むじな@金沢よろず批評ブログ

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ビルマ「民主化」「軍政」「制裁」をめぐる疑問

2007-10-18 22:55:01 | 世界の政治・社会情勢
先月中旬あたりから世界的に騒がれた問題としてビルマ(ミャンマー)における僧侶や学生たちを中心とする「民主化運動」と、それに対する「軍政の弾圧」、さらに西側を中進とする「制裁」の問題がある。私はビルマ語もできないし、ビルマにも行ったことがないので、この問題についてはあまり偉そうなことをいえないが、一般論からいえば、「軍政は悪、民主化運動は善、軍政への懲罰として制裁を行うべきだ」という日本や西側で主流の議論には、はっきりいって疑問を感じている。

そもそも「軍政」なら何が何でも絶対悪で、それに対抗する側が何が何でも「民主化勢力」で「義挙」だというのは、すでに民主化した先進国側の勝手な願望であり、ステレオタイプに過ぎないか?

誤解がないようにいっておくと、私は最近は「絶対平和主義」に近い立場をとりつつあるので、軍や武力を背景にする「軍政」一般というものは決して好きにはなれない。だから、この国について語るときは、軍政が変えた英語名のMyanmarは使わず、従来どおりBurmaと呼ぶ(そもそこ、これは文語音と白話音の違いでしかないのだが)。しかしだからといって、それに抵抗する側が恒に「民主化勢力」で正しいとは限らない、というのが私の見方である。

■長く続いた鎖国、貧困国に民主化の基盤があるのか?
だいいち、ビルマは、非常に貧しく、鎖国独裁体制が長く続いたところである。中江兆民も「三酔人経綸問答」で「 先生」の口を介して主張しているように、専制体制から必ず民主体制に向かうわけではなく、また専制から民主へは一足飛びには進めず、紆余曲折、その当該地の歴史や民度によって過程も結果も異なるものとなるのである。
ビルマがそもそも戦後独立して以来、特異な「社会主義計画経済」体制をとって、閉鎖的な国づくりを進めたことは、アジアに多い「開発独裁」とも異なるものであり、また開発独裁による発展の結果、市民社会の力が強まり、民主化につながった韓国や台湾とは大きく違い、そもそも民主化の条件や基盤なるものがそもそもビルマに存在しているかどうかすら怪しい。

■軍政が選挙結果をいとも簡単に否定できたことは民主化基盤の脆弱を示すもの
多くの人はここで1988年に社会主義独裁体制が「民主化デモ」によって倒され、その後「民主的選挙」が実施されて、アウンサンスーチーが率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したことを持ちだして反論するかもしれない。そして、そうした選挙結果を踏みにじって、今の軍政が権力を簒奪したのだから軍政が悪い、というのかも知れない。
しかし、これは前後、因果関係が逆ではないのか?
本当に民主化勢力の基盤が強固で確固としていて、アウンサンスーチーやその支持勢力が本当に民意の支持を得ていたのであれば、軍政がいくら武力を使ったとしても、あそこまでいとも簡単に選挙結果が否定され、再び軍政に回帰してしまうものだろうか?
たとえば、韓国や台湾では、ここ数年、明らかに保守的な軍部にとって都合の悪いリベラル系の候補者が大統領選挙に勝利してきたが、だからといって軍事クーデターが今更ながら勃発して、選挙結果を否定することがあっただろうか?
日本や米国については言うまでもない。
つまり、選挙結果が否定され、その結果軍政が17年間も続いている現実は、まさしく「選挙」が本当の意味での民意の確固とした基盤のうえに築かれたのではなく、またビルマにおける民主主義の基盤がそれだけ脆弱だったことを如実に示す格好の例である。
本当に、軍政が民意の支持がなく、選挙にこそ民意が示されていたのだとしたら、単に武力による簒奪というのは、たいていは数年しか続かないもので、すぐにまた民政復帰しているものである。ところが、ビルマは依然として民政復帰せずに、軍政がなんと17年も続いているのだ。それどころか、1988年以前のビルマは北朝鮮並みの閉鎖体制だったわけで、そういうのが続いたところに、まともな情報も、知識も、判断も存在しないことは明らかである。

