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アーリア人 その③

2010-11-20 21:12:24 | 読書/中東史
その①その②の続き
 紀元後3世紀、ペルシア人はまたもサーサーン朝という世界帝国を樹立している。この時代、メソポタミア平原(現イラク)は農業生産力がピークだったと後世から高評価された。それが7世紀以降のイスラム支配に入ると、平原の灌漑設備は破壊され、農業生産力は凋落の一途をたどった。しかし、著者は「地図の上で見る領域の広大さに幻惑されて国家としての実力を過大評価してはならない」と言う。メソポタミアは人口稠密な穀倉地帯でも、イラン高原の三分の二は砂漠地帯なのだ。

 人口統計の試算によれば、1世紀のローマ帝国の人口は5千万人、7世紀のの人口が成人男性だけで6千万人と推定されるのに対し、3-7世紀のペルシア帝国の人口はどんなに多くとも1千万~1千5百万人を超えないと見積もられている。ローマ、ビザンティン帝国と覇権を争った超大国と言われたサーサーン朝だが、人口で比較すれば国家としての実力は数分の一に過ぎないと著者は書く。メソポタミアからの税収によりイラン高原の地主や農民を動員し、パルティア王朝から継承した重装騎兵戦法を頼りに、かろうじてローマ、ビザンティンに対抗していたというのが実力相応と青木氏は結論付けている。

 この国家構造から、メソポタミアが何らかの天災・人災に見舞われ農業生産が阻害された場合、帝国の税収は激減、イラン高原上のオアシス諸都市は扇の要を失い、分裂していく。イラン高原は砂漠の中にオアシス都市が点在する社会ゆえ、強力な中心点を失うと王朝は一気に崩壊するという。7世紀前半、実際に天災と人災が複合し、メソポタミアを直撃する事態が起きた。
 ホスロー2世(在位590-628年)はビザンティンを相手に無謀な戦争を挑み、当初は連戦連勝したため、疲弊した耕地を管理すべき地主や自由農民を根こそぎ動員する。

 628年、ついに破局が起こった。この年ティグリス川は大氾濫となり、メソポタミア平原南部の農業を壊滅させた。通常は大河の氾濫は周辺の地味を回復させるが、前世紀からの土壌の疲弊もあり、メンテナンス不足の耕地を直撃したこの洪水は、灌漑設備もろとも開墾地を押し流す。この地域の灌漑システムは現代に至るまで、2度と立ち直れなかったと言われる。貴重な税収減を失ったペルシア帝国に、反撃に出たビザンティンを食い止める余力もなく、屈辱的な講和条約を結ばざるをえなかった。
 政治・経済の未曽有の混乱の中、ホスロー2世は暗殺され、皇位継承をめぐり4年に及ぶ内戦が勃発。さらにメソポタミア平原に伝染病まで発生、何人かの皇帝を含め老若男女多数が犠牲になり、人口が極端に減少する。

 歴史上、642年のニハーヴァンドの戦いでのアラブ・イスラム軍の勝利こそ、サーサーン朝の滅亡とされている。直接原因はそうでも、経済や国家構造の観点から見れば、ペルシア帝国は628年に自滅しており、それ以降十数年間存続していたのはかつての大帝国の残骸に過ぎなかった、と著者は断言する。信仰の意気上がるアラブ軍により、あっけなくペルシア帝国が敗北した印象がそれまであったが、この本でその背景を初めて知った。

 イスラム以前のイラン系アーリア人定住民は、それぞれの方言ごとに異なった文字を使い、さらにその文字自体が全くイラン系アーリア語に合っていないため、研究するには恐ろしく複雑怪奇な学問になってしまったそうだ。青木氏はこれに面白い例えをしている。

古代日本研究に当たって、ギリシア文字表記の九州弁で書かれた『古事記』、ラテン文字表記の関西弁で書かれた『日本書紀』、キリル文字表記の関東弁で書かれた『万葉集』、アラビア文字表記の東北弁で書かれた『源氏物語』等しか資料がない状況を想像して頂ければ分かり易い。写本の字面を見ただけでは、これらが同一系統の言語で書かれた同一民族の文化だとは、誰も思わないだろう。「文字を持たない民族の悲劇」というより、「文字を持たなかった民族を研究する悲劇」である。イラン系アーリア人定住民の宗教や歴史を研究する「古代イラン学」とは、こういうひねくれた学問分野である…

 本の裏表紙にこんなコピーがある。「スキタイ人メディア人・ペルシア人・バクトリア人・パルティア人…史上最初の騎馬民族にして壮大なる世界帝国の樹立者。ユーラシア大陸を舞台に興亡を繰り返す諸民族の足跡を、「アーリア性」をキーワードに気鋭のイラン学者がたどる」。
 青木氏は1972年生まれでまだ40にも達しない若き碩学である。このようなマイナー極まる学問分野で気を吐いている日本人学者がいることは大いに誇らしく喜ばしいと思う。 

◆関連記事:「ゾロアスター教の興亡
 「ゾロアスター教史
 「サーサーン朝ペルシアの文化

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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お恥ずかしい話ですが… (ハハサウルス)
2010-11-24 14:36:18
お恥ずかしい話ですが、私も「アーリア人」と言えば、金髪碧眼、ヒトラーを連想してしまう一人です。“ゲルマン民族の中で最も優秀なアーリア人こそ世界を制する”というような説を、ヒトラーは用いていたとか、それがユダヤ人排斥に繋がったという話を漠然と知っていただけです。アーリア人という概念が違っていたんですね。勉強になりました。

