桐生スバル☆☆☆座   

映画好きの座長がWEB劇場・桐生スバル座を始めましたが
東日本震災で故郷FUKUSHIMAが悲惨な状況で帰れないネ~

慰安婦C:女性運動家・平塚雷鳥は太陽! 樋口恵子は恥月の照り返し!

2011年12月25日 | 慰安婦
 さてさて、今晩25日のNHK2ラジオ20時からは評論家・樋口恵子氏の女性問題講演会シリーズ
の放送があるので・・・ブログが進まない。
先週までの放送では、戦前の男性優位の社会を「ユトリ平成の視点」から冷笑・批判していたの
だし、今晩の放送では戦中の慰安婦問題・戦後の男性優位社会を厳しく非難するであろう・・
と想定可能で、慰安婦ブログ中の座長はウツなのだ。
       平塚雷鳥ら婦人誌「青踏」メンバー
 (G)なにしろ「コリア国に対しては、36回でも100回でも謝り続けて100年間友好状態を続けて
  ・・」と論ずる女性であるので、日本人全体が100年間も前科者でなければならぬのだし、
  老人福祉問題に関しては「・・介護保険の・・1000万人の輪」なる福祉強化推進の団体理事
  でもあるので、若者・赤子に至るまで奴隷的福祉労役と福祉税納入を求めているのである。
   その様な日本(異国に恥じ入って属国化し、団塊老人達に奉仕し、放射能汚染で悩まされ
  ・・)に住み続ける若者を座長は想像できない(来年の座長ブログのテーマを「団塊世代から
  の決別」とする事に決め、若者の海外雄飛を望むのだ)。
   にもかかわらず、言葉遊びに堪能な樋口女史は、上記数字並べのスローガンの他に「BBー
  貧乏婆さん」や「濡れ落ち葉・粗大廃棄物ー定年男性」と並べ立てて、団塊女性達の支持を
  得ているのだ・・・・と、ここまで書いていたら、TBSテレビが東日本震災時の被災者
  支援「医療トリアージ処置」の画面になったー16時30分。
   そうだ!!毎年2~3兆円ずつ増加する福祉対策費負担から若者を解放するには、老人達の
   福祉を無制限にするのでなく、後世に有用な老人を優先して福祉すべきなのだ(座長案)。
    注:トリアージ処置を座長は困窮時の有用度優先救急としたが、平等な対応・人権尊重を
      主張して反感する方々に奥州詩人
      座長?のutaを披露しよう。
   震災ガレキの陰の 仮設のプレハブ小屋にいて
   東に急病の子供あれば 未来が有るからと援助してやり
   西に疲れたオヤジあれば もうすこしガンバレと言ってやり
   南に死にそうな老人あれば あの世を怖がらなくてもいいと言い
   北に人権訴訟があれば 若者が大変だから止めろと言い

   独りになれば・・あてもなく 放射能の田畑をオロオロ歩き
   皆から汚染ゾーンと呼ばれ  好かれもせず 相手にもされず
     そういう田舎でも  私は住み続ける


 (H)そんな樋口女史の立論根拠は、戦前戦後と世界的に大流行した共産主義理論(男女万民が
  平等になる社会ー実際はキーセン・両班体制の如くテクノクラート優位の国となる)と、戦後の
  占領軍GHQ制定の平和憲法(自由・人権・平和)と海外各国の女権比較データと、等である。
  それらスローガン的には素晴らしい夷国論理を月に照り当てる如くに、日本人の心に冷たい
  言葉のヒカリを刺し続けてきたのでは・・と座長は思う。
   
   対照的な女性運動家は、初めて日本で女性解放運動に尽力した「平塚らいてう」女史である。
  「元始、女性は太陽であった」と初の女性誌「青踏」創刊号の巻頭に記して、大正時代には本来の
  サムライ精神が衰えて軟弱化し建前だけの男社会に挑戦したのである。
  それらの詳細は松岡正剛千夜千冊←クリック)で公開されているのだが、
  野暮な座長は童謡替え歌で平塚らいてう女史を謡utaうしかないのだ。
    放送開始まで・・・アト30分・・ウツ!!
    
