むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

台湾メディアの一方的な報道こそが緑陣営の暴発を招いた

2006-09-20 03:49:14 | 台湾政治
9月16日台湾独立派団体の連合組織「台湾社」が総統府前ケタガラン通りで連日の「倒扁(陳水扁打倒運動)」に対抗して、民主的に選ばれた政府を擁護する集会を開いた。この過程で、24時間「倒扁」運動ばかり「報道」している中天、東森の二つのニュースチャンネルの中継カメラが民衆によって包囲、駆逐された。
その後、「倒扁」側は運動を台湾各地に拡散させることを企図、18日に高雄市、19日に台南市でそれぞれ集会を開くことを計画した。しかし高雄市は民進党の葉菊蘭代理市長が申請を「混乱を招く」として却下した。
これに対して高雄市の「倒扁」運動支部は無謀にも非合法で座り込み集会を始めたところ、緑陣営の民衆との乱闘になり、結果的に「倒扁」側は緑陣営の民衆の抗議に追われる形で集会継続を諦めた。
19日の台南市では民進党の市長は集会を許可したが、緑陣営の民衆が「倒扁」側集会を取り囲み、やはりこれも「倒扁」側の退散で終わった。
その過程では激昂した民衆によって、「倒扁」側の車両が破壊されるなどした。

「倒扁」側は15日に台北市内で行った「囲城」(総統府包囲)デモが20万人以上の参加者を集めて気勢が上がったと勘違いして、緑陣営支持層が多い南部でも運動を展開して、緑陣営の分裂と動揺を狙ったようだが、その目論見はもろくも敗れてしまった。
これを「暴力」として非難することは簡単だ。だが、過激な行動を生んだものは何か、それをまず考えなければならない。

ここで少し話がそれる。
似たような事件はちょうど12年前の9月にに起こったことがある。1994年9月25日、当時成立したばかりの統一派政党・新党が高雄市の労工公園で集会を開いたとき、やはり民進党支持の民衆が会場を取り囲み、新党関係者は退散するという事件が起こっている。労工公園はまさに美麗島事件の際に集会が行われたところで、いってみれば民主化運動・台湾意識の聖地なのだ。新党はそうした「敵の総本山」に食い込めば、自らの勢力拡大にとって有利だと判断したのだろうが、そんなに世の中は甘くない。

今回の「倒扁」運動も、実態としては、国民党の中でもさらに一部の大中国・統一志向による非合法的な陳水扁政権打倒の権力闘争である。
9日から連日連夜、台北市の一部を占拠して、大きなスクリーンや舞台を設置して「陳水扁やめろ」と叫ぶ。こんなことが可能なのは、どうみても「大きな力」が働いていることは明らかである。
それがバレバレであるのは、国民党反動派の息がかかった多くのテレビニュースチャンネル(TVBS、中天、東森)、新聞(中国時報、聯合報)が大げさに伝え、煽りたてていることからも明らかだ。
何しろ、テレビニュースチャンネルの偏りぶりは異常だ。24時間会場を生中継し、この話題ばかり一方的に伝える。この運動に批判的な大多数のサイレントマジョリティや緑陣営の不満は一切伝えないし、まして台湾や世界のほかの重要なニュースはまったく伝えない。
中国時報や聯合報なども毎日6-8面を割き、一方的にこの運動を賛美する記事ばかり垂れ流している。香港系リンゴ日報は社説では煽っているものの、意外に紙面は比較的「冷静」でせいぜい2面くらいしか割いていない。
TVBS、中天=中国時報、聯合報には香港経由で中国資本が大量に流れこんでいると見られている。香港のメディアも連日この話題ばかり大げさに伝えているようだ。
以上のことから、この運動の背後にいる勢力はあまりにも明らかである。それは国民党反動派と中国共産党である。

