トーキング・マイノリティ

読書、歴史、映画の話を主に書き綴る電子随想

沈没者たち

2010-02-20 20:22:19 | 世相(日本)
 昨年、wikiの“バックパッカー”の解説を見て、「沈没」と呼ばれる海外旅行者がいたことを遅まきながら初めて知った。wikiの「海外旅行における"沈没"」にも、「大辞泉によると、遊びに夢中になって仕事や用事を忘れてしまうこと。という意味があることから、 長期間の海外個人旅行をしているバックパッカーなどが、旅行の本来の目的である観光を中断し、一つの街への滞在を目的としてしまうことを「沈没」と呼ぶ」とある。海難事故のみならず、陸の“沈没者”もいるようだ。

 さらにwikiには次のように紹介されている。「日本人旅行者には、主に東南アジアの都市で、宿泊施設や食事などの物価が安く、比較的治安が良く、ビザの取得が容易で、風光明媚な場所、日本人宿が存在する場所が好まれている。「沈没」を目的として海外に長期滞在する人もおり外こもり(そとこもり、ひきこもりをもじった表現)と呼ばれることもある

 恥ずかしながら、実は私は海外旅行を体験したのは1回のみ、しかも数日程度なのだ。だから、旅馴れたバックパッカーならさぞ現地通だろうと漠然とイメージしていたが、明らかな外篭もりや“沈没者”のブロガーやその記事を目にしたので、彼らに対する見方は以前とはまるで違ってしまった。wikiにも書かれた「バックパッカーの実際」は興味深い。
一度宿に落ち着いてしまえば基本的にすることがないので、長く滞在している者は宿や飲食店などで他の旅行者の置いていった本を読んだり他の宿泊者と話やゲームをしたりして過ごしている。何のストレスもなく無為に過ごせることから「沈没」してしまう者もある。否定的側面もあり、現地の人々と触れるには他の行動や語学力も必要だが、共同生活により旅の仲間や時には恋愛関係が生まれる側面もある…

 最近はネットという文明の利器もあり、バックパッカーたちは携帯情報機器やインターネットカフェなどを利用、ネットで情報収集しているとか。ネットがない時代よりも格段に旅も快適になり、ホームシックも罹り難くなったらしい。その半面、「沈没」現象も発生し、海外の町でもネットカフェに入り浸り、現地人と知己になるどころか、交流はネットだけという者もいるようだ。
 当然、こうしたバックパッカーには他の旅行者や売れ入れ国側からも批判はあり、またもwikiから引用したい。
バックパッカーの主目的の1つが「本物」を探求することであるにも関わらず、バックパッカーの大部分はその時間の多くを他のバックパッカーとの交流に費し現地の人々との交流は「二の次」になっていると批判している。バックパッカーが多く訪れるバナナ・パンケーキ・トレイルではバックパッカーの存在が現地のあり方そのものを変えてしまうという指摘もある…

「沈没」という俗語を知る前の去年、25年に渡る海外生活を送ったと自称するブロガーからコメントを頂いたことがある。当人の性格と人生が伺える愚痴と憂鬱な初コメントだったので、妙に憶えている。同じく四半世紀もの海外生活のあるブロガー「ブルガリア研究室」氏のそれへの論評が振るっている。
-ネパールにしょっちゅう行っている人の心理を推し量ってみると、最初に行ったときには、日本食がない、文明がない、トイレも汚い、など、色々不便したのが、ある程度たつとそういう原始的な環境の中でも、十分適応できて、かえって精神的には気楽に暮らしていて、更には優しい周囲の庶民たちが、顔なじみになるとますます友達づきあいしてくれるのが嬉しいのです。日本国内では、無名で、誰も振り返ってくれないのに、ネパールの田舎では「有名人扱い、「日本人」ということでも尊敬され、いい気分になれるのです。そのくせ、現地に行っても何とかネットにつながる生活空間を築いているらしいのは、笑えます…

