トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

乳しぼり娘とゴミの丘のおとぎ噺 その二

2015-07-05 21:10:18 | 読書/小説

その一の続き
 大都市になだれ込んだ農民たちの中にはゴミ拾いや鉄くず集め、胡麻パンや蔵物料理などの叫び売りのような不安定な職業で糊口をしのぐ者もいたが、こうした業種の多くは今でもヤクザが取り仕切っているそうで、一生の稼ぎ口はなり得ない。
 そこで彼らの就職先となるのが、建国当初から輸入代替工業の促進を掲げた共和国政府の後押しで発展した軽工業分野、つまり日用品や偽造製品、或いは安価な白物家電の製造を行う町工場だった。かくして、一夜建ての街は工場街へと変わる。そうした中で、一夜建ての街にあふれる安価な労働力にビジネス・チャンスを見出し、見事に「資本家」へと脱皮する起業家も現れた。

 但し、労働環境や環境への配慮など微塵もないため、公害病や過労が住民たちに襲いかかる。第2章には“風病み”と呼ばれる病で体が歪み、働けなくなった男たちの話があり、まず公害病だろう。街には薬品工場があり、そこで働く工員たちが何人も死んでいて、工場が吐き出す雪のように白い粉末が“花の丘”に降り注ぐ。
 そして一夜建てには耐え難い悪習が満ち、“花の丘”の花は残らず枯れ、木も皆ねじ曲がってしまう。これが人間に影響を与えないはずがなく、子供達は紫色の顔色となり、遊んでいる最中、ふいにうたた寝をするようになる。その子供の1人は2度と目を覚まさなかった。

 工場から毎日のように降り注ぐ粉末に怒りを爆発させた女たちが、ついに棒切れを持って工場に押しかけるも、結局工場主は姿を現さず、代わりに工員たちが女たちに殴打される。ある日、工場主から“花の丘”住民の元にボウルに容れられたヨーグルトが届けられ、次いで白衣をまとった男たちがやって来て、家々を回り健康診断を行う。これ以来、工場主を呪う住民はいなくなった。
 工場主はさらに青いお湯を湛えた泉を“花の丘”に作る。住民はこの湯で洗濯ものをしたり、体を洗ったりする。暫くすると、この湯で体を洗った者たちに異変が起きた。皮がずるむけになった者や顔が紫色に染まった者、身体に青い斑点が浮いた子供、髪が真っ白になった女までいた。もちろん洗濯物は青色に染まる。以上の話からも“風病み”が起きて当然の環境なのが知れよう。

 偽造製品といえば殆どの日本人は中国のそれを連想するだろうが、規模では劣るにせよトルコも劣悪な偽造品を作っていたようだ。オルハン・パムクの「無垢の博物館」にも、西欧品と偽りトルコ製のバックを売るイスタンブルの高級ブディックの話があるが、偽造品はブランド品に限らない。“花の丘”でひたすらゴミ漁りをしていた娘や女たちが、男たちに交ざって偽造品工場の工員として働くようになる。その偽造品を小説ではこう描いている。

偽物の食器用洗剤や色とりどりの粉末ジュース、食べると口の中がからからになってしまうチョコレート、洗っても洗っても洗濯物が白くならない洗剤、泡ひとつ立たない石鹸…
 女たちはものの数日で建てられた偽造品工場で、朝から晩まで偽造品づくりに精を出すようになった。手を火傷まみれにしながらプラスチックの成型機を動かす男たちを尻目に、娘たちは果物ジュースを瓶に詰め、或いは粉末ジュースを紙で包んでいくのだ。
 やがて偽の果物ジュースの粉末や、口の中をからからにしてしまうチョコレートは、“花の丘”から他の一夜建ての街々にも流通するようになった。今や、どの一夜建てでも水と混ざると分離してしまう偽物の洗剤で洗濯ものを洗い、子供たちは1人残らず青色やら黒色やらの、これまた偽物の粉末ジュースを飲んでひどい目に遭う様になった。(111頁)

 これほどの粗悪品を中国のように大々的に国外に売り出さなかったのは幸いだが、一夜建ての住民は全く懲りなかったというのは哀しい。この粉末ジュースで客をもてなそうと、こぞって衣装箱の中に粉末ジュースの紙包みを詰め込む。この粉末を溶かせば、お目にかかったことのない珍しい果物ジュースが出来上がるからだ。
 偽造品製造工場は糾弾され、廃業に追い込まれるどころか、日をついで増えて広がっていき、いつしかこの一帯は「花の丘工場街」と呼ばれるようになる。さらに小さな繊維工場が加わり、花の丘工場街からは青や緑、赤などの排煙が立ち上るに及び、一夜建てには工場の“雪”と共に色とりどりの雨が降り注ぐようになる。

 一夜建ての街は官憲の目が及ばぬスラムなので、当然のように無頼が幅を利かせている。“ゴミ地主”となったやくざ者や愚連隊たちが住民から金を巻き上げる処でもあるのだ。農村から地主の支配を逃れ都市にやって来て、都市暮らしでもなお収奪の構造から逃れられない人々の苦難は続く。農村で暮らしていた家よりも一夜建てはずっと狭かったのだ。
その三に続く

よろしかったら、クリックお願いします
人気ブログランキングへ   にほんブログ村 歴史ブログへ



最新の画像もっと見る