■アウンサンスーチーは「ビルマ人」でなく半ば英国人
それから、西側のマスコミはやたらとアウンサンスーチーを持ち上げているが、アウンサンスーチーは、英国暮らしが長く、亡くなった配偶者も英国人だったこともあって、ビルマ語もあまりうまくなく、演説でも最初に必ず「私は英国暮らしが長く、夫も英国人だが、魂はビルマ人だ」と前置きするという。
ところが、ビルマにおいては、旧宗主国英国に対する反感は強く、しかもこれは旧植民地の庶民層に共通してみられる心理として、土着の母語に対する愛着や執着は強い。逆に、知識人は旧宗主国の言語に同化しようとする。
台湾においても、国民党の馬英九が特に中南部庶民の間で台湾語が下手で、中国意識を持っているということから、不評なのもそういうことである。
だから、ここでスーチーのビルマ語があまりうまくなく、まして反感の対象である旧宗主国・英国人の夫を持っていたということについては、庶民から反感といわないまでも違和感や不信感を持たれて当然であろう。
しかもスーチーには政策的な中身がないと言う指摘もなされている。英米メディアが作り上げた虚像としてのイメージ先行なのだ。
スーチーを先頭にした1988-90年の「民主化」がいとも簡単に「軍政」によってつぶされたのは、理由がないわけではない。要するに、スーチーがあまりにも「庶民感情」から遊離していたからであって、スーチーに比べればまだしも軍部のほうがビルマ語も達者な「土着勢力」だったからである。
もちろん、軍部に問題がないといっているのではない。タンシュエ議長の娘の派手な結婚式や、中国・インド・日本を後ろ盾にしているところなどは、事実上はスーチー=英米の傀儡に対する、中印の傀儡といったところだが、庶民層にはそこまでの国際政治の問題は見えていない(というか、そもそもそんなことはどうでも良い問題)はずであり、問題は「ビルマ語の達者さ」にあるはずである。

■BBCなど英語圏メディアの異常な誇張と煽動
それから、私が疑問に思ったのは、9月25日にピークを迎えた「民主化デモ」の参加者数である。最盛時にはラングーン(ヤンゴン)だけで10万人を超えたと西側メディアが伝えたデモだが、youtubeなどにアップされた動画を見る限りでは、とても10万人には見えず、勢いや熱気と人の密集度からいって、せいぜいが2万人、ひょっとしたら7000人というところではないか。
これははったりではなくて、私は韓国や台湾で万人単位のデモに何度も参加した経験もあるから、その経験から来る直感でいっているのだ。
そもそも10万人だったら、それほど広くはないとみられるラングーンの中心地で「行進」できるわけがない。人で埋まって動けない状態になるはずである。ところが、映像を見ると、明らかに人々は「行進」しているし、人の波の密度もすかすかだ。
日本では近年大規模デモなんて起こらないから、人数のペテンがわからないのだろう。英米のメディアを鵜呑みにして「10万人」としていたケースが多いが、私の経験から見たら、明らかに2万人以下、おそらく7000人程度だろう。つまり、13倍の水増しである。誇張妄想癖がある中国もびっくりではないかw(南京虐殺だって30万人は誇張だとしても、3-5万人は殺されていることは確実だし、だから水増し率は6-10倍程度であり、しかも殺し方として残虐だったのは事実だから、虐殺というのは間違っていない)。
10万人のデモでも、世界トップニュースになるというのは異常だが、7000人程度の小規模なデモをトップに持ってきて騒ぐのは、明らかに煽動、誇張、ペテンである。
このペテンを主導したのが、日ごろ他の問題については比較的公正かつ良心的報道だと私も思っていた英国BBCをはじめとする英語圏メディアであった。
しかもBBCはデモが完全に鎮圧された後でも、しつこく「くすぶる不満」などとしてデモの再発を煽ろうとしていた。
しかも、もうひとつのペテンは「デモは民衆の支持があった」という錯覚を起こさせる報道ぶりであった。ところが、映像を見るかぎりでは、参加者は「庶民層」とはいえない、僧侶や学生など知識層が中心であった。また拍手が時々あがっているが、それは参加者自身が景気付けに拍手していたものであって、「沿道の庶民」が拍手していたのではなかった。
大衆的基盤のない一部特権階層による「運動」をあたかも「民衆の支持」があったかのように伝えたことは、事実の歪曲以外何者でもない。

