、津波が魚になったり、また高潮が丘を襲ったり、嵐がやんだ後透明な水の中の世界が水面から見えたり、と。
その動きが非常に生き生きとしていて、つい自分も映画の世界の中にいるように感じる、新鮮な臨場感がありました。
オール手書きとのことですが、クレヨンと絵の具で書いたようなやさしいトーンの色合いも目に心地よかったと思います。
(最近のディズニーの、色が濃くどぎついCGアニメとまさに好対照だと思います)

ある意味では遊園地のアトラクションのように、感覚的に海を楽しむ映画でしたし、その意味では評価満点だったと思います。
不思議な生き物がひしめく海の中の世界と、浮遊感も良好。


いまひとつに感じたのは、ストーリーでしょうか。

まあ、まとまりがあってこれでいいのかなとも思えますが、かなりシンプルです。
子供でも「え、これで終わり?」な感じがするかもしれません。
ポニョの両親が何者なのかなど、細かい設定があまり説明されないので、結局どういうことだったのか分からない部分も残りますし。
監督自身が「5歳児でも分かるもの」を目指したとのことなので、これは5歳児には世の中詳細が分からないことがいっぱいあるという表現かもしれません。
しかしネット時代の子供たちは細かい情報も結構よく知っていそうですし、絵に描いたように「常に正直で勇敢で礼儀正しい」主人公の少年が、リアルな5歳児なのかどうかはちょっと不明。

とはいえ、やたら細かい設定で人間の暗部をグロテスクに描いた作品が多い昨今、こんな風に

−複雑な裏設定が垣間見える中、柱のストーリーはシンプルに
−人間の明るい側面をとらえて
−映像で想像力とぬくもりにあふれた別世界を見せる

というのも好感が持てると思いました。
でもこれって昔のディズニー映画に近いのかもしれませんね。
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祭り

2008-07-18 | 雑記
京都の祇園祭りに行ってきました。
17日昼が有名な山鉾巡業(32の山車が市内の中心部を巡回)、その前日まで山鉾が町の辻に飾られていて、夜はお祭りのように店が出て人がにぎわっていました。

報道によると10何万人も観光客が詰め掛けたそうで、祭りらしい非日常な感じのあるイベントでした。
この祭りは無形文化財として世界遺産に登録しようという運動もあるそうですが、特徴としては結構ローカルなものだと思います。
具体的には、

+個々の山鉾の装飾一つ一つにそれぞれ細かい由緒と物語がある
+地元の人が山鉾を保存し、展示し、出店(お守りなど)を出す
+お守り(各山鉾につき一種)にそれぞれ独自の験がある

など、ちょっと一度見てみただけでは地元の人でないとよく理解しきれない裏設定が多いのです。
(表面的には、町が歩行者天国になり、派手に大きな山鉾が町を回り、ピーヒャラ和風の音楽が町に流れ、人がひたすら沢山集まる感じですが)

京都自体がこうした、玄人に分かる背景や蓄積を多く持った町でもあると思いますし、そういう特質が京都をして「奥ゆかしい」(古語の原義として「もっと知りたいと思わせる」)場所にしているのだと思います。
このグローバル化時代、こうしたローカルなものでないと、逆に他の場所と差別化して強い印象は与えられないし、何度も見てみようという気にはさせないのかもしれません。

一方で外国人観光客も沢山来ていたようですが、山鉾の由来を説明した立て札表示なども全て日本語のため、彼らがどこまで見た目以上のことを理解しているかは疑問。
例えば山鉾ごとにその保存場所があって、そこを祭りの間だけ開放して色々な由緒の品を展示しお守りも売っているのですが、普通の狭い路地奥にそうした場所があるため、入ってよいのかどうか分からないと思いますし。
(実際そうした場所に外国人はほとんどいない)
あくまで祭りなので、地元の若者向けの場所では普通に日本のヒップホップコンサートなどもやっていたり。
普通に歩き回った印象では、

