いまさらながらの原点回帰
あの世に聞いた、この世の仕組み
原因と結果
我が家の子供たちも、いよいよ夏休みに突入し、また生活リズムが変わりつつあります。
一ヶ月以上も続く、東京の夏休みは、道産子にとっては異常な長さ。
子供たちは嬉しいだろうけど、妻と僕にとっては、なかなかの荒行の始まりです。あはは…
さて、先日書きだした「ミリンダ王の問い」なのですが、これをわかりやすく書こうと思ったんですけどね、やってみると中々に大変です。
いわずもがな、ですが、僕の記載している内容は、経典の記載そのままではなく、そうとうに超訳してあります。
なので、先日のコメント欄にも指摘がありましたが、ミリンダ王は、そんなに聞き分けのいい人ではありません。
あんな短いやり取りで納得なんて、していないんですね。
もう、何度も何度もしつこいぐらい、同じ質問を繰り返したり、一般的価値観をぶつけて反論したり。
で、ミリンダ王とナーガセーナでは、二元と一元という存在基盤・価値観の違いがあるので、そのやり取りも、ちぐはぐなんです。
それでも、問答のやり取りを繰り返すなかで、少しずつ、ミリンダ王も、ナーガセーナの言葉の意図が掴めてくるようになるんです。
それは、どんなに反論を繰り返しても、事実、ナーガセーナの言う通り「主体をみつけだせない」という事実でした。
ここら辺は、先日までの「主観≠主体」や「夢から覚めたら」、「五蘊HOUSE」シリーズ的なものが延々続いたと思ってください。
そこでようやく、ミリンダ王にも「あれ?ほんとに<わたし>というものは現象としては、確固たる存在として感じられるけど、『主体(物事を動かしている主人)』とは言えないぞ」ということになってきます。
で、その「無我」という感覚が掴めかけてくると、ようやく次の段階の話になるのですが、これはやっぱり、前提として「無我(わたしはいない)」ということが理解、納得できていないと、わかりようのない話になっていきます。
それは、いわゆる『原因と結果の法則』に関わることなのですが、「わたしはいない」という存在基盤においては、この法則についての捉え方が、根底から覆ってしまうからです。
『因果』という仏教用語は、その感じの印象通り「原因と結果」を指すのですが、唯一、僕たちの一般感覚と違うのは、そこに<わたし>(主体)がないことです。
「善因善果(ぜんいんぜんか)」は「善が善をうむ」、「悪因悪果(あくいんあっか)」は「悪が悪をうむ」、「善因楽果(ぜんいんらっか)」は「善が楽をうむ」、「悪因苦果(あくいんくか)」は「悪が苦をうむ」という意味ですが、
それぞれ、そこに主体としての<わたし>が含まれないのです。
「善が善をうむ」「悪が悪をうむ」のであって、「わたしの善が善をうむ」「わたしの悪が悪をうむ」ではないのです。
これがどういうことなのか、それを掴むために、今日はちょっと考えていただきたいと思います。
あなたがいま、こうしてこのブログを読んでいるこのことを「結果」とした場合。
その「原因」は、なんでしょうか?
