はじめにいうと、私は中道左派だが、日本の植民地支配そのものは、当時の情勢では不可避だったと考えている。1895年や1910年には帝国主義は下火になりつつあったとしても、1945年以降にいたってもなおのオランダのインドネシア支配への固執を見てもわかるように、当時の国際政治において、「食うか食われるか」であり、いち早く主権国家化、近代化を果たした日本が、自らが帝国主義国家となって、植民地を持ったことそのものは、誤りだったとはいえない。
だからといって、植民地支配によって、異なる文化を持った人間集団に屈辱を与えたことは事実であり、現在となってはそれを強く反省して、謙虚さを持つことは大切だと思う。謙虚さと反省も、日本人の伝統的な美徳なのだから。そして、今ではインドネシア、マレーシアなど日本が独立に貢献した国だけでなく、植民地支配時代には不満もあった台湾、さらに戦後一時期反日感情が強かったフィリピン、その他多くのアジア諸国が、親日に転換したのは、まさに戦後の日本人が謙虚に反省する態度を持ってアジアの人たちと接してきたからだ。
#もちろん例外はあって、中国人はこちらが低姿勢になると、さらに付け上がって、ユスリタカリをしてくるので、民族に合わせた対応が必要だ。しかし、台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシアのようなマレー系社会については、こちらが謙虚になって反省する誠意を示せば、その誠意を受け入れ、むしろ戦前日本のプラス面を評価してくれる。しかし、日本人が能動的に戦前を賛美し、自虐的であってはならないとするウヨクの主張は傲慢だ。それは日本古来の美徳に反する。あくまでも評価は他人がすべきことだからである。
台湾や朝鮮の植民地支配について、ウヨクの弁護論として典型なのは、
(1)植民地ではなく、完全に領土、日本の延長だった
(2)欧米の植民地のような搾取ななく、むしろ建設をして、教育も普及させた
とするものがあるが、実はいずれも誤りだ。
そもそも「植民地」という言葉が、道徳的にマイナスのイメージを持っているから、それを否定するために、「植民地でなかったし、建設もした」といいたいのだろうが、それは「植民地」という実態が持つレンジの広さに無知な議論だ。
こないだまでイギリスの植民地だった香港は植民地時代のほうが良かったわけだし、フランスの植民地のレユニオン島は植民地であることのほうを是としているのである。
■植民地も領土の一部である
という主張は、植民地もまた領土の一部だという点を忘れている。英国統治時代の香港は、英国の領土だったのではなかったのか?また、戦前の地図だと仏領インドシナとか、英領ローデシアとかある。植民地は明らかに領土であって、領土の外に植民地があるのではない。
植民地の定義は、法制度論的には、「国内法的には外国で、国際法上は国内」なのだ。つまり、国際的には宗主国の領土の一部として認知されているが、宗主国の国内法とは別の外地法が施行されていて、宗主国本国との移動は制限があるのを植民地という。
とすれば、台湾も朝鮮も、大日本帝国憲法およびその憲法の下で内地で実施されていた法令とは別系統の法令が施行されていたのであって(しかも朝鮮と台湾でもそれぞれ別)、その点では紛れもなく外地、植民地なのである。
しかも、台湾総督府の文書を見れば、植民地経営をいかに遂行するかという文書がたくさんあり、英国のアイルランド、インド、マラヤ支配、フランスのアルジェリア、ベトナム支配などを研究しており、明らかに日本政府、総督府自身は台湾を植民地として認識していたのである。
■ウヨクは同じ時期と段階の植民地支配を比較しようとしない
ウヨクは台湾と朝鮮支配について、「帝国大学はじめとする教育機関を整備し、台湾人や朝鮮人も旧制中学や大学に入れたし、さまざまなインフラを整備し、衛生面でも向上させ、植民地からの取り分よりも建設による持ち出しのほうが多かった」といって、台湾・朝鮮支配を弁護するが、このロジック、実は中国のチベット支配とまったく同じことに、本人が気づかないところが、哀れであるw。
そして、今回のNHKの番組に対する桜チャンネルの批判番組では、「オランダがインドネシアで、イギリスがインドで、現地人を教育したか」などといっているが、オランダはインドネシアで、イギリスはインドで、それぞれ教育機関を整備しているし、インドネシア人やインド人を宗主国本国に留学させて人材育成も行っている。今だに、オランダやイギリスに行けば、それぞれインドネシア人やインド人は多い。ウヨクは、西欧に行ったことがないらしいw。
