加地尚武の佐倉新町電気街

「福音の少年 Good News Boy」シリーズ(徳間書店 徳間デュアル文庫)著者による電脳生活と意見。

遍路転がしで転がされる【第11番~12番札所】あるいは増殖するカカシたち

2014年06月30日 00時07分41秒 | 四国八十八箇所
めずらしく天気のいい日曜日になりそうだったので、(放射状自転車通勤型)お遍路さんの続きに行って参りました。


第11番、藤井寺。なんとなく田舎くさい良さがある寺。駐車場が有料。自転車も金払うのかな、と思っていたら門前のおばあちゃんが境内の涼しいところへ停めなと言ってくれる。感謝。

さて次はいよいよ「お遍路転がし」の異名を取る第12番札所「焼山寺」。
歩き遍路にとっては前半最大の難関だとそうな。とにかく半端ない山の上らしい。

と、自転車を漕いでると、

道ばたにどこかでみたようないい女が!
思わず急ブレーキをかけました(笑)

いや、わかってるんです。偽物だってのは。めずらしいエアブラシ教室の看板です。にしてもいいお尻である。というかこんな煩悩まみれの遍路でいいのか?






・・・・・。なんかわからん人たちがゴミを拾っています。近くでよく見ると、この間行った東祖谷の名頃のカカシみたいなタッチの人形たちですね。
なんなんでしょうか。



で、問題の「焼山寺」ですが・・・完全にやられました。あと4キロのところで心が折れて、しばらく押しました。京柱、落合という二大峠で自転車を降りなかったぼくがですよ?
普段乗ってるロードバイクで手ぶらだったらクリア出来てた自身はあるんだけど、10キロ超の重いシクロクロス車に納経帳やいろいろ入れたバックパックを背負ってましたからね。




なんとか山門に到着。しんどかった~。サイクルイベントでもこれだけしんどいのは体験したことがないかも。
ぼくが通ったのはクルマ用の道ですが、歩き遍路用の道はさらにハードだそうです。
意思を試されてるんですね。



休憩の合間に好きな青い額紫陽花を撮ってみる。


で、焼山寺へ向かう県道にもカカシたちがいました!

名頃のやつに比べると「ふーん」て感じ。ちがうんだよな~。

しかし、名頃風のカカシ、ここを含めると東祖谷以外に三箇所で見たことになります。一箇所は高知の大豊町。
つまり、徳島高知の山の中で、カカシたちが増殖してるんです!
その証拠に結婚とかしてるし(笑)


50年後は、日本人6千万人、外国人労働者3千万人、カカシ2千万・・・なんてことになってるかもね(笑)
コンパクトシティ化が進んでいまの限界集落は全部カカシになっているという・・・。
しゃれにならんな。


足が残ってなかったので、JR徳島線で輪行して帰りました。しかしタッチの差で電車一本乗り遅れてしまい、池田に着いたのは午後8時。トホホです。

6月28日(土)のつぶやき

2014年06月29日 02時48分09秒 | 四国八十八箇所

ブログを更新しました。読み返すと「だいじょうぶか?」って感じですが、本人は気楽な人間なのでもちろん大丈夫です(笑) goo.gl/sJuN4B



亡き王女のためのパヴァーヌ。~娘の誕生日に。

2014年06月28日 03時20分05秒 | 公園のつぶやき。
明け方にはまだ早い時間に目が覚めて、考え事をしています。

もう今日なのかな、6月28日は、娘の誕生日なんです。

写真は、ぼくの家にやってきたばかりのゴールデンレトリバーの子犬を抱いているところ。
もう十五年も前の写真です。


さっきからこの写真についてなにか書こうとするけど、涙があふれてきて、書けません。

ブログやFacebookのプロフィールに「小説家」って書いているくせに、ぼくは、ちゃんとこの写真に向き合うことができない。

かわりに音楽のことを書きます。
娘が亡くなってから、好きになった曲があります。
ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」という小品。
ウィキペディアなんかを見ると、とくに特定の人物に捧げたものではなく、本来はたんなる語呂合わせの題名だったようですが、この曲が愛され続けるのは、この題名と、遠い世界に逝ってしまった人を偲ぶような、やさしい曲調にあると思います。

夜が明けたらお墓に行ってやろう。
その近くに葬った犬の墓にも。ちょうど、番犬のような位置にいるんですよ。

「お子さんはいまどうしているの」と、いまだに聞かれることがあります。善意で聞いてくれたその方に気まずい思いをさせたくないのでごまかしますが、心の中でこうつぶやいています。

「娘は冥界の王様のもとに嫁いで行ったんです」

と。これで気の利いた台詞だと思ってるところがまだまだだな(笑)