             (訂正!放送内容は同時代の羽仁もと子女史でした。)

H23/12/25 Utatteru #49 OZUの謡←クリック 1206

 「日本の半分」 元歌(おやまのお猿は鞠が好き・・
         YOUTUBE映像で聞けます←クリック
 日本の半分女性です、仕事が無いのでブスになる
  ・・・・・・・・・
   ・・・・・・・・・ヤクニン机で 欠伸顔
 

慰安婦B:華夷序列なのか?日本ゲイシャ vs コリア妓生

2011年12月21日 | 慰安婦
 さてさて、平成日本での前科者的混迷を解明するには、明治維新からの開化政策から考えないと
ダメダと思っている座長なので・・・
      1897年のコリア首都←クリック
 (D)開国してからの日本国キャチフレーズが「フジヤマ・ゲイシャ」とされたのは何故であろうか?
   名峰「フジヤマ」は判るが・・身体的に差が無いと思われる日本女性が何故「ゲイシャ」として
  格別に諸外国に宣伝されたのか?考えられる事として、250年余も平和な生活の中で確立さ
  れた芸者サービス様式が異人達の話題となる程に完成していた?とする論1と、開国時に
  外貨を得る一つとして商品「慰安女性」しかなかった?とする論2と、欧州ジャポニズム流行
  と連携した誇大宣伝だった?とする論3と、等があるのだが、座長は論1の(遊郭に入れば
  身分差もなく平等に扱われる)芸者システムにあるとしておこう。
  ***芸者システムをPTT交渉の様にコリア国へ導入した事が平成の慰安婦災禍となった。

 (E)即ち、コリア国の慰安婦体制においては、接待する相手は宮廷内外の両班特権階級とチャ
  イナ国要人達であり、華夷序列下層の倭人との接待は厳禁とすると共に、一般民衆に対しても
  儒教思想を強制して売春行為の無い「清純高徳の国」と自慢し続けていたのだ。
    (大量の若い女性が宗主国清国へ朝貢されてた事も若者向け遊郭が無い1因であった)
   その儒教伝統は、パチンコ絶対禁止令として現コリア国で復活し、隣国北コリア国にも継承さ
  れ、「失業者・売春婦のいない理想国」と株式会社アサヒ新聞を始めとするJマスコミによって
  大宣伝されたので、後に悲劇的な結果の「在日コリア人帰還運動」が行われてしまったのだ。
  ***これら「高徳・理想の国」の実態はどうだったのだろうか? 前者の実態は、米国
  政府が女性が単独で旅行すると強姦の危険がある国と昭和30年代まで警告していたのだし、
  後者の実態は・・皆様がテレビで見ている実態で理解出来るだろう。 

 (F)さて、李朝末期にはコリア国営のキーセン事業も庶民層まで緩和されたのだが、華夷意識に
  基づく人種差別は続行された。
   明治10年10月2日の郵便報知新聞によれば、釜山日本館の日本人居留民を相手に売春した
  朝鮮女性が斬首刑の大罪となった事を伝えている。
   それは侮蔑すべき倭賊・蛮夷の日本人によってコリア女性が汚されたという罪、それは自由・
  平等・人権の国としてのアメリカであっても、白人女性と交際した黒人男性はリンチ処刑に
  よって樹に吊されて「奇妙な果実」となった歴史」と如くの・・華夷意識の処刑なのだ。
   一人の女は刑場へ引き出されると、静かに周囲を見渡し「もはや餓死するしかなかった命を
  日本人のために四、五十日長らえることができました、今日からやっと、これまでの飢餓の
  苦しみから免れることができます」と言って涙を流したという。
       (この項Fは、WEB水戸ぢぢ登場←クリック・から参照した)
  ***その華夷意識はズ~~と持続され、平成の慰安婦災禍となっているのだ。

 座長は(D)にて日本女性に身体的差が無いと述べたが、日本を占領支配したGHQ兵隊の間に
「日本女性のアソコは横に割れている! 注:口割れ女ではない」噂が広まっていて、その為の
強姦騒ぎが日本中に満ち溢れた7年間があったのだ。その後、ICHIKAWA防衛長官を始めとする
本土人ヤマトンチュウ達の多くは忘れてしまったのだが、沖縄では数年前まで続いていたのだ。

H23/12/21 Utatteru #48 OZUの謡←クリック
 「鈍亀!!ヤマトンチュウ」 元歌(昔々浦島は 助けた亀に連れられて
         YOUTUBE映像で聞けます←クリック
 昔々沖縄は ヤマトンチュウに強いられて
  ・・・・・・・・・・
・・・・・・・ 本土は平和を叫ぶだけ


 以後(G、H・・・)と続きます。参考WEB←クリック  WEB水戸ぢぢ登場←クリック、ココで全てが見られます

慰安婦A:団塊世代は「援助交際」子は「インスタントSEX」祖父達は??