−とにかく暑い
−とにかく食い物のにおいが充満
−とにかく人が充満

で終わってしまうのではないかと感じました。

昔ビジネススクールの同級生で日本に来たことがある人に、

−すごく面白かったが、何がどうなっているのかさっぱり分からなかった

と感想を言われた(好意的に)ことを思い出します。
ネットで調べて予習して来い、というだけなのかも知れませんが。
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最初の500メートル

2008-07-12 | 雑記
最近ジムに行って泳いでいます。
行く時は「今日は何キロも泳ぐぞ」と思うものですが、実際は息切れします。
マラソンでもそうだと思いますが、特に一番きついのが最初の500メートル位だと感じます。

最初のうちは、普段の陸上生活を基準に体が動いているせいか、余計な力も入る。
そのうえ、体に蓄積された酸素が枯渇していく感じがするので、ものすごく疲れる。
しかし疲れがある程度たまり、余計な酸素もなくなってくると、体が苦しくなってできるだけ楽をしようとする。
そうすると余計な動きが無くなる。
またあれこれ考える余裕も無いので頭の中が空っぽになっていく。
そのうち体が運動のリズムをつかみ、頭も体もリズムを維持することに集中するようになる。
すると特に努力しなくてもどんどん距離を稼げるようになる。
(気づいたらXキロ泳いでる、という状態)

「最初の500メートル」を例えば「最初の5年」と置き換えれば、このプロセスは仕事を覚えていく過程にも通じるものがあると思います。

最初は無駄な動きが多い。
最初はあれこれ余計なことを考える。
そのうち何が必要最小限か分かってくる。
自分でペースをある程度コントロールできるようになる。
何も考えなくても体が自然に動くようになる。
(ついでにただ泳いでいるだけでは飽きが来て、隣の芝が青く見え、他の事に関心が出てくる、という感じでしょうか)

しかしこのレベルの水泳のアナロジーでは、単に決まった動きをこなすだけで、「創造性」が言い尽くされない気もします。
(もっと早く泳ぐにはフォームやタイミングをどう変えたらよいのか工夫する、等)
運動は余り得意でないので、水泳がそこまできちんとできてない、ということでしょうね。
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川床や

2008-07-11 | 雑記
非常に珍しいチャンスですが、先日京都で川床に行く機会がありました。
写真のような、川の上に座敷を作ってそこで懐石とお酒。

川床というと、市の中心部を流れる賀茂川の飲み屋などでするのが手軽で便利。
なのですが、今回は鞍馬・貴船の山奥まで行って、本格的な清流川床を楽しんできました。

奥地まで行って川床をするのは、プロコン(長短)があると思います。
さっと考えると、

<短所>
−遠い(京都駅からでは1時間弱かかる)
−二次会が出来ない
−ピーク時は渋滞で身動きがとれない
(梅雨明けがピークで、沢に沿った狭い一本道しかないため、その頃には移動に相当時間を食うそうです)

といったあたりでしょうか。
逆に長所は、

<長所>
+かなり涼しい(市内と5℃位違いそう)
+谷の沢なので、マイナスイオン満喫
+川魚が非常に美味しい
+ホスピタリティがある(駅まで送迎など)

といった感じです。
山奥も四条あたりの繁華街も両方体験したことがありますが、非日常な川床ならでは感が高いのはやはり山奥だと思いました。
賀茂川だと料理も洋風だったりするし、川にかならずしもそれほど近いわけではありませんし。
(それでも夏の夕暮れの繁華街でお酒を飲みながら美味しいものを楽しむのはすばらしいですが)
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いつも「いいこと」が起きる人の習慣

2008-07-10 | 雑記
掲題の本を読みました。
(トマス・レナード、三笠書房)
以前に一度読んだことがあり、再読してみました。

原書は「Portable coach」という、アメリカではこの手の本の草分けとして相当有名な本で、ビジネススクールでもおススメの本として紹介されていた記憶があります。
(考えてみたら留学当時既に和訳版を持っていたので、買わなくて良かったわけですが)
内容は、自分を画期的に改善し充実した人生を送るためのコツを、21の法則にまとめたもの。