 海外滞在経験皆無の私には、「研究室」氏の意見に頷くばかりだった。まだ現地や現地人を愛するならば結構だが、中には滞在国や住民が大嫌いなくせに、居続けている“沈没者”も一部いる。HPで現地と住民への悪口雑言を並べ立て、憂さ晴らししている者もいたが、これでは現地はもちろん本人にとっても惨めで不幸としか思えない。このようなタイプの現地人への嫌悪は自己嫌悪の裏返しに見える。
 日本を厭い、現地で気侭に暮らす“沈没者”も、いざ病気になると早々に帰国、日本の医療福祉を頼るのは笑えない。世界市民を気取りつつ、困ればすぐに母国に救いを求める姿勢は日本人的甘えの典型例。どのような人生を歩むか自由だが、“沈没”を選択したのは本人ゆえに最後まで帰国せず、是非“沈没”を貫いて頂きたいものだ。

-歩き回っているのか、自惚れて身体を突っ張りながら。[お前の肉体の]十個の門は地獄に満ち、お前は臭いの筏(いかだ)。潰れた眼は心を見ず、智慧を一つも知らない。愛欲、瞋恚(いかり)、渇愛に酔い痴れ、溺れ死ぬ、水がないのに。
 遺体は焼かれれば灰が塵に[まみれ]、埋められれば蛆虫が食べる。[さもなくば]豚、犬、カラスの餌食。遺体はそれでこそ役立つ。気付いて見てはいない、酔い痴れた狂人は、自分が死神から遠くないことに。何千万もの試みをしてみるがよい、この肉体に、[その]最後の状態は塵。砂の家に座していることに、気付かない、無知なる者は。
【宗教詩ビージャク、カビール作、東洋文庫703より】

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 「途上国の人間は心が美しい?

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22 コメント

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現地適応 (室長)
2010-02-21 01:01:53
  海外長期滞在の日本人にも色々なタイプがありますが、70年代とか、かなり昔にもmugiさんが言われるような「沈没者」的な人をかなり見かけました。確かに、楽しく、低予算で海外生活を楽しんでいる、余り現地人とはつきあわず、日本人の同類とばかりつきあっている、という感じ。若い人が、無為に時間を浪費するのは、勿体ないです。

 他方で、夏目漱石のように、英国留学中に、書物の勉強にばかり精を出して、現地の人とも、日本人とも、つきあいが無さ過ぎて、鬱病になって・・・というのも、本当はそう格好いいものではない。しかし、漱石はやはり天才ですから、そういう辛い経験をも小説家としてのその後の人生で生かすことが出来ました。

 一つだけ、小生も異論があるのは、現地に適応し、現地人とだけつきあって、語学を習得し、その国の伝統とか、文化にも精通すべき、ということを金科玉条とすること。ある日本の銀行家が、昔アフリカにある援助関係銀行の現地頭取だったかで赴任したとき、日本での壮行会で、「現地の人と同じ食事をして、同じような家に住み、友好を深め、現地理解を完璧にして欲しい」などと、バカげた激励の仕方をされて迷惑だったと書いていました。

 未開人の多い、貧しいアフリカの現地で、土人と同じ生活などできるものでもないし、無理に同じような家に住み、同じような食物を食べたら、マラリアで死ぬだろうし、貧しい生活ぶりを見たら、現地のエリート行員からも軽蔑されて職務遂行など不可能となる。自分は、アフリカにいても近代的な豪邸に住み、運転手つきの車で通勤したし、いつもホワイトカラーのシャツ、背広をきちんと着て、貴族的に振る舞うことで、現地人達から畏敬され、任務を全うできた、という。言語ももちろん英語以外は使わない、現地語の知識など全く不要だ、と書いていた。

 小生も全く同感で、どういう立場で、現地生活をするかという地位とか、役割の問題もあるし、ブルガリアなら、秘密警察の監視もあるし、むやみに現地人の中に入り込む生活は、難しいし、原始的すぎて不可能という側面もある(社会主義時代のブルガリアでは、トイレットペーパーではなく、新聞紙を使って用便するなど、さすがに日本人として、できるものか!)。現地人とつきあうにしても、知的レベルが確かな、自分のレベルと合った人とでなければ、やはりつきあいは苦痛でしかないのだ。また、現地で奮闘している日本人同士で、立派な人がいれば、その人とつきあうことで、情報交換にもなるし、知恵を借りたりも出来るし、生涯の友人ともなりうる。日本人とばかりつきあって、現地のことを勉強しない、ということではなく、漱石のように鬱病にならないためにも、適度に日本人社会でつきあうという、海外生活の知恵は正しい。

