季節の変化

活動の状況

ブログ「季節の変化」の写真2014年

2014-12-21 00:01:45 | Weblog
2014年に、ブログ「季節の変化」に掲載した写真と表は853枚だった。
この中から、季節の変化、できごと、歴史の変化を示す、
思い出の写真、印象深い写真37枚を選んだ。
思い出の写真2014年として、
ブログを掲載した順番に並べる。

乗鞍高原の善五郎の滝は氷瀑」。2014年1月19日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/f57ed2c3b67e17c8f99fb515720843e9
乗鞍高原の「善五郎の滝」は、12月から「氷瀑」となる。2013年12月25日撮影。

滝壺が盛り上がっている!

春の「善五郎の滝」。2014年6月15日撮影。

すがすがしい。水しぶきが飛んでくる。それに、滝の高さが高い。
「乗鞍岳の季節の変化」。2014年6月29日に掲載。

白川氷柱群2014」。2014年2月2日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7326cf5d356984b605040a8c924de05a
「白川氷柱群」を見るのは、楽しみである。御嶽山のふもと。2014年1月24日撮影。

見事な氷柱群ができていた。

王滝村の清滝と新滝」。2014年2月9日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/96d879cf84ee170238bb3dd65bc27372
「清滝の氷瀑」。御嶽山のふもと。2014年1月24日撮影。

渦巻くように成長して、頂上まで届いている。

の松本のランドマーク」。2014年3月9日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/547ce7c7470b31b2b2fced522621f258
松本の「ランドマーク」は「松本城」、それに「北アルプス」。2014年2月22日撮影。

「本丸庭園」から眺めた「松本城」と「北アルプス」。
「松本城」の黒と、雪の白とのコントラストがいい。それに、
「北アルプス」が、青空に白く映えている。

横谷峡トレッキングコースの」。2014年3月16日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/970454210a1a08371c9c49d310593ace
雪俵(ゆきだわら)。2014年2月28日撮影。

雪がはがれて、斜面を転がり落ちながら大きくなって、「雪俵」になった。

仮面の女神が国宝」。2014年3月23日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a8194a1ab90005aefe42b78723a0e913
八ヶ岳山麓から出土した「仮面の女神」が国宝になる。
「縄文時代の土偶造形の頂点に位置付けられる」と評価された。

縄文時代後期前半(約4000年前)。
「中ッ原遺跡」(なかっぱら)から出土。
「尖石縄文考古館」が所蔵、茅野市。2011年12月8日撮影。

土偶の時代地域」の表を作成した。

土偶の「地域」をみると、東日本である。
西日本からは、縄文時代晩期にわずかにある。
これは海底火山が大爆発して、火山灰が積もり、
植生がなくなって、縄文人が住むことができなかった。
6300年前の「鬼界カルデラ」(きかい)の大爆発である。

エベレストを見たい」。2014年4月6日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/6764115ff35c408682cb7c176b5c9404
「エベレスト」。カトマンズからの遊覧飛行。2014年3月15日撮影。

左の三角が「エベレスト」Everest(8,848メートル)。
右が「ローツェ」Lhotse(8,516メートル、世界第4位の高さ)。

アンナプルナを見る」。2014年4月13日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a345e8a56433ea716208c947e2b2dbfb
「アンナプルナ」に朝日が当たってきた。サランコットから。2014年3月13日撮影。

アンナプルナは高い順から、
アンナプルナⅠ(8,091メートル)、
アンナプルナⅡ(7,937メートル)、
アンナプルナⅢ(7,555メートル)、
アンナプルナⅣ(7,525メートル)、
アンナプルナ・サウスS(7,219メートル)。
中央の三角Mはマチャプチャレ(6,993メートル)。

日本のランドマークがない」。2014年5月4日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/ca1ea5e4184806fdac2e8f21586bb3f0
バンコクのスワンナプーム国際空港には、中国の交通銀行の宣伝、
「飛・享・全球」(世界を飛び、楽しむ)がある。2014年3月15日撮影。