−"一点集中主義"で生きると不安は吹っ飛ぶ
−"直球勝負"の人ほど打率が高い

など。
良書だと思います。

とはいえ今回興味深かったのは、前回読んだときに感じた感動や「なるほどそうだ!」という気持ちが湧かなかったこと。
勿論一度読んだことがあるから、という面はあるかもしれませんが、前に読んだのはもう5年も前で、細かいことは覚えていませんでした。

何が違ったのかというと、

−21の法則の半分位まではもう実践してるかも

と思えたからでしょう。
5年前はこういう自己啓発系の本自体ほとんど読んだ事もなかったし、下っ端サラリーマンとして追い使われて目の前の現実が結構暗かったので、

−そうだ、そうしなければ駄目なんだ!

と「目から鱗」感があったのですが。
こういう本をただ読むだけでは現実は何も変わらないと思いがちですが、さすがに同種の本を累積して読んでいくと、そのうち効果があるということなのかもしれません。

いずれにしても、こういう本の正しい使い方は一種の自己啓発計測器であり、書いてあることがどの位自分にとって

−当たり前だし、既に実践していること

なのか、をチェックするために読むくらいが健全な読み方なのかもしれない、と思います。
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昼間の世界

2008-07-08 | 雑記
会社を辞めることとなり、長めの夏休みに入りました。
小学生並みに8月いっぱいまで休み。
留学したり転職したりする一番の楽しみは、ある意味ではこういう休みかもしれません。
次の着地点は決まっており(若いのに無期限で休みだとそれもつらいと思いますが、休みの終わりも見えている)、かつ何をしても良いという点で。

秋から新天地に移る予定ですが、それまでしばらくゆっくり過ごすことになりました。
どこかでゴージャスにバカンスを過ごそう、かとも思いましたがそれは中止。
地味に、家族と過ごしたり次の準備をコツコツやることにします。

とはいえずっと家にいると体がなまり心も緩んでしまうので、近所のジムに通うことにしました。

これまで留学時代以外はジムに通ったことがなく、日本のジムは初めてだったのですが、サービスが至れりつくせりで感心しました。
カウンセリングもしっかりしており、設備も綺麗で掃除が行き届いています。
休憩室に大型マッサージチェアがたくさん置いてあり、マイナスイオン発生機から何から、海外ではちょっと無さそうなホスピタリティです。

一点面白いと思ったのが、ジムの来場者。
「いつでも使える」会員になったので朝から晩までいつでも通えるのですが、やはり平日の昼に行くと、ほぼ100%女性と老人しかいません。
おそらく50歳未満の男性客は自分ひとり。
(当たり前ですが)

ジムでやっているヨガのクラスなどに顔を出すと、かなり高齢な地域の方々から若い女性(主婦?)まで、いろんな方が参加されていて、独特なコミュニティ感があります。
ヨガの専門用語など何気なく使われていて何だか勝手が分からず、けっこう「部外者」感があります。

しかし考えてみると、ついこの間まで自分がいた「会社の世界」はこれとはちょうど逆に、とにかく30〜60歳位の男性がひたすら集まって、その世界の言葉と常識でああでもないこうでもないやっているもの。

−なるほど世の中綺麗にすみわけがされているのか

と新鮮に感じるとともに、

−「ビジネスの常識がある=社会全体を分かっている」と誤解するサラリーマンは相当格好悪い

と、先日までの自分に対する自戒をこめて思いました。
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会社を辞める

2008-07-07 | 雑記
栄太です。
一点ニュースがあります。
今度、所属しているコンサルティング会社を退職することにしました。

大学を出て新卒からずっと勤務してきたので、会社を辞めるのは初めてなのですが、大きくキャリアチェンジを企画しています。

新しく何をやっていくか、は追い追いご報告していくとして。
会社を辞めるというのも人生にそう何度もない折角の経験だと思うので、どんな気分がしたか率直に書いてみたいと思います。

1.とりあえずほっとする

「あ、もうこの仕事しなくていいんだ」という何とも言えないほっとする感じ。
これが第一でしょうか。
来年も再来年もその次の年も、延々と今の仕事(会社)を続ける前提だとすると、やっぱり色々な意味で面倒な計算が必要だったりもしますので。