そもそも、日本人は近代文明については当時創意などというものはなく、したがって英国が人間博物館をすれば真似をして、フランスが方言札をすれば真似していた。だから、植民地に教育機関をつくるという発想も、実は英国の真似をしたのであって、英国がやりもしなかったことを日本人が独自に創出したと考えるのは誤りだ。というか、悪いことは欧米のせいにして、好いことは日本の独自性のように言い立てるウヨクの思考方式はまるで朝鮮人や中国人を見ているようだw。
■英国のマラヤ支配は日本の台湾支配よりも文明的だった
そもそもオランダのインドネシアを持ち出すなら、イギリスについてはインドでなく、マラヤを持ち出すべきだろう。どういうわけか、ウヨクは、英国のマラヤ支配や米国のフィリピン支配について、絶対に言及したがらないw。
「西欧帝国主義と違って、日本は搾取しなかった」というときの例は、英国については必ずアフリカやインド、オランダのインドネシアといった「西欧帝国主義の初期の植民地支配」のケースであって、日本の台湾・朝鮮支配とほぼ同時期(若干前)に始まった英国のマラヤ支配や米国のフィリピン支配とは絶対に比較しない。
英国の植民地支配について言及するなら、英国の支配の中では最も後の段階で、最も文明的な支配を行ったマラヤについて言及しないのはおかしい。
英国の植民地は、旧ローデシア現ジンバブエやアイルランドなど、初期の段階ではきわめて非人道的なことを行い、したがってアイルランド人などは英国が大嫌いなのだが、英国は最も帝国主義として成功した国として、新しい時代になるほど、支配が精巧、文明的、人道的になっていった。
■英国東インド会社支配時期、英国本国にも人権はなかった
確かにウヨクがよく言うように、インド支配の初期=東インド会社による支配の段階では、インド人を半ば奴隷として扱った。しかしそれは東インド会社が存在した17-18世紀の段階では、英国本国でも「囲い込み」が行われていた時期であり、英国本国の下層階級人もまた人間扱いを受けていなかったのだから、英国インド支配の初期段階でインド人にだけ不当に奴隷扱いしていたとの批判は当たらない。
そもそも、ウヨクは戦前を弁護する際に決まって「現在の価値観で論断するのではなく、当時の価値観と情況で公平に見るべきだ」などという。ところが、「英国のインド支配は奴隷扱いだった」という批判は、当時、英国本国でも下層階級には人権などなかった、いや人権という概念そのものがまだなかったという「当時の価値観や情況」を無視しているのだ。
いずれにしても、台湾と朝鮮の支配が、文明的で人道的だったと言うとき、ほぼ同じ時期に始まった英国のマラヤ支配と米国のフィリピン支配との比較が抜け落ちているのが問題だ。
マレーシアの今のインフラ整備はマハティール以降の親日政策で、最近の日本の学んだものが大きいが、基本の制度や思想は英国時代に作られたものを基盤としている。フィリピンが戦後反日的だったのは、戦前米国によって民主主義が育てられ独立も約束されていたときに日本軍に侵略されたためでもある。
私は何も欧米が良かったといっているのではない。植民地統治は戦後の世界では否定され、今後はあってはならないものだ。
しかし、ウヨクによる弁護論は明らかに公平を欠き、歴史というものを見誤っている。
■戦後の日本人の自虐史観と謙虚さが、台湾やマレーシアなどの親日を生んだ
それに、台湾、マレーシア、インドネシアが親日であり、それからフィリピンまでもが最近は親日的であるのは、「自虐史観」に支配されて、謙虚になって、奥ゆかしくなった戦後の日本人のあり方を彼らが見ているからに他ならないのであって、決してウヨクがいうように「自虐史観で日本人が駄目になったから」ではないのだ。
確かに中国に対する場合、自虐史観は中国人に隙を与えるもので、逆効果となっていると思う。
しかし、マレー系に対する場合、日本人が自虐史観を持ち、戦前の過ちを反省し、奥ゆかしく謙虚に相手と付き合っているからこそ、マレー系はそうした現在の日本人のあり方を戦後の発展とともに賞賛し、ひいては戦前の日本の歴史も肯定的にとらえているだけなのだ。
すべては現在の日本人の経済レベルの高さと奥ゆかしさが好まれているのだ。日本人が戦前を反省するからこそ、東南アジアの人たちは「いえいえ、日本はわれわれを解放してくれたのですよ」といってくれるのだ。
ところが、それをウヨクがいっているように「自虐史観は駄目だ。日本は大東亜戦争でアジアを解放したのだ」などといったら、実はぶち壊しである。「日本軍によって、われわれは人前で怒鳴られたり、殴られたりした」(マレー系にとってはそれは死にも値する面子を失う行為だ)といって反論されるのが落ちだろう。恩着せがましいことをいわれたら、反発されるのは当然だろう。
プラス評価は、他人が与えるものであって、自分から口にするのは、恥ずべきことであり、日本古来の美徳にも反する。