 現地適応が正しい場合もあり、正しくない場合もあるということ。
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Re:現地適応 (mugi)
2010-02-21 21:44:26
>室長さん

 さすが、海外長期滞在ならびに社会主義圏で過ごされた体験を持つ方は違いますね。私は小心と出不精もあるのか、海外は旅行はともかく長期滞在をしたいと思ったことはありません。留学する動機や理由もなかったし、おかげで海外旅行は一度だけという体たらく。貧乏性なのか、何もしないで過ごすとすぐに飽きてしまう。それにしても、70年代から既に「沈没者」的な日本人がいたとは驚きました。
 留学が一部エリートだった漱石の時代は、さぞ気苦労があったはず。それでも個人差があり、同じ文豪でも森鴎外は留学先がドイツだったにせよ、現地女性との恋愛をエンジョイしました。その体験を「舞姫」に書いている。やはり軍医は度胸があるのか。

 そして、紹介された日本の銀行家のエピソードは興味深いです。たとえ援助関係銀行の現地頭取だったとしても、彼の行動の方が理に適っていることは私でさえ想像がつきます。途上国に赴任する日本のビジネスマンには「エコノミック・アニマル」型と「純情」型の二種類がいて、前者である件の銀行家のやり方こそ、現地で信用され、物事もスムースに行くそうです。後者では信頼もされず、挙句ノイローゼになるという例もあるとか。
 現地に適応し、現地人とだけ付き合い、語学を習得、その国の伝統や文化にも精通すべき、という殆ど不可能事を求めるタイプは案外日本に少なくないのかもしれませんね。これならボランティアに行く者さえ、二の足を踏む。「アラビアのロレンス」のようにそれをやれる者もいますが、極めて稀でしょう。

 それにしても、社会主義時代のブルガリアでは、トイレットペーパーもなく用便は新聞紙だったとは……母の話では日本の戦時中がそうだったようですが、宮城県北部の田舎ですよ。ないない尽くしこそ、共産主義の実態でしたか。
返信する
女性の適応力 (室長)
2010-02-22 10:55:31
mugiさん、
 (1)原始的生活水準
  トイレットペーパーもなく、小さく切った新聞紙が用便時のパートナーという生活は、戦時中ばかりではなく、戦後も貧しかった家庭では、普通のことでした。我が家でも、小生が小学4年生頃から、トイレに柔らかい紙(A4程度のサイズ)が置かれるようになったけど、まだ便所はくみ取り式で、畑の肥料として重宝していた。トイレットペーパーが家庭に入る前は、上記のような柔らかい半紙がまず使われ、その後、昭和30年代頃に、本格的にトイレットペーパーが普及し始めたように思う。
  とはいえ、いったん上の生活水準を経験すると、決して後戻りは出来ません。しかも、日本ではぼっとん式だから、新聞紙も怖くはなかったけど、ブルガリアでは、水洗式だから、尻を拭いた新聞紙は、便器横に置かれた編み籠に入れておき、ある程度纏まってから、戸外の鉄製の大型ゴミ収集箱にまで自分で棄てにいくのです。つまり、3--4日は、毎日便器の横にこの編み籠の汚い新聞紙を眺めているわけで、小生は最初この籠の意味が分からず、家主から説明されてすぐ、誰かが既に使った籠が気味悪く感じられ、すぐに撤去して貰い、自分はトイレットペーパーを外国から入手して切らさないように気をつけたのです。