しかも聯合報はこの運動が反動的なものであることを「白状」する記事を書いている。18日付けで「靜坐人潮昨再湧現 非常「布爾喬亞」(昨日の座り込み、盛り上がり再び、非常にブルジョア的」という見出しで、このデモに参加しているのが台北の中産層を中心としていて、緑陣営の集会の主体である労働者などと異なり、きわめて「高尚」だ、などと「自賛」しているからである。
たしかに、これは事実である。つまり、今回の座り込みに連日参加できるというのは、その時点で、有閑階級であるのは明らかである。暇で金がなければこれほど無意味な運動に毎日やってこない。つまり、国民党を支持し、共産党ともつながる勢力はまさに有閑階級による反動的な本質を持っていることを、聯合報は自ら認めているわけだ。
これは最近の中国共産党が資本家を大量に入党させ、国際資本による労働者搾取を奨励している傾向と軌を一にするものだ。
たしかに、15日には若者や女性が多く参加した。しかし、これをもって、「新たな市民運動」と勘違いしてはならない。台北は若者にとっては娯楽の場所が少ない。参加した若者は、いずれも単なる「ファッション」としてとらえていて、たいした意味も考えずに、久しぶりに起こった「お祭り」に便乗しただけのことである。
この運動の本質は国民党反動派とそれに追随するマスコミが結合し、さらに中国共産党の支援を受けた奪権闘争である。15日に膨れ上がった部分の多くは単なる「娯楽を求めた便乗組」である。いずれにしても、歴史的な意味なまったくない。日本の某通信社は「総統批判の声の広がりを反映した」などと書きたてたが、それはまったく台湾の実情と物事を本質を理解できていない誤った見方だといえるだろう。

ところで、最初の話に戻る。
もちろん、暴力は遺憾である。しかし、こうした暴力を生んだのは、もとよりマスコミが一方的に「倒扁」側に肩入れしたことから起こったものだ。
民衆は自らの意見や意思が正当かつ公平に扱われないとフラストレーションを高めるものだ。
かつて南米の軍事政権下で極左ゲリラが蔓延したのも、中東などにおいて欧米メディア覇権への反感が強く反欧米感情に流れやすいのも、いずれも国の体制やメディアが異なる意見を反映できないために起こる当然の反応であり代価である。
今回、台湾のメディアの多くは、メディアとして最低限守るべき報道の中立公正性を完全に無視し、報道と論評を混同し、一方的な報道姿勢をとった。
「倒扁」運動に参加していない市民のほうが多く、参加していない人たちは運動を苦々しく思っていることを無視して、一方的に一部の「声の大きな群衆」の声だけを大きく報道する。そして、それに反対する意見は、それが暴力に訴えたときだけ「反対派は暴力分子だ」という形で伝えるだけである。
この一方性は、欧米メディアの多くが一昔前いや現在でも中東やイスラームがらみの報道をするときに行っている一方的な姿勢とまったく通じる態度である。
台湾は「倒扁」や赤服や青陣営の声だけが存在するわけではない。緑も中南部を中心に大きな勢力があるし、ノンポリや中立的な人も最近では増えているのである。
「倒扁」に積極的に参加する人以外の人にとっては、「倒扁」運動ばかり報道するメディアは害毒以外の何者でもない。それが「倒扁」側に肩入れしてばかりいるメディアや「倒扁」運動側には理解できていないようだ。

それにしても、16日、18日の高雄、19日の台南と続いた緑陣営の鬱積した不満の爆発・暴発にもかかわらず、前記統一派メディアは一向に報道姿勢を反省しようとしない。これではますますフラストレーションは高まるばかりだろう。
まあ、それでもいいのかもしれない。「倒扁」側は是非とも無意味な騒動を続けて欲しいと思う。
しょせんは台北市にいる一部「ブルジョア」(聯合報の言)が国民党反動派や共産党の使唆で動いている少数の動きに過ぎない。少数の人間が、これほど自己中心的な動きを続ければ続けるほど、中南部を中心とした緑陣営の凝集を強めることになり、また中立的な人たちも「倒扁」運動への憎悪を持つだけだろう。そして、この運動に肩入れしているのが明白な馬英九はじめ国民党反動派の支持基盤は失われるのである。
民進党の上層部には「このまま続けたいなら、続ければよい。馬英九の評判はどんどん落ちて、08年には馬が当選する見込みはまったくなくなるだろう。そうでなくても、台湾では台湾意識がどんどん強まっている。このまま馬英九系統がヘタな動きをしてくれれば、民進党にとっては都合が良い」という見方も出ているくらいだ。


最新の画像もっと見る