MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

素数を数える

2006-12-26 | 雑記
今日は昼ごろ名古屋から東京へ新幹線で移動。
東京駅からタクシーで都内某所へ向かいました。

ところが今日の東京は大雨で、道路は大混雑しています。
タクシー乗り場は大混雑で、待てど暮らせどほとんど列が進みません。
見ていると、八重洲口のロータリーは中央にどでかい「駅レンタカー」駐車場があります。
それが邪魔になって、駅に向かってくるタクシーが客を降ろしても、そのまま待っている客を拾えない構造になっているのです。
新大阪駅とは対照的な構造ですね。

こんな風に「一番必要な時にタクシーが無い」という状況は、シンガポールを思い起こさせます。
シンガポールではタクシーが安くて(初乗り170円位)半公営で信頼できる交通機関なのですが、時折来るスコールのような大雨が降ると、繁華街では一気にタクシーがつかまらなくなってしまい、結局スコールがやむのを待つしかなくなったりします。
よく土曜の夜に飲みに行って外へ出たら土砂降りで、やむなく待たざるを得ず周りの人たちもみんな雨宿りしながらぼうっとしていたことを思い出します。

閑話休題。
で、そうやって待たされている間何か知的な生産活動はできないものか。
そんな風に考えてふと思い出したのが、あるマンガのキャラクター(ジョジョの奇妙な冒険の神父)がやっていた

-素数を数える

ことです。
悪役がピンチに陥ると1から順に素数を数えて気持ちを落ち着かせる、という何とも記憶に残るクセ。
ただこれを実際にやってみると、

-100を超えるあたりでかなり面倒になってくる

ことに気付きます。
同じことの繰り返し感覚が強くなってくる上、九九では対応できない乗数(例えば13×13=169で、169は素数ではない、など)が登場してくるので一気に複雑性が増していくのです。

さらに素数を順に数えていくことに何らかの知的発見があるのか?
やっていると素朴な疑問も湧いてきます。
円周率を徹底的に細かく計算したり暗誦したりするのに通ずるものがありますね。

結局のところ、時間をつぶすには頭に浮かんだ雑感を携帯のメモに打ち込んだりしておくほうが余程後で役に立ちそうな気がします。

そんなことを携帯のメモに書いているうちに、50分待たされてようやくタクシーに乗れました。
首都のターミナル駅で真昼間にタクシーが一時間近く来ない国を体験するのは、そういえば初めてだったかも知れません。
(パリですらもう少しマシだった記憶がありますね…)

Story

2006-12-21 | 雑記
掲題の本を読みました。
(Robert Mckee, Regan books)
著者はハリウッドでも著名な映画脚本家で「脚本の書き方」教室を開いているとのことで、そのノウハウを本にしたものです。
「面白い物語」とは何か、どうしたらそういう物語が作れるのか、を色んな映画を題材に論じています。

内容はかなり広範囲にわたり、ある程度体系的にまとめられています。
映画や小説を書く人だけでなく、見る(読む)だけの人にとっても分かるよう丁寧に説明されています。
読んだ感想としては、

-なるほどこんな物の見方があったのか

と新鮮な感動がいくつかありました。
(勿論、自分は脚本家を目指しているわけではないので、「仕事に役立つ」といった直接の実利はありませんが)

まず非常に面白かったのが、

+登場人物の作り方の定石

です。
登場人物を作る、というと、例えば

-Aさんは正直で誠実で、でもちょっと不器用な人

といった簡単でわかりやすい定義をしてしまいがちです。
しかし本当に重要なことは、

+登場人物の中に、表面的な性格と根元にある願望との矛盾を持たせること
+それらの葛藤に、その登場人物を動かさせること

だというのです。
人間誰しも自己矛盾や隠された願望をはらんでいるものですし、その重層的な作用が人の持つ複雑さを表現するのに決定的に重要なようです。

こうした、「内的な葛藤」や「願望を実現させる努力に対する外部の制約」といった、衝突が物語を形作るということ。
(言われてみれば例えばスターウォーズのような、ハリウッドハリウッドした映画でも、登場人物はそれぞれこうした葛藤を抱えていたような気がします)

またそうした余白のある設定でなければ、本来の意味で役者が必要なくなってしまうということ。
(脚本に書いてあるとおりの一元的なアクションをするだけなら人形と同じであり、役者は役者なりにその人物のこうした内的問題をどう表現するかが勝負だとのことです)

普段何も考えずに映画を見ているだけではあまり考えない視点だったので、新鮮でした。
ただひとつ疑問なのは、「ハリウッド」ではこの本の通りなのかも知れませんが、例えば日本の映画やアニメも同じ法則があてはまっているのか?という点。
著者は一切そうした点に触れていないので彼のスタンスは分かりません。
ただ、個人的には日本の特にアニメ類は登場人物にそうした葛藤があっても外に見せない場合もあり、表現の仕方が微妙に違うような気もします。

+理由を説明できないけど、何となく物悲しい とか
+映画全体を見て、何となく生きることの空しさを感じる

といった情感は、どう説明されるんでしょうかね?