■軍政は大衆から支持されていないのか?
多くの人はこういうだろう。「では軍政は支持されているのか?」と。それは割合の問題だろうが、状況から見ればどうみても、「民主化デモ」よりも「軍政」への支持のほうが多そうである。
「軍政など支持するはずがない」という人は、それは飽食・豊満の現代日本で何不自由なく暮らしているからそう思うだけのことであり、それは傲慢というものだと自覚したほうがよい。
穀倉地帯だから、食えてはいけるものの、だからといって日々の暮らしに余裕のない人が大多数を占めているビルマのような国で、「軍政」がどうのという問題よりも、「日々の暮らし」に精一杯なのであって、人々がそんなに簡単に「軍政批判」に結びつくとは考えにくい。
日本人の多くは福沢諭吉や中江兆民の宣伝が奏功したのか、「人間は誰でも民主主義と自由を目指すものだ」となんとなく信じているところがある(これは日本に限らず、台湾でもその他多くの西側諸国ではそうだ)。
だから、ビルマのような異なる発展段階や文化の状態を見ると、反射的に「軍政は悪で、国民から支持されないに決まっている」と決め付けたがるのだろう。
しかし、人類文明史の大部分は、専制帝国とともにあったのであって、民主主義だろうが、国民国家だろうが、それは西欧という一部特殊な地域においてたまたま偶然から生まれたものでしかなく、民主主義の思想家たちが言うほどには普遍的なものでも、自然本来的なものでもないのだ。
もちろんアジアでも日本と韓国と台湾では民主化が成功し、好ましいのは事実である。しかし、だからといって、歴史的条件も発展段階も異なるビルマのような国にも、民主化が必要であり、一気呵成に可能だと考えているとしたら、あまりにも浅薄であろう。中江兆民やトクヴィルですら、そこまでナイーブに主張していたわけではなかった。

■制裁は逆効果、鎖国を進めて民主化の基盤をつくりたくない軍政にとって幸い
しかも愚かなことに西側諸国は、今回の軍政による血の弾圧にたいして、これまた脊髄反射的に「経済制裁」を口にしている。非常に愚かである。
そもそもこれは北朝鮮についてもいえるが、北朝鮮やビルマのように、国際経済システムから一線を画しているような閉鎖国家について、そもそも「制裁」して「堪える」だけの「経済」など存在しようもない。だから、制裁してもまったく効果がない。
それどころか、そもそも戦後ビルマの為政者が鎖国体制をとってきた裏には、「開発独裁」が結果的にその独裁の基盤を覆す社会的基盤を養成してしまうことを「反面教師」と考えているからであり、国際経済的に制裁を受けることは、まさに鎖国体制の継続と、独裁体制維持の基盤には欠かせず、逆に民主化の基盤形成を阻害することになってしまうのだ。
要するに、制裁は、軍政にとってもっけの幸いであり、最も望ましい状態なのである。制裁され、鎖国を続けている限り、軍政は安泰だからだ。

■ビルマを本当に民主化したいなら、まず経済発展させて10年は待て
だから、西側諸国が本当にビルマの「民主化」をまじめに考えたいのであれば、まずはビルマの為政者をして「開発独裁」のよさを信じこませて、ビルマを経済発展させないといけないだろう。そうして10-20年たって中進国レベルに達して、都市中産層の厚い基盤が醸成された時点で、あたらめて自生的に民主化を求める勢力が台頭することを見守るしかない。
ここで自生的というのは、スーチーのような英米の手先ではなく、ビルマ語などの土着言語が流暢で、民情に精通した、本当の意味で地に足がついた指導者たちが育つべきだということであり、見守るとは、英米が妙な介入をすべきではないということだ。
ビルマは貧しいから民主化できないと書いたが、もちろんこれには世界的に反証は存在する。一つはモンゴルであり、もうひとつはインドだ。
しかし、ビルマの場合、1990年の選挙がいとも簡単につぶされた経緯を見れば、経済的な低迷が民主化のボトルネックになっていることは明らかであり、モンゴルやインドの経験はあまり適合しないだろう。目ざすは韓国や台湾のモデルである。
あるいは、西側民主主義とは異なる意味での発展モデルとしてはマレーシアの例も選択肢に挙げられるかも知れない。マレーシアは言論の自由がある民主主義ではないが、独特の資源配分システム、多元エスニック政党連合による安定支配という点で、西側民主主義がそのまま適用できない第三世界にとって有力なモデルとなるだろう。
いずれにしても、ビルマを「民主化」させたいなら、制裁などではなく、当面軍政の優位と安定性を認めたうえで、改革開放を促して、都市中産層を育成したうえで、その後、ビルマ人民(といっても多民族だから、分裂や連邦化も含めて)の選択に任せるしかない。


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