その②で書かれていた会議というか宴会の場面は、想像すると、何とも言えませんね。メタボのおじ様方が酔っ払ってキスして、その中で重要事案が決められている…、文化の違いとはいえ、う~ん、背筋が寒くなります(笑)。

確かに青木氏のように「ひねくれた学問分野」で活躍している若い学者さんの存在は、何だか頼もしいですね。

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RE:お恥ずかしい話ですが… (mugi)
2010-11-24 21:43:05
>ハハサウルスさん、

 映画の影響もあり、私も未だに「アーリア人」と言えば、金髪碧眼のナチ将校を真っ先に連想してしまいます(笑)。やはり映像の影響は大きく、映画に登場する金髪碧眼のナチ将校はあの軍服といい、まさに絵になりますから。
 欧州人が「アーリア人」を自称したのはごく近代になってからであって、それ以前は「アーリア人」という概念はなかったのです。一方、インド人やイラン人は古代から「アーリア」を称していましたが、混血を重ねたので金髪碧眼タイプはいなくなりました。

 本当に古代ペルシア人の習慣はかなり特異に思えました。現代ではメタボ体型は馬鹿にされがちですが、古代なら恰幅がよいと憧れの対象だったのでしょうか。動脈硬化で早死にするペルシア人王侯貴族も少なくなかったかもしれません。

 イスラム専攻をする日本人の学者さんなら最近は増えていますが、古代イラン学の方はかなりマイナーです。そんな分野を研究する心意気も立派ですね。
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是非今後とも (オレンジ)
2010-12-06 20:24:45
初めてコメントさせて頂きます。

2か月程前からmugi様のブログを読ませて頂いている者です。

ブログを読み始めた当初から、幅広い教養と確かな見識をお持ちの方だと感じておりました。

当ブログに触発されて最近私もインド、中東史に関心を持ち始めたですが、何分にも欧米史等と比すると発行数が少なく、私の様な門外漢には敷居が高いものとなっております。

身勝手を承知で申し上げれば、今後ともインド、中東関連の書籍を紹介して頂ければ幸いです。

余談ながら、私もmugi様同様仙台市出身(現在は横浜市に在住)でして、時折、当ブログの仙台関連の記事を読みながら郷愁に浸っております。




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RE:是非今後とも (mugi)
2010-12-06 21:31:40
>オレンジ様、初めまして。コメントを有難うございました。

>>幅広い教養と確かな見識をお持ちの方だと感じておりました

 それは買い被りすぎというものです(笑)。ブロガーさんの中にはサンスクリット語やヒンディー語、トルコ語も解する方もおり、私などとても及びません。私の場合、単に趣味が偏っているというだけなのです。
 仰るように欧米史や中国史に比べると、インド・中東関連は研究者自体が少なく、そのため書籍の発行数もお寒い限り。一般書店ではまず店頭にないので、図書館にでもない限り見かけませんね。

 あなたは仙台出身で、現代は横浜在住でしたか!横浜は旅行で行ったことはあっても居住したことはありません。拙ブログの仙台関連の記事を読まれて頂き、少しでも郷愁を感じて頂けたならば光栄です。
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民族分類は (投資一族の長)
2012-07-05 15:24:42
面白い記事を書いていますね。

民族を分類したり、起源を探る学問は、各々の民族感情を刺激するせいか主観的になりがちで、そこが逆に面白いです。

言語の分類だとインド・ヨーロッパ語族なる、語族という単位があるみたいですし。
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RE:民族分類は (mugi)
2012-07-05 21:56:03
>投資一族の長さん、

 コメントを有難うございました。HNから先日オデュッセウスの記事をトラバされた方ですよね?

 記事が面白いと感じられたのならば、ネタ本が面白かったからです。仰る通り民族に関する学問はナショナリズムを伴わずにはいられませんが、それなしでは国民国家は創設できなかったでしょう。功罪両面があり、民族主義形成に遅れた集団は国家建設もできず、辛酸をなめることになりました。
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使用する単語もセンス (投資一族の長)
2012-07-06 17:08:22
> HNから先日オデュッセウスの記事をトラバされた方

そうです。

> 記事が面白いと感じられたのならば、ネタ本が面白かったからです。

私も本のまとめを書いているのでわかるのですが、本の抜粋は読者の感覚なので、同じ本を読んでも読者の興味次第では、全く違うまとめになると思うのです。興味が近いと、使用する単語も似てくるみたいなので、面白いなと思いました。

私は最近、歴史や世界の国々の本を読み始めたばかりなので、参考にさせていただきます。今後ともよろしくお願いいたします。
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RE:使用する単語もセンス (mugi)
2012-07-06 21:31:57
>投資一族の長さん、

 仰る通り同じ本を読んでも感想はそれこそ十人十色、たとえ共感してもまとめ方はそれぞれ異なります。私の場合、イージーに引用することもしばしばですが、、、

「最近、歴史や世界の国々の本を読み始めたばかり」にしては、実に濃い内容の記事ですよ。参考にさせて頂くのは私の側であり、こちらこそ何卒よろしくお願い致します。
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