むじな@金沢よろず批評ブログ

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陳水扁・前総統、不正蓄財と海外送金認める 総統権限の大きさが問題、内閣制に移行すべし

2008-08-18 15:26:27 | 台湾政治
■「台湾の恥」となった陳水扁
陳水扁・前総統が不正蓄財し、スイスの銀行など海外に送金していたと13日発売の「壱週刊」がスクープ、14日午後5時、陳氏自身が会見で不正蓄財と海外送金の事実を認め謝罪、15日午後4時には民進党からの自発的離党を表明した。
海外送金は立法委員時代からすでに行われ、選挙資金残余金の不正蓄財も94年の台北市長選挙から始まっていた。不正蓄財した額は10億元にのぼると見られる。
「台湾の子」を自称し、国民党を「台湾を愛していない」と叩いていたわりには、自らが海外送金に精を出していたことが明らかになったことで、陳水扁は「台湾の子」ならぬ「台湾の恥」となった。
この問題で、民進党支持層の多くは激怒、15日には民進党本部支部には「陳は切腹自殺しろ」などの抗議の電話が続いた。独立派の黄昭堂・独立連盟主席も「かつて擁護したのは間違いだったし、恥ずかしい」、王献極氏もかつて一緒にとった写真を引き裂いたり、陳からもらった記念品を叩き壊してゴミ箱に放り込んだ。
国民党は「敵」である民進党最大の偶像が墜落したことに喜び、これを民進党たたきに利用しはじめた。

■激怒している人はそれだけ個人崇拝していただけ
しかし、私に言わせれば、民進党支持層の激怒、国民党によるバッシングは、いずれも的外れ。
民進党支持層が激怒するのは、それだけ陳水扁なる人物を盲信し、崇拝しすぎた現われ。それは異常。黄主席の「かつて擁護したのは間違い、恥」というのもおかしい。
なぜなら、政治家なんてそもそもそれだけ信頼に足る人種や職種じゃないわけだし、ましてアジアにおいて本当に身奇麗な政治家なんているわけがないので、私に言わせれば「さもありなん」。だから、クリーンが売りの馬英九だって、絶対何かあると思うべきだ。
また、「かつて擁護したことは間違い、恥」というのもそれこそ間違い。だったら2000年と2004年に宋楚瑜や連戦が当選すべきだったとでもいうのか?

■陳水扁個人ではなく、台湾主体性を支持した
そもそも我々が陳水扁を支持し擁護したのは、陳水扁が体現し、実際にも推進した台湾主体性、尊厳であって、陳水扁個人ではない。大体、私が何度も書いているように、陳水扁は個人的に見たら、ろくに趣味もなく、話していても何の面白味も深みもないつまらん人間だ。だから権力を握って金にしか興味が湧かなかったどうしょうもない哀れな奴になっても何の不思議もない。ただし、1994年から2004年まで、陳水扁は台湾派のシンボルだったのであり、陳水扁を選択したことは絶対に間違っていない。
実際、不十分かつ不満は残る結果であったものの、陳水扁が台北市長となり、その後総統となって、台湾がよくなったことは事実だ。
それは陳水扁が良かったのではなく、陳水扁を象徴として担ぐことで、本土派全体の士気が上がり、みんなが団結して台湾主体性、台湾をよくすることにがんばった、がんばれたからだ。
そのことをまったく忘却して「陳水扁を擁護したことは間違い」というのは、それこそその人が、個人崇拝に走っていたというだけ。
陳水扁個人と陳水扁によって当時表象された価値とは切り分けるべきだ。

■節操からいっても、宋楚瑜・連戦よりは陳水扁を選ぶだろう
さもなくば、黄主席は2000年と04年に宋楚瑜や連戦が勝てばよかったとでもいうのか?
いや、個人の節操の問題からいっても、宋楚瑜と陳水扁、連戦と陳水扁なら、間違いなく
陳水扁を選ぶだろう。だって、宋楚瑜や連戦だって不正蓄財をたくさんやっているからだ。
問題は台湾の価値という一点にある。
だから、別にかつて陳水扁を支持し、擁護したことを後悔する必要はない。
それに陳水扁の問題は、不正蓄財よりも、台湾主体性を唱えながら、自らは台湾を信用せずに海外送金していた点にある。

