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フィンランドを林業から情報機器産業にしたノキア

2008-10-15 05:15:08 | Weblog
ノキアNokiaという名前から、
最初は日本の企業と思われました。これは名誉なことです。
日本製品は、先端技術高品質の代名詞ですから」
と、ティモはうれしいことを言ってくれる。

フィンランドを代表する企業にノキアがある。
携帯電話世界一のシェア(30%以上)だ。
ノキアによって、フィンランドの主産業は、
これまでの製紙や林業から、IT(情報機器) 産業へと、
産業構造転換することに成功した。

「ノキアは、世界の9か国に製造工場があり、
研究所が11か国にあり、5万人以上の社員がいます。
フィンランドのノキアから、世界のノキアになりました」

ガラス張りの本社ビル(ノキア・ハウス)は、
首都ヘルシンキのとなり町エスポーの林の中に、
建設して、これまでのヘルシンンキから移転した。

会議室からは、森と湖が広がり、
まさに、フィンランドそのものである。

――どうして、ノキアは急成長したのだろうか?
フィンランドの産業を、林業からITへと、
みごとに、産業構造を転換してしまったが。

ティモは、ノキア成長の秘密を話す。
「ノキアは、1865年の製紙業がスタートでした。
一時、ゴム長靴や電線も手がけたが、経営危機になった」

「携帯電話の開発に着手したが、
用途が、災害や救助の緊急用と限定的で、しかも、
基地局を数キロごとに造らなければならないから、
インフラストラクチャー社会基盤への投資が大変で、
既存の電話よりも大きなビジネスになるとは、
世界のだれもが考えませんでした」

ニッチ(すき間)産業のままだろう、と思われていた。
まして、IT産業の主役に躍り出ようとは、
思いもよりませんでした」

「それでも、地道に開発を続けたことが幸運をもたらした。
1990年代にGSMというディジタル携帯電話の世界標準規格が、
定められた。そして、通信サービスの規制緩和によって、
市場が開放された」

「これまで開発を進めてきたノキアが、
最初に携帯電話の市場に入ることができました。
それで、急速に世界に進出できたのです。
環境の変化に、勇気をもって技術開発をしていたことが、
成功につながりました」

「しかし、携帯電話は最初、企業に1台でした。
緊急連絡が必要な経営者や役員が持ちました。
そして、災害や救助の連絡にも、使われ始めました。
つぎに、屋外で仕事をする営業やドライバーが持つようになり、
今では一般の人から学童まで、なくてはならないものになりました」

――ビジネスの用途からスタートしているが、
既存の電話を超えてしまった。一般の商品になって、
ニッチ(すき間)産業から、IT産業の主役に成長させている。

「それに、電話としての機能ばかりではなく、
パーソナルな情報機器として、その用途は無限に広がっています。
eメール、インターネット、ショッピング、銀行の取引、
自販機から商品の購入、家のセキュリティの管理、位置の管理、
サウナ・バスの電源、音楽やゲーム、映画のエンターテイメント……」

「全部をノキアやフィンランドだけで開発するのは、限界があります。
それで、世界の企業が参加して、プロジェクトを達成する、
コンソーシアム”を作って、国際的な協調で進めています」

ノキアのパーティが開催されたヘルシンキ大学の学生会館

舞踏室、レストラン、ミュージック・ルームなどがある。
繁華街にあって、デパートメント・ストア、ストックマンに近い。
140年の歴史があり、当時のヘルシンキ大学の学長、
ロシア皇帝アレクサンドル3世が訪れている。

「大学との“産学連携”も積極的に進めています。
先端技術から品質管理まで、幅広く共同研究し、
連携する大学も、フィンランドの大学のほかに、
アイルランド大学をはじめ、世界に広げています」

「産学連携は、ノキアにとっては知恵袋であるとともに、
優秀な人材の確保になります。共同研究に参画した学生が、
ノキアを知り、就職する効果につながるからです」

環境の変化を見越した開発、コンソーシアムや産学連携などの
世界との協調によって、ノキアはよみがえり、世界企業に成長した。
そして、フィンランドを林業からIT(情報機器)産業転換させて、
ドイツ資本に侵略されるという杞憂を乗り切った。

フィンランドは、これまで、
歴史から消滅する“国存亡”の危機、
国際化か死か”の危機があった。

国存亡”の危機とは、
スウェーデンとロシアに分割された統治700年間、
帝政ロシアのニコライ2世による抑圧(1917年まで)、
第2次世界大戦の敗戦、ソ連への賠償支払い、
ソ連が崩壊する1991年までの脅威。

国際化か死か”の危機とは、
人口も資源もないフィンランドは、
先端技術でヨーロッパと競争するのか?
それとも北欧の中立国として埋没するのか?
の選択を迫られていた。

国の復興をかけて、
教育の改革IT産業への転換国際協調に、
取り組んできた。
そして、“国存亡”の危機、“国際化か死か”の危機を乗り切った。

フィンランドは危機を乗り超え、知的な中立国を実現しているが、
ノキアは、その中心的な役割を果たしている。
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