2011年12月19日 | 慰安婦
 さてさて、日立製作所の原発設計部を辞めた評論家・大前研一氏は、米国マッキンゼー社の
経営分析業に転職してから3年目には「企業参謀」なる名著を著して世界的な評価を得たのだが、
その分析態度は「現場で検証する」に尽きている。
 もし、日立製作所が社員の自由な創意を重視して東京電力に具申したならば「福島原発の被災」
は起きなかったろうし、日本マスコミが閉鎖的記者クラブをやめて「現場で検証」する態度であった
ならば「慰安婦問題」の再燃は無かったであろう(ヤクニン配布の資料にお湯を注いで記事にする
だけのJマスコミを、大前氏はカップラーメン方式と呼んだ)。
          

 座長は生活現場で得た感覚で「慰安婦問題」をブログしたいと思う・・何故なら、平成日本の
国土は原発汚染で荒廃し、モノ作り技術はユトリ教育で綻び、心身頭脳はコミック脳化で破綻し
つつあるからだ。

 (A)「現場で検証」する大事さは、本ブログ連載の元警察官故黒木昭雄氏の警察ヤクニンの
  不始末を追求し続けた遺業からも判る事だし、コリア国の青年達が果敢にも長期海外生活に
  望み、現場取得した商品アイデアを活用してユトリ日本を凌ぐ輸出実績を上げている現状だ。
   さて、ある報道記者はコリア国から羽田帰着の鳩山家御曹司が「慰安婦問題」をタラタラと
  述べ始めた取材現場に遭遇して奇妙な現場感覚を感じて・・それを新聞コラムに掲載したのは
  昔の話である。それを読んだ座長は「それはキーセン式洗チン脳の為!?」と連想したも
  のだった(平成の大ブームは団塊オバサン達の韓流スター訪問だが、その頃は朴大統領主導
  の外貨獲得キーセン旅行で昭和オジサン達が訪問しまくったのだ)。
   それが教訓となったのか、小泉首相訪朝時には飲料食事を持参する事でコリア宮廷伝来の
  淫乱秘薬摂取を忌避し、且つ、日帰りコースとしたのでハメ撮り脅迫される事もなかったのだ。

 (B)キーセンとは本来コリア国宮廷でのみ許される高級慰安婦の事であるが、外国要人に接待
  させる事で秘密情報ルートを確保する「ハニートラップ」にも活用された。
   その伝統はシミン主党管直人首相のコリア隠し子騒動←上記写真)にも生かされたのだが、
  今春のコリア系政治団体への巨額献金問題はコレが原因なのか?と考えてしまう。
   より大規模なのは、ジミン党の橋本隆太郎首相の「チャイナ国版ハニートラップ事件
  クリック」である。彼は、1988年からチャイナ国公安部の甲光女史と親密になり過ぎてしまい、
  後には日本入国OKの特別処置でお迎えした為に、公安部の元旦那が東京地裁に訴える醜態
  となった。1国のリーダーが此処まで暴走する事態に恐れをなしたチャイナ国は、Jマスコミに
  対する規制(日中ブンヤ協定)を緩めて個人間の問題としたのだが、Jマスコミ自体がGHQ
  的自己規制をして隠匿報道をした為に、米国クリントン大統領不倫問題の様に大マスコミ騒ぎ
  することは無かった。

 (C)斯くしてニホン国は、中国在住の日本外交官がH16年「ハニートラップ」を理由に自殺した
  事件をあざ笑うかのように、上から下までSEX絡みの話題が蔓延する国となっていた。
   即ち、団塊世代達が「援助交際、ユトリ教育」と称して若者を誑タブラかしてきた昭和時代で
  あったのだし、彼らが統治する平成の世になると、その子らが「インスタントSEX」と
  称する自堕落行為に陥ろうとしているのだし(Jマスコミの代表格であるNHKは「それは酒、
  タバコ同様の自己満足ヨ!」と翼賛する番組を放映した)、そんな淫乱ニホンに付け入るか
  のように、儒教精神と華夷意識に満ちたコリア人達は、団塊世代の親父・祖父達がコリア国へ
  持ち込んだ「芸者システム的キーセン制度」を攻撃してきたのである。

座長は特に、斯様な平成の前科者的混迷を傍観してきた団塊世代に、次の謡utaを贈るのだ!!