勿論、無責任に「あとはもう知らない」的な辞め方はしていませんが。
たとえ好きで選んだ仕事であれ、プロとしての意識をもってやってきた以上、高いパフォーマンスに対する責任感とその阻害要因に対するいらだちがつきまとっていたもの。
(まあ、コンサルティング会社の社員が本当の意味でプロなのかどうかは相当議論の余地があると思いますが)

いずれにしても、ストレスの要因が一気になくなった感じがしたのは事実だと感じます。


2.会社で嫌だったことをあれこれ思い出す

ほっとした後には色々思い出すのですが、回想されたのは主にネガティブなことでした。
単に「ああ嫌だった」というのでなく、「なんでそうなっていたんだろう?」という素朴な疑問。
一個一個そうした記憶をたどり、自分なりに解釈・理由付けを確認していくことで、そうした苦労や失敗や克服することが必要だったのだと感じます。
同じことが起きても、今度は予測可能だったり、対応力が上がっていたりする自信を持つというか。

そして次第にそうした記憶全てが、現在進行形で自分を取り巻く環境でなく、「そんなこともあったなあ」という「過去」になっていくのだと思います。


3.「次」に対するワクワク感

勿論ワクワクだけではありません。
もう会社員ではないので、ワクワクは半分位、先行き不透明感があと半分くらいでしょうか。

+(本当の意味で)自分で自分の帳尻を合わせていかなければならない
+(ピンでやるということは)これからは自分のキャリア自体が一種の企画
+同じことをやったヒトが未だかつていないのでどうなるか(マジで)分からない

という感じ。
しかし

+30歳位なら、やって失敗するダメージよりやらない後悔のダメージの方がまだ大きい
(これは年齢によって変わっていくと思います)
+コンサルタントの特質=結局自分はリスクを取らない/仕掛けない所、そのまま終わるのは人間として寒い
+純粋に好きなことを仕事にしたいし、少なくともそれができるかどうか極限まで努力してからあきらめたい

などと考えて勝手にアドレナリンを出しています。
自分自身でも自分がどうなっていくか分かりませんが、同じような場所に戻ってくるにしても極北まで突っ走り、本当に自分の目で見てから意思決定したいと思っています。
(Last but not least, 支えてくれる周囲のヒトには感謝の気持ちでいっぱいです)
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もし僕らのことばがウイスキーであったなら

2008-06-25 | 雑記
掲題の本を読みました。
(村上春樹、新潮文庫)
作家の村上春樹氏が、シングルモルトウイスキーの聖地、スコットランドのアイラ島を訪ねる旅行記です。

アイラ島というのは、アイルランド本島に近くその北東にあり、昔から特性のあるウイスキーを産することで有名。
筆者もアイラウイスキーは大好きで何本か家に持って愛飲しているので、ぜひ将来一度行ってみたい場所のひとつです。

アイラウイスキーはその独特のスモーキーさが特色で、非常に癖のあるピート(泥炭)臭と海藻くささがあります。
島全体がピートで覆われているため川の水にもピートが溶け出すとか、醸造所が海の近くにあり海風が強いので、樽に海藻の磯臭さがしみつくとか。
有名なスコッチの多くはこうしたシングルモルトをブレンドしたものであり、そういう意味で、色で言えば原色のような極端さが感じられるお酒です。

実際に行けばまた違う印象を持つのかもしれませんが、本(文章と写真)で見る限り、アイラ島は静かで落ち着いた島のようです。
10年・100年たっても余り変わっていなそうな。
こういう島で良い酒作りを粛々やる、というのもきっとウイスキーのように味わい深い感じがします。
一方で、若いヒトは今島をどんどん出て行って、過疎化が進んでいるのも事実だそうで、じっと住むには刺激に乏しく退屈な場所なのかもしれません。
しかしだからといって変に観光地化したり、都会のマネをしていなそうな所が、この島の本当の魅力かなと思います。
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古本を売る