(2)女性の現地適応能力
 基本的に、外地生活では、どの程度現地適応すべきかは、ケースバイケースですが、女性の場合は、ともかく同化能力が高く、夫とさえ関係が良ければ、余り深刻には寂しいと思うこともないようで、たくましく同化できます。また日本人社会との関係は、夫次第、という側面もあるようです。
 ギリシャは、船乗り達がくどき上手なので、昔から日本人妻の多い国で、北部カヴァーラ市(港町)には、ホテルのフロントに日本人妻が勤務していたので、少し話した思い出がある。彼女の場合、トラキア地方の田舎町ですから、他の日本人女性としては、100kmほど離れたセレ市(テッサロニキ北方、内陸部)まで行って、同じような日本人妻と、本当に何ヶ月に1度という程度の頻度でしゃべるのが楽しみ、と言っていた。
 他方、ハワイでは、コナ市ホテルのレストランで会った日本人妻は、白人男性と結婚しているせいか、地元にも結構多くいる日系人移民者(既に2世世代だが、日本語がしゃべれる)とか、或いは他の在住日本人家庭とかとの交流は一切無いといっていた。余りにも日系社会が大きくても、お互いに却って求め合う気持ちが小さくなるし、警戒感もあるのだろう。それに、ハワイは多民族社会なので、各民族社会が共存していると言うよりは、個別に別社会を作っているので、交流が意外に少ないのだ。彼女の家庭は、夫の所属する白人社会に埋没していて、日系社会との交流は一切無いという。
 もちろんハワイに住んでいても、日本人妻が日本の会社などで勤務していると、日本人社会との繋がりも深くなるし、夫も日系社会の行事(秋の運動会、盆踊りなど)にも参加したりする。
 ともかく、外地適応能力としては、女性に何時も脱帽で、小生は語学の面でも、食物の面でも、どうしても日本社会から離れられないと、焦った時期もあります。しかし、適応しすぎて違いに鈍感となり、問題意識とかも無くなるようでは、それも良くない、ともかく日本人として外国文化と、どう向き合うか、その面での観察、思索を深めることが自分の道と、割り切ったものです。
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Re:女性の適応力 (mugi)
2010-02-22 21:55:14
>室長さん、

 私が小学生の頃、地方という事情もあるのかトイレはまだくみ取り式で、小学六年生の後半にやっと校内に水洗トイレが出来ました。くみ取りだと夏場は特に臭い、ウジが上ってきて、便所の床を這っていたのを今でも憶えています。私は戦後高度成長時代生まれですが、今の子供達にはかつてのくみ取り式トイレは想像も出来ないでしょうね。昭和一桁生まれの母さえ、一旦贅沢すれば、後戻りは出来ないと話していました。
 ブルの首都は流石に水洗トイレでしたか。それにしても、汚れた新聞紙を編み籠に入れたままにしていたのには驚きました。昔、日本に留学した中国人に水洗トイレの使い方が分からず、使用済みで丸めたトイレットペーパーを流さずに、便器に並べていた者がいたことが何かの雑誌に載っていました。

 やはり、海外に行っても女性の方が適応力があるのですか!夫との関係次第で、同化がきまるようですね。日本人、外国人問わず、やはり夫との関係がうまく行かないと、海外生活は難しい面があるのでしょう。
 一般に欧米人との国際結婚といえば、米国人とのそれをイメージしますが、ギリシャ人と結婚した日本人女性もいたのですね。紹介されたギリシャ人の日本人妻のケースですが、東北の農村に嫁いだフィリピン人花嫁を思い出しました。彼女らも同じフィリピン人同士でおしゃべりするのが楽しみだそうです。

 一方ハワイで、白人男性と結婚した日本人妻はギリシャとは好対照ですね。多民族のハワイが民族毎に別社会を形成し、交流が互いに少ないということも初めて知りました。ハワイに限らず、米国人の白人男性と結婚した日本人妻は、総じて日本人及び日系人社会と交流しない者が多いのではないでしょうか?