世界のランドマークが並んでいる。しかし、日本のランドマークがない。

富士山の季節の変化」。2014年5月11日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/66a87d5f734e7da038f551e74b86ced4
「高ボッチ高原」1,665メートル、長野県。2004年12月11日撮影。

朝日が当たって富士山が浮かび上がってきた。
右は南アルプスで、甲斐駒ヶ岳、北岳、仙丈ヶ岳が見える。手前は諏訪湖。

信州の季節の変化」。2014年5月18日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/772ff431b3a26188ba34276065347174
杵原(きねはら)学校の枝垂れ桜。2014年4月10日撮影。

教室からお花見ができる。

くろよん開通50周年」。2014年5月25日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/4612814c726a3767a5804a6d124636cb
「雪の回廊」。室堂で、2014年4月26日撮影。

雪に囲まれた回廊。

コイワザクラを見た」。2014年6月1日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/53646a8bf44947062f4b25b3ffad75ae
絶滅危惧種になっているコイワザクラが、
岩場にひっそりと咲いていた。204年5月7日撮影。

コイワザクラよ、残っていてくれ!

乗鞍高原ののエンレイソウ」。2014年6月8日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/943cc0011969b8ee164c331e34195374
乗鞍高原では、
花が紫の「エンレイソウ」と、
花が白の「シロバナエンレイソウ」とが、
隣り合って咲いていた。2014年5月23日撮影。

白いが「シロバナエンレイソウ」の花で、木の周りに3つ咲き、
紫のが「エンレイソウ」の花で、木の周りから手前にかけて4つ咲いている。

秋田駒ヶ岳のお花畑と眺望」。2014年7月6日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/e2fe43a1d1f431b82c234040da8ee8d3
「焼森」の斜面は、「キバナノコマノツメ」一色。2014年6月25日撮影。

一面に咲くキバナノコマノツメに見とれる。奥は「男女岳」(おなめだけ)。

サッカーの第1回はなぜウルグアイで開催」。2014年7月10日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/332dda621b6fddca9a08709b42dfc99a
「百周年スタジアム」。モンテビデオで、2003年7月10日撮影。

スタッフの若い女性の後について階段を上がると、正面にピッチが開けた!
ウキウキする! ここで、第1回ワールド・カップが行われたのか!

被ばく量のトップ10」。2014年7月27日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/345b7bde0a7be74fde2d3030d14d7e20
「被ばく量のトップ10」はつぎである。



「被ばく量トップ10」の内、福島市が9か所を占める。
残りの1か所は郡山市である。

美ヶ原高原のレンゲツツジ」。2014年8月3日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/9fed269624e3c6ba24a86642898ce0c0
独り、霧の中で。2014年6月20日撮影。


高校野球は背中が」。2014年8月10日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5a8ff3e28209896483a13ad52dd84561
才能と努力。2014年7月21日撮影。

「1%の才能と99%の努力」
1% ability : 99% effort

霧ヶ峰のニッコウキスゲ」。2014年8月17日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/0789bf03ff1d8fbbb55ee2cbb49abfce
ニッコウキスゲ。2014年7月25日撮影。

また見に来るさ!

霧ヶ峰の谷地坊主」。2014年8月24日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/435faac53185ee60b67d2137ebf41352
霧ヶ峰の「谷地坊主」は天然記念物。2014年6月19日撮影。

「池のくるみ」へ行くと見ることができる。

にスキージャンプ大会」。2014年8月31日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/7eb4a6244988ad1aec8382b6d902c176
葛西紀明選手。白馬ジャンプ競技場で、2014年8月24日撮影。
技術を磨き、体力と闘い、精神を鍛えている人の顔はいい。

新たな目標に向かって、希望を持ち続ける。
葛西紀明選手は、その後の2014年11月30日、
フィンランドのワールド・カップで優勝した。
42歳5カ月という最年長優勝の記録をつけて。

