むじな@金沢よろず批評ブログ

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記憶の風化こそが独裁の清算につながる

2007-03-01 01:31:28 | 台湾政治
今年の228事件記念集会は、60周年という節目だったにしては、それほど盛り上がりがあったようには見えなかった。特に若者の参加は少なかった。参加していたのは、かつて「228」という言葉すら禁句になっていた時代の記憶がいまでも鮮烈に残っている50代以上が中心だった。若者にとってはもはや228は単なる歴史の遠い出来事に過ぎないようである。
しかし、これはだからといって、228事件の真相究明や、その最高責任者である蒋介石、国民党ファッショ独裁が免責されていいことを意味しない。もし国民党、特に大中国派の馬英九一派が、今回の盛り上がりのなさを国民党に対する免罪だと考えているとしたら、それは台湾の民意と方向性を見誤る傲慢である。

馬英九はいまだに蒋介石の責任については認めようとせずに、むしろ蒋介石をいまだに弁護し、賛美している。
しかし、今の台湾の若い世代は、歴史だとはいっても、国民党がろくでもない集団だということは認識しているし、馬英九のような往生際の悪さ見れば、「やはり悪いことをやったから、弁解がましいんだ」と考える。台湾人はボーっとしているように見えて、意外にそういう勘は研ぎ澄まされているからである。

だから国民党に残された道はただ一つ。さっさと蒋介石の責任と過ちを認め、膨大な党資産でもって遺族に損害賠償を行い、国民党を発展的解消して、完全に台湾化した保守政党として出直すべきなのだ。歴史の誤ちに対する責任の取り方としては、それに勝るものはない。
馬英九は口を開けば日本の過去の蛮行に対する糾弾を行うが、それが自分に降りかかるととたん、自分たちが日本に対して行っている基準は適用しなくなる。そうした二重基準や自家撞着は台湾人に喝破されている。台湾人は一貫して歴史に関心などない。だから、国民党や中国や南北朝鮮が日本の過去の罪過を騒ぎ立てるほど反感を抱く。国民党が「抗日記念」だの南京虐殺だのを言い立てたら、当然台湾人から反発されるのである。

とはいえ、まさに「台湾人は歴史に重きを置かない」からこそ、民進党や深緑陣営が228事件と蒋介石の責任について、あまり騒ぎ立てすぎることも得策とはいえない。
蒋介石や国民党が不埒な集団だということは、実は知っている人はみんな知っているいる。知らない人はそもそも蒋介石という人物の存在すら知らない。これを読む日本人の多くは信じられないかも知れないが、今の台湾で蒋介石を知らない人は、特に若者の間では多いのである。私が3年前台北駅あたりを歩いていたら、中学生くらいの若者2人が「蒋介石って、誰だっけ」なんて会話をしていたのを耳にしたことだってある。現在中正(蒋介石の忌み名)記念堂の改名が議論になっているが、台湾のテレビが若者に中正記念堂は誰を記念しているかと聞いたところ「知らない」が大半だった。
しかし、「蒋介石など知らないよ」という今の台湾の若者のあり方ほど、「独裁の清算」として正しいものはない。好きの反対は嫌いではなくて、無関心、知らないことからである。
実際、蒋介石という人物は、世界史的にみて偉大でもなんでもない。単なるファッショ軍閥の頭目であり、共産党との内戦に敗れた単なる落伍者に過ぎないのだ。だから、「それって誰?」という反応こそが、実は世界史的に見て最も正しい反応である。
そういう若者たちの実情に照らしてみれば、おそらく228や蒋介石の罪状について言い立てることは、逆にいえば寝た子を起こすことになる。また、そもそも台湾人社会では「相手を追い詰めることはしない」のが鉄則だから、あまりやりすぎると、むしろ逆効果になる危険性もある。

しかし何度もいうように、そうした記憶の風化は、決して国民党のこれまでの罪科を免罪にするものではない。そもそも国民党が優勢を誇ってきた歴史と伝統そのものが無になっていることを意味するからである。「蒋介石は偉大な民族の星で、蒋介石がいなければ台湾はなかった」などという国民党の公式イデオロギーも、そもそも蒋介石なんて知らないし、なんとも思っていない若者には通用しないからだ。

その意味でも、228の記憶が、若者の間では風化していることは、悪いことではない。若者は228も関心がないが、蒋介石だって知らないし、蒋介石なんて偉大な人ともなんとも思っていないからである。


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