>>ともかく日本人として外国文化と、どう向き合うか、その面での観察、思索を深めることが自分の道と、割り切ったものです

 適応しすぎたり、不適応に陥る日本人が少なくないにも係らず、このような達観に至れたとはお見事です。 それこそが「研究家」としての道だと思います。
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白人社会に埋没? (室長)
2010-02-23 00:24:29
mugiさん、
 ハワイで見た米国白人と結婚した日本人妻も、色々なタイプがありました。(1)まず、元来が日本では「お水系」の仕事をしていた女性で、米軍人と結婚し渡米、その後離婚してハワイで水商売しているような女性、当然顧客も日本人です、(2)白人男性を尻に敷き、完全にわがまま妻として、夫をあごで使っている人(ある意味凄い才能ですけど、結構いる)、ただし、基本的に白人社会としかつきあいはない、(3)白人男性と結婚しているけど、自分は日本人の会社とか、日系人の会社に勤務して、ほぼ日本語で生活する時間が長く、また夫も日本食とか、日本文化に関心が少ないので、まあ夫にはものすごくシンプルな食事を作る(野菜なども、料理せず、生のままのサラダが好きだし、基本的に単純なサンドイッチとか、手を加えない、料理しないものが好きな由)が自分用には、日本食を作り食べているし、日本式の行事(盆踊り、その他)にも自分だけは参加しているという、独立型。(4)或いは白人の夫も巻き込んで、日本人社会の行事にもつれてくる人、(5)白人社会に完全に同化して、良き妻でもあり、子供も完全に英語で育てている女性、などなど。
 まあ、本当に様々です。
 ちなみに、英国人と結婚した小生の二女は、かなり亭主を尻に敷いているけど、自らもすっかり白人社会に同化していて、日本人社会とはほぼ交流がない。もっとも、日本食は夫婦共に、少しは好きで、インスタントラーメン、お好み焼き、餃子、カレーなど、それなりに近所の日本食材店で、色々買ってきては、工夫して食べている。もっとも二女は、アレルギーで魚はダメ、卵はダメと、食べられないものも多く、夫の英国人の方が、より広い日本食を食べられる。日本語が苦手で、自分の生きる国として英国の方を選んだが、漫画くらいは読めて、キャプテン翼が好きとか、2--3年に一度は夫と共に帰国して、日本国内を観光していったりする。なお、日本人の友人は、小学時代(日本での)、高校時代(アイルランドの高校)ともに、日本人もいるし、彼らとのつきあいは、メールなどでも続いているし、日本でも再会する。まあ、会話能力はあるけど、日本語で書くこと、読むこともかなり苦手なので、英国で日本人社会とつきあう気持ちもあまりないようです。
 アイルランドでも、見ていると、やはり現地の白人と結婚した日本人女性は、日本人社会との接点が少ないです。子供を、週末の日本語補習校に通わせるとか、そういう風に意識して他の日本人達と交流していかないと、つきあえる友達としての日本人と会うことも難しいですから、やはり白人社会に埋没しがちです。
返信する
Re:白人社会に埋没? (mugi)
2010-02-23 21:18:17
>室長さん、

 紹介されましたハワイでの米国白人と結婚した様々なタイプの日本人妻のお話、とても面白く拝読させて致しました。(2)は最強ですね。手抜き料理を白人亭主に出す(3)も強い。日本女性は従順と思って結婚した米国男がどう感じているのかは不明ですが、女性から見ればある意味現代の「妻の鑑」かもしれない(笑)。やはり女性は適応力がありますね。
 英国男と結婚された貴方のお嬢様は(5)のタイプでしょうけど、白人社会に同化したのは日本語の苦手な事情もあったようですね。確かに英語は得意でも日本語の読み書きが不得手なら、日本人社会と疎遠になるのは当然でしょう。
 