乗鞍岳で見た高山植物」。2014年9月14日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/95955c419cc76dfb3ae6383c8f6b68c8
シコタンハコベ。桔梗ヶ原で、2014年8月21日撮影。

雄しべの紅色が、花弁の白に映えて、愛らしい。

れる御嶽山」。2014年10月5日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/90d8716d3c05a0f831d2cb003e741e11
御嶽山が噴火した。2014年9月27日。
怒れる御嶽山。地藏峠で、2014年10月2日撮影。

中央の一番高いところが、御嶽山の最高峰、剣ヶ峰3,067メートル。
3年前の2011年には、山小屋に泊まって、剣ヶ峰に登っている。

御嶽山の噴火。屋敷野で、2014年10月19日撮影。

57人が亡くなり、6人が行方不明になる戦後最悪の火山災害となった。
噴煙がモクモクと上がっている噴火口近くで、多くの人が亡くなった。
右のピークの「剣ヶ峰」が6割と一番多く、
次に、「剣ヶ峰」から下って、左のピークの、
「王滝頂上」にいたる「八丁ダルミ」が3割だった。
「八甲田火山の紅葉」。2014年11月9日に掲載。

焼岳もれる山」。2014年10月12日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/fd172ef2f2d4f31639326c014bc38f04
噴煙を上げる焼岳。2014年10月7日撮影。

シューシューと蒸気の音がするし、強い硫黄ガスの臭いがする。

乗鞍岳の紅葉」。2014年11月2日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/8f4ac36259b75843e574af25e8c50bb0
乗鞍岳の紅葉。2014年9月26日撮影。

奥は、左が槍ヶ岳、右が穂高連峰。

富士山

⇒は富士山。南アルプスの奥にあり、右の北岳、左の仙丈ヶ岳の間に顔を出す。
乗鞍岳の剣ヶ峰で、2014年9月26日撮影。

八甲田火山の紅葉」。2014年11月9日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/5a8f939299ef7305c877a7ecfe41d0d7
毛無岱(けなしたい)。2014年9月29日撮影。

毛無岱は、草紅葉のじゅうたんの上に、
黄や赤、緑、それに池塘が散りばめてあった。

鎌池の紅葉2014」、2014年11月16日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/eec4840570ded7505ca07362755dc962
水にただようもみじ。2014年10月24日撮影。


葛飾北斎の諏訪湖を見つけた」、2014年11月23日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/3a7dc9b12a1738147665e35569e47fc8
左上に、葛飾北斎、「富嶽三十六景 信州 諏訪湖」とある。2014年11月8日撮影。

藍の濃淡で摺った「藍摺」(あいずり)。初摺りは、藍摺である。

ベルリンの壁の西」。2014年11月30日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/870a3a48550c9d037fc392f9da9071af
ベルリンの壁が崩壊する前年の1988年に、ベルリンの壁の西と東を見た。
ベルリンの壁とブランデルブルク門のあるパリ広場。東ベルリン側から、1988年3月撮影。

「共産主義を崩壊させようとする西の帝国主義者によって、
東ドイツ国民が拉致(らち)されるのを防ぐために、壁を築いたのです」
と、東ベルリンのツアー・ガイドは説明した。

ベルリンの壁一式」。2014年12月7日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/cbb2feb64f77b3db871cacf63d32be80
西ベルリン側の仮設スタンドから、東ベルリンを眺める。1988年3月撮影。

ベルリンの壁は、裏側に無人地帯、さらに奥の白い壁、
無人地帯にある監視塔と照明の一式で、強固になっていた。

自然湖の立枯れ」。2014年12月14日。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/1ba074a13440324aef2d7218cfc3534c
自然湖につかった木は立枯れ、朽ち果てる運命にある。2014年11月17日撮影。

