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日本人医者によるガザ報告

2009-02-19 21:28:28 | 世相(外国)
 今月5~6日にかけ、河北新報に「激戦下ガザ」と題するガザ紛争のルポが載った。発言者は1月15-19日の間、ガザ地区ラファで医療支援活動に携わった山形市のNPO法人「地球のステージ」代表理事で、精神科医の桑山紀彦氏(45)。桑山氏への聞き手に山形総局・跡部裕史とある。桑山氏はパレスチナの他にイラク、ソマリアなどの紛争地、イラン、スリランカの地震被災地で活動されたこともある。'03年ラファに事務所を開設、子供たちを集め歌や踊り、演劇などを通した心のケアに取り組んでいるそうだ。

 まず、ガザ戦闘下で医療活動をされた桑山氏にはご苦労様と言おう。だが、インタビューで氏の語っていることは、典型的な“地球市民”の発想や見方であり、幾度海外に滞在してもその国の皮相的な観察しか出来ない者が存在することが改めて分る。何も中東専門家による分析を載せろとは言わないが、河北は現地で医療活動をしただけで中東通の見解として紹介するようだ。'70年代、中東に渡った日本赤軍寄りの報道を垂れ流したマスコミの姿勢は30年経ても変わりない。氏へのインタビューにも、苦笑させられる箇所がかなりあり、それらを紹介したい。

ハマスとパレスチナは同じではないということだと思います。彼らはハマスの過激な行動のせいで、パレスチナ人が戦争好きだと思われることを恐れています。本当のパレスチナ人は平和を愛し、普通の生活がしたいだけです。家族がいて夢を持ったり、落ち込んだり。私たちと何も変わりありません。
 パレスチナ人は日本人が大好き。原爆を落とされた日本が経済成長を遂げたことが、パレスチナ人の復興のモデルになっているからです。パレスチナ人とイスラエルと米国は同じと考えるので、米国から攻撃を受けて立ち直った日本を、自分達の復興に重ね合わせているようです…


 桑山氏がハマスとパレスチナは同じではないと思うのは自由だが、この組織が生まれたのはパレスチナであり別物ではない。他のイスラム諸国が支援しているにせよ、氏の見方を適用するなら、イスラエルとシオニストは同じではないと言える。人種、宗教を問わず人間は平和を愛し、普通の生活がしたいことを望むも、パレスチナ人のようにそれが得られない人たちも少なくないのだ。そのような状況にあるならば、人は平和を獲得するためあらゆる手段を取るものではないだろうか。歌や踊りは平和獲得の手段ではなく、癒し効果程度なのだ。その歌や演劇に、イスラエル闘争をかき立てる内容のものも多く、宗教色がない日本のそれとは異なる。

 一番笑えたのが「パレスチナ人は日本人が大好き」の箇所。見も蓋もないが正確に表現するなら、日本人の持ってくるカネが大好きなのだ。所詮不信仰な異教徒のカネなど、表面上は感謝しても内心はジズヤ(人頭税)程度に見ているだろう。古来から異民族の往来が激しかった中東の人々は子供さえ異教徒に取り入る術に長けており、これに初心な日本人は好かれていると舞い上がる。
 アラブに「屈辱に生きるより、報復に死ね」という諺があり、報復は神から認められている正当な権利とされている。その点はイスラエルも全く同じだが、異教徒には「目には目を」の同等報復ではなく、大々的な拡大報復をとる。

 桑山氏のガザ報告も、何とも未成年のようにナイーブ極まるものであり、この精神科医の精神状態の方が興味深い。海外ボランティア活動をしたあるブロガーは、「自分自身も含め、日本人ボランティアは何か屈折した所がある」と言っていた。
ガザが荒れているのは世界から孤立しているからです。だからハマスも過激になります。イスラエルもまた世界から嫌われていると思い、孤立しています。双方の孤立感を解消すれば、解決の糸口が見つかると思います。
 日本の社会にも同じことがいえます。若者が自殺したり、犯罪に走ったりするのは、一人一人が孤立しているからです…


