総統一族をめぐる一連の不正「疑惑」は、ここ数日、大転換を見せ、これまで不利だった民進党側が盛り返し、逆に証拠を一切提示できない国民党系政治家・メディア、国民党の息がかかった検察・調査局に対する不信と疑念が世論で支配的になりつつある。
私自身も反省しなければならないことは、5月下旬までの時点で、日本の常識で考え、「ここまで疑惑が出ているからには、何か根拠があるに違いない」と思い込まされてしまったことがある点だ。台湾は民主化したとはいえ、社会のすべての分野がまともになったわけではない。民進党系はまだまともだといえるが、野党となった国民党系の政治家・メディア、さらに伝統的に国民党色が強い検察や調査局の体質は変わっていない。国民党の体質とレベルは日本の基準では考えられないお粗末なものだったのだ。
そこに最初は気づかず、メディアのキャンペーンに「根拠があるだろう」と考えた迂闊さは私自身も反省しなければならない。
これは一部急進独立派が日ごろ指摘するように「外省系のメディアや政治家の言うことはまったく信用できない」という言い方のほうが正しかったということだ。
大体、今回の趙建銘逮捕は、日本では考えられない法的手続きを無視した荒っぽいものだったことが、今となっては明らかになっている。
たとえば同じインサイダー疑惑の村上ファンド社長の逮捕と比べた場合、日本ではさすがに徹底した内偵捜査を行い、確実な証拠をつかんだ上で、証拠隠滅の恐れと、さらなる証拠固めのために、裁判所に逮捕令状を請求して、裁判所も相応の根拠を認めて令状を発行する。
台湾の場合、逮捕前の「内偵」と「相応の証拠をすでにつかむ」という作業がほとんどなく、国民党の白色テロ時代以来の手口で、国民党が民進党を弾圧するためには、何の根拠もなくでたらめに逮捕してもいいという精神がいまだに存在していることが、今回の逮捕劇で明らかになった。
日本では逮捕勾留には最大23日の期限がある。趙建銘は日本なら勾留期限間近にもかかわらず証拠固めができていないので、不当逮捕、人権蹂躙の典型的な事例として、検察が糾弾されるものとなる。
台湾の場合は、制度上は日本の刑訴法とほぼ同じなのだが、実際には2ヶ月くらい勾留していることもザラだ。
これでは、まだまだ民主化とはいえない。それは、検察や調査局など一部政府機関がいまだに国民党独裁時代の体質と精神を持っていることが大きい。
同じ不正疑惑にしても、明確な証拠があがっている宋楚瑜の興票案や、国民党軍部の巨大疑獄ラファイエット事件は検察その他は一切手をつけようとしないのに、趙建銘が単なる疑惑のうわさだけで逮捕されているのを見ても、検察系統が国民党に甘く、民進党には不当な対応を取っていることは明らかである。
政権交代による民主化は、確かに政治過程の上では民主化したとはいえるが、それでも2004年には国民党は選挙に敗れたことを不服として暴動を起こしているように、台湾の民主化はあくまでも民進党系の半分は民主化したが、国民党系の残りの半分はファッショ体質を残しているという、片肺の民主主義なのである。
政治過程を除く分野での民主化はまだ進んでいない。教育、メディア、官僚の世界では、いまだに国民党員が幅を利かせていて、国民党系がやりたい放題なのだ。それを見せ付けたのが、今回の騒動だといえるだろう。
そもそも今回一連の「疑惑」を暴露したのは、国民党籍立法委員邱毅だが、問題は彼はこれまで何の具体的な証拠や根拠も出さずに推測や伝聞を述べているだけであることが明らかになりつつあるのだ。
彼が呉淑珍の商品拳疑惑、趙建銘の株売買、陳政権による金融機関民営化について、いずれも「不正があった」というのは、つまり、商品券をもらったり、株売買をしたり、銀行民営化をすれば、自分たち国民党なら、絶対に不正をするはずだ、だから民進党もしているはずだ、という思い込みによる決め付けに過ぎないのである。
さらに、たいした根拠もないのに、毎日のように暴露していると、もともと嘘であればあるほど、暴露情報そのものの底が割れてくる。嘘をつくと必ず矛盾や破綻をきたす。もはや暴露話そのものへの信憑性が失われつつあるのだ。
今回、大きな節目となったのは、6月3日に親民党が中心となって開いた総統罷免要求集会に馬英九が登場して、馬が以前は否定的だった総統罷免要求をそれをきっかけに積極的に罷免論に転じたこと。これは国民党側に不利に作用しはじめた。
