今回母の病気を通して『老い』について考えさせられた。
私は祖母を見ていて老いと言うのは決して悲しい事では
ないと思っていた。
祖母も脳梗塞を患い手足に麻痺が残ったが明るく前向きに
楽しんで生きていた。
悲しく感じなかったのは自分の意思で動くことが出来る
状態の老いだったからか・・・。
または自分の意思を明確に伝えることの出来る老い
だったからか・・・。
祖母がいつも笑っていたからか・・・。
自分の人生を一歩ずつ歩み心身共に健康に老いる事が
出来たら人間としてこの上ない幸せだと思う。
母が最初に入院した病院の脳外科病棟は8割ほどの方が
寝たきりだった。
手を上に向けたまま動かず固まってしまっている方
たくさんの管に繋がれ天井だけを見ている方
『おーい!おーい!』と誰かを呼び続ける方etc。
ドアが開いたままの状態だから廊下を歩いていると
どうしてもその方達の姿が目に入ってしまう。
母の病室は一番奥だったので必ずそこを通らなければ
行けなかった。
正直・・・その姿を目にするのが辛かった。
生きるという事は時に切ない・・・。
私は自分の人生の最後に言いたい。
『良い人生だった。ありがとう!』と。
だから私は今終われない・・・。
私は祖母を見ていて老いと言うのは決して悲しい事では
ないと思っていた。
祖母も脳梗塞を患い手足に麻痺が残ったが明るく前向きに
楽しんで生きていた。
悲しく感じなかったのは自分の意思で動くことが出来る
状態の老いだったからか・・・。
または自分の意思を明確に伝えることの出来る老い
だったからか・・・。
祖母がいつも笑っていたからか・・・。
自分の人生を一歩ずつ歩み心身共に健康に老いる事が
出来たら人間としてこの上ない幸せだと思う。
母が最初に入院した病院の脳外科病棟は8割ほどの方が
寝たきりだった。
手を上に向けたまま動かず固まってしまっている方
たくさんの管に繋がれ天井だけを見ている方
『おーい!おーい!』と誰かを呼び続ける方etc。
ドアが開いたままの状態だから廊下を歩いていると
どうしてもその方達の姿が目に入ってしまう。
母の病室は一番奥だったので必ずそこを通らなければ
行けなかった。
正直・・・その姿を目にするのが辛かった。
生きるという事は時に切ない・・・。
私は自分の人生の最後に言いたい。
『良い人生だった。ありがとう!』と。
だから私は今終われない・・・。