ちょこっとGUM

今、自分が出来ること。やれること。それを精一杯やっていかなくちゃ!!

コラム備忘録【3/12】

2020年03月12日 22時28分34秒 | マリーンズ2020
≪2020/3/12≫

ロッテ優勝へのキーマン石川歩 完全復調へのカギはカーブの有効活用

本来は投手陣を牽引する立場

昨季はシーズン序盤から調子が上がらず、コンディションの調整も兼ねてリリーフへの配置転換を経験したロッテの石川歩。シーズン前半はわずか3勝にとどまったが、後半に先発に復帰すると、そこから5連勝するなど復調した姿を見せてシーズンを終えた。

最終的にチームトップタイの8勝(5敗)を挙げたが、それでも石川の実力からすれば物足りない。先発投手の若返りをはかる中、本来であれば先頭を切って投手陣を牽引していかなければいけない立場だ。

2016年には最優秀防御率のタイトルを獲得し、14勝(5敗)を挙げる活躍。2017年に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に招集され、キューバとの初戦のマウンドも任されるなど、一時はリーグを、そして日本を代表する投手にまでのぼりつめた。

しかし、同年のシーズンをわずか3勝(11敗)で終えるまさかの大不振。以降、2018年は9勝(8敗)、昨季は8勝と徐々にらしさを取り戻してはきたが、本来12~15勝は期待したい投手。今季、ロッテが優勝争いに食い込んでいくためには、石川の活躍が必要不可欠だ。

好不調の波の大きさを解消するために

ここ数年の石川は好不調の波が激しい。2018年は6月の時点で9勝を挙げる最多勝ペースだったものの、後半に急失速して9勝止まり。昨季は7月終了時点では3勝5敗だったが、8月から9月にかけて5連勝し、勝ち星を伸ばした。

最近の試合でもその傾向があり(3月8日執筆時点)、2月25日のソフトバンクとの練習試合で今季初めて実戦マウンドに上がると、3回を無安打無失点に抑える好投。しかし、3月3日のオリックス戦(オープン戦)では4回6安打4失点(自責点3)と打ち込まれた。得意のシンカーをはじめ、変化球が高めに甘く入るケースが多く課題が残る投球内容だった。

石川の生命線は全投球の29%を占めるシンカー。そのシンカーを軸にして低めを丁寧につくのが持ち味だ。昨季の投手ヒートマップをみると、対左打者でも対右打者でも、外角低めで多くの空振りや三振を奪っており、いかに我慢強く低めをつけるかが、コンスタントに安定した投球を続けるポイントになるだろう。

また、14勝をマークした2016年にはカーブを比較的多投しており(全投球の約16%)、被打率.152と良い数値を残していたが、近年はカーブの割合が減り、その分カットボールの割合が増えている。

絶不調だった2017年にカーブの被打率が.328と打ち込まれたことも、カーブの数を減らした理由のひとつとして考えられるが、2018年の被打率は.270、昨季に至っては.156と打者を抑え込んでいる。昨季のカーブの割合は約10%だったが、投球の組み立てに意識して使うのも一考かもしれない。

直球で押していければシンカーとのコンビネーションが機能すると思うが、直球の被打率は元来からあまり良くなく(昨季.297)、近年打ち込まれる時も直球を狙い打たれるケースが散見される。直球、シンカーを軸としながらカーブを織り交ぜ、狙い球を絞らせにくい、緩急を意識した以前の投球に立ち返ってみるのもひとつの手だ。

メジャー挑戦に向け、結果が求められる今季

石川は昨オフの契約更改後、早ければ今オフにメジャーに挑戦する意思を表明した。WBCで世界の打者を相手に戦った経験が、モチベーションのひとつとなったことは想像に難くない。

ただ、海外フリーエージェント(FA)権の資格条件を満たすのは早くて2023年。今季終了後にメジャー移籍を実現するためには、所属球団からの了承を得た上でメジャー各球団からの入札を待つポスティング制度を利用する必要がある。

近年の成績では石川本人も球団側も満足できるものではないだろうし、メジャー挑戦の扉を開けるためには、今シーズン結果を示さなければならない。

期待はできても、過去の実績と経験から計算が立ちにくい若い先発投手が多い中、石川や楽天から移籍してきた美馬学は先発投手陣を牽引する立場にある。また、美馬は東京ガスで石川の先輩にあたり、良好な関係を保ちつつ切磋琢磨していける存在。石川にとっても刺激になることは多いはずだ。

ロッテがAクラスを目指し、その先の優勝争いをするためには石川の完全復調が鍵となる。

文=浜田哲男

(SPAIA)