 ガザは世界から孤立しているのでは決してなく、それはイスラエルも同様である。何度も渡航しながら、氏の国際政治認識はお粗末の一言に尽きる。医者ゆえなど、45歳なのだから言い訳にもならない。ハマスも支援があるから活動できるのであり、イスラエルに至っては欧米からふんだんに支援されているのは言うまでもない。チェチェン人は世界から支援と注目が集まるパレスチナを羨んでいるという。氏が「孤立」「嫌われている」を繰り返すのは、他ならぬ彼自身の心象の表れではないか。日本人医師が現地で疎外感を覚えるのも無理はないが。「勇者は孤独を恐れない」と言ったのはガンディーだが、凡夫なら孤立を恐れるのは当然だろう。

 日本のマスコミはとかく海外でのボランティア活動家を聖人扱いし、彼らへの批判的な意見を許さない傾向がある。拙ブログの「マザー・テレサの実像」という記事にも、自称ボランティア活動家が憤慨したコメントをしてきた。医療ボランティアをするのは立派だが、7日の河北に「国境なき医師団」創設者でクシュネル現フランス外相の公私混同をめぐる醜聞を載せていた。アフリカでの保健衛生事業で利権を得ていたということだ。やはり無償ボランティアなど難しいのが実情だが、欧米人とは実益とボランティアを結びつけるのが実に巧みだと舌を巻く。

 一般にシュバイツァーといえば日本で聖人君子とされ、私の子供時代に見た伝記にはそう描かれていた。しかし、『世界おもしろ雑貨2』(角川文庫・赤444)には必ずしもそうでなかったことが記されている。本によれば、シュバイツァーはその自己犠牲的なイメージに反し、自分の健康と飲食物には細心の注意を払いながら、患者や職員がたんぱく質の不足した食事や汚染された水を取るのを黙殺していた。彼の病院を訪れた医師やアフリカ人の多くは、アフリカ人に対する父親的干渉主義に閉口している。また、「素朴な人々には素朴な治療が合っている」と信じていたため、資金があっても病院に必要な改善をも拒否したという。ある一面だけしか伝えない日本のマスコミは、本当にどうしようもない。

◆関連記事:「パレスチナ
 「アラブにおける協力者殺し-イスラムの内部粛清
 「自爆テロリストの正体
 「難民ボランティア

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6 コメント

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違和感 (ハハサウルス)
2009-02-25 00:28:31
桑山氏はテレビでも取材されていなかったでしょうか?もしかすると違う方かもしれませんが、その医療ボランティアの様子をテレビで観て、主人と二人「何か表面しか見ていないよなぁ」と話をしたことを思い出しました。確かにその行為は誰にでもできることではありませんし、医療の現場という或る意味特殊な場所での活動ですから、知ることも一部でしかないのでしょうが、だからこそ「わかったような気持ち」になるのは、そして、それを語るのは危険だと思うのです。

それともう一つ、以前、重油タンカー事故の時、海をきれいにしようと各地からボランティアの方々が集まり、活動している様子を紹介した番組の中で、あるボランティアグループのリーダーが、地元の青年達を呼んでお説教している場面があり、「お前達がやらなくてどうするっ」と怒鳴っているのを見ました。確かに、先ずは地元の人々が動かなくてはならないのでしょうが、まるでボランティアグループが地元の青年達を糾弾している場のような雰囲気で、すごい違和感を覚えました。「俺達がやってやっているのに」という気持ちが感じられ、“ボランティアってそういうものなの?”と後味の悪さを感じたものです。

理想論なのでしょうが、ボランティアとは、その行為自体は見返りを求めない「無償」であるべきなのではないでしょうか。所謂“手弁当”で行うことで、その手弁当の調達方法については、いろいろあるのでしょうが、「してやっている」という感覚を持つ人がいるのだとすれば、違和感があります。それならばむしろビジネスライクで、でも“きっちり仕事はする”という方がすっきりするような…。

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Re:違和感 (mugi)
2009-02-25 21:37:40
>ハハサウルスさん、コメントを有難うございます。

 桑山氏はTVにも映されていたとは知りませんでした。河北が載せているのだから、TVがほっとくはずもありませんね。医者は世間知らずが多いものですが、この方もかなりものの見方が狭いですね。私の家族など、「日本の地方に医師不足で困っている所がいくらでもあるのに、何故海外に行くのか」と言っていました。ある程度中東を知る者が見れば、現地事情が分っていないのがすぐ分るのに、そのような意見を載せる新聞のいい加減さ。