2008-06-24 | 雑記
本がたまって書棚からあふれてきたので、古本チェーンに売りに行きました。
特にいらなそうなものをとりあえず15冊、文庫・装丁本・雑誌とりまぜて800円也。
買取の内訳を見てみると装丁本は定価の5%位で一番高く、雑誌などは10円。

古本チェーンに売りに行く理由は、

−捨てるよりは資源の無駄にならなくて良い
−二束三文だけどちょっとは小銭も入る
−零細書店と違い、とっつきやすい
−価格が主観でなく、ある程度どこの店でも同じルールで決まっていそう
−店が多くて近所にあり近い

というメリット。
だからそうした市場が伸びてきたと思うのですが、それでも仕組みとして、

−原著者に一銭も入らない

のはやはり気になってしまいます。
中古本チェーンのビジネスモデルの完成度の高さは理解しつつ、思いとして

+何らか知的財産の創造者が頑張ろうと思う仕組みになって欲しい

と感じます。
また中古書チェーンの多くが、売れ残ると価格を下げていくルール(と聞きました)なので、売れない本は元が高くても売価100円位になってしまう。
買う側からしたら有難い部分もあるのですが、やはりあまりに安くなるとその本の新品の売れ行きに相当影響するでしょうし、それが理由でそうした本が出なくなってしまうとしたら、それはもっと大きな損失な気がします。
とはいえ、需要と供給のメカニズムを考えると、そもそも需要の少ない本は紙の本・リアル店舗・ヒトの手の販売よりも製造・流通コストがもっと安い手段に頼るべきだ、というだけなのかもしれません。
(ネットで電子データを販売する、等)

ついでに言うと、要らない本の処理の仕方として

+近くの図書館に寄贈する

というオプションも本当は存在します。
実際に行ったことはないのですが、社会貢献的な感じもして結構魅力的な気もしますね。
(どうせ古本を売っても大した値段にならないですし)
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私小説とブログ

2008-06-23 | 雑記
私小説というと、あたかも自分の私生活を赤裸々につづっているかのように、その生々しさや共感性を訴える小説。
椎名誠さんの小説(「岳物語」等)なども、著者本人や家族が登場して、まるで他人の家庭の中に首を突っ込んでいるかのように身近さを感じ、家族の一員になったような親しみを持って引き込まれてしまいます。
以前にも書きましたが、ああいうタッチは軽い文体とも合わさって、今のブログのような読後感覚があります。
80年代からそういう文章を企画して書いていた、というのは先進性に頭が下がる思いがします。

しかしポイントだと思うのは、あくまで実話「らしく」書いているということ。

私小説というものは、確かに実際の周囲に起こった事実にインスピレーションを受けて書いているように思いますが、本当に身の回りで起こったことをそのまま書くのではなく、アレンジの仕方があるはず。

−書いた方が情景が豊かになるものを選択的に描く
−事実としてはあるが書かない方が叙情的に良いものは描かない
−事実ではないが物語としてあった方がよいことは加える

といった、演出あってこその小説。
単に事実を正確に書こうとするならルポタージュになってしまうので、そこは当事者のように見せながらあくまで物語としての完成度を目指す冷めた目が必要なのだと思います。

ブログを考えるに、その辺が結構あいまいなものが多い気がします。
「ルポタージュにしよう」と決めて、そういう報道性というか正確性を哲学にするブログもあるかもしれせんが、基本的にはホントかウソか分からない文章。
しかも伝統的な小説と異なり、書いた人間には匿名性があります。
ブログのアカウントも、無料で何度でも作り変えられますし。

そういう意味ではブログは小説以上にモラルが問われる気がするのですが、簡単に身の回りのことを面白おかしく書こうとするあまり、何でもぶっちゃけて書いてしまうのはどうでしょうか。
最近同じ会社の同僚が(名前を伏せて)いろいろ自分のブログに打ち明け話を書いていると知り、正直なんとも言えない気がします。
会社員のブログだって究極的には、体験した取調べの中身まで面白おかしく書いた司法修習生と同じ問題があるのでは。