 これが中国、朝鮮人妻ならどうなのでしょうね?華僑が何処に移住しても中華街を形成するから、日本人ほど白人社会に埋没しないように思えます。日本人の場合、男でも欧米で白人女性と結婚すると、白人社会に埋没しがちになるではないでしょうか?どうも、日本人は海外に渡ると数世代もしないうちに同化するような。
 その点、同族との結婚を守るユダヤ人やパールシー、華僑と好対照です。日本人は移民の優等生だと思いますが、現地に埋没していくのは、少し寂しい。
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日本人は同化する? (室長)
2010-02-24 01:20:53
mugiさん、
 おっしゃるとおり、日本人は現地同化が早く、痕跡を残さない。3世代も経れば、ほとんど日本人的要素は残っていない。タイの山田長政の子孫とか、ベトナム中部の日本人町、フィリピンに亡命したキリシタンの子孫など、何れも行方不明という。それに比べれば、華僑は、何時までも中国文化を維持するし、語学も残す。やはり、幇とか、宗族とかの互助組織が存在しないのが弱いと思う。
 ハワイの日系人は、戦時中には人口の6割も日系人だったので、戦時中も一部(300人ほど)の日本人社会指導層(日本語教師、僧侶、など)のみが米本土西海岸に収容されただけで、真珠湾攻撃後の、戦艦のサルベージとか、港湾施設の復興工事とかも、結局は日本人労働力の奮闘のおかげで、早急に米太平洋軍総司令部(CINCPAC=シンクパック)が復旧されました。また、ハワイの日系人青年の一部は、米軍に応募して日系部隊を編成し、欧州戦線で戦ったり、太平洋戦線の米軍で、日本語通訳兵として、日本軍の無線連絡文を解読したり、戦後の駐留軍でも通訳したり、活躍しています。
 小生が不思議だったのは、ハワイの二世達の思考回路で、①通訳兵を養成した米陸軍語学学校の日本語読み書きの教師だった人物、②CIAに協力して、危険な日本人社会指導者として、収容所送りの人選を手伝った人物、などが、戦後のハワイ日系人連合協会の初期の会長として威張っていたりしたこと。戦後の日本が、米国の同盟国となったから、とやかく言う必要性はなかったとしても、彼ら本人は、日本軍の敵である米軍に奉仕した人間であり、少しは肩身の狭い気分でいて欲しかったが、全く逆で、戦後のハワイの日系人社会に君臨していた!!なお、③上記①の指導の下、通訳兵として訓練を受けて、太平洋戦線で活動し(日本軍電文の解読、捕虜からの軍事情報聞き取りなど)、更には、日本駐留軍の通訳兵として、戦争直後の貧乏な日本で、愛人を囲い、ドルの威力で贅沢三昧したり、あるいは日本人業者と組んで、米国から密輸入した物資で儲けた(例えば、日本では、めがねの枠が品薄だったので、眼鏡屋のために米国<ハワイ>から輸入<米軍の軍用機、或いは船舶を使った密輸入>し、関税ももちろん支払わずに、大儲けした通訳兵の話を聞いた。自慢話だった!)などという人物の話を幾つも聞けた。大した悪事ではないにせよ、貧窮化していた日本で、日本人を愛人としたり、闇商品を眼鏡屋に納品して儲けさせたり(自分も多額の報酬を得た)、などという話しを、何の罪悪感も無しに皆さんがされるので、少し違和感があった。
 もちろん、日系人は、米国市民であるが、彼らは二世の日本語世代だ。英語も出来るが、英語はピジョンで、訛りだらけ、日本語の方が上手なのだ。教育は、わざわざ日本に帰って、中学生くらいまでは日本で教育を受けたりした者も多いし、一部は日本で大学まで出ている。そういう人が、戦時中は米軍に参加して、いかに活躍したか、いかに儲けたか、と言う話しを、何の罪悪感無しにしゃべる、これが日系人か?ともかく、集団で、長いものに巻かれる、現地事情に適応しすぎる、愛国心とか、日本文化への愛着心が、少し足らない、これが日系人らしい。全く不思議というか、日系人と華僑の相違は大きいです。もっとも、中国人が、本国に忠実で、愛国心に充ち満ちているのかどうか、それも少し疑問で、英国などでは、英語文化の中で育ち、秀才として大学でも認められている人々もかなり多いようにも思います。決して、日本人のみが、祖国を忘れ、現地同化が激しいとも言えないのですが、それにしても、これほど日本文化がしっかり根付いて、残っているハワイで、3世以降の日本人達が日本語を出来ない人が多いし、二世達ですら、日本国への愛国心には、疑問符が多い、ということが不思議でした。
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Re:日本人は同化する? (mugi)
2010-02-24 21:54:01
>室長さん、