***************************************************

≪2020/3/12≫

ロッテドラ1佐々木朗の“牛歩”調整 高校時代の恩師と吉井コーチに見える共通項

高校時代の恩師と吉井コーチに「筑波大」「米国」の共通ワード

 ロッテのドラフト1位ルーキー、佐々木朗希投手が東日本大震災から丸9年の11日、小学3年のときに被災し父・功太さん(当時37歳)や祖父母を亡くした心境を明かし、「今こうしてプロ野球選手としてこの日を迎え、これからは発信していかなきゃいけない」と決意を述べた。決して多弁なタイプではないが、震災の記憶、教訓を風化させてはならないという思いがにじんだ。

 亡くなった親族に「活躍しているところを見せたい」とも語ったが、その調整ぶりは“牛歩”と呼びたくなるほど慎重だ。

 前日の10日に本拠地ZOZOマリンスタジアムのブルペンで投球練習。「(捕手を)座らせるのは2度目で、前回座らせたときより思うように投げられました」と言う。佐々木朗の場合、捕手がホームベース上に座り、やや近距離で投球するケースがあるが、本人はこれを「座らせた」とはカウントしていない。本格的な投球練習は、2月27日にプロ入り後初めて正規の18.44メートルの距離に捕手を座らせて以来というわけだ。

 吉井理人投手コーチは、短い距離で投球させる効果について「(正規の距離で投げさせると)細かいコントロールとか球質とかが気になってしまう。まだそれをさせたくなかった。短い距離なら、結果が出る前にキャッチャーが捕ってしまいますから。とにかく気分よく投げさせたかった」と説明している。

「座らせた」にしても、今のところ球種はストレートのみ。「(変化球は)キャッチボールで練習していますが、座らせると感覚がだいぶ違うと思う」と佐々木朗。今後、変化球を交えた段階を経て、今月下旬にようやくフリー打撃に登板する見込み。周囲の評論家諸氏らは2月のキャンプ序盤のキャッチボールの段階から「明らかにモノが違う。早く試合で投げる姿を見てみたい」と絶賛していたが、その日はまだまだ先だ。

 佐々木朗は大船渡高のエースだった昨夏、周知の通り、甲子園出場をかけた岩手大会決勝の登板を回避し物議を醸した。当時「故障を防ぐために私が判断した。3年間で一番壊れる可能性が高いと思った」と説明した国保陽平監督は、筑波大を卒業後、米独立リーグでプレーした経験があった。

 現在、佐々木朗を指導する吉井コーチも、米大リーグに5年間在籍し通算32勝を挙げ、現役引退後に筑波大大学院でコーチング理論を学んでおり、基本的に高校時代の育成方針を引き継いでいるようにみえる。ファンにとってはなんとももどかしいが、待たされる分、佐々木朗が実際に打者に立ち向かう姿を見るときの楽しみが大きくなるとみるべきか。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

***************************************************

≪2020/3/12≫

引退選手が日本一というドラマ。
2005年ロッテと2006年日ハムの輝き。


 引退を表明しながら日本シリーズに出場する、というケースは最近でもしばしばあった。

 2019年は読売ジャイアンツの阿部慎之助がリーグ優勝から4日後の9月25日に引退会見を行い、日本シリーズ第1戦で先制ホームランを放つ。2018年も広島東洋カープの新井貴浩が9月5日に引退を表明し、日本シリーズでは代打で4試合に出場。2016年には広島の黒田博樹が10月18日に引退会見し、日本シリーズ第3戦に先発した。

 ファンに最後の雄姿だと知った上でプレーを見てほしいという気持ちもあれば、負けられない戦いに臨むチームの発奮材料になればという思いもあるだろう。しかし、彼らはいずれも日本シリーズで敗退して、現役生活を終えた。勝負事である以上、対戦相手が花を持たせてくれることはない。

 一方で、2005年の千葉ロッテマリーンズと2006年の北海道日本ハムファイターズは、チームの顔が引退宣言をしてから日本一まで駆け抜けた稀有な例となった。

逆転につながった初芝の全力疾走。

 ロッテ一筋で17年間プレーした初芝清が引退を表明したのは、2005年9月19日のことだった。ボビー・バレンタイン監督が繰り出す「ボビー・マジック」によって好調だったロッテはこの日、34年ぶりにシーズン80勝に到達。初芝が「若い力も出てきたので決心した」と語ったように、長く守った三塁のポジションには当時22歳の今江敏晃が台頭していた。

 シーズン終了後、Number 640号のインタビューで初芝はこう語っている。

「ロッテのサードにはゴリ(今江内野手)がいるから大丈夫。アイツが入団してきたときに僕は言ったんですよ。『オマエが2、3年の間に出てこないと、うちのチームは勝てないよ。オマエが出てくるなら俺はレギュラーはいらない』って。今はそのことが現実になって嬉しい。本当に嬉しいんですよ」

