トーキング・マイノリティ

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オルハン・パムクの『雪』 その一

2015-04-04 20:40:06 | 読書/小説

 今年に入りノーベル文学賞を受賞したトルコ人作家オルハン・パムクの小説、『無垢の博物館』『白い城』『雪』を立て続けに読んだ。中でも一番面白かったのが、トルコ北東でアルメニアとの国境付近の町カルスを舞台とした『雪』。この作品のコピーはパムクの“最初で最後の政治小説”であり、著者自身も政治的メッセージはないと述べている。明確な政治的主張どころか、社会問題の提起さえ行われないままの終末なのだ。

 にも拘らず、実に濃い政治小説だと感じた読者は私だけではないだろう。日本では政治と宗教はここまで深刻な問題にならないし、訳者あとがきで宮下遼氏は、作品をこう評している。
「しかし作者は、この狭隘な地方都市の中に20世紀の政治思想の博覧会と見まごう現代トルコの様々な政治イデオロギーと、その代弁者たる登場人物たちを対置させることで、本来はひなびた地方都市に過ぎないカルスを濃密な政治的空間へと異化している」

 パムク自身はイスタンブルに生まれ育ち、『無垢の博物館』『白い城』も故郷を舞台とした作品。宮下氏が指摘するようにイスタンブルを離れた点で異色な作品だが、大都市イスタンブルと地方都市カルスの違いも伺える。東京VS地方というのは日本でも見られる現象であり、トルコほど厳しくはないが、東京発のメディアに対する地方人の目は複雑なものがある。
『雪』で最も興味深かったのは、トルコでの所謂“スカーフ論争”。女性のスカーフをめぐる問題は小説の主題となっており、カルスでスカーフ着用を禁じられた少女が何人も自殺している。スカーフを強要されての自殺ではないのは、私も驚いた。

 たかがスカーフ如きで自殺とは何事か…と思うのが多くの日本人だろう。或いはイスラム圏特有の後進性として蔑むか。訳者あとがきには、公共の場におけるスカーフ着用の可否を巡る問題について解説があった。そもそも世俗主義を掲げるトルコでは、国会はもとより政府機関のような公共の場において礼拝などの宗教的行動を行うのはもちろん、宗教的服(スカーフ、ターバン、法衣など)の着用をすることも禁じられている。
 こうした中、90年代から21世紀初頭にかけて巻き起こったスカーフ論争の主な舞台は、大学を筆頭とする教育機関だった。世俗主義者が「学校は公共の場であるから、そこに通う女学生がスカーフを着用するのは違法ではないか?」と主張し、大学や公立高校などでは各校門に警察や警備員が立ち、スカーフを被った女生徒を追い返すという光景が、と都市部のあちこちで見られるようになる。

 これに対し、“スカーフの少女たち”は(中には苦肉の策として帽子やかつらを被って登校する生徒も見られたという)、憲法で保障された信仰の自由や教育を受ける権利、そして父祖代々の伝統文化の観点から異議を唱えたのだ。現在では政権維持を優先する公正発展党が積極的にスカーフ問題を取り上げることは少なくなったものの、引き続き教育機関におけるスカーフの着用はデリケートな問題となっているそうだ。

 トルコ語でテュルバン(türban)と呼ばれるスカーフは、イランやアフガンのチャドルブルカのように全身を覆う布ではなく、頭に被って髪を隠し、裾は襟の中にしまって着用する。イスラム主義者の女性たちは一般的にこのスカーフを被って頭髪を隠し、身体の線が出ないようにくるぶしまである、ゆったりとしたロングコートを着用するのが普通なのだ。
 ただし、クラシックなロングコートだけとは限らず、最近のイスタンブルなどではスカーフを被りながらも、身体の線も露わなスキニージーンズを着用する大学生も見られ、その服装はかなりヴァラエティーに富んでいるそうだ。

 こうしたスカーフにロングコートという出で立ちは本来、農村部や都市の中高年女性によく見られる一般的な服装なのだが、イスラム主義の台頭を受けて80年代以降にはこの格好そのものが、ひとつの政治的ジェスチャーとなったのだ。一連のスカーフ論争に無関心な国民も多いが、少なくともトルコでは女性の髪と肌を晒すか否かということが、そのまま政治的な問題になり得る土壌があるのだ。
その二に続く

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