H23/12/19 Utatteru #47 OZUの謡←クリック

 「援助交際、介助交際」 元歌(籠の中のとりは・・・
        YOUTUBE映像で聞けます←クリック
 援交援交 援交に夢中のおじさんは イツイツ出会う
   ・・・・・・・・・
 ・介助交際 募集中


 ブログは、以後(D,E・・・)と続きます。参考WEB←クリック

鎌倉沖地震の津波14.4mを想定していた=OZUの謡

2011年12月13日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、今朝のニュースは、神奈川県神奈川沖の地震発生でナント!高さ14.4mの津波を想定した・・という内容であった。そこで急遽、座長が以前に作成した謡「鎌倉沖の大地震」を御紹介する。(本歌は唱歌の七里ヶ浜)
     

H23/12/13 Utatteru #45 OZUの謡←クリック
 「鎌倉沖の大地震」 元歌(七里ヶ浜の磯伝い・・・)
     YOUTUBE映像で聞けます←クリック
 鎌倉沖の大地震 大仏様が言うとうり 
  ・・・・
   ・・・大仏歩いて逃げ出した・・


 曲の調べとしてはもの悲しいのだが、あくまでも鎌倉時代の鎌倉震災を参考に創った謡で、311東日本震災津波の凄まじさを見た現在では「不謹慎なUta」と言われても仕方がない。

 さて、以前からヤクニン達の作る避難想定計画には疑問を持っていた。
95年神戸沖地震では、シ民主党の前身である社会党村山首相はノンビリと朝から震災テレビ鑑賞に没頭し「正式な被災報告が来てから自衛隊に出動命令した!」と後に弁解した程の「非武装状態」だったのだし、311震災ではシ民主党の管直人首相はノンビリと1ヶ月後に対策委員会を20以上作って丸投げ対応したくせに「全力を尽くした!」と弁明して四国巡礼に旅立ったのだ。
  結局、奥州の被災民達は冷たい年の瀬を越してから本格的な援助を得ることになった。

  座長はヤケになって、災害Utaシリーズから唱歌「花火」の替え歌も付け加える。

H23/12/13 Utatteru #46 OZUの謡←クリック
 「ドンと来た 地震」  元歌(ドンと来た花火だ キレイだな・・       
 YOUTUBE映像で聞けます←クリック
ドンと来た 地震だ 神戸沖
   非武装避難だ、見てるだけ、
   ・・・・・・・・・
   ・年が明けても流さる

NHK「schola・音楽の学校」でプレスリーの「カイゴ苦ROCK」3競演

2011年12月10日 | OZUの謡uta・・・今月
 さてさて、「介護苦ロック」替歌をブログしてから1週間後のNHK「schola」は、E・プレスリーが歌う
「監獄ROCK」を3組バンドが競演する内容でした。
番組演奏を聴いた感じでは、もはやエルビスは過去の人という教科書的存在であって、やはり、
この現実社会で生きる生身の歌手でないと共感を得ないモノダ・・と座長は想う。それは座長が好きな
童謡や唱歌が忘れかけている平成社会と同じで・・・昔ながらの歌詞では若い人には受けないのだろう。
 そこで、座長創作の現実的な「OZUの謡」をヨロシクと伝えたかったのが、3組出演中の一つ=
「四季織」という若者のロックバンド。ナント!水戸藩天狗争乱に縁のある筑波山の麓で活躍していると
いう事なので・・座長は「介護苦ロック」替歌をメールしてしまったのだ。
 
 しかしながら、7日経っても返事ナシ・・なので、座長は月を見る・・・・
             

H23/12/10 Utatteru #44 OZUの謡←クリック

 「10年周期で・・」   元歌:十五夜お月さん(・・御機嫌さん 婆やは・・ 
        YOUTUBE映像で聞けます←クリック
 15の娘さん 不気嫌さん 平等ジャないわとフテクサレ
 ・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・85の爺イさん ご機嫌さん 歌ってあげたら笑い顔