 勝負強さと親しみやすいキャラクターで愛された“幕張のファンタジスタ”が「日本一になってユニホームを脱ぐ」と宣言したことにロッテナインは奮起し、10年ぶりのレギュラーシーズン2位でプレーオフへの出場を決める。

 シーズン1位の福岡ソフトバンクホークスとのプレーオフは2勝2敗の五分となり、負ければ初芝の引退となる最終戦を迎えた。1点を追う8回表、先頭打者の代打として初芝が打席に向かう。

 2球目に手を出して「やっちゃった」という打球はボテボテのサードゴロとなったが、この打球を処理した三塁手トニー・バティスタが遊撃手・川﨑宗則と交錯。「野球の神様が僕にご褒美をくれたんですよ、きっと」。初芝は全力疾走で内野安打をもぎ取り、里崎智也の逆転打へと繋げた。

 初芝の激走で31年ぶりに日本シリーズへの出場を勝ち取ったロッテに、もはや怖いものはなかった。

 阪神タイガースとの日本シリーズでは、投打に圧倒して4連勝。初芝の後継者・今江が8打席連続ヒットのシリーズ新記録を樹立し、MVPを獲得する大活躍を見せる。初芝は第2戦に代打で三ゴロに倒れた1打席のみだったが、「日本一になってユニホームを脱ぐ」と宣言したことに「有言実行になってよかった。ひと安心」と笑みを浮かべていた。

北海道を盛り上げた「SHJNJO」。

 バレンタイン監督が外国人として初めての日本シリーズ優勝監督となった翌年、今度は日本ハムのトレイ・ヒルマン監督がその座に就くことになる。

 日本一への道筋をつけたのは、2004年の加入から「SHINJO劇場」で北海道を盛り上げ続けてきた新庄剛志だった。

 2006年4月18日、東京ドームでのオリックス・バファローズ戦の2回にソロ本塁打を放つと、この本塁打を「28年間思う存分野球を楽しんだぜ。今年でユニホームを脱ぎます打法」と命名。7回にこの日2本目の本塁打となる満塁弾を放ってお立ち台に上がり、改めて「今日、ヒーローインタビューという最高の舞台で報告したいことがあります。タイガースで11年、アメリカで3年、日本ハムで3年……今シーズン限りでユニホームを脱ぐことを決めました」と宣言した。

 この時点でパ・リーグ4位だった日本ハムは、混戦を抜け出し9月27日のレギュラーシーズン最終戦で1位を確定。新庄はプロ入り時の背番号63をつけたこの試合後、自ら考案した引退セレモニーを行い、「残りわずかな野球人生 明るく楽しく 白球を追い掛ける事を 今日この日 みんなに約束します 新庄剛志」という直筆メッセージを公開する。

 敗退すれば引退という状況で迎えたポストシーズンでも、新庄は約束の通り「明るく楽しく」プレーした。森本稀哲ら緊張気味だった若手選手も、その姿を見て落ち着きを取り戻していく。

 ソフトバンクとのプレーオフは、第1戦で新庄が右前に決勝打。第2戦は斉藤和巳と八木智哉の両先発によるゼロ行進の末、9回裏に稲葉篤紀の内野安打で森本がサヨナラのホームに滑り込んでリーグ優勝を果たすと、ネクストにいた新庄は飛び上がって喜びを露わにした。

 優勝会見では小笠原道大が「ツーさん(新庄)を、最後に胴上げしたいと思います」と語り、日本シリーズに向けてチームの結束はより強くなる。

涙を浮かべてフルスイング。

 中日ドラゴンズとの日本シリーズは初戦を落とすも、第2戦で新庄が痛みを抱える足で激走して決勝のホームを踏んで勝利。そのまま4連勝で、「SHINJO劇場」はフィナーレを迎える。新庄の最後の打席は第5戦、3点リードの8回裏。この試合の勝利、すなわち引退をほぼ確信していた新庄は涙を浮かべながら、フルスイングの空振り三振を見せた。

 メジャーリーグから球界再編に揺れたパ・リーグに移籍し、札幌ドームを満員にすることを目標に掲げる。その新庄の最後の勇姿を見届けたのは、夢にまで見た満員のファイターズファンだった。

「本当にこの、漫画みたいなストーリー。でき過ぎてません?」

 自ら脚本を書いて「SHINJO劇場」を何度も上演してきた本人でさえ、この幕切れは予想できなかった。

 引退した2005年に38歳だった初芝は、シーズン34試合の出場で打率.220、1本塁打、6打点。2006年に34歳の新庄は、126試合で打率.254、16本塁打、62打点だった。二人とも体力は限界で、守備も含めて理想のプレーには遠く及ばない。

 それでも、引退を表明しながら日本一になれるだけの幸運が、二人にはあった。

田村航平(Number編集部)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 備忘録【3/11】 | トップ | 備忘録【3/12】 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

マリーンズ2020」カテゴリの最新記事