というのも、冷戦時代の伝統的な「前線国家」である台湾と台湾では、総統=大統領は軍の統帥権もあり、国家安保の重要な鍵を握っている。そういう総統=大統領を重大かつ明確な理由もないまま(今回も陳水扁自身が贈収賄やっていたわけではない)罷免を要求することは、嫌われる。
韓国でも2004年に野党がたいした理由もなく、大統領を弾劾し、そのために直後の国会議員選挙で野党がそれまで持っていた圧倒的多数の議席を失い、与党が過半数に躍進したことがあった。
今回宋楚瑜が罷免を言い出したことは、宋自身のおかれた立場(弱小野党)から見て、正しい。このままでは埋没しかねない彼の存在意義をアピールし、国民党を揺さぶり、昨年の陳水扁との会談で失った深藍支持者の票を取り戻し、年末の台北市長選挙でも一定の地歩を固めるには絶好の戦術だといえる。そして宋はそれに成功した。
ただ、問題は馬英九である。ここ数ヶ月の趨勢を見れば、陳水扁と民進党が落ち目で、このまま馬はこれまでのように「お利口ちゃん」を演じて、法体制を尊重する穏健な指導者というイメージを保てば、ひょっとしたら08年まで優勢を保てたかもしれない。ところが、彼は台湾や韓国では嫌われる総統罷免を言い出した。自分も総統になりたいつもりなら、「周囲の関係者の疑惑があっただけで罷免すべき」だとしたら、馬英九がもし総統になったら同じ問題が出てくるに決まっているわけだから、そうしたら彼はすぐに辞任しなければならないことになる。彼自身もそう考えて当初は宋が言い出した総統罷免論に否定的だったはずだ。
しかし、馬は何を思ったのか、罷免論を言い出すようになった。宋の策略に引きずられたのだろうが、深藍の票が親民党に流れることに不安を抱いたのか、党内強硬派の突き上げがあったのか、多分そのいずれもだろうが、問題は馬が国民党内で強い指導力を発揮して、見境ない強硬派を抑えられないことが明らかになったことだろう。
もっとも馬にも馬なりの計算はあるのだろう。つまり、ここで罷免や倒閣(内閣不信任案提出・可決)を言い出したことの目的は、陳政権を倒すことよりも、「内部の敵」「獅子身中の虫」王金平と国民党本土派をつぶす絶好のチャンスになるからだ。倒閣すればおそらく解散・選挙になるが、馬は党主席として公認について大きな影響力を及ぼせる。公認リストから王金平そのものをはずすことは王の実力を考えれば、難しいだろうが、王に近い中南部の本土派現職をすべてはずすことはできるだろう。そうすれば王の足元を着実に切り崩せる。
馬に近いと見られる中国時報が、昨年12月と最近の二回にわたって、王金平が民進党の一部とくっつくのではという観測記事を一面トップで報じているが、これは明らかに王の動きをつぶすために暴露したものだろう。つまり、馬英九は王金平と本土派の存在に強い警戒と恐れを抱いていることは明白だ。
しかも陳一族スキャンダル暴露も、これ以上のネタがなさそうだし、そろそろ国民も食傷気味になっているので、これで倒閣が可能となる9月の定例国会、あるいは年末の市長選挙まで持たせられない。だから、焦ったのだろう。
それにしても、最近の馬の狼狽、焦りぶりを見ると、以前から見られる彼の顔色の悪さ(健康状態が悪そうな顔色)とあいまって、実は別の問題を抱えているのかも知れない。それは単なる憶測の域を出ないので、これ以上は論じないが、馬英九は民進党の落ち目にもかかわらず2008年の総統選挙で自分が勝てる自信がない、何かがあるのだろう。
補足すれば、6月3日の親民党の集会が潮目の変わり目だったとすれば、私事ながら、この日はキリスト教におけるペンテコステ、聖霊降臨日の前日で、私はその日の夕刻、レバノンでマロン派最大の聖人であるシャルベルにまつわる教会で一夜を過ごしたときであった。私はカトリックや正教系ではないが、3日とペンテコステの4日に、台湾のために祈りを捧げたものである。それが功を奏したのかどうか知らない。しかし、今年の6月4日は、ペンテコステであり、中国天安門事件16周年であり、自由・民主・人権のうえで、大きな節目だったことには間違いない。
また、民進党がここ数日勢いづいているのは、ついに前行政院長の謝長廷が15日に年末の台北市長選挙で候補となることを正式に受諾したことも作用している。台北市の選挙民の構図を考えれば、彼に勝ち目は薄いが、強力な玉を出したことで、民進党の士気は上がるだろう。負けても、前回李応元がとった36%を上回ることができれば、謝自身が「首相も務めたのに市長候補になった屈辱もあるし、ご苦労さんだから」といって台湾人・民進党らしい温情主義から総統候補になる芽も出てくるだろう。