飽食の平成消費者達が強いる、モノ創り日本の「蟹工船」化

2011年12月09日 | OZUの謡uta・・・今月
 ・・・という訳で、奥州「東駒酒造」の古市滝之助社長の「清酒革命」は失敗致しましたが、その後の「酒販自由化」改正によって(A)酒が安くなり(B)街の酒屋が激減し(C)日本酒酒造元も疲弊化し(D)ヤクニン酒税収は安泰、の現状となりました。

      
 これらから座長が連想するのは、モノ創り日本の「蟹工船」化でありますので、参考にOZUの謡#43を紹介します。

H23/12/09 Utatteru #43 OZUの謡←クリック
 「下請けシタラバ・・蟹工船」  元歌:花嫁人形(金襴緞子の帯締めながら・・・.
       YOUTUBE映像で聞けます←クリック
 金型頼まれ 苦労して創った 
  ・・・・・・・・・
  流れる汗水 下請け涙


(A)団塊世代が引き起こしたバブル崩壊により、労働者派遣が常用化しつつある頃に小林多喜二著「蟹工船」がブームとなって、日本共産党へ入党する若者が増加する珍現象が起きた。 彼らの勘違いは、現代の「蟹工船」労働現場を支配するのは「資本家」ではなく「神様となった 飽食餓鬼の消費者」である事だ。(隠れて金融ファンド株主という巨大神様も存在する)
 恐ろしいのは農漁市場仲介者達が「彼ら神様のお手頃価格」という風評を振りまいて労働工賃を決める事だ。生産者が自分の労働対価を請求できない現状・・斯くして、霞ヶ関農水産省官僚の無策が戦後60年も続いた事もあって、地方の農水生産現場においては、経営者までもが蟹工船労働者となってしまった。
  
(B,C)餓鬼の如く安値を求める「彼ら消費者神様」達は、自ら生活の核となる商店街をシャッタ化し、地方経済の要の酒造元をも衰退させてしまった。
 そんな消費者神様達の思い上がりの1因に、歌手三波春男の「お客様は神様です」の誤解がある。その真意は「・・お客様に自分が引き出され舞台に生かされる。お客様の力に、自然に神の姿を見るのです。」英語では"The customer is always right."なのだが、外国ブランド←クリックOZUの謡#17)には大金を支払うのに、地元商品には傲慢な態度で過大サービスを要求するのである。

奥州「東駒酒造」の古市4代と平泉「藤原4代」とを連想するスバル座長

2011年12月02日 | 矢祭「特区」
 さてさて、座長は倒産消滅した「東駒酒造」の古市4代(滝之助→興平→一興→滝之助)と、奥州平泉の藤原4代(清衡→基衡→秀衡→泰衡)との栄枯盛衰とを連想するのだ。
 それは3代目(古市一興氏と藤原秀衡)の隆盛と、4代目(古市滝之助と藤原泰衡)の没落の奇妙なる重なりに象徴される。
      
(A)座長入手の「水戸天狗党と久慈川舟運」柏書房刊には、三代目古市一興氏(写真↑)が、S10年に冷用酒医の製造、県会議員、酒販組合長、などで活躍した事が、著者である元塙町町長金沢春友氏によって記されている。
 その彼は、息子滝之助が「清酒革命」の新事業を始めんとしたS47年8月、自宅前の国道を横断しようとして交通事故死した。享年70歳。
 
(B)古市家4代の「東駒」ブランドは、奥州平泉で京都に次ぐ隆盛を誇った藤原家4代を意識したものだろう。特に藤原4代目秀衡の時には、砂金と駿馬の生産で「北方の王者」となって最盛期を迎え、交易中の中国では「ジパング・黄金の国」と呼ばれるほどで・・・日本JAPANの名付け基となったのだ。

(C)繁栄する奥州4代目を狙ったのは、関東の権力である。
 4代目滝之助社長には超過課税39億円(実際は6億円滞納だった)で会社を差し押さえた霞ヶ関幕府!!
 4代目藤原泰衡には東大寺再建の鍍金3万両(従来は1000両だった)の命令が鎌倉幕府から届くのだ。
 斯くして、先代の死後11年で古市家が、2年余にして藤原家が没落するのである。
              