■国民党のバッシングはいずれ自分たちに跳ね返る
また、国民党がここぞとばかりこの問題を陳水扁一家の節操、民進党の問題に矮小化して、民進党つぶしにかかっているのも、それこそ問題の本質が見えていない。民進党はこの問題では滅びないことは、国民党がどんなに不正をしても滅びていないことで証明されている。
アジアの人間は政治家の不正に寛容だ。不正そのもので個人や政党が政治生命はたたれない。まして台湾人は今回の選挙で、よりダーティな国民党を選んでいるのだから、国民党が自らを棚に上げて、不正を追及しても、それはそのまま自分に跳ね返る。まさに陳水扁がそなったように。
それに台湾人は何事も「相手を追い詰める」ことを好まない。国民党がこの問題で民進党を滅ぼそうとしていることが見えると、国民党支持層の中からもたちまち反発が広がって、むしろ国民党のほうが先につぶれてしまうだろう。それこそ陳水扁が蒋介石バッシングのやりすぎで中間層や浅緑から不信を買ったようなものだ。
しかも今回国民党が民進党や陳水扁を叩いているのはミエミエなので、この分では国民党こそ将来は長くないだろう。
というわけで、現在の国民党がやっていることは、自分のことを棚にあげてそ知らぬ顔で国民党バッシングをやってきた94年から08年までの陳水扁とそっくりなのだ。そしてそのツケが今の陳水扁のザマなのだ。

国民党も実は陳水扁から何も学んでいない。もっとも学習能力が低いのは台湾人全体の傾向だが。

■制度の問題
そういう意味では、ここ数日の呂秀蓮と三立テレビの討論はいいことをいっている。
要するに人間には聖人などいないから、誰でも同じポストについたら同じ問題を犯す可能性があるということだ。
2000年まで、台湾の誰が、陳水扁がこんなにダーティだったと思っただろうか?
むしろ2000年ごろまでの陳水扁は友人もおらず、つまらない人間だから、その分、潔癖で不正とは程遠い人間だと思われていたのだ。
ところが、権力は魔物で、人間を変えるし、どんな人間でも権力があればそれに付随する誘惑には勝てない。どんな面白味がなく潔癖な人間でも最高権力者になれば腐敗する。
蒋経国やパクチョンヒは清潔だったという人がいるが、その分彼らは残忍で、多くの人を暗殺・処刑してきたことを忘れてはならない。不正蓄財だけを比べて殺人を無視するのは誤りだ。殺人や弾圧も不正蓄財以上の罪だからだ。
だから問題は制度にある。
台湾の場合、国民党や地方派閥の馴れ合い政治文化もあって、政治家の金の流れが不透明すぎるし、またかつての開発独裁以来の伝統で、総統など首長の権限が強すぎるところも問題だ。

■半大統領制は冷戦独裁の遺物、議院内閣制に移行すべし
私は陳水扁の不正蓄財の問題が出たときに、やはり大統領制に傾いた半大統領制という制度に問題の根源があると考えた。
そもそも現在台湾と韓国に共通する大統領制に傾いた半大統領制は、国家安保が過剰だった冷戦独裁時代の遺物である。
大統領制でまともに機能しているのは実は米国だけ、半大統領制でも大統領と首相の機能分担が明確でコアビタシオンもありうるという制度化が確立しているフランスだけ。
その他多くの大統領制や半大統領制は、フィリピンや南米の大統領制のように徹底的に腐敗するか、中央アジアなどの半大統領制のように単なる独裁になるかのどちらかしかない。
欧州で本来大統領制や半大統領制だったアイルランド、フィンランドでは、大統領が自発的に権限行使をしなくなり、議院内閣制に移行していった。
そういう意味では、米国とフランスを例外として、大統領制や半大統領制は民主主義の制度としては成立せず、議院内閣制が最適であることは明らかだ。
もちろん、議院内閣制でも不正は発生する。しかし議院内閣制における首相の権限は、半大統領制における大統領よりも弱いし、任期も一定しないため、不正や不人気が原因でいくらでも挿げ替えられるから、不正が持続することはあまりない。

