むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

台湾=想像されない(共同幻想のない)共同体

2005-12-01 01:42:37 | 台湾その他の話題
 アフォリズムを書いてみた。
 台湾を一言で言い表すなら、「想像の共同体」をもじって「想像されない共同体」、あるいは「共同幻想を持たない共同体」ということができると思う。
 その住民の大多数の特性は昨日書いたように「怠惰な実用主義者」あるいは実用主義を、歴史主義と対照的な近代主義と言い換えてもいい。さらに個人の性質についていうなら「脳みそがウニ」「善意の小悪魔」といえる。
 全体をつなげて、「脳みそがウニになっている善意の悪魔である、怠惰な実用(近代)主義者による、想像されない(共同幻想を持たない)共同体」それが台湾、となる。

 想像されない共同体とは、台湾人は台湾大に時空を限定して社会・共同体はなりたっていて、そこには何がしかの暗黙のルールがあることは事実だ。しかしそこには族群、出身、性別、地方などの利害を超えたところでの国民的想像や共同幻想は存在しない。だから、国民国家としての構成要件である想像は欠落している。とはいえ、そこには厳然として独立した社会があるから、社会・共同体と呼べる、という意味。たとえば、緑と青、台湾本地人と外省人、ホーローと客家、漢人と原住民など重層な対立構造がありながらも、決定的に分裂もしないで、適度になあなあとなって、台湾社会が存在している。民進党も、派閥対立など内包しつつも、決定的な分裂もしない。
 また、怠惰な実用(近代)主義者とは、台湾人は、なんでも利用できるものは利用する。だが、怠惰で目くじらを立てないし、歴史や蓄積という発想はないから、一からシステムを作ることはできず、旧体制のものも名称と使える機能だけは残して、換骨奪胎しながら、利用していく。
 教育勅語、中華民国、蒙蔵委員会、三民主義研究所など、外来支配者がもたらした悪いものも、あえて抹殺しない。一から「台湾共和国」のシステムを作らない、作れない。面倒だからである。しかし、実用主義で近代主義だから、支配者がこめた歴史的な意味付けや意味内容は、完全に消されて、単なる無意味な記号化される。いや、無意味な記号にしたからこそ、あえて中華民国だろうが、中山路なんだろうがをなくす必要もない。でも、近代主義で実用主義だから、そこにはすでに中華主義で歴史主義的な意味はない。中華に固執しているわけでもまったくない。日本人から見ると、これが両極端に受け止められて、「何を煮え切らないことをしているのだ」と見られる場合と、「やはり台湾人は中華から離脱できないし、華人であることを誇りにしている」と解釈されるが、いずれも誤り。
 脳みそがウニというのは、台湾人は長期的に論理的に思考することが苦手で、刹那的に、その場限りの気分だけで、その場ではそれで信じ込んで物事を考えたり、話したりする。あくまでも善意で悪意はない。だが、しょせんはウニで整理されていないから、前のことを覚えておらず、後で前言を翻したり、論理的に破綻したことをいったりやったりする。それが結果的には傍迷惑で悪魔になることも往々にしてある。悪魔に小をつけたのは、幼稚だという意味が含まれている。

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