(D)奇跡的な事だが、この反骨のDNAが2001年「南郷町」に再現する。
 即ち、福島県南端の矢祭町・根本町長は、霞ヶ関幕府が強行する平成大合併に反対し、自立財政を目指して猛烈な行政改革を断行したのだ。職員の削減、職員の職務兼務の推進、町議員の日給制など、先月の大阪府長選挙スローガンを10年も先行して実施始めたのだ。



12黒木昭雄氏の月命日に「東駒・東菱酒造」の古市滝之助社長をブログ。

2011年12月02日 | 故黒木昭雄氏の月命日
 さてさて、常磐線に乗る就職希望者が全て「三河島の決心」するのでもなければ、奥州盆地に
残った人達が何もしなかった訳ではない。
 座長が東京塵芥の中に埋もれつつある頃には、福島・郡山で「ワンステップ・ロック集会」が
日本初で開催され、80年代には日本初の酒安売り「東駒・東菱酒造」が座長故郷の「南郷町」に
誕生し・・消滅させられたのだ。
     
     八槻都々古別神社の霜月大祭が12月10日(土)~11日(日)開催←クリック
      先代「東駒酒造」社長はこの神社の宮清水で新酒を造った。

 現在、ネット検索で「東駒酒造」「東菱酒造」を検索すると、前者には福島出の民族運動家・瀬戸
弘幸氏の事件、後者は日本酒詐称事件、のコピー記事が大部分となるのだが、地元目線で
改めて古市滝之助社長の「清酒革命」を(故黒木氏を見習って)ブログ編集しようと座長は決めた。
  (その頃、座長は東京在住だったので関連情報が少ない事を告白せねばならないし、40年前の
   当事者に出会う機会も少ないのだ。情報提供を望みます)

 (A)古市社長の人柄が解る唯一の記事←クリック)から、座長は「遠心分離器の思想」を
  見い出す。敢えて東京中心とせずに遠隔地域での社会活動を!という古市社長の思想は、
  日本初の「酒廉売・・10本買えば9本オマケ!」の商法を東京生活協同組合と起こすのだ。
   その頃の酒販業界は、戦前の統制経済下の名残りが強く、消費者小売値はヤクニン黙認の
  高価販売、酒造元へはリペート・値引き要求という小売店優位の殿様商売であった。
      (ネット通販の今ならば容易なのだが・・早すぎた!)

 (B)斯様に酒造元が困窮する中で、税金ヤクニン達は、S39年の第1次臨調の酒販自由化
  答申を無視し続け、S58年酒販組合の「厳格すぎる酒税適応の改善要求」を無視してきた。
   この過程で「東駒酒造」の古市滝之助4代目社長は、日本初の酒直販を実施した為に、
  過酷な税金搾取とJマスコミの誹謗中傷に遭い、倒産したのである。
   その経過を語る記述を、S58年10/13参議院での秦豊議員の質問書←クリックから
  抜粋すると、
    1:古市社長は6億余の滞納税を一部納付、残りを順次納税としたが
    2:ヤクニンは39億円の超過課税・差し押えを強行し、
    3:仕掛け中の原酒・社員用預金まで差し押さえ
    4:酒販組合に8億円を融通?して、公売取得させて
    5:原酒アルコール化分の酒税と滞納税分を確保した。

 (C)11/11の中曽根首相の答弁は、1は古市4代目社長に誠意が無い、2の超過課税と
  3の預金はナシ、3の原酒差し押さえは適法、4は知らない、との官僚答弁であった。
   以前からのJマスコミ誹謗(H18年迄、業界黙認の糖分添加の日本酒販売の事)により
  困窮していた古市滝之助3代目社長は、裁判所に訴えて1審勝訴であったのだが、その後は
  敗訴となって、その後「東菱酒造」として再建を図るも倒産し、現在残るのは悪風評だけである。
     (その倒産時に起きた瀬戸氏の恐喝関連事件も不起訴である)

 座長故郷の「南郷町」で最大繁栄の棚倉町へ至る118国道沿いにあった豪壮な「東駒・東菱酒造」
屋敷は、若い頃には憧れて何回か写真を撮ったものだが、今は更地となって寒風に晒されている。