■市民社会レベル向上、政治の役割低下
また、台湾で市民社会のレベルがますますあがっているのに、どうして李登輝>陳水扁>>>>>馬英九と、選ばれる指導者のレベルがどんどん低下しているのかという疑問についても考えた。日本と韓国も同様に社会のレベルが高まるにつれて政治家のレベルが格段に落ちている。
いや、これはそもそも問題意識の方向が逆であって、市民社会のレベルが高まっているからこそ、むしろ政治セクターの比重が低下し、政治が何かを変える能力もなくなっているから、市民も政治に期待せず、選ばれる政治家のレベルはますます低下するしかない、ということではないのか?だから市民社会が成熟するほど、政治離れが起こり、投票率は低下し、政治家になりたがるのはアホばかりとなり、さらにそれが市民の政治離れを加速する。すべての市民の力が強くなっているから、ぬきんでた英雄は要らない、ということなのだ。
だから、欧州で当初考えられた民主主義の設計にあるように、「市民がよく考えて投票し、より良い政治が生まれる」ということは、少なくともアジアの民主主義には当てはまらない。ハーヴェイロードの前提(民主主義についての話ではないが)は成り立たないのだ。
つまり、市民社会が強まり、レベルが上がるほど、政治や政府の役割は縮小し、政治家のレベルは落ちる。
この点はアジアと欧州では若干違う。もっとも、欧州もだんだんそうなっているか。
もし08年選挙で、李登輝や蒋経国が出てきたとしたら、やはり落選していただろう。
ということは、今後台湾でもし総統選挙があるとしても、朱立倫や謝長廷は無理で、台東県長みたいなアホウが選ばれるのかも知れない。

■総統は有名無実化へ
そういう意味では、私が数週間前に書いた「市民社会が高まっているから、馬英九は引きずりおろされる」は間違いだろう。「市民社会が高まっているからこそ、総統はバカでもよく、そして総統は有名無実化する」というべきだろう。
だから、08年総統選挙で馬英九が選ばれたことはまさに象徴的だ。総統権限が強い現行半大統領制、および総統選挙そのものが無意味で、もはや時代遅れになっていることを象徴している。
事実、就任後の馬英九も自ら総統権限を積極的に行使せず、総統の地位は有名無実になっている。これは良い傾向だ。馬英九について唯一評価できるのはこの点だ。
かといって、問題は行政院長にも権限があるわけでもなく、現状の台湾は訳のわからない無責任体制になっている。だからこそ、ここで議院内閣制に改めるべきではないか?
陳水扁の不正蓄財が明らかになった以上、強い権限があって任期が4年と長い総統をおいておくのは、問題があることも明らかだ。
まして馬英九のクリーンイメージと強調は、まさに陳水扁がかつてやってきたこととまったく同じだ。
実際、すでに国民党内には議院内閣制にすべきだとの動きもある。もっとも台湾のことだから、明文化するのではなく、なし崩しになるのだろうが。

■民衆自治の伝統復活へ
もし内閣制になったら、国民党長期政権になるのではと心配する必要はない。政府や政治そのものの意味がどんどん喪失するからだ。どんどん投票率が低下し、政治の相手をしなくなる。選挙という舞台で、国民党に飽きたら、民進党になる。ただそれだけのことだ。
歴史的に台湾は、民衆自治の伝統が強いところだ。清朝時代は清朝政府が積極的に関与していなかったから、自治組織が発達していた。そして、民主化の原動力も各地にさまざまな自力救済組織が立ち上がって国民党独裁の足元を揺るがしたことにある。しかも国際社会では国家政府として承認されていなくても、承認されている北朝鮮を遥かに凌駕するプレゼンスと信頼性を示している。つまり、台湾人はもともと政府や政治に期待していないし、期待しなくても十分やっていける。馬英九が選ばれたことはその象徴だろう。
だから、今後総統選挙は実施されないだろう。実施されてもバカしか選ばれないし、何の権限もない。なし崩し的に議院内閣制に移行し、しかも政府そのものの役割と権限がどんどん縮小される。ただし政党は無意味化しない。いろんな人を結びつけ人脈を広げるための互助組織の一つとして機能する。

■今後は宗教・慈善団体に注目
一方、これから台湾社会を支えるものとして、宗教団体や慈善団体などさまざまな市民団体にますます注目すべきだろう。この場合宗教といっても、崇拝の要素ではなく、個人を律するモラルや価値観の部分がポイントとなるだろう。

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