ラヴェル:ピアノ作品全集
アース(モニク),ラヴェル,マリンカ(イナ)
ワーナーミュージック・ジャパン

調子に乗ってきたお遍路さん【七番~十番札所】

2014年06月14日 21時32分40秒 | 四国八十八箇所
じつは秘密兵器を買ったのです。

じゃーん。


前回自転車のジャージ姿で浮きまくった(ような気がした)ぼくは、ついに白衣を買ったのだった。
寺に着いた時は汗をかいていることが多いので袖無しにした。

いつものように娘の位牌に手を合わせ、シクロスロスお遍路仕様で出発。

で、自宅から85キロ以上の距離にある七番札所、十楽寺についた。
ちょうどでかい観光バスでお遍路さんたちがやってきた。

境内はこんな感じになった。



おお、いいぞ。目立たない。

ついでにガイドさんの読経に合わせてお経を読んだ。大勢だと恥ずかしくない。
ちゃんとお経を読んでスタンプもらうと素直にうれしい。なんだか大物になった気がする(笑)

つぎいこ、つぎ、ということで八番札所、熊谷寺。
熊谷という地名もあるようで、緑が多い。


なんだかまったりしてきて、紫陽花の写真なんか、撮ってみる。


つぎいこ、つぎ。
九番札所、法輪寺
あれ、行ったのに記憶が無い(笑)
スマホのお遍路さん用アプリ(そんなもんがあるのだ)で、次の札所の距離を計測。
いける、いける。

いいや、つぎ。
十番札所、切幡山。


ここはいい。ぼくの下手な写真じゃわかりにくいけど、ものすごくささやかで、静かな門前町があって、急坂が山門に向かって続いている。
うどん屋さんに仏具屋、小さな土産物屋。
自転車で狭い参道をまったり通る。ところがこんなすてきな参道を車でぶいぶい通る人がいる。いや、寺が許してるんだからいけないとはいわないけど、風情がない。あ、そら歩いて通るのが一番だわな。自転車で通ってるぼくが偉そうに言える義理ではない。



初の山寺って感じ?
数百段の石段。自転車用のシューズで登ると、超怖いぞ。
比較的歩きやすいSPDでこれなのでSPD-SLやLookやTimeの人なんか上り下りできないじゃないか。
(もちろんそんなロードバイク乗りもとい足の不自由な人のためにスロープありますけどね)



てなわけで、本日の打ち止め。

前にも書いたかな、ぼくは無神論者です(笑)
宗教という宗教、仏教はもちろん、キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教もミトラス教もマニ教も、毛沢東主義も信じていません。

でも、このお遍路という行為のおもしろさ、やりがいっていうのはすごく理解できます。

あしたも行きたいんだけど、サッカーの試合、観なくちゃね。やっぱり。

6月11日(水)のつぶやき

2014年06月12日 02時47分10秒 | 四国八十八箇所

Kindle のシェアのしくみが変わってる。正直、改悪だと思う。ところで「幕末入門」という正統派の本を読みました。陰謀論もちょっとある(笑) kindle.amazon.co.jp/post/b6iYU375T…



「英雄か走狗か? それが問題(か)?」 あやつられた龍馬-明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン

2014年06月05日 21時35分03秒 | 本のこと。
あやつられた龍馬―明治維新と英国諜報部、そしてフリーメーソン
加治 将一
祥伝社


ずいぶん前に話題になった本だけど、ようやく読む機会があった。
副題がなんだかおどろおどろしいけど、べつに怪しげな本ではない(と思う)。「自由」「平等」「博愛」が絶対君主制、封建制度にとって「危険思想」だった時代、フリーメーソン、あるいはこの本にはさすがに出てきていないがイルミナティといった組織は秘密結社にならざるを得なかっただけである。

そして、爛熟した海洋帝国イギリスにとって、鎖国していた東洋の島国でガラパゴス的な進化を遂げた封建制政権に対して転覆工作をするのは造作もないことだろうと思う。

この手の本にありがちな強引さに目をつぶると、ごくもっともな推論だと思う。

で、本を読み終えて思ったのだ。
いわゆる「坂本龍馬ファン」には悪いけど、結局、ぼくはこの人(龍馬)がなんでこんなにもてはやされるのかがわからない。この本にしたって、書名にもかかわらず、龍馬に書かれた部分は、実に少ない。

「脱藩」した最下級の武士にもかかわらずあれだけの手紙を出せたのはなぜか? 巨額の借金の保証人になれたのはなぜか? そもそも幕府や薩長の人間に一目置かれたのはなぜか、この本は鮮やかにこれらを解き明かしていくのだが、肝心の政権転覆工作、現地の協力者(エージェント)を操って起こした「明治維新」というなの革命において、この龍馬が果たした役割というのが、わざわざ書名にするほど重要に思えないのだ。