少なくとも、5月下旬までの一時期、民進党が不利で絶望的に見えた流れは、6月3-4日で大きく変わった。
まさに天祐台湾。
私自身も反省しなければならないことは、5月下旬までの時点で、日本の常識で考え、「ここまで疑惑が出ているからには、何か根拠があるに違いない」と思い込まされてしまったことがある点だ。台湾は民主化したとはいえ、社会のすべての分野がまともになったわけではない。民進党系はまだまともだといえるが、野党となった国民党系の政治家・メディア、さらに伝統的に国民党色が強い検察や調査局の体質は変わっていない。国民党の体質とレベルは日本の基準では考えられないお粗末なものだったのだ。
そこに最初は気づかず、メディアのキャンペーンに「根拠があるだろう」と考えた迂闊さは私自身も反省しなければならない。
これは一部急進独立派が日ごろ指摘するように「外省系のメディアや政治家の言うことはまったく信用できない」という言い方のほうが正しかったということだ。
大体、今回の趙建銘逮捕は、日本では考えられない法的手続きを無視した荒っぽいものだったことが、今となっては明らかになっている。
たとえば同じインサイダー疑惑の村上ファンド社長の逮捕と比べた場合、日本ではさすがに徹底した内偵捜査を行い、確実な証拠をつかんだ上で、証拠隠滅の恐れと、さらなる証拠固めのために、裁判所に逮捕令状を請求して、裁判所も相応の根拠を認めて令状を発行する。
台湾の場合、逮捕前の「内偵」と「相応の証拠をすでにつかむ」という作業がほとんどなく、国民党の白色テロ時代以来の手口で、国民党が民進党を弾圧するためには、何の根拠もなくでたらめに逮捕してもいいという精神がいまだに存在していることが、今回の逮捕劇で明らかになった。
日本では逮捕勾留には最大23日の期限がある。趙建銘は日本なら勾留期限間近にもかかわらず証拠固めができていないので、不当逮捕、人権蹂躙の典型的な事例として、検察が糾弾されるものとなる。
台湾の場合は、制度上は日本の刑訴法とほぼ同じなのだが、実際には2ヶ月くらい勾留していることもザラだ。
これでは、まだまだ民主化とはいえない。それは、検察や調査局など一部政府機関がいまだに国民党独裁時代の体質と精神を持っていることが大きい。
同じ不正疑惑にしても、明確な証拠があがっている宋楚瑜の興票案や、国民党軍部の巨大疑獄ラファイエット事件は検察その他は一切手をつけようとしないのに、趙建銘が単なる疑惑のうわさだけで逮捕されているのを見ても、検察系統が国民党に甘く、民進党には不当な対応を取っていることは明らかである。
政権交代による民主化は、確かに政治過程の上では民主化したとはいえるが、それでも2004年には国民党は選挙に敗れたことを不服として暴動を起こしているように、台湾の民主化はあくまでも民進党系の半分は民主化したが、国民党系の残りの半分はファッショ体質を残しているという、片肺の民主主義なのである。
政治過程を除く分野での民主化はまだ進んでいない。教育、メディア、官僚の世界では、いまだに国民党員が幅を利かせていて、国民党系がやりたい放題なのだ。それを見せ付けたのが、今回の騒動だといえるだろう。
そもそも今回一連の「疑惑」を暴露したのは、国民党籍立法委員邱毅だが、問題は彼はこれまで何の具体的な証拠や根拠も出さずに推測や伝聞を述べているだけであることが明らかになりつつあるのだ。
彼が呉淑珍の商品拳疑惑、趙建銘の株売買、陳政権による金融機関民営化について、いずれも「不正があった」というのは、つまり、商品券をもらったり、株売買をしたり、銀行民営化をすれば、自分たち国民党なら、絶対に不正をするはずだ、だから民進党もしているはずだ、という思い込みによる決め付けに過ぎないのである。
さらに、たいした根拠もないのに、毎日のように暴露していると、もともと嘘であればあるほど、暴露情報そのものの底が割れてくる。嘘をつくと必ず矛盾や破綻をきたす。もはや暴露話そのものへの信憑性が失われつつあるのだ。
今回、大きな節目となったのは、6月3日に親民党が中心となって開いた総統罷免要求集会に馬英九が登場して、馬が以前は否定的だった総統罷免要求をそれをきっかけに積極的に罷免論に転じたこと。これは国民党側に不利に作用しはじめた。
というのも、冷戦時代の伝統的な「前線国家」である台湾と台湾では、総統=大統領は軍の統帥権もあり、国家安保の重要な鍵を握っている。そういう総統=大統領を重大かつ明確な理由もないまま(今回も陳水扁自身が贈収賄やっていたわけではない)罷免を要求することは、嫌われる。