焼岳の噴火(1915年)で、梓川がせき止められてできた大正池を見るようだ。

掲載した37枚の写真と表は、2014年の、
季節の変化、できごと、歴史の変化を示す、
思い出の写真、印象深い写真になっている。


これから、年末年始の休暇に入ります。
2014年も閲覧いただき、ありがとうございました。
おかげさまで、これまでの閲覧は、120万を超えました。

ブログを書く基本を、
日本を勇気づける、事実を書く、写真や表で裏付ける、
できれば、新しい発見があればいい、としてきた。
現地に赴き、足と耳と目で描いた。それに、
写真や表を多く採り入れるようにした。
文章よりも、多くを語るから。
853枚の写真と表になった。

毎週掲載するブログは、
現地での取材、調査、執筆、校正、編集、
と、多くの時間がかかった、費用もかかった。
うれしいことに、多くの方から閲覧をいただきました。
繰り返し読まれているタイトルが、多くあります。
キーワードの検索で、たどり着いたのでしょう。
何らかのお役に立てた、と報われた思いです。

それでは、良い年の瀬と新年をお迎えください。
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自然湖の立枯れ

2014-12-14 00:01:01 | Weblog
御嶽山噴火したのは、2014年9月27日。

57人が亡くなり、6人が行方不明になる戦後最悪の火山災害。
中央のピークが、御嶽山の最高峰、剣ヶ峰3,067メートル。
2014年10月2日、地蔵峠で撮影。

この御嶽山が、30年前の1984年9月14日の地震で、一部が崩れた。
王滝村が震源地の長野県西部地震で、M6.8。29人が亡くなった。
崩れた土砂が王滝川をせき止めてできたのが、自然湖

御嶽山の左側(南)に自然湖がある。
自然湖につかった木は立枯れ、朽ち果てる運命にある。
傾き、倒れ、やがて水中に沈む。
焼岳の噴火(1915年)で、梓川がせき止められてできた大正池を見るようだ。

自然湖の立枯れを見に行ったのは2014年11月17日。
朝8時に松本を出て、1時間40分で自然湖に着いた。
途中の村道には、予告板がある。

50日前の御嶽山の噴火による降灰で、
土石流発生の恐れがあるため、
大雨警報で全面通行止めになる。
御嶽山は、今でも噴煙を上げている。
村道の左側の斜面の下は、王滝川になる。

自然湖は、半周することができて、立枯れのさまを眺めた。
2時間以上いたが、観光客、カメラマンとは、ついぞ会わなかった。
言葉を交わしたのは作業衣の2人。自然湖を調査するスタッフのようだ。

自然湖の標高は1,092メートル。

11時49分は、これから自然湖を去る時。

自然湖の立枯れが、朽ち果てるさまを眺める。
白樺

左側を半周する。

立枯れ

樹皮は落ち、枝は折れている。

魚の波紋

奥はさざ波、手前は静か。

まだまだ倒れない。細々と頑張る


こらえきれずにき始めた。

左に傾く。逆「く」の字。左は昔の王滝川の下流方向。

枯れ木のダンス


もうれそう。

右に倒れる。「く」の字。右は昔の王滝川の上流方向。
奥はさざ波、ここが30年前の王滝川だろう。

りかかるな! 重てえ! 


もうダメだ。


ついにれた。

奥にさざ波。

仲間は倒れたが、もう少し頑張ってみる。

さざ波が変化する。

自然湖に太陽が映る。


ちた、れた、き延びた。

手前は朽ちた。奥は枯れた。そして、岸から先は生き延びて、森になっている。
中央の木のないところは、30年前の王滝川だろう。

自然湖は、地震の土石流で王滝川がせき止められて30年。
立枯れが、朽ち果てていく歴史を見せてくれる。それに、自然の造形美も。
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ベルリンの壁一式

2014-12-07 00:01:55 | Weblog
ベルリンの壁には、裏側に無人地帯、さらに奥の白い壁、
無人地帯にある監視塔と照明の一式で、強固になっていた。