 紹介されましたハワイの日系人二世達のお話、考えさせられました。華僑は必ずしも純血主義ではなく現地人の血も入ったりしますが、それでも自分達の文化は維持します。仰るとおり、幇や宗族などの互助組織がないところが同化しやすいのかもしれませんね。

 私はハワイの日系人について全くの浅学なので、以下は推測ですが、戦時中に日本人社会指導層が米本土に連行されたのが心理的に相当なショックだったのではないでしょうか?一部300人ほどにせよ、日系人の精神的指導者であり知識層でもあります。このような指導者層を根こそぎ奪われれば、後は烏合の衆に成り果てるはず。連行への恐怖や生き延びるため、日系人はひたすら米軍に迎合するようになったのかもしれません。

 そして、一世はともかく二世となれば現地生まれ。元から米国人という意識があったはずだし、日本国への愛国心は端から薄かったと思いますね。元々移民は本国で食詰めて移住した人々なので、本国人に対するある種の屈折した思いを持っていたはず。だから、自分達は米国系で本土の日本人より格が上なのだ…と思い込むようになったのではないでしょうか?移民者には沖縄や東北のような貧しい地方出身が多かったし、日本国への忠誠に疑問な面があったはず。だから戦後“凱旋者”気取りで、ドルで札びらを切り贅沢三昧、闇で儲けた。
 在日朝鮮人も本国では経済力で威張ったりして、本国人からは半チョッパリと誹られたり、白丁の出だと徹底して侮蔑されています。だから彼らは祖国に決して帰らないし、日本に居座り続ける。連中が「在日」と殊更名乗るのは、日本人でも朝鮮人でもないという心理があるとか。

 ふと、かつてバルカンで徴用されたイェニチェリ兵は出身地に里帰りした際、どのように振舞っていたのか、想像してしまいました。まさか、ブル映画「略奪の大地」のように故郷の人々を虐殺したとは思えませんが、改宗してしまった以上、もうキリスト教徒の世界には戻れません。西欧の宣教師のためにキリスト教に改宗した第三世界の人々も、欧米人の走狗と化したので、宗教の違いは大きい。
 華僑に対する本国での感情も必ずしも好意的なものばかりとは思えません。トルコでは西欧の出稼ぎから戻った者は「ドイツ帰り」と呼ばれ、「ドイツ帰り」は西欧化してトルコ人らしくなくなったといった軽蔑的意味があるそうです。
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利敵行為 (室長)
2010-02-25 00:17:34
mugiさん、
日系人の心情(利敵行為との自覚が薄い)理由については、色々と推測しました。なかなか、適切な結論を得られたとは言えませんが、以下に述べます。
(1)心は日本人
  小生がハワイであった主として日系人連合協会の熱心な会員達は、二世といっても日本語が達者な人々で、ハワイでは日本語学校、場合によっては父母の故郷に帰って、日本の小中学校などで教育を受けたりした人々。彼らの口癖は、国籍が米国なだけで、心は日本人そのもの。歌うのは、歌謡曲だし、ハワイには、小生がいた80年代初期、日本語ラジオ局が2局あり、完全に日本語放送をしていたので、それを聞いていたし、日本語新聞を購読。
  だから、彼らは自衛隊艦艇、或いは日本の水産高校練習船などが入港する度に、地元側の歓迎宴会を開催し、お返しに船上パーティーに招待されることを楽しみに、「連協」活動に参加していた。
  また、皇太子とか、日本の皇族がハワイに来ると、歓迎の出迎えなども熱心に行っていた。彼らの皇室への畏敬の念は、根強く、連協会長ポスト(ほぼ1年の任期が多い)経験者には、日本政府から勲章を貰いやすい、という思いこみもあり、皇室歓迎行事を熱心に行うし、年始には、総領事館で、陛下の写真の前で万歳3唱が楽しみでもある。形式的な愛国心には、それなりに熱心でもあるのです。