したがって自虐史観を批判し、戦前を美化しようとするウヨクこそが、非国民、非日本人であり、シナ人というべきである。
日本は戦前アジアに迷惑をかけた。そういう気持ちと謙虚な態度で臨み続けるほうが、日本人の株は上がり、親日が増える。ただし中国には隙を見せずに強硬に接するほうがいいのだが。
だからといって、植民地支配によって、異なる文化を持った人間集団に屈辱を与えたことは事実であり、現在となってはそれを強く反省して、謙虚さを持つことは大切だと思う。謙虚さと反省も、日本人の伝統的な美徳なのだから。そして、今ではインドネシア、マレーシアなど日本が独立に貢献した国だけでなく、植民地支配時代には不満もあった台湾、さらに戦後一時期反日感情が強かったフィリピン、その他多くのアジア諸国が、親日に転換したのは、まさに戦後の日本人が謙虚に反省する態度を持ってアジアの人たちと接してきたからだ。
#もちろん例外はあって、中国人はこちらが低姿勢になると、さらに付け上がって、ユスリタカリをしてくるので、民族に合わせた対応が必要だ。しかし、台湾、フィリピン、マレーシア、インドネシアのようなマレー系社会については、こちらが謙虚になって反省する誠意を示せば、その誠意を受け入れ、むしろ戦前日本のプラス面を評価してくれる。しかし、日本人が能動的に戦前を賛美し、自虐的であってはならないとするウヨクの主張は傲慢だ。それは日本古来の美徳に反する。あくまでも評価は他人がすべきことだからである。
台湾や朝鮮の植民地支配について、ウヨクの弁護論として典型なのは、
(1)植民地ではなく、完全に領土、日本の延長だった
(2)欧米の植民地のような搾取ななく、むしろ建設をして、教育も普及させた
とするものがあるが、実はいずれも誤りだ。
そもそも「植民地」という言葉が、道徳的にマイナスのイメージを持っているから、それを否定するために、「植民地でなかったし、建設もした」といいたいのだろうが、それは「植民地」という実態が持つレンジの広さに無知な議論だ。
こないだまでイギリスの植民地だった香港は植民地時代のほうが良かったわけだし、フランスの植民地のレユニオン島は植民地であることのほうを是としているのである。
■植民地も領土の一部である
という主張は、植民地もまた領土の一部だという点を忘れている。英国統治時代の香港は、英国の領土だったのではなかったのか?また、戦前の地図だと仏領インドシナとか、英領ローデシアとかある。植民地は明らかに領土であって、領土の外に植民地があるのではない。
植民地の定義は、法制度論的には、「国内法的には外国で、国際法上は国内」なのだ。つまり、国際的には宗主国の領土の一部として認知されているが、宗主国の国内法とは別の外地法が施行されていて、宗主国本国との移動は制限があるのを植民地という。
とすれば、台湾も朝鮮も、大日本帝国憲法およびその憲法の下で内地で実施されていた法令とは別系統の法令が施行されていたのであって(しかも朝鮮と台湾でもそれぞれ別)、その点では紛れもなく外地、植民地なのである。
しかも、台湾総督府の文書を見れば、植民地経営をいかに遂行するかという文書がたくさんあり、英国のアイルランド、インド、マラヤ支配、フランスのアルジェリア、ベトナム支配などを研究しており、明らかに日本政府、総督府自身は台湾を植民地として認識していたのである。
■ウヨクは同じ時期と段階の植民地支配を比較しようとしない
ウヨクは台湾と朝鮮支配について、「帝国大学はじめとする教育機関を整備し、台湾人や朝鮮人も旧制中学や大学に入れたし、さまざまなインフラを整備し、衛生面でも向上させ、植民地からの取り分よりも建設による持ち出しのほうが多かった」といって、台湾・朝鮮支配を弁護するが、このロジック、実は中国のチベット支配とまったく同じことに、本人が気づかないところが、哀れであるw。
そして、今回のNHKの番組に対する桜チャンネルの批判番組では、「オランダがインドネシアで、イギリスがインドで、現地人を教育したか」などといっているが、オランダはインドネシアで、イギリスはインドで、それぞれ教育機関を整備しているし、インドネシア人やインド人を宗主国本国に留学させて人材育成も行っている。今だに、オランダやイギリスに行けば、それぞれインドネシア人やインド人は多い。ウヨクは、西欧に行ったことがないらしいw。
そもそも、日本人は近代文明については当時創意などというものはなく、したがって英国が人間博物館をすれば真似をして、フランスが方言札をすれば真似していた。だから、植民地に教育機関をつくるという発想も、実は英国の真似をしたのであって、英国がやりもしなかったことを日本人が独自に創出したと考えるのは誤りだ。というか、悪いことは欧米のせいにして、好いことは日本の独自性のように言い立てるウヨクの思考方式はまるで朝鮮人や中国人を見ているようだw。
