トーキング・マイノリティ

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乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺 その三

2015-07-08 21:40:10 | 読書/小説

その一その二の続き
 この小説の原題は「乳しぼり娘クリスティン、ゴミのおとぎ噺」という。放牧されている羊の乳しぼりをする娘を農村では「乳しぼり娘」と呼ぶそうで、乳しぼり仕事と立ち居振る舞いで娘らしさが決められていたが、都市のスラムでは娘の仕事がゴミ拾いになる。但し、この物語の主人公はクリスティンではなく、全21章のこの物語には全編を通じての主人公はいない。章ごとに主人公となる人物が登場し、18章はギョニュルという花の丘最初の娼婦の物語。そして彼女は最終章でクリスティンという源氏名で呼ばれることになる。
 夫が盗みの罪で逮捕された後、頼る人も居ないギョニュルは繊維工場の裁断工の親方に目を付けられる。「親方の足の間に座らせられた」「工員たちの膝の上から膝の上へとたらい回しにされ」た果て、花の丘から姿をくらまし、2年後に戻ってきた時は娼婦を始める。

 ギョニュルの他にも住民たちが「あっちの国の女」と呼んだ、髪や大腿も露わな女たちが花の丘に現れる。物語では「あっちの国」とぼかされているが、東欧等のスラヴ系諸国出身の娼婦たちなのだ。娼婦たちはロシア系の名前を名乗るのが習いで、今でもナタシャといえば、トルコ語では娼婦を示す隠語となっているとか。ギョニュルにクリスティンという源氏名が与えられたのも、そんな背景がある。
 つまり、表題には農村で乳搾りをしていた娘が都市に出て、ついには娼婦に身を落とすという意味が託されているのだ。この作品の発表は冷戦中の1984年だが、冷戦終結後の90年代はロシア・東欧圏から大勢の“ナタシャ”が押し寄せたらしい。大都市イスタンブルはもとより、地方都市にも来たようだ。オルハン・パムクの『雪』にもグルジア出身の娼婦が登場する。

 花の丘に来たのは、“ナタシャ”のような娼婦だけではない。東欧からはロマ系の移住者も来る。小説では彼らを「チンゲネ」と呼んでおり、チンゲネは先ずゴミの丘の頂上を占拠した。そしてゴミの丘に一夜建てを築き、一時的に立ち寄っただけで去っていくと思っていた花の丘の住民たちの予想と違い定住する。
 チンゲネは段ボールハウスで暮らし始めるが、彼らはゴミの山から掘り出し物を選りすぐり、花の丘住民の中にはチンゲネの段ボールハウスの内装や装飾に興味を持つ者も出てくる。そしてロマといえば、何といっても音楽。チンゲネの掛け声やタンバリンの音が、花の丘の家々まで流れるようになる。

 初めはゴミの丘頂上に住んでいたチンゲネだが、やがて丘の裾野まで居住区を広げるようになった。かつては工場街だった花の丘は、ナイト・クラブが立ち並ぶ歓楽街に変貌していく。音楽を奏でることでナイト・クラブの職を得たチンゲネは、客たちに密かに麻薬を振る舞うようになる。ナイト・クラブに来る人々はチンゲネの流儀に染まっていき、花の丘住民の間にも影響を与えていく。
 一夜建て住民が作り上げてきた言葉と、チンゲネの言葉が混じりあい、子供たちの遊びはチンゲネの言葉で語られるようになる。街角にはチンゲネの子供達が目立つようになり、チンゲネの女たちは「売り家」と呼ばれる売春宿が立ち並ぶ通りに向かう。現代の西欧諸国は東欧からのロマ系不法移住者に悩まされているが、既に80年代前半、トルコにロマが居住していたとは考えさせられる。

 サッカー強国として知られるトルコだが、20章には花の丘でサッカー選手となる夢を抱く若者たちのことが描かれている。それを煽ったのが「花の丘サッカークラブ」監督で、クラブの花形選手は練習にのめり込む。それ自体は結構だが、やがて昼夜の別なく母親を殴り、「食事代を稼いで来い」と命じるようになる。というのも、監督から「牛乳と卵の代わりに、毎日半㎏のハシバミの実をお食べ」と聞かされ、金が必要となったからだ。
 まもなく花形選手と志を同じくする若者たちも、母親を殴って金をせびるようになり、「“花の丘”の女たちは1人、また1人とこの“ハシバミの鉄拳”の餌食になっていった」。

 母親に暴力を振るうトルコのサッカー選手の話は驚いた。このような若者は極例と思いたいが、中にはこのようなやり方で頭角を現した花形選手もいたのだろうか?こうなると、サッカーの強豪ぞろいの南米もどうなのやら。底辺層の若者がサッカーで金と地位を築こうとするのは当然だが、母親を殴るのは酷すぎる。
 2006-04-21付けの記事にも書いたが、インド・ムンバイのスラムにも酒代を強請り、母親を殴って死なせた息子の話があった。スラムにはこのような哀しい母子が少なくないのだろう。
その四に続く

◆関連記事:「オルハン・パムクの『雪』


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