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アラブにおける協力者殺し―イスラムの内部粛清

2006-06-05 21:13:15 | 読書/中東史
 中東に関心のある方ならパレスチナのインティファーダを憶えておられるだろう。パレスチナ人の研究機関によれば、'92年末までに1,119人のパレスチナ人が死亡、約12万7千人が負傷、イスラエル軍に壊された家は約2千2百軒に上ったという。
 だが、これとは別に、パレスチナ人社会の情報をイスラエルに流して粛清された、所謂「協力者殺し」の犠牲者数も千人を越すとさえ言われる。

  「協力者」とは、イスラエルの治安当局や秘密警察などに情報を流し、報酬をもらうパレスチナ人を指す。'89年10月頃までに占領地全域で既に百人以上の パレスチナ人が「協力者」として殺害され、「協力者」狩りが止むまで犠牲者は千人を優に越えたそうだ。しかし、これらの犠牲者が実際に「協力者」、つまり 裏切者だったかは不明なところがある。「協力者」は確かに存在したにせよ、占領下の疑心暗鬼が無実の同胞を裏切者に仕立て上げた可能性もある。

 毎日新聞記者の布施広 氏が取材した例では、30歳のある小学校教師もその犠牲者の一人だった。'89年8月、近隣には「真面目な先生」と知られていた教師は、突然教室に乱入し た覆面の4人組により教壇から校庭に連れ出され、殺害される。犯人たちは無抵抗の教師の胸をナイフで2度刺し、角材で頭を殴ったが、この間子供たちはその 光景を窓から目撃していた。止めようにも武装した大人に立ち向えられるだろうか。ことが済むと、4人組は姿をくらました。
 布施記者は教師の未亡人を取材したが、彼女は「もしも夫が協力者だったのなら、殺される前に警告があったはずです」と懸命に夫の無実を訴えた。確かに「協力者」にはビラや壁の落書きで事前の警告がなされることも多かった。彼女は病院で撮った亡き夫のX線写真まで持ち出してきたが、病弱な夫に「協力者」は務まらないと言いたかったのだろう。真相は闇であるが。

 布施氏は、イスラエル軍との戦いと「協力者」の粛清は表裏一体をなす行為だと書く。前者が壁にぶち当たった分、闘争のエネルギーは「協力者」殺しに向けられたのではないか、と推測していた。
 仲間殺しは何もパレスチナだけではない。最近はあまり話題に上らなくなったが、北アイルランドでも「協力者」への処罰はすごかった。IRAが英国の「協力者」と見なした男の膝を銃で撃つリンチは有名だし、女は膝撃ちにされないものの、丸刈りの果て鳥の羽で飾られた裸同然の姿で通りを歩かせられる私刑もあった。

  パレスチナ、北アイルランド共に異民族の支配下にあるが、独立国家のはずのアルジェリアの内戦となると日本人の理解を超える。イスラム原理主義政党のイス ラム救国戦線(FIS)が非合法化されるや過激派のテロが全土に吹き荒れた。過激派は警察官、兵士だけでなく彼らの身内や関係者をも殺し始める。'92年 1月から'93年3月までの抗争で6百人以上が死亡し、この他警察や軍の身内・友人ら一般市民51人が殺害された。北アイルランドなら女の「協力者」は恥 ずかしい格好で通りを行進させられる程度で済むが、アルジェでは惨殺された。過激派に襲撃、殲滅された村まであったのだ。
 過激派は当然マスコミにも容赦はしなかった。中立系紙「エルワタン」を主宰する主筆記者は自動車を銃撃され、九死に一生を得る。この紙の編集局には「何故真実を書かないのか」「何故イスラムより西側の倫理に味方するのか」など、何通も脅迫状が送りつけられていたそうだ。

 イスラムの世界観では「イスラムの家」「戦争の家」に二分される。前者は平和の家とも呼ばれ、罰当たりの不信仰者の住む後者(日本などその典型)は常に争いが絶えない戦争状態というものだ。だが、「国を救うのはコーランだ」と、イスラム純化を目指すほど、イスラム社会が「戦争の家」になっていくのが現状だ。

■参考:『アラブの怨念』布施広 著、新潮文庫

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2 コメント

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「戦争の家」の住人 (Mars)
2006-06-06 20:58:23
こんばんは、mugiさん。



古今東西を問わず、「協力者」や「反逆者」の汚名を受けて虐殺される者の内、本当にそうであったものは半分以下(場合によっては10分の1以下)でしょうね。これは、今回の場合のように、無垢であろうと思われる一般市民も多数いるでしょうし、政敵の場合も多々あるでしょうね(マオもスターリンも、こういった事に長けているのでしょう)。



かの万年属国の場合も例外ではなく、朝鮮戦争前後の混乱期には、多くの「アカ」認定された者が、問答無用に殺された事実もあります。そういった、自国の歴史に疎いものが、外国の歴史を非難するなど、ただのお笑いのネタになるだけでしょうに。



我が日本においても、幕末や戦前には、同じ日本人同士で殺しあった事実もありますが、こういった事象はあまり多くなかったように思えます(確かに、戦後にはいくつかの怪事件もありましたし、内ゲバで粛清し合った事実もありますが)。



日本人のイメージからすると、「イスラムの家」=「戦争の家」と見えてくるのですが。アフガンにしても、イラクにしても、戦後もテロを続けているのが、「戦争の家」ではなく、何の家であるか、理解に苦しむところですね。

(日本を軍国主義と非難する国は、大戦後も何度か戦争をしていますが(特に、父の国は、未だに台○を攻め取ろうと目論んでいますが)、我が国は60年以上も戦争を経験していません。それが、「戦争の家」とは、、、。)

「平和の家」の実態 (mugi)
2006-06-07 00:24:24
こんばんは、Marsさん。



仰るとおり敵に対する「協力者」への報復はどこの国でも見られます。ただ、本当の「協力者」だったよりスケープゴードの場合が多かったと思われます。スケープゴード作りの巧みさではマオもスターリンは断トツですね。



その万年属国北部の「アカ」の国でも、「ブルジョア」認定された者が人民裁判で処刑されました。南といい、やはり同じ民族の血はあらそえない。一方日本での内ゲバなど、物の数には入らない。



ムスリムの異教徒圏を「戦争の家」とするのは、中華の周辺諸国への蛮族視と基本的に同じです。己と文明を異にする民族や地域を蔑視する尊大さ。しかし、いくら異教徒を見下しても、異教徒世界の方が生活水準が高いので移住してくる。そんなにイスラムがいいなら、「イスラムの家」に留まるべきなのに、これも侮日が生き甲斐のくせに日本に密入国までしてくる隣国人の心理とそっくり。



イスラムに関しては、面白いサイトがあります。これが「平和の家」の実態です。

http://www.hpo.net/users/hhhptdai/islam.htm

http://www.hpo.net/users/hhhptdai/jyllands.htm

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