五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

★旅限無デビュー!『チベット語になった『坊っちゃん』』出版

2006-12-31 00:00:00 | お奨めの本
この度、旅限無は『チベット語になった『坊っちゃん』』という本を山と渓谷社より出版することになりました。 旅限無は1998年から2000年まで中国・青海省でチベット語を学び、2001年の1年間はチベット人学生にチベット語で日本語を教えておりました。この本はその時の体験・思索をまとめたものです。 ■本の概要 本の最初はチベット留学の動機から始まります。奇縁で入学したのが、パンチェン・ラマが設立し . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の伍拾壱

2006-07-29 10:56:55 | 玄奘さんのお仕事
■ 537年 西魏・東魏が軍事衝突。西魏が優勢で候景が管理していた    河南を得る。 547年 東魏の実力者高歓が死去し、候景は梁に亡命。梁の武帝は    候景を重用して東魏の南下を牽制させるが逆に大敗を喫す。 敗走中に武帝の甥の蕭淵明が東魏の捕虜となる。 548年 東魏と梁との和平交渉が進み、蕭淵明の身柄送還が議題と なって、逆賊候景の引渡しが交換条件になるとの噂 . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の伍拾

2006-07-12 22:19:51 | 玄奘さんのお仕事
■真諦さんが南朝梁の武帝からの招きに応じて広州で2年を過ごしてから、建康に入ったのが548年だったと書きましたが、その25年前に当たる523年に北魏の北方で不気味な鳴動が起こると、たちまちの内に東西分裂の動きが進み出します。北魏の北には柔然という強大な勢力が育っていましたが、その下で支配されていたトルコ系の突厥族が新勢力として台頭しつつありました。そんな北の内輪揉めに油断したのか、北魏は洛陽に遷都 . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾九

2006-07-11 01:34:29 | 玄奘さんのお仕事
■皇族内の混乱によって梁に政権を奪い取られて斉の国には、文宣王という仏教に熱心な王族も居ました。この人は多くの僧侶と親交を結び、入手可能な経典の内容を詳細に研究した成果を全36部の抄録集を編纂しました。こうした仏教を擁護する政策が梁に引き継がれ、初代の武帝もその子の昭明太子もますます仏教に肩入れしたので、建康には700と言われる伽藍が並んだのでした。入れ物としての寺院には、充実した経典群が欠かせま . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾八

2006-07-08 09:29:15 | 玄奘さんのお仕事
■そんな大檀那だった武帝ですから、海のシルクロードを存分に活用して東南アジア経由で名僧を招聘しようと熱心に動いたのでした。インド情報が集まる扶南国まで来ていた真諦さんの高名は梁にまで達し、同時に武帝の信仰心は扶南まで聞こえていたというわけで、真諦さんは膨大な経典類を持って広州に上陸したのが大同12(546)年のことでした。そこで2年を過ごした真諦さんは、漢訳仏典の実情をつぶさに知ろうと情報を集めた . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾七

2006-07-07 06:26:59 | 玄奘さんのお仕事
■494年という年は南北の王朝が好対照を見せる年でした。南朝の斉では明帝が即位した年に当たりますが、この皇帝は病的に猜疑心が強く皇族を次々と殺害し始めたので王朝内は疑心暗鬼に満たされて混乱し、国内も不穏な空気に包まれます。同じ年の末、北朝の北魏は皇太后が死去して親政を開始した孝文帝が古都洛陽への遷都を実施しています。平城(大同)郊外の雲崗石窟に劣らない龍門石窟の造営が始まり、ますます仏教は盛んにな . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾六

2006-07-06 00:03:16 | 玄奘さんのお仕事
■東晋の時代から始まった南部開発が軌道に乗って、米作と交易によって門閥貴族が急速に富を蓄えて権力の簒奪闘争が始まります。日本に米作が伝わった歴史も、この南朝の発展と密接に関連しているに違いありません。日本の伝統的な農村風景も、農家の建築様式も南朝の影響が見られる事は明らかです。大和朝廷が成立したのは、正に南北朝時代のことですし、倭の五王が盛んに遣いを送ったのは歴代の南朝でした。 ■420年7月、 . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾伍

2006-07-05 00:00:31 | 玄奘さんのお仕事
■真諦さんのお話に戻ります。おそらくはナーランダー寺院から分派した唯識思想を学んだ後、或いは学びながらインド各地を歴訪して50歳になっていた真諦さんは海に出ます。13世紀以降、東南アジアにイスラム教が広まる前の広大なベンガル湾とインド沿岸のアラビア海はインド人の海でしたから、西インドからでもガンジス河口のデルタ地帯からでも真諦さんは布教の旅に出発できたはずです。しかし、ガンジス河口まで行くにはナー . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾四