(2)米軍、CIAへの協力、進駐軍への協力は、米国市民としての義務を果たしたまで
  どうも彼らの口調から推測すると、日米戦での米側への協力は、米国人として軍人になっていたから、その義務を果たしただけ、通訳兵として利益を得たことも、進駐軍兵士の中で、日本語が分かり有利な立場を活用しただけ、という、かなりあっけらかんとしたもので、一切罪の意識とか、後ろめたさを感じていなかった。米陸軍語学校で通訳兵を養成した元教官も、自分が要請した通訳兵が太平洋戦線で、情報収集に活躍したと威張って自慢。CIAに協力した方々は、収容所送りの人選にも携わったのですが、その一人はハワイ裁判所で最高裁裁判長という出世を遂げたし(もちろん、米国本土の法学部を卒業し、弁護士資格を取ったから。しかし、CIA協力者として、米本土の大学への奨学金を付与されたはず)、ほかにも、ハワイ州知事になった人物(Ariyoshi)も、戦後のハワイで、CIA在ハワイ局長に協力したり、米国人州知事に忠実に仕えたりしたので、チャンスを与えられたと思う。

(3)日本人も利敵行為に罪悪感無し
  捕虜となった日本兵の側も、日本で中学教育まで受けていた通訳兵=日系兵を日本人として信用したし、すぐに全ての軍事機密を知っている限りバラしていたようです。日本人も、その置かれた状況の中で、ベストを尽くす、という勤勉思想ですから(日本辺境論では、たしか、日本兵捕虜の口が軽かったことを、そのときの周囲の情勢、体制に合わせて行動する、という日本人の性格を書いていた)、知っている限りをしゃべるらしい。敵、味方、そして国益とか、そういう思考が不十分なのが日本人かも知れません。小生には、驚きです。

(4)日本文化は、かなり維持・・・しかし、同化速度が速い
  日系人は、日本食、できれば日系人、或いは日本人との結婚を好む、また、運動会、仏式の葬式、盆踊り、日曜日のお寺での説教(キリスト教徒の日曜説教に対抗して、仏教の教えを日曜日にお寺に集まって聞く)、キリスト教教会での説教(日系人クリスチャン用の教会がある)など、それなりに日本式の文化、伝統を維持しています。お寺も、西本願寺、天台宗、その他新興宗教まで、色々ある。新年には、お雑煮を食べるし、スーパーでは、油揚げ、こんにゃく、その他の日本食食材が売られているし、寿司屋、お好み焼き屋、ラーメン店などもある。
  それでも、徐々に本土の大学で勉強し、白人女性と結婚し、本土で就職したり、多くの家庭で、3世、4世となると日本語能力が薄れ、現地同化が進んでしまいます。もっとも、外地の日本人、日系人の場合、かなり多くが、大家族制的な繋がり(親孝行の概念)も強いのですが、やはり中国人、韓国人に比べると、同化のテンポが速い。ちなみに、韓国人が一番インテリ(医師、弁護士、など)の移民が多くて、ハワイでも世帯当たり収入が最高に高い。日本人は、中国人より少し上、というような状況だったと記憶します。
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横レス失礼します (スポンジ頭)
2010-02-25 21:32:15
こんばんは。

以前新聞で読んだ話なのですが、沖縄出身者は外国へ移民しても沖縄県出身と言う意識を強く保持し、県民会も三世が顔を出す(ここは記憶モード)そうです。異民族からの支配経験がその意識の強さに繋がるらしく、沖縄は米軍に長らく支配されていたのに対し、日本本土は歴史上そういう経験が殆どないのでそのような差異になって現れているのではないか、との事でした。 確かに日本人以外の民族は異民族の支配を受けておりますし、幾ら悲惨でも日本の戦争は殆ど内戦です。
何で読んだか忘れましたが、幕末、武士同士お互い言葉が通じないのに何となく意思の疎通ができたそうです。意思が通じない異民族体験がなければ異質な相手に対する抵抗力も養われないかもしれません。

あと、ヤフーの知恵袋にあったのですが、ハワイにしばらく滞在した人の話によると、様々な状況で日系人から「自分たちはアメリカ人で日本人じゃない」と度々言われて辟易したそうです。彼らは日本人との距離感がうまく掴めないのでしょうか。
返信する