ブーゲンビリアのきちきち日記

神奈川の米軍基地のある街から毎日更新。猫と花と沖縄が好き。基地と原発はいらない。

金曜日は「週刊金曜日」が来るのが楽しみです~

2014年08月01日 08時35分48秒 | 政治・選挙・憲法・平和
金曜日には「週刊金曜日」が来るのが楽しみです。
でも、最近はパソコンに朝から張り付いていて、1日が過ぎてしまいます。
気がつけば先週の「週刊金曜日」がまだビニール袋に入ったままです。
もったいない事です・・・

今、「金曜日」の記事の一部を、読んで紹介するという事を
ブーゲンビリア・ラジオで、やろうかなと思っていますが、
夏の熱いさなかには、米軍基地問題とか、暑くなるからやめておきましょう。
でも沖縄を思えば、そうも行きません。ツイキャスライブに注目しています。

でも、少しネットから離れる、と言う事も必要かなと思います。
言葉の分相応、確かに考えさせられます。
ツイッターをやっていると、特にそう思います。
言葉が軽くなっている事はたしかです。


以下、編集長後記です。

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【2】編集長後記

 言葉の分相応とは、なんだろうか。もともと私たちは表現したいことを、自分の解釈で言葉に当てはめているだけだ。その成功も失敗もある。伝えたいことが完全に伝わらないのは当然だ。

 だから一方、芸術や行動で人の想いは伝えうる。むしろ言葉よりも伝わることがある。古代、ソクラテスは書き言葉を残さなかったそうだ。書物は誤読や解釈集団を生むからであり、一方的に言葉を押しつける演説や、そのコンサルをしていたソフィストたちを嫌ったともいう。

 だからといって言葉をあきらめてはいけない。弟子のプラトンはそれでもソクラテスの言葉を残した。私も言葉の力を信じる気持ちがなければ雑誌や本などつくれない。言葉には限界はあるが、やれることはいくらでもある。

 政治家は言葉を押しつける職業の最たるものだ。かつては、本気で言葉で闘おうとしていた政治家がもう少しいた気がする。しかし、権力を手にした安倍首相などは、ただの義務や手続きのように話し、軽々しく意味をすり替えているように見える。(平井康嗣)

(過去の編集長後記はホームページでどうぞ)
[編集長後記]はこちら↓
 http://www.kinyobi.co.jp/henshucho/

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