司法修習と違い、別に法に触れているわけではないから良いのかもしれませんが。
何でもできる時代だからこそ、そういう部分で個人としての尊厳を失わないようにしたいと感じますし、独立した個人としてのブランドに差がついてしまうのはむしろそういうつまらない点ではないかと勝手に考えています。
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プレゼンス

2008-06-19 | 雑記
「プレゼンス」というと、存在感というか、そこにいることを無意識に周囲に意識させ、影響を与える力。
プレゼンスの出し方は、色々な流儀があると思います。

会議でも、ひたすらしゃべって目立つヒト、うまく仕切って存在感を出すヒト、だんまりを決め込んでいるのに周囲が無視できない威圧感を与えるヒト…
色々いるのもまさにその縮図だと思います。

どんなやり方であれ、プレゼンスが全くないよりはあった方が良いと思うのですが、最近気になるのが国際的な文脈での日本のプレゼンス。
グローバルの会議等に触れる機会もあるのですが、やはり「ジャパンバッシング」とか「ジャパンパッシング」とかを通り越して、非常に冷めた目で

−どうせ日本が言うことなど特にないんでしょ
−日本の場合、放っておいても高齢化と人口減少で沈んでいく国だし

という、「おっしゃるとおり」というしかない理解を前提に、

−かわいそうだから何か意見を求めてあげましょう、どうせ英語もできないでしょうし大した意見も出ないんでしょうけど

みたいに発言をふってくることがあるような気がします。
ビジネススクールでも、クラスによってはそういう空気になる授業が4年前の時点でありましたし。
勿論、結局個人が伝わる言葉でしっかり意見を発すれば、

−ああそうなのか、その考え方は結構面白いかも

と空気を変えさせることは十分可能なのですが、そこまでやる日本人が少ない(もしくはいない)場がほとんどになっているような感じがします。
その辺りはこちらも冷めた目で、しかし大胆に対抗していく必要があるのかもしれません。

雑感ですが。
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最強の交渉者

2008-06-17 | 雑記
最強のネゴシエーターとはどんなヒトか?
誰もが持つ(であろう)素朴な疑問です。

以前にも書きましたが、交渉にはヒトによってスタイルがあります。
特にソフト派とハード派、あるいはそれらのハイブリッドなど。
ネゴシエーションオリンピックなどやったら面白いと思いますね。

+個人戦と、団体競技両方で金・銀・銅メダルを競う
+試合は短期戦と長期戦で競う
(例:制限時間1時間で合意に達しなければゼロ点、合意すれば結果に応じてお互い加点、耐久戦は24時間耐久ネゴとか)

みたいな感じでしょうか。
(これ真面目に考えていくとけっこう面白いですね)

また私見に基づく一案ですが、ネゴシエーター本人の資質だけでなく、周囲の文脈も含めて「最強」を形作る要件と考えると、例えば一つの「最強」パターンは以下のようなヒトではないでしょうか。

−強力なBATNAを持っている
−誰もが反対しづらい「錦の御旗」的な正論を語る
−ついでにネガティブな現実論でなく、非常にポジティブにお互いにとっての希望を語る

有利な立場になれば、往々にして勝手な事を言って恨みを買ってしまいがちなのがヒトの常。
でも誰も文句が言えない強力な立場を持っているのに、言うことが心憎いまで気配りも効いている。

こんなヒトにはビジネスネゴシエーションで文句が言えない気がします。
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毎日が日曜日

2008-06-16 | 雑記
掲題の本を読みました。
(城山三郎、新潮文庫)
高度成長に陰りが見え始めた、オイルショック頃の商社マンを描いた経済小説。
「官僚たちの夏」に代表される、著者得意の分野(戦後を題材にしたノンフィクション的小説)です。

城山三郎さんの小説は戦争モノが中心で経済系のモノは読んだことがなくあまり興味も無かったのですが、予想に反し最後まで一気に読んでしまいました。
一個人には抗いがたい、組織の力学や出世の論理や日本全体の大きな経済のうねりなど。
主人公たちはそういう波の中でサラリーマンとして翻弄され、一喜一憂しつつ一生懸命生きて行く。
派手でもないし格好良くはないが、一生懸命生きていることは間違いないし、そうした個人の集合が社会を構成している。
熱い気持ちは分かるし、「制約の中での一生懸命さ」には非常に共感します。