韓国でも2004年に野党がたいした理由もなく、大統領を弾劾し、そのために直後の国会議員選挙で野党がそれまで持っていた圧倒的多数の議席を失い、与党が過半数に躍進したことがあった。
今回宋楚瑜が罷免を言い出したことは、宋自身のおかれた立場(弱小野党)から見て、正しい。このままでは埋没しかねない彼の存在意義をアピールし、国民党を揺さぶり、昨年の陳水扁との会談で失った深藍支持者の票を取り戻し、年末の台北市長選挙でも一定の地歩を固めるには絶好の戦術だといえる。そして宋はそれに成功した。
ただ、問題は馬英九である。ここ数ヶ月の趨勢を見れば、陳水扁と民進党が落ち目で、このまま馬はこれまでのように「お利口ちゃん」を演じて、法体制を尊重する穏健な指導者というイメージを保てば、ひょっとしたら08年まで優勢を保てたかもしれない。ところが、彼は台湾や韓国では嫌われる総統罷免を言い出した。自分も総統になりたいつもりなら、「周囲の関係者の疑惑があっただけで罷免すべき」だとしたら、馬英九がもし総統になったら同じ問題が出てくるに決まっているわけだから、そうしたら彼はすぐに辞任しなければならないことになる。彼自身もそう考えて当初は宋が言い出した総統罷免論に否定的だったはずだ。
しかし、馬は何を思ったのか、罷免論を言い出すようになった。宋の策略に引きずられたのだろうが、深藍の票が親民党に流れることに不安を抱いたのか、党内強硬派の突き上げがあったのか、多分そのいずれもだろうが、問題は馬が国民党内で強い指導力を発揮して、見境ない強硬派を抑えられないことが明らかになったことだろう。
もっとも馬にも馬なりの計算はあるのだろう。つまり、ここで罷免や倒閣(内閣不信任案提出・可決)を言い出したことの目的は、陳政権を倒すことよりも、「内部の敵」「獅子身中の虫」王金平と国民党本土派をつぶす絶好のチャンスになるからだ。倒閣すればおそらく解散・選挙になるが、馬は党主席として公認について大きな影響力を及ぼせる。公認リストから王金平そのものをはずすことは王の実力を考えれば、難しいだろうが、王に近い中南部の本土派現職をすべてはずすことはできるだろう。そうすれば王の足元を着実に切り崩せる。
馬に近いと見られる中国時報が、昨年12月と最近の二回にわたって、王金平が民進党の一部とくっつくのではという観測記事を一面トップで報じているが、これは明らかに王の動きをつぶすために暴露したものだろう。つまり、馬英九は王金平と本土派の存在に強い警戒と恐れを抱いていることは明白だ。
しかも陳一族スキャンダル暴露も、これ以上のネタがなさそうだし、そろそろ国民も食傷気味になっているので、これで倒閣が可能となる9月の定例国会、あるいは年末の市長選挙まで持たせられない。だから、焦ったのだろう。
それにしても、最近の馬の狼狽、焦りぶりを見ると、以前から見られる彼の顔色の悪さ(健康状態が悪そうな顔色)とあいまって、実は別の問題を抱えているのかも知れない。それは単なる憶測の域を出ないので、これ以上は論じないが、馬英九は民進党の落ち目にもかかわらず2008年の総統選挙で自分が勝てる自信がない、何かがあるのだろう。
補足すれば、6月3日の親民党の集会が潮目の変わり目だったとすれば、私事ながら、この日はキリスト教におけるペンテコステ、聖霊降臨日の前日で、私はその日の夕刻、レバノンでマロン派最大の聖人であるシャルベルにまつわる教会で一夜を過ごしたときであった。私はカトリックや正教系ではないが、3日とペンテコステの4日に、台湾のために祈りを捧げたものである。それが功を奏したのかどうか知らない。しかし、今年の6月4日は、ペンテコステであり、中国天安門事件16周年であり、自由・民主・人権のうえで、大きな節目だったことには間違いない。
また、民進党がここ数日勢いづいているのは、ついに前行政院長の謝長廷が15日に年末の台北市長選挙で候補となることを正式に受諾したことも作用している。台北市の選挙民の構図を考えれば、彼に勝ち目は薄いが、強力な玉を出したことで、民進党の士気は上がるだろう。負けても、前回李応元がとった36%を上回ることができれば、謝自身が「首相も務めたのに市長候補になった屈辱もあるし、ご苦労さんだから」といって台湾人・民進党らしい温情主義から総統候補になる芽も出てくるだろう。
少なくとも、5月下旬までの一時期、民進党が不利で絶望的に見えた流れは、6月3-4日で大きく変わった。
まさに天祐台湾。