本のセールスの問題、つまり坂本龍馬というネームバリューや、「このひとは過大評価されてるんじゃないか」なんてうすうす思ってるぼくのような読者のためにあえてこのような書名にしているのだろうけど。

「幕末」、「明治維新」というものにロマンを感じているひとにとっては、腹立たしいことこの上ないかもしれない。あの銅像にもなってる人物が、外国の諜報機関の走狗だったなどというのは。
もちろん、この本に書かれていることはすべて真実だとは思わない。いや、そもそも完全に中立的な視点などあり得ない過去の歴史に「真実」などを求めること自体間違いだと思うけど、「明治維新」が外国勢力とその国内の協力者によって起こされた革命であってもいいでのではないか、と思うのだ。それでわれわれ日本人としての誇りがいささかも傷つくわけではない、と思う。

外圧によってしか変化することができないことが屈辱的だと日本人の多くが思うなら、今後そうならないようにしてゆけばよい。
それが「歴史に学ぶ」ということなのではないだろうか。


あ、なんか気恥ずかしいこと書いてしまった。

おもいつきお遍路。自転車でお遍路を始めてみる。【1番~6番札所】

2014年06月01日 10時23分11秒 | 四国八十八箇所
ぼくは衝動的な人間だ。土曜日の朝、4時に目が覚めて、「あ、今日から四国八十八箇所霊場を巡ろう」と思った。
もちろん、まったく白紙の状態から浮かんだわけではなくて、前回のブログで取り上げたように、前々から興味があった。

天気予報を見るととてもいい。
行こう。



で、来たんです。
一番札所霊山寺。
「りょうぜんじ」と読む。知らんかった。

門の前に「正しいお遍路」の格好をしたマネキンが置いてあって、いかにも「ここがスタートですよ」という雰囲気。



寺の真ん前に休憩所兼売店があって、線香から装束に至るまでぜんぶの「お遍路グッズ」を取りそろえることができるようになっている。
自宅から自転車で少しずつ回ろうと思っているし、金も無いので納経帳やお線香、ローソク、納め札といった必要最小限のものだけ買う。

で、やってみました。多くの人が書いているように、なかなか大きな声でお経を読むというのができません。恥ずかしい。
白装束の人たちや、普通の観光客のなかで、自転車用のジャージ姿というのがすごく浮いている。
ピッチリモッコリのレーパンでファミレスまでは入店できるぼくでも苦手な場所だった。



参拝前に鐘をつくことになっているそうで、衝いてみる。思わぬ大きな音がして、なにか悪いことをしたようにあたりを見回してしまう。

とにかく納経のまねごとを終えて、納経所に行く。
温厚そうな尼僧の方がスタンプを押して、サラサラと書いてくれる。
で、人生初の遍路参拝終了。終わってみればあっけない。

「なーんだ」と罰当たりな感想を抱きつつ、道の途中にある二番札所、極楽寺に行く。同じ手順を繰り返し、納経帳に御朱印をいただく。
極楽寺から三番・四番はこっちっていう標識が出ていて、金泉寺、大日寺に行く。

同じ事を繰り返す。しかし、納経帳は確実に埋まっていく。

楽しいやんか。

やってみなければわからないだろうけど、なんだか独特な、心地よいリズム感があるのだ。



こんな英語表記のある看板があるお寺があった。
なんで英語と思ったら、ばっちり遍路ファッションに身を包んだアメリカ人のお遍路さんに会う。

でも、この文章いいよね。あるお寺では「Stamps here」とか納経をスタンプって書いていたけど、それはそれで間違いではない。オトナのスタンプラリーとも言えるし。でも、こう書いてもらうと、「オレのやっていることは"Sutra chanting"なんだ」ってなんだかRPGの主人公にでもなったような気がする。

結局、時間の都合で六番まで打った。あ、参拝することを「打つ」というのです。鐘を衝くから?

じつはここまで自宅から自転車で来ていたのです。六番札所で午後3時。自宅まで80キロ。ぼくの足では夜中になっちまう。
てなことで今日はここで「打ち止め」。

下の写真はシクロクロスお遍路仕様の自転車。
同行二人。お大師様も乗っていたのだろうか。


二人乗りはいけないよ、なんて罰当たりなことを考えつつ、何を書いているんだかさっぱりわかんないけど美しい朱印の数々を眺めながらハイボールを飲んで眠りについた。

一日の走行距離、190キロあまり。次は7番からだけど、いつになるだろうか。真夏はいやです。