ベルリンの壁は1961年8月13日に、最初は有刺鉄線で東西を分断した。
すぐに、壁に置き換えた。「ベルリンの壁」である。

ベルリンの壁は、だんだん強固にして、脱出を困難にした。
まず、ベルリンの壁に近い建造物はすべて壊して、無人地帯を作った。
無人地帯の奥には別の壁を作って、ベルリンの壁に近寄れないようにした。
幅100メートルの無人地帯には、監視塔、照明を配置して、
無人地帯に入った脱出者を射殺する手段を整えた。こうして、
ベルリンの壁は、付帯する設備一式ができ上がって、強固になった。

このベルリンの壁が、1989年11月9日に崩壊した。
ベルリンの壁が崩壊する前年の、1988年にベルリンの壁を見た。
西ベルリン側の仮設スタンドから、東ベルリンを眺める。1988年3月。

右の階段を上がり、東ベルリンを眺め、左の階段から下りてくる。

西ベルリンへ行って、ツアー・バスに乗った。
西ベルリンと東ベルリン両方を見るツアー・バス。
西ベルリンでは、ベルリンの壁のそばに設置された、
仮設スタンドから、東ベルリンを眺めることが組み込まれていた。
ツアー客は40名ほどで、フランス人、イタリア人、それに、日本人。

仮設スタンドから眺めるベルリンの壁の裏側。1988年3月。

⇒は監視塔。

ベルリンの壁の一式を見ることができる。
手前から「ベルリンの壁」、
幅が100メートルの「無人地帯」、
無人地帯の奥に、さらに「白い壁」、
無人地帯には、⇒の「監視塔」、
それに、「照明」がある。

東ベルリンから脱出するには、
まず、奥の白い壁を乗り越える、
無人地帯を、猛烈にダッシュする。
ベルリンの壁によじ登る。高いところは、3.6メートル。
ベルリンの壁の笠は丸くしてある。手掛かりがないように。

無人地帯を横切っているときに、
国境警備隊に見つかって、射殺される。
夜には、無人地帯の照明が、こうこうと輝く。
照明は、ベルリンの壁と白い壁に平行に、2列ある。

奥は東ベルリン市街。
東ベルリンは、人の気配がしなかった。
冷たい、まるで、死んだような街だった!

前日に、西ベルリンを見ている。
西ベルリンの中心街にあるカイザー・ヴィルヘルム教会。1988年3月。

第2次世界大戦の、ベルリン大空襲で廃墟となった(1943年)。
新しい教会が右に建設され(1962年)、廃墟は戦争の記念として遺されている。

付近は、人でにぎわい、新しい車が走っている。
復興し、活気にあふれていた西ベルリンを見てから、
翌日に眺めた東ベルリンは、時間が止まったままのようだった。

仮設スタンドを下りて、監視塔に近づいてみた。

ベルリンの壁越しに見えた監視塔は、
上部の黒い窓から脱出者を監視し、下部の銃眼から射殺する。
監視塔のトップには、サーチライトが乗っている。
脱出者を、照射しながら追跡する。

シュプレー川監視塔。1988年。

シュプレー川が東西ベルリンを横切る。
⇒は監視塔で、川幅が狭く、脱出しそうなところにある。
銃弾は、こちらまで十分届きそうだ。そうでなければ、意味がない。

泳いで、すぐにでも渡れそうな川幅で、
ここからは、対岸の東ベルリンが、見渡せる。

左の親子3人は、東ベルリンに親戚がいる離散家族だろうか?
ありそうなことを推測してみた。
親子3人と祖父母が、東西に引き裂かれた。
そして、年老いた祖父母の最後に、孫を見せにきた。
目印にするために、そろって青い服を着た。