【トークライブインフォメーション】
平日のお話会「月イチ☆」「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」
今月は「スピリチュアルって何ですか?(毒舌編)」をテーマにお送りする予定です。
【兵庫】7月27日(月)19:30~21:30(19:00開場)兵庫県民会館 会議室303 [詳細・お申し込み]
※ただいま「イープラス」にて、「21:30開演」との表記がありますが、正しくは「19:30開演」です。
「21:30開演」の表記のあるチケットでも、当日は「19:30開演」として同じく受付させていただきます。よろしくお願いいたします。
【名古屋】7月28日(火)19:30~21:30(19:00開場)ウインクあいち 1207会議室 [詳細・お申し込み]
【東京】7月31日(金)19:30~21:30(19:00開場)三鷹産業プラザ 701会議室 [詳細・お申し込み]
※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。
来月(8月)の月イチは、
8月20日(木)京都、21日(金)浜松、31日(月)東京、を予定しております。
こちらも、準備が整い次第、改めて告知いたします。
←ボタンを押す、という、その結果における「原因」は何か。
一ヶ月以上も続く、東京の夏休みは、道産子にとっては異常な長さ。
子供たちは嬉しいだろうけど、妻と僕にとっては、なかなかの荒行の始まりです。あはは…
さて、先日書きだした「ミリンダ王の問い」なのですが、これをわかりやすく書こうと思ったんですけどね、やってみると中々に大変です。
いわずもがな、ですが、僕の記載している内容は、経典の記載そのままではなく、そうとうに超訳してあります。
なので、先日のコメント欄にも指摘がありましたが、ミリンダ王は、そんなに聞き分けのいい人ではありません。
あんな短いやり取りで納得なんて、していないんですね。
もう、何度も何度もしつこいぐらい、同じ質問を繰り返したり、一般的価値観をぶつけて反論したり。
で、ミリンダ王とナーガセーナでは、二元と一元という存在基盤・価値観の違いがあるので、そのやり取りも、ちぐはぐなんです。
それでも、問答のやり取りを繰り返すなかで、少しずつ、ミリンダ王も、ナーガセーナの言葉の意図が掴めてくるようになるんです。
それは、どんなに反論を繰り返しても、事実、ナーガセーナの言う通り「主体をみつけだせない」という事実でした。
ここら辺は、先日までの「主観≠主体」や「夢から覚めたら」、「五蘊HOUSE」シリーズ的なものが延々続いたと思ってください。
そこでようやく、ミリンダ王にも「あれ?ほんとに<わたし>というものは現象としては、確固たる存在として感じられるけど、『主体(物事を動かしている主人)』とは言えないぞ」ということになってきます。
で、その「無我」という感覚が掴めかけてくると、ようやく次の段階の話になるのですが、これはやっぱり、前提として「無我(わたしはいない)」ということが理解、納得できていないと、わかりようのない話になっていきます。
それは、いわゆる『原因と結果の法則』に関わることなのですが、「わたしはいない」という存在基盤においては、この法則についての捉え方が、根底から覆ってしまうからです。
『因果』という仏教用語は、その感じの印象通り「原因と結果」を指すのですが、唯一、僕たちの一般感覚と違うのは、そこに<わたし>(主体)がないことです。
「善因善果(ぜんいんぜんか)」は「善が善をうむ」、「悪因悪果(あくいんあっか)」は「悪が悪をうむ」、「善因楽果(ぜんいんらっか)」は「善が楽をうむ」、「悪因苦果(あくいんくか)」は「悪が苦をうむ」という意味ですが、
それぞれ、そこに主体としての<わたし>が含まれないのです。
「善が善をうむ」「悪が悪をうむ」のであって、「わたしの善が善をうむ」「わたしの悪が悪をうむ」ではないのです。
これがどういうことなのか、それを掴むために、今日はちょっと考えていただきたいと思います。
あなたがいま、こうしてこのブログを読んでいるこのことを「結果」とした場合。
その「原因」は、なんでしょうか?
【トークライブインフォメーション】
平日のお話会「月イチ☆」「月イチ☆WEST」「でら☆月イチ」
今月は「スピリチュアルって何ですか?(毒舌編)」をテーマにお送りする予定です。
【兵庫】7月27日(月)19:30~21:30(19:00開場)兵庫県民会館 会議室303 [詳細・お申し込み]
※ただいま「イープラス」にて、「21:30開演」との表記がありますが、正しくは「19:30開演」です。
「21:30開演」の表記のあるチケットでも、当日は「19:30開演」として同じく受付させていただきます。よろしくお願いいたします。
【名古屋】7月28日(火)19:30~21:30(19:00開場)ウインクあいち 1207会議室 [詳細・お申し込み]
【東京】7月31日(金)19:30~21:30(19:00開場)三鷹産業プラザ 701会議室 [詳細・お申し込み]
※パソコンや携帯電話からのお申し込みが面倒、わからない、という方には、ファミリーマートさんの情報端末「ファミポート」でのお手続きをオススメしております。
ご利用方法については【コチラ】をご参照ください。
来月(8月)の月イチは、
8月20日(木)京都、21日(金)浜松、31日(月)東京、を予定しております。
こちらも、準備が整い次第、改めて告知いたします。
←ボタンを押す、という、その結果における「原因」は何か。
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