2006-07-03 15:02:03 | 玄奘さんのお仕事
■ナーランダー寺院で玄奘さんが学んだのは唯識思想ばかりではなく、翻訳という大目標を達成するのに欠かせない文法学や音韻学、更に仏教以外の各種インド思想も学んだとされていますが、天才玄奘さんが集中して晩年のシーラバドラ(戒賢)の直接指導を受けて5年間も学んだのですから、その間に吸収した知識は以下の体系と無関係だったとは到底思えません。 ■インド伝来の学問体系は、基本的に「大五明学」と「小五明学」に分 . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾参

2006-07-03 15:01:13 | 玄奘さんのお仕事
■さて、三大訳師と尊称されるのは、鳩摩羅什(344~413)、真諦(499~568)、玄奘(600~664)とは前にも書きました。玄奘さんは帰国後に鳩摩羅什さんの業績を強く意識していた事が分かる発言をしているのですが、真諦さんの残した仕事に関しては一切触れていないのだそうです。真諦さんはパラマールタとクラナータの二つの名前を持っていました。5世紀初頭に活躍した鳩摩羅什はいろいろと苦労をしたものの、 . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事 其の四拾弐

2006-05-03 14:39:51 | 玄奘さんのお仕事
■寿命が尽きて鳩摩羅什に会えなかった道安さんでしたが、その弟子達が立派に師匠の意志を継いで見事な業績を残しましたが、もう1人鳩摩羅什さんに会えなかった同時代人が居ます。それが法顕さんです。旅に出たばかりの法顕さんと鳩摩羅什さんは、河西回廊の武威という城塞都市の外と中で擦れ違った事は前に書きましたが、この二人が間接的ながら接触する事になるのです。その縁結び役を果たしたのがブッダバドラ(仏陀跋陀羅)と . . . 本文を読む
コメント (2)

玄奘さんの御仕事  四拾壱

2006-05-03 08:52:54 | 玄奘さんのお仕事
■法顕さんが長安を旅立ったのは西暦399年とされています。その時の年齢が64歳だったという事実が、急速に高齢化し続ける日本に暮らす人々に新たな勇気を与えてくれるかも知れません。法顕さんが長安で修行している間に、今風に言えば国籍が三回も変わったことになります。テイ族の前秦、鮮卑族の西燕、そして羌族の後秦の順番で支配者が入れ替わったからです。異民族の殺し合いを間近に見た法顕さんは仏教をより完全な物に . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事  四拾

2006-04-25 12:23:37 | 玄奘さんのお仕事
■クチャを攻め亡ぼしながら故国の大敗を知った呂光は独立を決意します。河西回廊の武威に首都の姑蔵を定め、その版図はカザフスタンのアルマトイに及び、パミール高原・崑崙山脈・祁連山を北の境とする東西に長い長方形になりました。クチャ攻略の隠された目的だった鳩摩羅什の拉致も実行されていたのですが、高名な鳩摩羅什さんを勝手に老僧と思い込んでいた呂光は、御本人を見て「若造」と軽侮の念を持ってしまいます。勝利の . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事  参拾九

2006-04-16 10:16:59 | 玄奘さんのお仕事
■焉耆国から西南に200余里(1里は450メートル)、小山を越えて河を二つ渡って更に行くこと700余里で屈支国に到着です。ここがクチャ国、鳩摩羅什さんの生まれ故郷であります。鳩摩羅什さんは父上様がインド人でもありましたし、二番目の子を生んだ後の母上様は俗世を悲しんで夫の反対を押し切って出家してしまいます。7歳になっていた鳩摩羅什さんも母親と一緒に出家し、毎日経文を千偈ずつ暗誦して周囲を驚かす神童ぶ . . . 本文を読む
コメント

玄奘さんの御仕事  参拾八

2006-04-12 12:58:46 | 玄奘さんのお仕事
■隋から唐に移る時期に王位を継承した麹文泰は、高祖に対しても抜け目無く臣下の礼を取って、遠いシリアからもたらされた珍しい犬を献上したりしていますし、血生臭いクーデターで即位した太宗にも黒狐のコートを贈ったそうです。東に向って忠勤に励んでいた一方で、反対側の西突厥に対しても手抜かりなく外戚関係を結んでも居ます。文泰さんの曾祖母は西突厥の可汗の娘だったり、玄奘さんが命懸けで挨拶に行こうとしている統葉護 . . . 本文を読む
コメント