 重油タンカー事故のケースは初耳です。そのような者がボランティアをしているとは、興ざめですね。まるで軍隊調で不愉快です。全員ではないですが、ボランティアには左派の所謂“市民団体”が多いらしいですよ。赤軍派よろしく、地元の青年達に「異議なし」と言わせたいのやら。これなら、仰るようにビジネスライクでやってもらった方がマシです。

 インドでボランティア体験のあるブロガーさんも、「自分を含め、日本人ボランティアは何処か屈折した所がある」と言っていました。そして記事にもしましたが、「マザー・テレサの実態」で自称ボランティアが突っかかり気味のコメントを寄せています。
「もし出来るのであれば、mugiさんに施設に行って頂き、どう感じたかを聞きたいです」に、この者の尊大さを感じました。海外ボランティアなど普通の人はまずやれないのに、かなり一般人と乖離した暮らしをしているのでしょう。この類にはマザーの言葉を捧げたい。
「インドに来るよりももっとも身近な近くの人を助けなさい。愛しなさい。家族、友人…」
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現実の厳しさ (ハハサウルス)
2009-02-26 00:49:35
マザーテレサについてお書きになった記事も読ませて頂きました。違う観点から見ると、なかなか興味深いですね。勉強になりました。

上記の自称ボランティアさんですが、与えられた場所でのボランティアでは、現実はなかなかわからないのかもしれません。
と言いますのも、もう昔の話ですが、或る方がこんな話をして下さったことを思い出したからです。
その方は、御自身の信仰もあり、何とか人助けをしたいとの思いで、インドの或る町に入ったそうなのですが、道端に横たわる人の膿んだ身体、不衛生さなどに、想像以上のカルチャーショックを受け、頭を殴られた思いがしたそうです。そして、壁に触れないように(もし擦って傷ができ菌でも入ったら、と恐ろしかったとのこと)気を付けて歩いたそうで、自分の甘さにもショックを受けたと自嘲気味に話して下さいました。
私は、現実の厳しさは想像以上なのだろうと思います。カルチャーショックを受ける位の体験を経て、徐々にわかってくるものは多いのでしょう。ボランティア活動は良いことだと思いますが、海外でするからすごいとかではなく、例えば路上のゴミ拾い一つでも、基本的な心は同じだと思います。
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Re:現実の厳しさ (mugi)
2009-02-27 21:34:11
>ハハサウルスさん
 私もマザー・テレサは尊敬しておりましたが、在日ドイツ人のHPを見て、印象が変わりました。このようなことを日本のマスコミは絶対報じないので、本当にネットは重宝です。
 上記の自称ボランティア「0303」氏ですが、2度も苛酷な環境のカルカッタに行かれた活動されたならばご立派です。しかし「ただ非難を煽るだけでは終わらせたくなく」の言葉に、ボランティアの傲慢さを感じましたね。行かない者なら意見を差し控えていろ、との姿勢を感じました。

 インドの不潔さは有名です。事前に知っていても、実際に腐乱死体を見た衝撃は想像を絶します。私は学生時代、カンボジアのポルポト政権下で虐殺された人々の写真を見たことがあります。膨らんだ腐乱死体全体にウジが湧いているもので、モノクロで助かりました(笑)。
 私の友人の弟は新婚旅行の時、渋る奥様の反対を押し切りインドを選んだほどです。友人からの又聞きでは、結構カルチャーギャップを楽しんでいたとか。もちろん観光コースがメインなので、それほどキツイものではなかったと思われますが、海外ボランティアには本当に度胸が必要ですね。
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子供たち (村石 太191号)
2009-12-15 20:05:57
プログ文章 よく読んでないです すいません外国の難民で 飢えに苦しむ子供とか 写真でみます。日本は 子供を生む 仕組みを理解して 子供ができると 困る 二人は コンドームを使います。衣類 食料 他の 救援物資もいるのだろうけど セックスと子供について
触れるべきではないかと思います。名古屋発
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Re:子供たち (mugi)
2009-12-15 22:06:53
>村石 太191号さん

 あなた、記事をよく読まないというより、読めないのでは?日本語もおかしいし、わざと悪文にしているとは思えない。外国人ですか?

セックスと子供の問題については難しい。宗教上、コンドームを認めない場合もあるし、これも支給要請でしょうか?私はボランティアではないので、そのようなことは活動家に言って下さい。そして、コメントをするならば、せめてプログ文章を読んでからにして頂きたいものです。
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