一方で、時代が違う(1970年代が舞台)ので、違和感を感じる部分も結構ありました。
勿論、大きな前提となる部分として、

−日本経済が基本は上り坂で、本当の下りに入っていない(バブル前)
−(当然)冷戦も終結していない
−そういう意味で政治も経済も「55年体制」的なものから本質的な変化はまだない
−テクノロジーがアナログ的(例:インターネットが無い…当たり前ですが)

といった大きな違いはあるのですが、それらはどちらかと言えば個人から見れば外部条件。
むしろ大きな違和感を持ったのが、内面というか、主人公たち商社マンが外地勤務やグローバル化をどう捉えているかと言う感覚。

例えば主人公の娘は駐在先のアメリカ育ちで、英語は話せるが日本語はうまく話せない。
そのため、主人公たちは人前(同僚の前)に娘を出す時に風邪をひいているかのようにマスクをさせて、黙っていてもおかしくないように糊塗します。
なぜなら、日本語をまともに話せないことは恥であるし、「まともな教育を与えていない」印象にもつながるから。
勿論日本でやっていくには日本語ができないと困るわけですが、だからといって娘が小学校低学年くらいだったら、むしろ

−英語ができてうらやましいですね
−将来も海外で活躍できるでしょうね、そういう時代ですし

位のポジティブな反応は、現在だったらでそうなものかと思います。
根底にあるのは、

−日本人なんだから日本で生きていくのが絶対条件
−外地勤務など聞こえはいいが、生活の便利さなど実態は悲惨なもの
−国の経済成長のために、個人が犠牲になっていく「企業戦士」こそ一人前の男

といった、2008年の空気の中ではかなり理解困難な哲学だと思います。
とはいえ当時はこうした空気がむしろ当たり前で異論も出しようがなかったのでしょうし、またそうした空気はそのまた一世代前からしたら理解困難なものかもしれません。
それが良い悪いの問題ではないと思いますが、こうした個人を取り巻く空気や内なる生き方の前提の違いが、世代間ギャップを生んでいくのだと感じました。
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クールビズ

2008-06-13 | 雑記
6月に入り、そろそろクールビスの季節になりました。
クールビズ自体は色々な企業を訪問して見ていると、結構定着したのかなと思います。
(導入時はマスコミの報道も小泉首相がまた変なこと言い出した、みたいな感じでしたが…)

やはり湿度が高く夏アツイ日本の実態に即して、非常に合理的だと思います。
30℃超えてるのにネクタイ締めてたら、それは世界中どこであろうと暑くて当たり前だと思いますし。
個人的には、夏でなくてもフォーマルな時以外、ネクタイは締めない主義です。
ネクタイもおしゃれとしてつけるには好きなのですが、机に向かう時に首を締め付けると、あまり生産性が上がる気がしません。

定着してきたクールビズですが、、なぜクールビズなのか?はあまり話題になることも無いと感じます。
単にその方が楽だから、ではなく、温暖化対策でCO2排出量90年比6%削減、という京都議定書の約束を守るための打ち手の一環。
しかしながら、

−本当に今のクールビス実施状況で6%削減できるのか?
−足りないとしたら、例えばあと何万社の企業が導入したら何%排出量が減るのか?
−他に取っている施策と比べて、どの位インパクトの大きい打ち手なのか?

といったベーシックな情報が、ぱっと分からないし余り意識されていない気がします。
どこかに最新情報が逐一開示されて、

−あと2.5%削減しないといけないので、あと85万社で今年は必ず導入しないと!

といったメッセージがもっと発せられれば納得感も高まると思うのですが。
クールビズ(+冷房節約)の副作用として、夜オフィスの冷房が止まって、残業が蒸し風呂地獄になる企業が結構あると思います。
(これが結構つらいですよね)
そういう暑さに笑顔で耐えるためにも、是非打ち手の効果測定や進捗モニタリングの情報・議論が広まればと感じます。
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