■英国のマラヤ支配は日本の台湾支配よりも文明的だった
そもそもオランダのインドネシアを持ち出すなら、イギリスについてはインドでなく、マラヤを持ち出すべきだろう。どういうわけか、ウヨクは、英国のマラヤ支配や米国のフィリピン支配について、絶対に言及したがらないw。
「西欧帝国主義と違って、日本は搾取しなかった」というときの例は、英国については必ずアフリカやインド、オランダのインドネシアといった「西欧帝国主義の初期の植民地支配」のケースであって、日本の台湾・朝鮮支配とほぼ同時期(若干前)に始まった英国のマラヤ支配や米国のフィリピン支配とは絶対に比較しない。
英国の植民地支配について言及するなら、英国の支配の中では最も後の段階で、最も文明的な支配を行ったマラヤについて言及しないのはおかしい。
英国の植民地は、旧ローデシア現ジンバブエやアイルランドなど、初期の段階ではきわめて非人道的なことを行い、したがってアイルランド人などは英国が大嫌いなのだが、英国は最も帝国主義として成功した国として、新しい時代になるほど、支配が精巧、文明的、人道的になっていった。
■英国東インド会社支配時期、英国本国にも人権はなかった
確かにウヨクがよく言うように、インド支配の初期=東インド会社による支配の段階では、インド人を半ば奴隷として扱った。しかしそれは東インド会社が存在した17-18世紀の段階では、英国本国でも「囲い込み」が行われていた時期であり、英国本国の下層階級人もまた人間扱いを受けていなかったのだから、英国インド支配の初期段階でインド人にだけ不当に奴隷扱いしていたとの批判は当たらない。
そもそも、ウヨクは戦前を弁護する際に決まって「現在の価値観で論断するのではなく、当時の価値観と情況で公平に見るべきだ」などという。ところが、「英国のインド支配は奴隷扱いだった」という批判は、当時、英国本国でも下層階級には人権などなかった、いや人権という概念そのものがまだなかったという「当時の価値観や情況」を無視しているのだ。
いずれにしても、台湾と朝鮮の支配が、文明的で人道的だったと言うとき、ほぼ同じ時期に始まった英国のマラヤ支配と米国のフィリピン支配との比較が抜け落ちているのが問題だ。
マレーシアの今のインフラ整備はマハティール以降の親日政策で、最近の日本の学んだものが大きいが、基本の制度や思想は英国時代に作られたものを基盤としている。フィリピンが戦後反日的だったのは、戦前米国によって民主主義が育てられ独立も約束されていたときに日本軍に侵略されたためでもある。
私は何も欧米が良かったといっているのではない。植民地統治は戦後の世界では否定され、今後はあってはならないものだ。
しかし、ウヨクによる弁護論は明らかに公平を欠き、歴史というものを見誤っている。
■戦後の日本人の自虐史観と謙虚さが、台湾やマレーシアなどの親日を生んだ
それに、台湾、マレーシア、インドネシアが親日であり、それからフィリピンまでもが最近は親日的であるのは、「自虐史観」に支配されて、謙虚になって、奥ゆかしくなった戦後の日本人のあり方を彼らが見ているからに他ならないのであって、決してウヨクがいうように「自虐史観で日本人が駄目になったから」ではないのだ。
確かに中国に対する場合、自虐史観は中国人に隙を与えるもので、逆効果となっていると思う。
しかし、マレー系に対する場合、日本人が自虐史観を持ち、戦前の過ちを反省し、奥ゆかしく謙虚に相手と付き合っているからこそ、マレー系はそうした現在の日本人のあり方を戦後の発展とともに賞賛し、ひいては戦前の日本の歴史も肯定的にとらえているだけなのだ。
すべては現在の日本人の経済レベルの高さと奥ゆかしさが好まれているのだ。日本人が戦前を反省するからこそ、東南アジアの人たちは「いえいえ、日本はわれわれを解放してくれたのですよ」といってくれるのだ。
ところが、それをウヨクがいっているように「自虐史観は駄目だ。日本は大東亜戦争でアジアを解放したのだ」などといったら、実はぶち壊しである。「日本軍によって、われわれは人前で怒鳴られたり、殴られたりした」(マレー系にとってはそれは死にも値する面子を失う行為だ)といって反論されるのが落ちだろう。恩着せがましいことをいわれたら、反発されるのは当然だろう。
プラス評価は、他人が与えるものであって、自分から口にするのは、恥ずべきことであり、日本古来の美徳にも反する。
したがって自虐史観を批判し、戦前を美化しようとするウヨクこそが、非国民、非日本人であり、シナ人というべきである。
日本は戦前アジアに迷惑をかけた。そういう気持ちと謙虚な態度で臨み続けるほうが、日本人の株は上がり、親日が増える。ただし中国には隙を見せずに強硬に接するほうがいいのだが。