親子3人がそろって、西に脱出することは極めて難しいから、
父親が青年のときに、一人で西に脱出した。1960年代か?
そして、西で結婚して、子どもが生まれた。1980年代か?
年老いた祖父母に、孫を見せてあげたい。1988年。
少年は、私を珍しそうに見ている。

西ベルリンには、ガードレールのほかは、建造物がない。
脱出者が、岸に泳ぎ着いたら、上がれるようになっている。
ところが、対岸の東ベルリンには、フェンスがあり、
橋や道路の一部を利用したベルリンの壁がある。
フェンスとベルリンの壁の間を、国境警備隊が巡回する。
それに、絶えず見張る監視塔がある。拡大した写真。

上部の窓で脱出者を監視し、下部の銃眼から射殺する。
監視塔のトップには、サーチライトが乗っている。
銃眼は、位置を低くして、各面に2個づつ設けて、
シュプレー川を泳いだり、潜水する脱出者を狙い撃ちする。
シュプレー川は、脱出者が多かったにちがいない。

夜は、フェンスとベルリンの壁の無人地帯に取りつけた照明が輝く。
夜のベルリンの壁は、照明で浮き上がったことだろう。
155キロメートルに及ぶ。

シュプレー川には、警備艇がある。

手前の警告板には、
イギリス管理区の境界。ここを越えるな
とある。
この岸までは、西ベルリンということになる。

対岸の東ベルリンには、フェンス、ベルリンの壁(白)、照明が見える。
監視塔を入れて、東西ベルリンを遮断する、お決まりの一式になる。
フェンスとベルリンの壁の無人地帯は、国境警備隊が巡回する。
歩いたり、車であったり、シェパード犬を連れたり。

ベルリンの壁を越え、シュプレー川に飛び込んで、
泳いだり、ボートに乗ったり、シュノーケルで潜ったり……、
と、脱出を試みるが、東の国境警備隊に見つかって、
監視塔から、あるいは警備艇に追跡されて、射殺される。

シュプレー川沿いにある犠牲者の十字架。1988年。

フェンスの向こうは、シュプレー川を挟んで東ベルリン。
シュプレー川の脱出が多かったのだろう?
十字架には、名前と命日が書いてある。

ベルリンの壁は1961年8月に、最初は有刺鉄線で、
すぐに壁を築いて、東西ベルリンの行き帰を遮断した。
ベルリンの壁は、だんだん強固になり、一式ができ上がる。
犠牲者の命日を見ると、1962年6月5日、
1693年11月4日、1964年…が読み取れる。
ベルリンの壁ができてから、2年~3年と早めである。

ということは、
「東ドイツには希望はない、命を懸けても脱出しよう!」
と、共産政権には先行きがないことを、早めに察知して、
「脱出するなら、今の内だ!」と、
脱出を決行したことになる。1960年代。

ベルリンの壁は、だんだん強固になってきたから、
脱出がますます困難になって、長い間、東ベルリンに住んだ。
しかし、
「言われるがままにやってきたが、幸せにしなかった」
「西との差は歴然だ! もうだめだ! この国には希望が持てない」
とまでに極まり、ベルリンの壁が崩壊した。1989年。
1990年10月に、東西ドイツは統一して、東ドイツは消滅し、
1991年12月には、ソ連までが崩壊した。

東西が直接、ドンパチの「武力戦争」をして、東ドイツが消滅したのではない。
計画経済」が、「市場経済」に負けたのである。
半世紀かけた大実験だった。

異民族の襲撃から護る万里の長城は、世界遺産になっている。

奥は、雪を抱く祁連(きれん)山脈。嘉峪関(かよくかん)で。2005年6月撮影。

人間の檻」、ベルリンの壁は、世界遺産ではない。

1989年に、東ドイツ市民の旅行の規制が緩和されると、
ベルリンの壁は、「いまわしい物」として、取り壊された。
同じ民族をイデオロギーで分断したベルリンの壁一式は、
進歩して強固になったが、世界遺産には、ならなかった。
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