そういう意味で、そうした人の内的葛藤は説明できる、面白い物語は分解すれば解明できる、という前提自体が非常にアメリカンな本だとも言えそうです。
(ただ最初から最後までそれに徹している点で、こういう本は好きですが)

歴史の時間軸

2006-12-06 | 雑記
歴史に関する読み物が好きで、小説やノンフィクションをよく読みます。
今まで何も考えず面白そうなものを読み漁っていたのですが、ふといくつかのタイプがあることに気付きました。

1.いわゆる"時代小説"または史論

小説は司馬遼太郎とか吉川英治とか、歴史上の人物を題材にしたもの。
どこの本屋に行っても文庫で沢山そろっていますね。
戦国時代・江戸時代・明治維新ものが三巨頭かと思いますが、まれに室町もの・源平ものや古代史を題材にしたものがあります。

ただ余り古い時代になってくると、
-マイナーな分野なので読む方もよく知らない
-時代が古すぎてイメージが湧かない(サムライとかなら分かりやすいですが)
-記録も無いので人物像などは著者の想像であり、荒唐無稽な感が否めない

といった辺りに難があると思います。
(現代に比較的近い時代ものが多いのはその辺りが原因ではないでしょうか)

一方で史論となるとこれは各時代色々な題材で、色々なバックグラウンドの人が書いているようです。
学者が一般向けに書いたものもあれば、評論家が刺激的な仮説を提示するものまで。
個人的には日本の史論はあまり読まない方です。

2.世界の歴史小説または史論

時代物が好きなのは当然日本に限った話ではなく、多くの題材が出版されています。
日本の著者だと塩野七生とかでしょうか。
ローマ時代の物語でも紀元前数世紀から話が始まるなど、

+同じ人間の歴史でも日本史より広い時間が対象になる
+地域も多様で、(日本人にとっては)"定番"が少なく内容が多様

な感じがします。
特に時代が紀元前のものなどはそうですが、考古学的な検証も含めてその社会や歴史を論じる史論をよく読みます。
読んでいると他人の家をくまなく見て回るような、

+へえ、こんな歴史もあるのか

という楽しみがあります。

3."文明"論

一方で少し引いて見ると、個別の時代や社会を題材にしたものと言うより、より広く人類世界の歴史を概観した史論があります。
先日書いた「文明崩壊」もそうですが、氷河期が終わり人類が急速に世界に広がっていったこの一万年の間に起こったことを、包括的にとらえるものです。
一つ一つの社会で起きた個々の事件や個人は問題とならず、例えばアリのコロニーを観察するように、どういう原理で社会が変化してきたかを考察します。
(ここで言う2.では個人名や事件が話題の中心になる、という点で3.と分けて考えています)

日本ではこの手の本はほとんど見ませんが、欧米(またはその訳書)ではベストセラーになったりよく売れているようです。
少しとっつきにくいところもありますが、個々の歴史をタテに構造的にとらえる視点に新しい発見があり、個人的に好きな分野です。

あるいはそれに似たものとして、冷戦崩壊や資本主義など、現代の事象が人類の歴史の中でどんな意味を持っているかを論じるようなものも同じようなタイプかもしれません。

4.地球の歴史

1~3は全て「人間」の歴史ですが、人間以前にもこの地球に登場人物はあり、起こってきた出来事があります。
そうした意味で、この1万年ではなくそれ以前(地球誕生からの45億年)も視野に入れ、人間以外も含めて何がどう変化してきたかを論じるものも面白い分野です。

特に最近読んで面白かった"Future is wild"(ダイヤモンド社)などは、人類滅亡後にどんな生物が進化しうるか、という仮想シミュレーションを行い、いわば未来の動物図鑑になっています。
他にも人類が類人猿からどう進化してきたか、進化論的なテーマも一種の"歴史"の先にあるものです。

こうした超長時間軸でものを考えるとすると、歴史は実は生物学や地学等、他の分野と融合してしまうわけです。
もっと言えばその先には「宇宙の歴史」があって、そこは理論物理学の世界になっていくのかも知れませんが、そこまで専門知識がないので、実際はせいぜい生物学者が書いた一般向けの本を読むくらいですね…

こういう分類で整理してみると、普段「歴史」というと個人的にはつい1.(あるいは2.)の範囲でものを考えがちなことに気付きます。
そうすると

-自分のやっていることは後世に名が残るんだろうか
-今の日本人にはサムライの心が失われているのではないか
-現代は環境破壊などが極まった、破滅の時代だ

などと狭く捉えてしまいがちです。
しかし3.や4.の時間軸で物を考えると、

+千年名が残ったって、時の流れから見たらほんの一瞬に過ぎない
+美意識や価値観など、融合しては変化することを繰り返すのが人類の歴史
+もっと過酷で生きにくい環境の時代の方が遥かに長かった

という解釈も成り立つように思えて、ずいぶん気が楽になるような気がします。

特に忙しいビジネスライフを過ごしていると目の前の小事の囚われてものすごいストレスを抱えがち。
そんな時には超長時間軸の歴史観が精神の開放に役立つかも知れません。